06 愛人
◇
ローエンは酒を飲み過ぎだ。研究室の棚には飲みかけのウィスキーがあるし、手下に調べさせたら、毎晩下町の飲み屋に通っているそうだ。だから昔より顔色が悪い。ディアは酒を抜くことにした。
「これは酒断ち草。トリアス領の西にしか生えてない。摂取し続けると酒が飲めなくなる」
料理長にこの草を分からないように混ぜたいと相談した。
「苦味が強いですね。加熱しても良いんですか?」
「多分。村の女はスープに刻んで入れてたから。あとこれ。肝臓を回復する草と腎臓から毒を出す草も」
ディアと料理長は試行錯誤をして、ついに究極の薬膳メニューを完成させた。彼女は毎日せっせと弁当を作り、ローエンに食べさせた。ウィスキーにも麦茶を混ぜて少しずつ度数を減らしていく。その結果、顔色は元に戻った。だが飲み屋通いは止まらなかった。
(愛人だ)
直感した。長期休暇に入った日の夕食後、彼女は公爵夫妻に頼んだ。
「お金が欲しい。あと護衛も」
「何に使うんだ?」
「ローエンの愛人に手切れ金を渡す」
「ゴフッ!」
公爵は茶をむせた。公爵夫人も驚いたようにカップをカチャリと下ろした。ディアは事情を説明した。弁当に混ぜた薬草はあと少しで効く。完全に酒を絶つためにも、下町の飲み屋にいる愛人と別れさせたい。
「弁当にそんな物を…。いや、それより愛人なんて本当にいるのか?」
公爵は疑わしそうに訊いた。
「いる。手下の報告では黄金街のバーのママだって」
「手下?隠密を貸した覚えはないぞ」
「これ」
ディアは指笛を吹いた。たちまち数十匹のネズミが通風口から出てきた。窓辺にはフクロウが数羽、停まる。
「キャーッ!」
夫人が飛び上がって公爵の後ろに隠れた。動物はディアの言うことをきく。彼女も彼らの言うことが分かる。公爵は眉間に皺を寄せて悩んでいた。
「…護衛は何に使う?」
「今から愛人と話をつけてくる。下町は治安が悪いから、一応」
「むむ…」
結局、公爵は500万シルバと護衛2人を貸してくれた。ディアは下町でも浮かない服を着て、マントのフードで髪を隠すと夜の歓楽街に出かけていった。
◇
酔客で賑わう下町・黄金街。その一角にある小さなバーの扉をくぐると、カウンターに突っ伏して寝ているローエンを見つけた。ディアは近づいて声をかけた。
「先生」
揺すっても起きない。
「ローエンの生徒さん?今日は話せないと思うわよ」
カウンターの向こうから大柄な金髪の女が言った。これが愛人だ。ディアは彼の隣の椅子に座った。何も頼んでいないのにミルクが出てくる。
「うち、ノンアルコールはこれしか無いわよ」
「幾ら?」
「後ろのお兄さん達は?ビールでいい?全部で1500シルバよ」
ディアは銀貨の詰まった袋をごとりと置いた。ビールをグラスに注ぎながら、女は笑った。
「お芋か何か?現金無いの?」
「単刀直入に言う。ローエンと別れて」
「え?」
彼が足繁く通うようになってから5年程だと聞く。その間、世話になった。500万では足りないかもしれない。だがこれ以上飲ませては駄目だ。ローエンを愛しているなら身を引いてほしい。ディアは普段の10倍ぐらい喋った。金で奪うのは申し訳ないが、心を鬼にして頼んだ。
「お願い。必ず幸せにする」
「ぶ…はははははははっ!」
頭を下げると、女が急に笑い出した。護衛がそっと囁いた。
「この人、男です」
嘘だ。こんな美しい人が男なわけない。化粧をしてスカートを履いているし、逞しい二の腕なんかローエンの好みそのものだ。そう抗議したら、女主人はますます笑い転げた。
「目、悪いんじゃない?お嬢ちゃん」
「悪くない。あなたは女。私は魂の姿が見える」
「!」
女は目を見開いて胸を押さえた。そして何度か深呼吸をすると微笑んだ。
「残念ながら彼の愛人じゃないわ。大丈夫よ。最近、飲むと調子が悪いんですって。今日も薄い水割り1杯で潰れちゃった。連れて帰ってくれる?」
「ありがとう」
ディアは護衛の1人にローエンを背負ってもらった。女は銀貨の袋を返そうとした。
「これは要らないわよ」
「取っておいて。今度は2人で来る」
「うふふ。分かったわ。じゃあね」
令嬢と護衛は飲み屋を出た。怪しい気配がついてくる。足早に馬車へと向かったが、あと少しというところで囲まれてしまった。
◆
ローエンが目を覚ますと、黒づくめの集団と男女3人組が戦闘の真っ最中だった。彼は路上のゴミ箱に立てかけられるように座っている。長いナイフで戦う女性のフードが取れて、藍色の長い髪が零れ出た。
(トリアス嬢?!)
完全に酔いが覚める。令嬢の背後から黒づくめが斬りかかった。ローエンは銃を取り出すとそいつを撃った。銃声に驚いた連中は倒れた仲間を回収して逃げていった。
「起きた?家どこ?」
トリアス嬢はナイフを持ったまま尋ねた。彼は説明を求めた。
「なぜ下町に君がいる?なぜ悪漢と戦っていた?」
「用があって来た。こいつらはバーを出たら襲ってきた。『博士以外は殺せ』って言ってた」
誰だ。彼を“博士”と呼ぶのは昔の知り合いだけだ。今頃恨まれても困る。令嬢が水筒を差し出した。ちょうど喉が渇いていたので、ローエンはありがたく受け取った。
「ゴホッ!苦っ!」
水ではなく苦い薬湯だった。咳き込んでいるうちに馬車に乗せられ、自宅まで送られた。公爵令嬢が下町に来る用とは何だ。いくら考えても思いつかなかった。