プロローグ
ヒーローの登場が遅い作品ですが、どうぞよろしくお願いします。
これは最初から、お互いに望まぬ婚約だった。だから結果もまた――……。
「これでようやく、婚約を解消できそうだよ、ヘイゼル・ファンドーリナ公爵令嬢」
目の前に座る、水色の髪の男性、クライド・ルク・セイモア殿下は、そう言いながらニコリと笑って見せた。その晴れやかな笑顔に、思わず私も微笑み返す。
「それは良かったです。手続きの方も順調、ということで合っていますか?」
「あぁ。けれど、これまでの経緯なども含めて、ヘイゼル嬢には迷惑をかけたね」
「いいえ。滅相もありません。クライド殿下にはたくさん助けていただいたのですから、そのようなお言葉は不要です」
そう、もしもあの時、クライド殿下からの申し出を受けなければ、今も私はファンドーリナ公爵家の中で、肩身の狭い思いをしていたことだろう。そして、兄の言いなりになって、どこぞの令息……もしくは金持ちの老齢な貴族のところへ嫁がされていたかもしれない。
「婚約解消となりましたが、私はクライド殿下と婚約できて幸運だったのですから」
「それは嬉しいが、ヘイゼル嬢の想い人に殺されかねない言葉だから、くれぐれも彼の前では言わないでくれよ」
「あっ、そうですね。私もクライド殿下の想い人にも嫉妬されたくはないので、もう言いません」
私は思わず、先日の出来事を思い出した。
クライド殿下が、ミランダ・ロブレードという商人とのスキャンダルを大々的に発表し、大勢の前で私に婚約破棄を言い渡したのだ。そのため、国王様の怒りに触れて、王太子を剥奪された。
けれどクライド殿下には人望があったため、王子という身分までは取られなかったのだ。次の国王になれなくても、自分を支えてほしい、と願う弟君の願いによって実現されたことだった。
私も助けていただいた身であるため、弟君の気持ちは痛いほど分かる。もしも本当に平民に下ったら、全力でお支えしようと思っていたくらいだ。それほどに、クライド殿下は国になくてはならないお人であり、人望の厚い方だった。
けれど当のクライド殿下の目標は、何においてもミランダ嬢と結ばれること。
そのために私と婚約をして、スキャンダルまで起こし、ご自分の名声を地に落としたのだ。そう、一介の王太子が平民と結ばれるためだけに起こした騒動……。
現在、手続き中というのも、私との婚約解消だけではない。ご自分の処分も、である。だからお互いの立場を考えると、こんな風に明るく話をしている状況ではなかった。
しかし、そのあっけらかんとしている姿は、見ていて清々しい。本当に後悔していないことが伝わってくるほどだった。だからだろうか。ちょっと皮肉を言いたくなった。
「それにしても、あれだけの騒動を起こしたというのに幸せそうですね、クライド殿下……目標であった平民にはなれませんでしたのに」
「……だけど僕の本気は父上にも、ミランダにも伝わったから構わないさ」
「王太子の戯言、もしくは一時の感情だと思っている者は、未だにおりますよ?」
ミランダ嬢に誑かされた、という者も少なからずいる。
「知っている。だけどそれを面と向かって僕に言うのは、ヘイゼル嬢くらいだよ? だからまぁ、婚約を持ちかけたわけだけど……」
「さすがにミランダ嬢も、クライド殿下に言える立場ではありませんからね。けれど一応、言っておきますが、私の場合は悪意を持って言っているわけではありませんから」
恩を仇で返すつもりもない。王太子の身分が剝奪されれば、こうして舐めてかかって来る貴族が現れるだろう。いくら今までと同じ、王子であったとしても、だ。
だからこれくらいで、ダメージを負ってほしくはなかった。
「分かっているよ」
「何かありましたら、遠慮なくおっしゃってください。勿論、ミランダ嬢が嫉妬しない程度に、ですが」
「当然だろう? 僕だってヘイゼル嬢の想い人に嫌われたくないしね」
クライド殿下がキメ顔で、そう言ってのけたものだから、思わず笑みが零れた。
それと同時に安堵もする。これから苦難が待ち受けていることをご存知なのに、これほどの軽口を叩ける、その度胸に。
けれど今後のことを思うと、私も人のことが言えた立場ではなかった。




