第四話:予想外の再会
思わず俺が振り返ると、ネット越しに立ちこっちに笑顔をみせている、紺色の短い髪が似合うセーラー服姿の眼鏡女子が目に留まった。
……って、あれ?
「黒縁先輩、ですか?」
「あ。覚えていてくれたんだ」
「あ、はい」
俺はペコリと頭を下げた後、ネット側から廊下側に戻ると、バットを置き場に戻し彼女に向き直った。
「でもさっきの凄かったわね。野球部にでも入ってるの?」
「あ、いえ。昔からずっと帰宅部ですよ。それより黒縁先輩こそどうしてここに? バッティングしに来たんですか?」
「ううん。丁度通りがかりにあなたが見えて、この中に入って行ったから、気になって覗いてみたの」
「そうだったんですか」
何となく当たり障りのない会話をしたものの、この時点で俺の会話のネタはあっさり底を尽いてしまう。
何とか会話をしないとだけど……そ、そうだ。
「あ、この間の大会、優勝おめでとうございます」
俺はふとゴールデンウィークのスティファイの大会の事を思い出し、咄嗟にお祝いの言葉を口にした。
それを聞いて、黒縁先輩は眼鏡の下の顔を笑顔に変える。
「ありがとう。遠見君も見てくれてたの?」
「はい。まだ発売して期間もない大会で優勝なんて、本当に凄いですよね」
「そんな事ないわ。むしろ発売から間がなかったからこそ優勝できただけだもの」
謙遜するように黒縁先輩が口にしたこの言葉だけど、実は内心俺もそう思っていた。
確かに優勝したのはみつあ選手こと黒縁先輩。
だけど内容を見る限り、多分先輩も納得できてないだろうなっていう試合も多かったから。
とはいえ、俺はそんな所に触れられるようなタイプじゃないし、それでなくたって相手はプロ。素人が何か言える立場でもないからこそ、そういう話に触れはしない。
とはいえ、これ以上のネタの引き出しもないんだけど……。
どんな会話をすればいいか分からず、言葉に窮していると。
「そういえば、今日海笑瑠は一緒じゃないのね」
なんて、さらっと黒縁先輩が話を変えてくれた。
「あ、はい。今日は学校の友達と、みんなで遊びに行ってるみたいですよ」
「そうなの」
こっちの様子を伺うように、じっと見つめてくる黒縁先輩。
ん? 何だろう?
ちょっと先輩の空気の変わった気がして、俺は思わず首を傾げる。
「ねえ、遠見君」
「はい」
「今日、この後時間あるかしら?」
「え? あ、はい。特に予定はないですけど」
「バッティングの練習とかも大丈夫?」
「はい。ちょっと息抜き程度に足を運んだだけなんで」
「じゃあ、この後私に付き合ってもらっても良い?」
「へ? 付き合う、ですか?」
「うん。ちょっと海笑瑠の事で話したい事があるのよ」
「え? 近間さんの事でですか?」
突然口にされた彼女の名字に、俺はきょとんとする。
近間さんの事?
……もしかして、別の子とかにバイトバレしたとか?
そんなもしもを考えて、俺の心が緊張する。
もしもそれが当たってるなら、何とか助けになりたいし、そうじゃなくても、困ってるなら友達として力になりたい。
だからこそ。
「わかりました」
って真剣な顔で頷いたんだけど。
まさかこの選択で俺が困る事になるなんて、その時は思っても見なかったんだ。
◆ ◇ ◆
「それじゃ入って」
「は、はい。失礼します」
お黒縁先輩に促され、緊張しながら俺が入ったのは、綺麗に片付けの行き届いた、西陽が差し込み始めた六畳ほどの部屋だった。
「ごめんね。汚い部屋で」
「いえ。全然綺麗ですよ」
「そう? なら良かった。ちょっと飲み物取ってくるから、そこに座って少し待ってて」
「あ、はい」
俺の返事を聞いて、慌ただしく部屋を後にした黒縁先輩。
残された俺は、何ともふわふわした気持ちのまま、部屋の中央にあるテーブルを挟むように置かれた可愛らしいクッションに腰をかけると、周囲をゆっくり見渡した。
壁にはイケメンのアーティストのポスター。
本棚には沢山の少女コミックと、可愛いぬいぐるみなんかが並べられている。
窓際にある女子が好きそうなデザインの布団が乗ったベッドは、綺麗に整えられている。
机の方は手にしていた鞄がそのまま載せられているけど、周囲はやっぱり綺麗に整えられている。
あとは女の子の部屋だからなのか。化粧台があるのは何とも新鮮であり、同時に化粧品の香りなのか。ほのかに香る優しい香りが、この部屋が黒縁先輩の部屋だって強く意識させられる。
……そう。
今俺は、彼女の家にお邪魔して、彼女の部屋にいるんだ。
ちなみに、何故!? って一番思ってるのは、間違いなく俺自身だ。
まず、家族以外の女子の部屋に入った事なんてない。つまりこれが初めての経験なわけで。
しかも、話があるのはいいんだけど、それだけの理由で男子を部屋にあげるもんなのか!?
しかも黒縁先輩の家は一軒家。
さっきお母さんもいらして、思わずペコペ頭を下げてクスクス笑われたけど、男子を連れ込む彼女を咎める様子もなかったし……。
……あ。そういや、近間さんの弟君とかも呼んだりしてるんだっけ。だから家族共々あまり抵抗がないんだろうか?
いやいや。
にしたって俺、近間さんとは知り合いだけど、それ以外に接点ないんだぞ?
まあ、黒縁先輩が良いなら良いんだけど……。
そういやこの部屋、PCとかゲーム機とか、そういう類一切ないよな。
確かみつあ選手も配信とかやってるんだけど、あれは事務所なんだろうか?
それとも、別にゲーム部屋でもあるのか?
何とも心が落ち着かず、きょろきょろしていると、部屋のドアがガチャっと開いて、トレイに飲み物を載せた黒縁先輩が入ってきた。
「待たせてごめんね。烏龍茶でも大丈夫?」
「あ、はい」
「良かったー」
笑顔を見せながら、黒縁先輩は向かいのクッションに腰を下ろすとトレイを床に置き、烏龍茶の入ったコップを互いの前に置いてくれる。
「ありがとうございます」
「いいのよ。急にごめんなさいね」
「いえ。それで、その……近間さんの話って何ですか?」
近間さんとは違う困った笑顔を見せた黒縁先輩は、俺の質問を聞いてもその表情を崩さない。
ん?
ってことは、何か先輩が困ってる?
内心少し混乱していると、黒縁先輩が重い口を開いた。
「えっと、遠見君って、海笑瑠から聞いてる?」
「え? 聞いてるって、何をですか?」
きょとんとした俺の反応を見て、何かを察したのか。黒縁先輩がはーっとため息を漏らすと視線を逸し、
「やっぱり話せてないのね。まったく……」
なんて、ちょっと愚痴っぽく独り言のように呟く。
「えっと、何の話ですか?」
「あなたのスティファイの実力について」
「……へ?」
俺のスティファイの実力?
「何で急に、そんな話が降って湧いたんですか?」
正直理由がさっぱりわからない俺は、素直にそう質問したんだけど、先輩は相変わらず申し訳無さそうな顔をしたまま。
「なんかね、海笑瑠が羽流君に、遠見君がスティファイめちゃくちゃ上手いプレイヤーなんだって話したみたいなのよ」
「え? 俺がですか?」
予想外のことに、思わず俺は目を皿のようにして驚いてしまう。
いやだって、弟君にそんな話をした理由もわからないし、何より俺は近間さんに自分の本当の実力なんて一切話してない。
彼女が知っている俺の実力って言ったって、前に黒縁先輩と会った時に濁した、人並み程度ってくらいの情報しかないはずだ。
「そう。どうもあなたのこと羽流君に話した時に馬鹿にされたらしくって。咄嗟に嘘をついちゃったんだって」
「咄嗟にって……近間さんが弟君にどう伝えたか、聞いてますか?」
「ええ。GOD帯にいるセブンス使いで、私も知っているアカウントの人だって」
……おいおいおいおい。
あまりに盛られた、だけどある意味真実しかない内容を耳にして、俺は愕然とする。
そもそもGOD帯って、一定の人数しかなれない最高ランク帯。
その中に入るセブンス使いってだけでかなり限られてるし、相当に実力がないと入れない。
確かに、俺はそこにいるけど……。
実際の話は置いておき、俺にとって非常に面倒な話を口にした近間さんに、何とも言えない気持ちになる。
「で、その日の夜に私に連絡をよこしてきて、何とか口裏を合わせてほしいって言われたのよ。でも、百歩譲ってそれはいいにしても、結局何時かバレちゃうかもしれないじゃない。だから、ちゃんと本人に実力くらい聞いておいたほうがいいよってアドバイスしたんだけど……」
またも聞こえるため息。
黒縁さんもきっと、面倒な話に巻き込まれたなって思ってるんだろう。
……でも、やっと合点がいった。
だから昨日、スティファイを一緒に対戦したいなんて言い出したのか。
自分で戦えば実力も分かるって寸法だったのか。
「やっぱり、その話は聞いていないわよね?」
「直接は。それっぽい探りはありましたけど」
「それっぽい探り?」
「はい。一緒に対戦してみたいって」
「それで?」
「断りました。元々近間さんはかじってる程度って言ってましたし、それだと流石にちょっと勝負ならないかなって思ったので」
「そうなの……」
素直に俺はそのやり取りを伝えたんだけど、それを聞いた黒縁先輩は俯くと手を顎に当て少し考え込んだ後、眼鏡を片手で直してこっちを改めて見ると、
「ちなみに、もし私となら対戦できるかしら?」
そんな一言を口にしたんだ。




