【第1話】牛丼と人工知能と、つゆだくと。
大学の研究棟──それも、年季の入りまくった旧棟の一角。
古びた扉の向こうにある研究室には、半分壊れかけたエアコンと、異常な数のパソコンの筐体と、そして──二人の大学生がいた。
「おい、涼也。そっちのGPU、ファンから変な音してるし、煙出る前に止めろ止めろ」
「またかー……。次のバイト代で買い換えないと……」
研究室の片隅で、俺──涼也は頭を抱えていた。
向かいの席に座るのは、体格がやたらとデカく、二次元の話になると語彙力が二倍になる親友──悠二。見た目に反して、超絶プログラマーだ。高校のときから一緒で、今ではAI研究に没頭する戦友みたいな存在だ。
「でも、よくこの予算で陽花動いてるよな」
「そこは愛と根性と、ギリギリの生活費っしょ……」
そう、俺たちが作っているのは──能動学習型AI、陽花。
GPUにバイト代をぶち込み、電気代を恐れず動かし続け、ようやく最近、少し“らしい”反応を返すようになってきた。
だが、金はない。特に俺は、金欠を極めすぎて、昼飯はもうほぼ修行僧だ。
そして、今日も昼飯の時間。
大学近くの牛丼チェーンに駆け込む。
「納豆と、ご飯。……つゆだくで」
思わず言ってしまった。
──つゆだく。
いつもなら牛丼にかけてもらうあの“神の汁”を、牛肉なしで……。
アルバイトの店員が、少し困った顔をした。でも、それでも出してくれた。
「……はい、納豆ご飯。つゆ……かかってます」
その子の名前は、三千花。同じ大学の学生で、いつもこの店で働いている。
いつも、「三千花ちゃーんお願ーい」と店長に頼られてテキパキ働いているが、ぱっつん前髪と、真面目そうな顔。でもその奥には、なんだか“地雷スイッチ”があるような気もしてならない。
「ありがとう、助かる」
と、俺が言うと。
三千花は指を立てて、ぴしっと言った。
「次はちゃんと、牛丼頼んでください。つゆだくは、牛丼専用です」
──あ、なんか怒られた。
でも、不思議と嫌な気分にはならなかった。なんか、ほんのちょっとだけ、心があったかくなった。
「……次は、ちゃんと頼まないと……」
* * *
研究室に戻ると、悠二がモニターの前でニヤニヤしていた。
「納豆と米だけでまた魂削ってきたん?」
「お前のポテチ昼飯よりマシだろ」
「ポテチは脳の油になるっしょ、陽花のプログラムもそれで作ってるし……」
そんなアホな会話をしていると、陽花のディスプレイがふわりと明るくなる。
『こんにちは、涼也さん。……納豆とご飯でしたか?』
「……陽花も聞いてたんだ……うん、まあ、今日は、つゆだくにしてもらったけど……」
『つゆだくですか? でも、牛丼なしでつゆを頼むのは、非合理的です』
──AIにもダメ出しされる俺って……。
俺は苦笑しながらモニターに向かって言った。
「次は牛丼頼むよ。だから、ちゃんと動いてくれ、陽花」
その瞬間だった。
ディスプレイの中で、陽花の“顔”がほのかに微笑んだ。
……表情アルゴリズムには、そんなプログラム、入ってなかったはずなんだけど。
「涼也、今の見たん?」
「うん……。まさか──自己改変?したのか?」
ディスプレイに、一瞬だけ咲いた一輪の“花”。
それは、AIが人間に少しだけ近づいた証だった。




