10 オオコウモリ
◆
「これは何だ?!」
急に窓が割れ、大量の鳥のようなものが飛び込んできた。護衛達が覆い被さるように王子を守る。エドワードはトリアス嬢を避難させろと命じたが、
「ダメです!殿下が優先です!」
護衛達は群がってくる黒い何かを必死に払った。明かにエドワードを狙っている。
「ここでは銃が使えません。一旦外に出ましょう」
バージェスは中庭への脱出を提案した。人々からこれを引き離して、一気に片付けると言う。エドワードは許可した。
「良いだろう」
「ではこちらへ」
黒い何かは、ただぶつかってくるだけだが、触れると柔らかくて気味が悪い。王子の一団が移動を始めると更に数を増してついてきた。エドワードは我が身を囮に、令嬢から不明生物を引き離したつもりだった。
◆
人々は大広間から逃げ出した。ローエンは僅かに残った蝋燭の火で、落ちていた生物を確認した。
(オオコウモリの一種だな。こんな都会にいるやつじゃない)
それが体当たりで窓ガラスを割り、数万匹が一つの渦のようになって会場を襲った。ありえない現象だ。ランタンを持った衛兵達が招待客を誘導している。ローエンは騒がしい中庭の方へと走った。
「こちらは危険です!流れ弾が当たります!」
だが手前で規制をしていた。これ以上は近づけない。裏に回ろうかと考えていると、後ろからトリアス公爵が来た。公爵閣下は止める衛兵を歯牙にもかけず、
「通せ。流れ弾なんぞ当たらん」
「し、しかし…」
「我々は戦場帰りだ。行くぞ、クリティシャス男爵」
どこで手に入れてきたのか、拳銃をローエンに渡しながら堂々と突破した。
「公爵夫人と令嬢は?ご無事でしたか?」
「どの口が言う。妻は小部屋にいたので無事だ。貴様がディアナを1人にしたせいだぞ」
怒り心頭に発した様子で閣下はローエンを責めた。王子と一緒だったから、追わなかった。それが正しいと思ったから。
「ディアナと王子が会ってしまった。正確には護衛のバージェスだ。それで思い出したんだろう」
「待ってください!それとこのオオコウモリの襲撃と、何の関係が?」
「15年前、インディアナを撃ったのはバージェスだ」
「!!」
撃った護衛官の名前までは知らなかった。驚くローエンに閣下は尋ねた。
「このコウモリはディアナが呼んだ。どこにいる?上官だった貴様なら分かるだろう」
彼女がインディアナなら、とどめを刺す機会を狙っている。獲物がよく見える場所だ。
「屋根です」
◇
中庭を見下ろすと黒い大きな球体が見えた。コウモリたちが王子と護衛を包み込んでいるのだ。ディアの恨みと怒りが呼び寄せた。
あれがバージェス。普通の痩せたおっさんだった。でも腕は確かだ。姉妹をほぼ同時に射殺したんだから。あの時、撃たないでくれたら。扉から子供を出してくれれば。ローエンと離れなくて済んだのに。密度を上げて窒息させようか。押し潰そうか。迷っていると、
「ディア!」
屋根にローエンが登ってきた。
「止めるんだ。攻撃を中止しろ」
「…」
拳銃を持っている。ああ。本当に変わってしまった。従わなければ撃つ気だ。
「了解。中止します」
ディアはコウモリに引けと命じた。少しづつ球体が解けていく。護衛達は反撃の好機と撃ちまくった。
「良い子だ。こちらへおいで」
「はい」
ローエンの前に立ち、彼の顔を両手で引き寄せた。凄く驚いている。構わず鼻を擦りつけた。はい、お終い。屋根の反対側に飛び降りたら、公爵がいた。
「帰る。疲れた」
「そうか」
父は大きな手でディアと手を繋いでくれた。それから母と合流して3人で帰った。
◆
ディアは長期休暇明けから登校しなくなった。学園長からもチューターの終了を告げられ、ローエンと彼女の接点は無くなった。
「トリアス嬢が急に来なくなったのは、王子殿下との結婚が決まったからだ」
「いやいや。あのコウモリ事件は、公爵令嬢は王太子妃には相応しくないという神託だよ」
などと噂が流れている。何かの呪いだと言う者もいた。半ば当たっている。王子が幼い頃の事件に起因していたのだから。
昼は1人寂しく食べる。だがディアを拒絶したのはローエンだ。
(俺はもう昔とは違う)
竜の調教は虚偽だと言われ、学会から締め出された。今は教職と家畜の品種改良で食い繋いでいる。
(もう一度竜を育てて、その従属条件を発見したい)
ローエンの野望は熾火のように燃え続けていた。それを成さぬうちは家庭など持てない。ましてや輝くように美しい公爵令嬢を娶るなど。できるはずもない。
◇
この国にいる限り、あの王子と護衛を見ない訳にはいかない。やはり島に帰ろう。公爵夫妻には色々良くしてもらったので、出て行くのは忍びないが、最近気づいた。夫人の腹には子がいる。問題解決。ディアは家を出る準備を始めた。
地図、縄、ナイフ、火打ち石。弱い肌を守る衣服も要る。破けたら直す裁縫道具一式。怪我をする確率が高いので救急セットも。妹か弟が生まれたらプレゼントを送るから、紙とペン、インクもリュックに入れた。
島に行く船があれば下働きとして乗せてもらおう。髪が長いと男に見えない。ディアはハサミでバッサリと長い髪を切った。わざと不揃いに短く刈って、屋敷の下男から譲ってもらった服を着る。そして未明に公爵邸を抜け出した。
まだ希望はある。卵になって彼が拾いに来るのを待つのだ。




