09 舞踏会の二人
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ローエンは令嬢の依頼を引き受けた。公爵家に正式に返事を出すと、翌日にはテーラーが研究室に来た。更に靴職人が型を取っていった。床屋は丁寧に髪を切ってくれた。
舞踏会当日の昼前から公爵邸に連れて行かれ、全身を磨かれた。上等な夜会服は彼にピッタリで、靴も驚くほど履き心地が良い。鏡に映る姿は10は若返っていた。
「初めまして。クリティシャス先生。いつも娘がお世話になっております」
出発前に玄関ホールで公爵夫妻と挨拶をした。公爵夫人はどう見ても20代前半の金髪美人だ。
「今日はディアナをよろしく頼む」
公爵も歳よりずっと若く見える。仏頂面で、握手をした手が痛かった。そこへ令嬢が出てきた。赤いドレスに水色の大きな宝石がついたネックレスを着けている。もしかして、ローエンの色に合わせてるのかも。
「ごきげんよう。先生。引き受けてくれて、ありがとう」
金色の瞳に面影を探す。藍色の髪は美しく結い上げられ、ダイヤのピンが沢山刺してあった。ダメだ。美少女以外の何者にも見えない。本当にインディアナの生まれ変わりなのか。馬車では公爵夫妻がいたので話せなかった。
◇
久しぶりに会ったローエンは輝いていた。夜会服も似合ってるし、薬膳弁当で肌艶も良い。自然とディアの口元が緩んだ。
会場に着くと両親はすぐに国王に挨拶に行った。他の人間はディアとローエンを遠巻きにしている。つい先日、行方不明だった娘が15年ぶりに見つかったと、公爵が発表したそうだ。元平民の令嬢に話しかける貴族はいない。
「踊るかい?」
ローエンが訊いた。ディアは首を振った。
「踊らない。人が多すぎて気持ち悪い。外に行きたい」
「分かった」
彼はディアの手を取ってバルコニーへ出た。置いてあった椅子に座り、涼しい夜風で一息つくと、ローエンはネックレスを誉めてくれた。
「綺麗な水色だね。まるでアクアだ」
そう言えば、妹と同じ色だ。
「アクアにあげたい。光り物好きだし」
待ち伏せ中はダメだって言われても、アクアは絶対にアクセサリーを着けた。一番のお洒落さんだった。その時、昔流行った曲が聴こえてきた。
「あ。これヴェルデが好きなやつ」
ローエンが歌うと、尻尾で拍子を取っていた。タシーン、タシーンって。歌詞を間違えると怒るし。
「さっき、ラピス姉さんの好物の牛肉があった。貰ってこようか」
姉妹を思い出したら食べたくなった。ディアは立ち上がろうとして、ローエンに手を掴まれた。
「後で良いよ。インディアナ」
「そう?」
2人は懐かしい音楽を聴きながら夜の庭園を眺めていた。
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もう信じるしかない。彼女はインディアナだ。ローエンは目眩がした。死してなお主人を慕う忠義を喜ぶべきか。彼は掠れた声で尋ねた。
「…チューターの件だけど。君はどうしたい?」
「嫌ならやめていい。私も学園をやめる」
ディアは即答した。驚いた。それほど執着してないのか。しかし彼女はおかしな事を言い出した。
「ローエンの部屋で暮らす。夕飯を作って待ってる」
「え?」
「昼間は荷運びをして稼ぐ。筋肉もつく。一石二鳥」
「どういう意味?」
「ずっと一緒にいる。それだけ」
「…俺が嫌だと言ったら?」
彼女は公爵令嬢だ。いくらインディアナの生まれ変わりとは言え、到底受け入れられない。突き放すと、ディアは数秒押し黙ったが、急に立ち上がった。
「仕方ない。島に帰る。元気で」
「待てっ!ジュラ島の事か?まさか本気じゃないよな?」
彼女は美しい淑女の礼をして立ち去った。
◇
ディアは舞踏会の会場に戻った。両親に先に帰ると伝えねば。公爵夫妻を探していると、王子が声をかけてきた。
「トリアス嬢。少し話せるかな?」
「話せない。夜景も花も見ない。もう帰る」
上の空で断り、彼女は出口に向かった。拒絶された。やはりこの貧弱な身体では愛されない。島に帰ろう。姉妹たちと暮らし、次は逞しい竜になろう。またローエンが卵を拾ってくれたら。
「具合が悪そうだ。車寄せまで送るよ」
気づくと、早足で歩くディアの横に王子がいた。公爵夫妻には侍従が伝えてくれるそうだ。案外親切な男だった。
「ありがとう」
ディアは礼を言った。王子は護衛の男を呼んだ。
「どういたしまして。…会場を出るぞ。バージェス」
それを聞いた途端、彼女は思い出した。姉妹を撃った奴の名前だと。
◆
トリアス公爵の隠密が王城にまで来た。小部屋で報告を聞くうちに、公爵の眉間に深いシワが寄った。
「ディアナと王子を会わせてはいかん。今はどこに?」
「博士とバルコニーにいらっしゃいます」
隠密に案内させ、そこに向かう。だがクリティシャスしかいなかった。公爵は教師の胸ぐらを掴んで問い質した。
「ディアナはどうした?お前に任せただろうが!」
「王子と会場を出ていかれました。一体どうしたんです?王子の目に叶えば…」
将来の王妃じゃないですか。これ以上は無い良縁でしょう。ボンクラ教師は御託を並べた。
「この阿呆が!やはり貴様などに娘はやれん!」
一発殴ろうと拳を振り上げた時、会場の窓ガラスが一斉に割れた。
「キャーッ!!」
黒い飛ぶものが大量になだれ込む。シャンデリアが消え、会場は闇に包まれた。人々の悲鳴と羽音、逃げてつまづきグラスが割れる音が交錯する。公爵は教師を投げ捨てて、妻と娘を探しに駆け出した。