【第30話】ご褒美は、ハンバーグの香りとともに
『先輩!数学の試験バッチリでした!ありがとうございます!』
LIMEの着信に出ると、画面越しの天音ちゃんが笑顔でこちらに報告してきた。
「良かったー、俺の教え方が悪かったらどうしようかと不安だったんだよね」
『そんなことないですよ!先輩、すっごく分かりやすかったです!』
その言葉だけで、教えた甲斐があるというものだ。高校レベルの数学だったとはいえ、誰かの力になれたのは素直に嬉しい。
『それで、お礼がしたいんですけど……』
「えっ、お礼? この前、ポテトとドリンクバーご馳走になったじゃない」
『あれは来てもらったお礼です!今度はテストの点数が良かったお礼です!』
いや、そこまでしてもらうのは気が引ける……と言おうとしたが。
『もう準備しちゃったんで、コンビニの先にある公園に来てもらえませんか?』
「えーっと、今から?」
『予定ありましたか?』
時計を見れば、バイトは21時から。今はまだ時間に余裕がある。
「うーん、じゃあ……9時からのバイトだけだし、大丈夫かな」
『ありがとうございます!待ってます!』
そう言われてしまえば、断れるはずもなく。
◆ ◆ ◆
天音ちゃんの言う「公園」に急いで向かうと、彼女は既に待っていた。
「あっ、お待たせ」
「いえ、急いで来ていただいてありがとうございます!」
彼女はにこやかに頭を下げるが、まさかの手ぶらだった。
……クッキーとかそういう流れじゃないのか?
「えーっと……?」
「うちに来ていただけますか?母もお礼が言いたいって……」
「えっ、お母さん?」
「はい。私が初めて数学で80点とったもので、母も大喜びで……」
80点か。確かに、苦手だった数学でその点数なら、親も嬉しいはずだ。
「それで、ちょっとお願いもあって……」
「お願い?」
「はい。とにかく、家が近いので行きましょう。こっちです!」
そう言って、またも腕を引っ張られる。
終始、天音ちゃんのペースだった。
◆ ◆ ◆
辿り着いたのは、普通の一軒家。扉を開けると、心地良い香りが鼻をくすぐった。
「ママ、ただいまー!」
「おじゃまします……」
緊張が走る。お父さんもいるかも……。
「あら、天音おかえりなさい。涼也さんもいらっしゃい」
出てきたのは——若い。どう見ても大学生にしか見えない。
「初めまして、忍野涼也です。天音さんとは同じバイト先で働いています」
無難に挨拶すると、彼女はふっと微笑んで、
「天野佳乃よ。天音の母です。よろしくね」
「よろしくお願いします……」
なぜか陽花がいないと、語彙力が減っていく気がする。
天音ちゃんが手を洗いに行ったので、しばし母娘ではなく、お母さんと二人きりの時間が訪れた。
「涼也さん、天音に勉強を教えてくれてありがとう」
「いえ、数学だけですから」
「その数学が苦手でね。理系志望なのに」
確かに、数学が苦手だと進学に差し支える。
「急に80点も取れたって、大喜びして。詳しく聞いたら、涼也さんが教えてくれたって」
「いえ、本当にヤマが当たっただけかもしれませんし……」
「いえいえ、それでも自信がついたようで。本当に助かりました」
お母さんの口調は真剣だった。そして次の言葉が本題だった。
「お願いがあるの。天音に定期的に数学を教えてくれないかしら?」
「えっ……受験数学となると、ちょっと自信が……」
「塾にも通っているから、分からないところだけでいいの。週に1〜2回くらい」
「……それなら、まあ」
「お礼は、ちゃんとさせてね」
「いえ、そんな……お金をいただくようなことでは……」
「この前のお礼もありますし、今日は夕飯を召し上がっていってください」
「えっ、夕飯……?」
まさかお父さんも帰ってくるパターンか……?
「バイトは9時からでしょう?しっかり食べていかないと力出ないわよ」
うっ……バレてる……! 断れない空気に飲まれていく。
「それに、天音が作るって言い出したのよ。お願い、食べて行ってあげて」
えっ、天音ちゃんが作った?
思わず香りに意識を持っていかれた。これは……ハンバーグ?
◆ ◆ ◆
食卓には、ハンバーグと付け合せのポテト、ブロッコリーが彩られていた。
「茜にレシピ聞いたので、大丈夫だと思います。どうぞ、召し上がってください」
「いただきます!」
ナイフで割ると、肉汁がじゅわっと広がる。
一口食べると、思わず目を見張った。
——うまい。コンビニ弁当とは比較にならないレベル。レストランでもめったにでてこない、そんな味だ。
「うん、すごく美味しい。料理上手なんだね」
思わず素直に褒めると、天音ちゃんは真っ赤になってうつむいた。
「えっ、本当ですか?初めて作ったんですけど……ホントに美味しい……!茜ありがとー!」
彼女の笑顔が眩しい。
「いや、でも、初めてでこれはすごいって」
「頑張った甲斐があったわね」とお母さん。
なんだろう、この居心地の良さは。
クッキーではなかったが、手料理をご馳走になるという想定外のご褒美。
最近、陽花に三千花、そして天音ちゃん。こんなに幸せでいいのだろうか。
……なんて考えていたら、ハンバーグの味が少し甘くなった気がした。