第三話:予行練習
「条件ですか?」
「ええ」
俺がきょとんとするけど、未鈴さんの笑みが崩れない。
何だろう? ちょっと嫌な予感がするけど……。
「あなたの誠実さは、今でも海笑瑠が学校を辞めさせられず、バイトができている時点で理解しているし。あの子があなたの事ばっかり考えてるから、一緒に行きたいっていうのもよくわかるわ」
「え? 俺のことばっかり、ですか?」
「ええ。毎日毎日、久良君がーって──」
「お母さん!」
バンッっとカウンターを両手で叩き、慌てて海笑瑠さんが思わず抗議の声をあげると、会話を止めた未鈴さんはそっちを見て肩を竦めた。
けど、悪びれた様子もなく、すぐまた俺に向き直ると、さっきまでと同じ笑顔に戻る。
「まあ、その辺は本人に聞いてもらうとして。私から見て、遠見君があの子ほど一緒に行きたいって思っている熱意が、私には伝わってこないのよ」
「俺の、熱意……」
「そう。同情であなたが一緒に遊園地に行ったとしても、あの子は満足するかもしれないわ。だけど、あなたはどうなの? 確かにあなた達は高校生。二人でホテルに泊まってまですべきかと言われたら、倫理的に問題。それを理解しているからこそ、一度は敦美ちゃんと行けばって提案したのよね?」
「は、はい」
「でも、楽しむっていうのは、そんな事すら投げ売ってでも楽しみたいって思えないとダメなの。あなたが合わせるだけ合わせて、海笑瑠が楽しそうだから良かったって終わるだけじゃ、後々娘だって後悔するかもしれないのよ。自身のわがままで、あなたを振り回しただけなんじゃないかってね」
……言われてみるまで気づかなかった。
未鈴さんが言う通り、俺は海笑瑠さんが楽しんでくれたらいいなとしか、考えてなかったから。
だけど、だからってモラルすら捨ててまで、一緒にいるのが正しいのか。それがわからなくもあった。
「遠見君は、そこまで考えられる?」
「えっと……正直、わかりません……」
核心を突かれたからこそ、俺はそんな本音を返すしかできない。
自然と唇を噛む。けど、それを見ても未鈴さんの表情は変わらなかった。
「そうよね。あなたはすっごく真面目。だから海笑瑠も気に入ってるんだもの。勿論それは良いことだし、私もそれだけ娘を大事にしてもらえてることに、とても感謝してるわ。ただ、今回の事は別。ということで……条件はひとつだけ」
未鈴さんは笑顔のまま、ひとつを指し示すように人差し指を立てると、続けざまにこう言った。
「今日、一晩泊まっていきなさい。勿論寝床はあの子の部屋ね」
「……へ?」
「あら。聞こえなかった? 今日、あなたと海笑瑠が同じ部屋で寝る事。それが条件よ」
「おおおおお、お母さん!?」
予想外すぎる言葉に唖然として、声を上げられない俺の代わりに、はっきり戸惑いを見せた海笑瑠さんの声が届く。
けど、相変わらずにこにことした未鈴さんの笑みは崩れない。
「勿論、流石に同じベッドで寝るのはダメ。床に布団を引いてあげるから、ちゃんと別々に寝るのよ?」
「そ、そういう問題じゃないじゃん! そんなの久良君に悪いっしょ!?」
「あら? ホテルに泊まるっていうのはそういう事よ。予行練習にぴったりじゃない」
「あ、あのねー! 簡単に言わないでって言ってるの!」
「簡単よ。一晩一緒にいるだけだし、私も家にはいるんだもの。変な事なんてできないでしょ? あなたが本気で遠見君と遊園地に行きたいなら、一晩かけてちゃんと話し合いなさい。あなたも彼も、納得する答えを出すための時間、必要でしょ?」
「それは、そうかもしれない。けど……」
事もなげに海笑瑠さんにウィンクして見せる未鈴さん。
流石の海笑瑠さんも、開いた口が塞がらない。
それは正直俺もだ。無下もなく断られるんじゃなく、まさか一緒に行くのは問題ないと言わんばかりの提案をされてるんだから。
……高校生の男女が一晩一緒に過ごす。それは自分の中でいいことじゃないってわかってる。
だけど、確かに自分が心から楽めるのか。
そう思えなくても海笑瑠さんは俺と行きたいのか。
そんな、互いが納得する答えをちゃんと出さないといけないって意味では、未鈴さんの言葉にも一理ある気がする。
……俯き、悩んでいるうちに、ふっとある感情が過ぎる。
それがゆっくりと想いに変わり、自然と言葉になった。
「わかりました」
「久良君!?」
驚きの声をあげた海笑瑠さんの、不安とも後悔とも取れそうな表情。それを打ち消したくって、俺は笑う。
「海笑瑠さん。覚悟を決めよう?」
「待ってよ! 久良ってそういうの、絶対嫌じゃん!」
「でも、海笑瑠さんの願い、叶うかもしれないし」
今のもまた、自分の意思とは程遠い答えだってわかってる。
でも、普段の俺は、海笑瑠さんといたいって思うようになったんだ。そこから、一緒に楽しみたいって熱意を、ちゃんと持てるかもしれない。
その為にも、どんな形であれ海笑瑠さんともっと向き合おう。その気持ちだけは忘れなかった。
口惜しさか。はがゆさか。
海笑瑠さんが俺から視線を逸らし俯くと、少しの間部屋を沈黙が包んだけど。
パンッ
それを打ち消すように、未鈴さんが手を叩いた。
「じゃ、決まりね。海笑瑠。あなたはご飯の準備が終わったら、すぐに部屋を掃除なさい。遠見君は私と一度家に戻りましょ。泊まりの準備もあるでしょうし」
「はい。わかりました」
「じゃ、早く動きましょ」
俺は未鈴さんに頷くと、彼女と共に立ち上がる。
「久良君。いいの?」
おずおずとカウンター越しに不安そうな顔をする海笑瑠さん。
それを見て感じたのは、彼女が俺をグラ友として大事にしてくれてるって気持ち。
「うん」
それがわかっているからこそ、俺は短い言葉に想いを込め、笑顔で頷いたんだ。