第七話:以前と違う自分
あの後、俺は黒縁先輩とお母さんのご厚意で、夕食を一緒にごちそうになる事になった。
どうも先輩は、俺が一人暮らしだって近間さんから聞いていたらしくってさ。
「もし家にご飯を用意していないなら、一緒にどう?」
って彼女から誘ってくれたんだ。
家族団らんを邪魔するのはどうかと思って、最初は遠慮したんだけど、黒縁先輩がわざわざ下の階にいるお母さんにまで話に行っちゃって。
「海笑瑠ちゃんのお友達なんでしょ? 気にしないで甘えちゃって」
「お母さんもこう言ってるし。これからご飯作るのだって大変だろうし、私のせいで遅くなっちゃったんだから。ね?」
って、親子に同時に気遣いを向けられちゃうと、流石に断りにくくって。
なんていうか。勢いで物事を進める一面は、近間さんも黒縁先輩も何処か似てるよな……。
夕食はそのまま黒縁先輩の部屋で、彼女のお母さんお手製のカレーを堪能したんだけど、何処か自分のお母さんの味に似てて、ちょっと懐かしい気持ちになる。
その間、向かいに座った黒縁先輩と話したのはほぼスティファイの話──になるかと思ったけど、実はまったくその話題は出なかった。
黒縁先輩曰く、
「ちゃんと日を改めてって言ってくれたし。公私混同はしたくないのよ」
なんて言ってたけど、その分近間さんとの関係を色々聞かれる羽目になって、それはそれで少し気疲れが絶えなかったな。
だって。黒縁先輩がすぐ俺を茶化してくるから。
ただ、同時に近間さんの普段の話も少し聞けたりもしたのはちょっと収穫だったかな。
家では面倒見のいい良い子だって話を聞いて、そこはイメージ通りだって思ったし、眼鏡男子に弱いのも想定内。
意外だったのは、家だと結構地味でがさつな服を着てるって事。
それには流石に驚いたけど、
「女の子だって、化粧とかファッションの手を抜きたい時はあるのよ」
って言葉を聞いて、妙に納得したっけ。
◆ ◇ ◆
夕食も終え、俺は帰り支度を整えると、家の玄関先の門を出た所で黒縁先輩と向かい合った。
時間は七時。
既に夜の帳も下りて、街灯が煌々と夜の闇を照らす時間になっている。
「今日は色々とありがとうございました」
「いいのよ。こっちこそ急に呼び止めて、こんな時間までごめんなさいね」
「いえ。大丈夫です」
「日取りについては後でMINEするけれど、希望とかはある?」
「いえ、基本的に暇してるんで、黒縁先輩のスケジュールに合わせますよ」
「そう。じゃあ、後で候補日を幾つか送るわね」
「お願いします。では、そろそろ失礼します。お母さんにもよろしくお伝えください」
「ええ。気をつけて帰ってね」
「はい。それじゃ」
俺がペコっと頭を下げると、黒縁先輩が笑顔で小さく手を振ってくれる。
そんな彼女に笑みを向けた後、俺はそのまま夜道を歩き始めた。
……ふぅ。
やっと緊張する空間から解放され、思わず安堵の息を漏らす。
夜道の風はまだ肌寒い。
ずっと眼鏡女子でも十分魅力的な黒縁先輩といたせいもあって、随分緊張したな。
……でも。
やっと心に余裕ができた俺は、ふっとある事に気づいた。
間違いなく黒縁先輩は、俺から見ても眼鏡女子として魅力的だと思う。
前に近間さんと話した通り、ありかなしかで言えば絶対ありだ。
しかも、高嶺の花と言っていいくらい、やっぱり可愛いと思う。
でさ。
そんな眼鏡女子をずっと間近に見て、二人で話し続けていたわけだけど。多分今までの俺だったらもっと緊張して、しどろもどろになっていたに違いない。
でも実際は、こうやって二人っきりで話をして緊張はしたけど、思ったよりはちゃんと対応できてたと思う。
その理由は多分……近間さんかもしれないな。
最近何かと距離が近い近間さん。
色々話もしてくれるし、話を聞いてくれる近間さん。
この一ヶ月弱。
ひょんな事からグラ友になって、そこからずっと俺を構ってくれる彼女がいたからこそ、俺も少しは女子慣れしたのかもしれない。
勿論、今だって近間さんが隣にいるのは緊張はするけど、前ほどじゃないし。
……近間さん様様、かな。
そんな事を考えていると、ふと黒縁先輩が口にしていた言葉が頭に過ぎる。
──「この間の大会の祝勝会を兼ねてみんなで食事したんだけど、チラッと見えたスマホの壁紙、あなたになってたし」
……近間さんのスマホの壁紙が、俺?
いやいや、まさか……。
──「とにかく、絶対海笑瑠はあなたに興味があると思うわ。あの子はあんな外見だしちょっと勢いで動くところもあるけど、根はいい子だから。恋人として大事にしてあげてね」
……恋人……。
俺と近間さんって、一緒にいたらそう見えちゃうのか?
……いや、ないない。
だいたいあれだけファッションから化粧からしっかりしてる近間さんだぞ?
俺なんて、ただ昔っから着てる服を着回してるだけで、そういう所に無頓着だし。釣り合わなすぎる二人をそんな風に見たりしないだろ。
……でも、逆にそう見られてたら、近間さんに申し訳が立たない気もする。
黒縁先輩も、俺達の事を恋人ってふざけて言ってきたけど、流石に近間さんに悪いんじゃ……。
意味なく空を見ると、星空の一部が雲に覆われている。
不穏ってわけじゃないけど、すっきりもしない星空。そんな空は、俺の晴れない心と同じようにも見えた。
◆ ◇ ◆
そして、翌朝。
生憎の雨空の中進む今朝の電車の中で、並んで席に座る近間さんは変わらず俺の肩に頭を預け、寝息を立てていた。
結局、あの後黒縁先輩が近間さんにスティファイの件を話したのかは分からなかったんだけど、今朝ホームで近間さんと合流した時には、そんな話題一切出なかったんだよね。
ってことは、まだ話はしてないんだろうか?
まあ昨日の今日だし、お互い予定だってあるだろうしって思いつつ、念のため心構えをしていたんだけど。結局近間さんは、目を覚ましても、スティファイの話に一切触れてこようとはしなかった。
その代わりとなった話題といえば……。
「いやー、昨日の葛城君の真っ赤になった顔、見せてあげたかったよねー」
そう。
昨日の例の計画の話だ。
「って事は、イメチェンの件はうまくいったの?」
「もち! みんなに先にカラオケ向かってもらって、後からあたしと美香が合流したんだけどさー。その時の葛城君の驚きようったらなかったしー。『似合ってる、かな?』なんて恥ずかしそうに美香が言ったら、『あ、ああ。凄く』なんて顔を真っ赤にしちゃってさー。いやー、もうあれは周囲の友達と微笑ましく見守っちゃったよねー」
美香さんと葛城君の物真似も交えながら、楽しげに話をする近間さん。
朝からこれだけ盛り上がってるってことは、言った言葉に偽りなしって事かな。
「そうそう。ね? これ見て」
と。嬉しそうな近間さんがさっと自分のスマホを出しロックを解除すると、ささっと画像アプリを起動する。
それを見た時、俺はあることに気づく。
……そりゃそうだよなぁ。
流石に壁紙に俺の画像なんてなかった。
ってことは、やっぱりあれは黒縁先輩が鎌を掛けて、こっちに近間さんを意識させようとしただけか。
「ね? ね? これどう? 可愛くない?」
現実を知りほっとしていた俺は、近間さんの声に我に返ると、彼女が表示させた画像を見たんだけど──。
瞬間。
俺は一俊敏思考が止まるほどの衝撃を受けた。
近間さんが自撮りで撮影した、彼女と美香さんが一緒に写った写真。
でも、そこにあったのは、あの日俺が指定したサイドポニーテールじゃなく、俺の好みそうな髪型をした、しとやかな顔でカメラに映る近間さんと美香さんだったんだ。
……うわぁ……。
わかってる。そこに写ってる近間さんが、めっちゃ好みに刺さったって。
だからめちゃくちゃドキッとしたし……。
それが反応でわかったのか。
「にしし。あたし達、可愛かった?」
ちらっと横目で見た近間さんは、にこにこしながら俺を見てくる。
「……うん。可愛いと、思う」
美香さんも可愛い。けど、どちらかというと近間さんにドキッとしたのは、やっぱり眼鏡女子……だから?
実際には短いし無理だけど、もし黒縁先輩がこんな髪型をしたら、俺はもっと目を奪われたりするんだろうか。
それを考えた時、何となくそこまでじゃないような気がした。
「えっへっへー。ちなみに、ちゃーんと遠見君が推した髪型も撮ってありまーす!」
さっきより嬉しそうな顔をした近間さんが、ささっと画像をスライドさせ新たな画像を見せてくれた。
サイドでポニーテールに纏めた髪の、何処か活発な印象を与える髪型。
それはやっぱり、近間さんや美香さんの可愛いさを引き出してて似合ってる。
……うん。
やっぱりさっきのお淑やかな感じより、近間さんらしいな。
さっきのようなドキッと感はない。
けど、それはさっきより映えのある近間さんの写真だし、どっちの彼女がいいかって言ったら、やっぱりこっちの方が彼女らしくって魅力的に見える。
「こっちはどう?」
「うん。近間さんらしくって可愛いと思う」
「……え?」
自然に口を衝いた言葉に、返ってきたのは疑問系。
あれ? 俺、変な事言ったっけ?
予想外の反応が気になって彼女を見ると、こっちを見たまま固まってる。どことなく顔が赤いような気もするけど……。
「近間さん?」
「……あ! や、やっぱそう思う?」
俺の言葉にはっとした近間さんが、照れ笑いを浮かべる。
「う、うん」
「そ、そっかー。じゃ、今度はこんな髪型にしてこよっか?」
「あ、いや。そこまではいいかな。今のままの近間さんが一番似合ってると思うし」
「ふ、ふーん? じゃ、じゃあ何時も通りにしとこっかなー」
俺から顔を逸らし、目を泳がせる近間さん。
表情は満更でもなさそうだけど。
……うーん。
素直な感想で喜んでくれたんならいいんだけど、本当に大丈夫かな?
内心そんな心配もあったけど、同時に俺が照れるのを楽しみにしていたであろうあの写真を見せてきたんだし、お返しってつもりはなかったけど丁度良いかなとも思っていたのは、ここだけの秘密だ。