03 ローエン
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王立学園の新学期が始まった。高等部の生物教師ローエン・クリティシャスは、授業の終わりに質問がないか生徒に訊いた。男子生徒が手を挙げたので指した。
「先生はジュラ島にいた竜を手懐けたって本当ですか?」
兄や姉に聞いたのか。毎年この質問が出る。ローエンは淡々と答えた。
「本当だ。17年前に調査団に加わった。ラプトルの卵を持ち帰って孵化させた」
「その竜が王族を襲って処分されたっていうのも?」
教室がざわめいた。男子生徒の顔には嘲弄の表情が浮かぶ。これも毎年恒例だ。
「悪いが教えられない。当時の研究は軍事機密になっているからな。だが君の熱意に敬意を表して、全員にレポート課題を出そう。テーマは“大陸における竜種災害事例と解決法”だ。期限は1週間。では今日はここまで」
ええーっ!という叫びに背を向け、ローエンは教室を出た。バカめ。学園では教師が絶対強者なのだ。ガキどもの挑発など乗るものか。だが久々に過去を思い出した。彼は研究室の扉を乱暴に閉め、椅子に座って目を閉じた。
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ローエン・クリティシャスは早熟の天才だった。飛び級で大学を出た後、17歳で古生物学の博士号を取った。そのころ、南洋のジュラ島で生き残っていた古代の竜種が発見される。ローエンはそこで得た卵の孵化に成功して、成竜にまで育て上げた。
アクア、ヴェルデ、インディアナ、ラピス。
4頭は複雑な命令を理解できる特別な竜だった。戦争ではゲリラ部隊として活躍し、ローエンを貴族にまでしてくれたのに。彼の不在中に殺された。軍は事実を隠蔽した。しかし現場を見ていた研究員が打ち明けた。
『軍のお偉いさんが王子を連れてきたんです。俺たちは博士がいない時は無理だって言ったんですが…。それで放飼場に王子が落ちて。アクア達が近づいたら、インディアナは扉まで王子を運びました。守ったんだと思います。なのに護衛官が頭を撃ちました。すぐに止血したけれど、助かりませんでした』
その後、ローエンは何度も新たな竜を調教しようとしたが、全て失敗した。同じように育てても竜は決して懐かない。軍の援助も打ち切られ、彼の転落が始まった。
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「チューターですか?」
放課後、ローエンは学園長室に呼び出された。
「そうだ。少し遅くなったがトリアス公爵家の令嬢が入学する。教師をチューターにしてほしいそうだ」
高位貴族は多額の寄付金を納める代わりに色々要望できる。しかし令嬢の面倒を見るなら、同性の方が自然だ。ローエンは学園長に尋ねた。
「女性教師の方が良いのでは?」
「ご指名だ。竜種の飼育がどうとか言う、君の著作にいたく感銘を受けたらしい」
もう絶版のはずだが、公爵家の書庫にはあったのだろう。今日は二度も古傷を抉られた。なんて日だ。
「よろしく頼むよ。クリティシャス先生」
学園長は有無を言わさずに命じると、ローエンを下がらせた。彼は研究室で令嬢の入学願書を眺めた。
『ディアナ・トリアス。15歳。偏差値75。通学経験無し』
深窓の令嬢が何を思ったか。貴族は早く結婚するし、見合いのようなものかもな。ローエンは職場を出て下町の酒場に向かった。生きるために教師となって10年。もはや飲まない日は無かった。
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研究室にトリアス公爵令嬢が来た。この国で藍色の髪と金色の瞳は珍しい。整った顔立ちにスラリとした手足。絶世の美少女と言って差し支えない。美少女は入り口に立ったままローエンの顔を凝視した。
「想像と違ったかな?ガッカリさせてすまないね」
本の奥付けの肖像画は若い時のものだ。編集者に勧められて載せたのだが、やめておけば良かった。乙女の夢を壊してしまった。
「どうする?女性の先生に頼もうか?」
「ローエンが良い」
彼はギョッとした。学園では王族だって教師に敬語を使う。すると彼女は言葉遣いを改めて謝罪した。
「失礼しました。クリティシャス先生でお願いします」
何だ。普通に話せるんだ。安心したローエンは学内の案内をするために席を立った。教室や各種実習室、体育館に食堂と見せていくと、すれ違う生徒達が皆、驚いたように振り返る。多分、学園で一番綺麗な女生徒だからだ。
「というところかな。私は授業が無い時は研究室にいるから。質問や相談があれば来なさい」
研究室に戻り、茶を飲みながら諸々の注意事項を伝えた。すると美少女は早速質問した。
「あの、先生は、お昼はどこで召し上がっているんですか?」
「大体、ここに届けてもらうね。食堂は騒がしいから」
「慣れるまでご一緒しても宜しいでしょうか?」
ローエンは快く了承した。それもチューターの仕事だ。令嬢はほっとしたような顔で帰っていった。初めての学園生活で緊張していたようだ。
翌日から令嬢と一緒に昼食を食べる。元々静かな性格なのか、あまり喋らない。いつの間にか令嬢がローエンの分まで弁当を持参するようになった。放課後も研究室で黙々と宿題をしている。さすがに心配になった。
「トリアス嬢。友達はできたかい?」
「いいえ」
「部活動に参加してはどうだい?」
「先生は?」
「生物部の顧問をしているよ」
「じゃあ生物部にします」
「…」
万事この調子だ。彼女は何が楽しくて学園に来ているのだろう。ローエンにはさっぱり分からなかった。