第6話 君と過ごす①
「ただいまー」
玄関の扉を開けると、リビングからドタドタと足音が聞こえる。リビングから勢いよく飛び出した絢香が出迎えてくれる。
「こう君おかえ…り!?」
「ど、どうも…お邪魔…します」
絢香は、僕の隣にいる桜木さんに驚いている様子だった。隣に居るとは言っても、家に入る前に僕が制服のジャケットを貸した為、宙に浮くジャケットしか見えていない。
昨日の様に絢香の服を着てもらい、一緒にご飯の準備をした。
「こ、こう君は野菜切って。桜木さんは…お肉をこねてくれません…か?」
「ええ。任せて絢香さん」
絢香と桜木さんはぎこちないが、少しづつ距離を近づけている様だ。表情は見えないけど、桜木さんも機嫌が良さそうな気がした。
ジャガイモやにんじん、玉ねぎを刻む音。桜木さんが兼ねたミンチの肉をフライパンで焼く音。その後ろで絢香が炊飯器で米を炊く音。キッチンで繰り広げられる音が部屋中に響き渡る。そして、どこか懐かしい感じがした。
切った野菜を鍋に入れて一煮立ちさせた後、買ってきたブロック状のカレールーをぼとぼとと鍋の中に落とす。炊き上がった白米の上からカレーをかけて、更にその上からハンバーグを乗せる。小さい頃から食べていたハンバーグカレーライス。
「それじゃあ、いただきます」
「…いただきます」
「いただきます」
ダイニングで3人一緒に夕食を食べる。絢香はまだ気まずそうにしているが、いつもなら完全に塞ぎ込んでしまう絢香が、こうして他人と食事をするだけでも凄いことだ。前に太陽も来た事があるが、その時は太陽を一目見た瞬間に逃げ出し、部屋から一歩も出てこなかった。
そんな絢香が同じ空間で食事をしている。それだけで涙が出そうだった。これが親心か…。
「こう君…どう?美味しい?」
「ああ。美味しいよ。絢香は?」
「うん。美味しい…その…桜木さん、は?」
絢香は桜木さんの方を慎重に眺める。見ても顔は見えず、向こう側の壁しか見えない。それでも絢香は顔が有るであろう場所を見つめる。
「美味しいです!こんなに美味しいご飯は久しぶりで…。本当に美味しいです!」
少し興奮気味になりながら絢香に感想を伝えると、絢香は満遍の笑みを浮かべた。他人と話して、笑い合うなんて本当に有り得ない事だった。カレーの味よりもその嬉しい事実を、僕はゆっくりと噛み締めていた。
「洗い物くらい僕がやるのに」
「いいのよ。これくらいさせて」
シンクに重ねられた汚れた食器を2人で片付ける。僕がスポンジで汚れを落とし、桜木さんが泡を水で落とす。
静かで平和な時間が流れる。食器を片付ける音しか聞こえないが、その空間は居心地が良いし、何も喋らなくても気まずくない。
「ね…ねぇ、船橋くん」
「え?」
初めて名前で言われた。その事実に驚いて後ろを振り返る。
「その…勝手に出ていってごめん。ちょっと色々あり過ぎて混乱してたって言うか…。だから…その…助けてくれない?」
顔は見えない。でも、彼女の表情は想像できた。不安なんだろう。多分、わざと人の多い場所に行ってみたが、誰も気が付いてくれない。何も出来ない事を突きつけられたのだろう。本当は助けて欲しかった筈だ。そうじゃなきゃミサンガをつけているはずが無い。
彼女の方を向いて見えない目を見て言う。
「わかった協力するよ。一緒に元に戻ろう」
「…うん。ありがとう。こんな私に協力してくれるなんて…そのウザい前髪をどうにかしたらモテそうなのに」
「うわー。なんでそんな余計なこと言うかなー」
「だって本当なんだもん。ちょっといじらしてよ」
「嫌だよ。えっち」
「なんでよ!?」
透明な手が前髪に触れそうになり、咄嗟にかわす。追いかけてくる桜木さんの両手首を掴んで、キッチンで押し相撲の様に互いに押し合う。
「ちょっといじるだけじゃない!そっちの方がモテるわよ!?」
「別にモテたくない!この髪型が気に入ってるんだ!」
「そんなダッサイのやめなってー!」
「余計なお世話だー!あっ…」
押し合っていると足元にひかれていたマットが滑り、背中から倒れてしまう。僕が下敷きになり、その上から桜木さんが乗っかる。柔らかい感触が自分の硬い胸の上に落ちてくる。
「こう君ーお風呂空いた…よ!?」
『『あ』』
キッチンでの光景ををお風呂上がりの絢香に見られてしまう。この場面だけ見れば、変な誤解をされるのは決まっていた。
絢香は元々ピンク色に染まっていた頬を真っ赤に染めて焦り出した。
「もしかして…もうそんな関係に…?ごめんなさい!お邪魔しましたー!」
「ちょっと絢香ー!?これは事故なんだー!」
「そ、そうよ絢香ちゃーん!?ちょ、ちょっと待って!」
「絢香は何も見てませんからー!ごゆっくりー!」
ドタドタと音を立てて階段を駆け上る音が聞こえる。ばたんと自室に入った音が聞こえ、僕は頭を抱える。
「もー桜木さんのせいで変な誤解されたー」
「私のせい!?あなたが勝手に転ぶからでしょ!?」
「僕のせいかよ…」
2人の言い合いは寝る直前まで続いた。