第3話 セーラー服は電車に乗る③
桜木さんに願いの話をしていると、部屋のドアからノックが聞こえてくる。時計に目をやると00:31と表示されていた。
「こう君…お、お風呂は?」
「あ、うん、入るよ。絢香?部屋に入って来てくれないか?」
「えっと…」
「大丈夫、お化けじゃないよ。僕の同級生なんだ。今日は泊まっていくことになっただから、紹介くらいは良いだろ?」
僕の呼びかけに返事はなかったが、ゆっくりと部屋のドアが開く。
絢香は猫のぬいぐるみを抱きしめながら入って来る。そのぬいぐるみは、小学六年生のクリスマスに姉が欲しがっていたもので、当時は大切に抱きしめていた。
部屋には完全に入りきらず、部屋と廊下の間を跨るようにしてこちらの様子を伺っていた。まるで子猫のように怯えながら桜木さんの方を見る。
「こ、こんばんわ…」
「こんばんわ。さっきは驚かせてしまってごめんなさい。私は桜木宮佳です」
「…船橋絢香です…。こ、こう君お風呂入ってね?じゃ、じゃあ!」
絢香はそれだけ言い残した後、バタンと勢い良くドアを閉める。人見知りな絢香にしては頑張った方だ。
桜木さんにお風呂に入ってもらっている間に来客用の布団を用意する。ぱんぱんとしわを叩いて整えてから、タオルを持って脱衣所へと向かう。
「ここにタオル置いとくよー」
「何で普通に入ってくんのよ!」
お風呂場からばしゃんと水面を叩く音が響き渡る。ドア越しにモデル(透明人間)の入浴音が聞こえて来る。これはこれでアリだな。
「変なこと想像してないよね?」
「…やっぱりテレパシーが使えるようになってるのか…?」
「…キモッ」
タオルを置いて出て行こうとした時、桜木さんのスマホの画面がつき、20件以上の不着信通知が映し出されていた。その殆どが母親からの通知だった。
部屋で待っていると、姉のパジャマを着た桜木さんがタオルで髪を乾かす動作をしながら入って来た。相変わらずパジャマとタオル以外は何も見えない。タオルはわしゃわしゃと動いているが、その髪はどこにも見当たらない。
「お風呂いただいたわ。パジャマもありがとう」
「姉には大きすぎるからな。それじゃ、僕も入ろかな…」
スマホをポケットに入れ、ベットから立ち上がる。
「……お湯に浸かるの?」
「そりゃお風呂ですから」
「………」
「大丈夫ですよ。女子高生の出汁が取れたとかって言って変なことはしないので」
「…いや………出汁とか言ってる時点でアウト。死ね?」
変な事はしないのになぁ。
お湯に浸かりながら今後のことをぼんやりと考える。天井から冷え切った水滴がぽつりと頭の上に落ちる。長い前髪を掻き上げると額には5cmくらいの切り傷がある。その古傷をなぞりながら過去の事を思い出す。
これまで3人の願いの叶った人と出会い、1人は姉、もう1人は願いを消せた。もう1人は願いが消えたのかもわからない、突然姿を消してしまった。
一年前のあの夜。僕は自殺した…筈だった。目を覚ますと駅のホームであの人の膝の上で寝ていた。頭には切り傷が出来ていて、彼女は…あの時………。そこからが思い出せない。ある筈な記憶が無い。
気づけば手がしわしわになっている。湯船から出て体を拭く。傷が少し疼くようだった。
「ねぇ。これどう言う事?」
「え?どう言う事って?」
部屋に戻ると、敷布団の上で仁王立ちで待っている桜木さんが居た。僕の部屋にはベットと敷布団の二つが用意されている。
「どうして同じ部屋なのかってことよ。なんかさっきからずっと距離感バグってない?」
「仕方ないだろ。絢香は人見知りでお化けと寝るなんて無理だし…」
「誰がお化けよ!」
僕の顔面に枕が飛んでくる。ぼふと音を立てて枕が顔から足元に落ちる。
「他の部屋は散らかってるし、お客さんをソファには寝させられないだろ?安心しろ、僕が布団で寝てやる」
「そう言う問題じゃ!あっ!勝手に寝るな!」
電気がぱちっと消える。目を瞑り、目の前が真っ暗になる。夜の静けさに包まれた部屋に鼻を啜る音が響く。
桜木さんが泣いている。
不安になる気持ちもわかる。叶って嬉しい筈の願いは、実際に叶ってしまうと急に自分に牙を向く。願いは叶わないから願いなのだ。
深夜の部屋で透明人間と僕は一緒に寝る。見えはしない。でも、彼女は泣いている。