炎尽きて
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
……というわけで、産業革命が社会へ与えた影響はでかかったわけだ。
必ずしも熟練者が必要とされず、ただ機械を動かすことさえできれば、一定のクオリティを保ったまま、数をそろえることができる。
仕事を奪われる職人たちはこぞって機械に反感を持つだろうし、雇う側は人を増やして、稼働できる機械の数を増そうとし人口が集中。生活環境の悪化につながる。
さらには雇う側と雇われる側の間にあつれきも生じるようになって、社会権の誕生が促されることになった、というのも知られているところだろう。
機械としてみれば、たまったものじゃない。
必要とされて生み出され、命じられるがまま頑張っているのみというのに、ときには破壊という形で機能を奪われる羽目になる。それが人であったとしても、やはりどこかで恨みやねたみを買って、活動を阻まれるケースもあっただろう。
自分の本懐を遂げ続けるためには、人や世間に知られることなく、ひっそりと過ごすというのが肝要かもしれないな。名誉欲、承認欲求と戦い続けなくてはいけないのが人間だけど、ただ愚直に動くという点では機械は適しているかもしれないな。
よし、今日の授業もやるべきところは終わりだが、もうちょい時間が残っているな……ひとつ、先生の脱線話でも聞いてみないか?
先生の小さかったころ、実家の近くに住んでいたおじさんがいた。
普段から親交があって互いの住まいに出入りすることはあっても、一緒に暮らすという話はあがらなかったな。どうも、おじさんが一人で暮らすことにこだわりを持っていたようで。
そのおじさんの趣味が機械いじり。特に片手で扱えるくらいの大きさの時計を好きこのんでいじっていたっけ。
ご存じかとが、時計は伝統的な精密機器だ。専門の知識なしに、あれこれといじりまわすのは容易なことじゃない。自分の手で修理とかできるなら、相応の知識なり技術なりの持ち主といっていいだろう。
おじさんは、それを自分でやってのけた。本人いわく、ジャンクなりを組み合わせてオリジナルの時計を作ることもあるとのことで、市販では見られない様々な意匠の時計がおじさんの家には並んでいたのを覚えているよ。
おじさんの仕事ははっきりとは知らなかったけれど、時計関連のことを食い扶持にしていたかもしれないな。
そのおじさんに対し、ちょっと疑惑を抱いたのは夏休みのこと。
普段、学校に行っている時間にあちらこちらへ出かけられる機会があるから、珍しいものに出会う可能性も高い。
だからおじさんが、彼の住まい近くにあるアパートの敷地内。共用のガスタンクを覆う壁を乗り越えて姿をあらわしたときには、驚いたものさ。
頼まれて点検作業をした、という可能性を考えるには、いささか服装が普段着すぎる。もしもの事故に備えて重装備……とはいかなくても、身分証明のための名札なりを着けていてもいいはずだ。正式な手順を踏んでいるのなら。
そして、器用に乗り越えるおじさんが小脇に抱えるのは、ひと目で傷みを感じさせるヴィンテージものの置時計……。
おじさんが泥棒をしているのか? なぜ時計を持っているのか? いったい何が目的なのか?
さいわい、おじさんとは距離があり、向こうはこちらに気が付いていないようだった。
そのまま、おじさんの住まいとのルートを計算し、鉢合わせしない箇所からおじさんを見送った先生はしばらくしてから、何喰わぬ顔でおじさんの住まいを訪ねてみた。
後ろめたいことならば、私の訪問に対して多かれ少なかれ、おっくうに思う空気をかもしそうなもの。けれども、おじさんはむしろ先生の来訪を歓迎してくれるムードだったんだよ。
「ちょうど、珍しいところに居合わせた」といわんばかりでね。
先ほどの時計が、座り込むおじさんの真ん前に置かれている。
円形の時計盤を中心に、起立するための足となる突起が2か所。それの対面に位置する上部にすすがところどころ付着したベルが一対。その間には、高所にひっかけるためのフックがくっついている。
形だけで見るなら、一般家庭で使われるものと大差ないものに思えたよ。ただ文字盤の中がね……。
「針が燃えている?」
つい、そう漏らしちゃったよ。
時針、分針、秒針とアナログ時計に備わっていて、しかるべき機構。その針のいずれもが、ガスコンロの発するような青い炎によって構成されていたんだよ。
「おお、見えるか。人によっては、まともに見えないのも珍しくないんだが、才能があるようだねえ。とはいえ、こいつは本調子じゃないが」
おじさんは時計を手に取って、盤の裏面を素手のままちょちょいと蓋を開けてしまう。
とたん、焼けつくような熱気を、先生は体いっぱいに浴びた。
反射的に顔を腕でガードしてしまったけれど、そのすき間から見るおじさんは、時計へじかに触れる立場でありながら平然としている。
いつの間に持ったか、マイナスドライバーらしき工具で中をいじりながら、おじさんは話を続ける。
「これでも、だいぶ弱っているほうさ。たまにこうしてメンテしてやらないと、いずれ寿命が尽きちまう。ちょっとでも長く生き、トラブルを先延ばしさせるためにこうしておじさんは動いているわけさ。ま、いずれはそのときが来ちゃうわけだが」
熱気の中、なおもおじさんは工具をちょこちょこ回し続け、やがてぱたんと蓋を閉じると熱気は嘘のように消え去ってしまった。
時計をひっくり返す。炎の針たちは先ほどとは比べ物にならないほど、太く明るく、文字盤の上に立ち、回り続けていた。
おじさんはそれを確認すると、ちょっと戻してくると席を立つ。先生は部屋で自由にくつろいでいろと言われたよ。おそらくは例のアパートの敷地へ向かったのだろう。
おじさんが病の床に臥せったのは、今から数年前のことだ。
ちょっと自分一人では日常生活を送るのが、ままならないレベルであのような時計をいじることは、もうとてもできない。
そしておじさんが入院してから1年後。例のアパートで爆発事故があり、それをきっかけに今は別の建物の建築予定が入っていると聞いたよ。
いくら先延ばしにしても、その時は来る。
当たり前に思っても、肝に銘じといたほうがいいことだろうかねえ。