第九話:嵐の後
「これでおっけー。後で遠見君にもMINEで送るね。あ、さっきの髪型選んだ時の写真、こっちにももらえる?」
「え? あ、うん。わ、わかった」
写真を撮り終えて近間さんは、大して画像を確認もせず俺から背を離すと、振り返って何時もの快活な笑顔を見せる。
そこにあるのは普段の彼女。だけど、さっきのは……。
予想外の衝撃を味わって、夢心地というか、少しふわふわした感じの気持ちで頷き返す俺。
戸惑いを隠せていない俺を見て、彼女が思わず首を傾げたんだけど、そんな変な空気を一変させたのは、近間さんのスマホだった。
突然の着信音にはっとした近間さんが、慣れた手付きで通話に出る。
「もしもーし。どうしたの急に? あ、うん。もち大丈夫! え? うん。遠見君も元気になったよー」
通話の向こうの声は聞き取れない。
けど、何となく会話の内容から俺を知る相手だってのは理解した。
多分、近間さんのお母さんかな?
そう思いながら自然と耳を澄ます。
「それで? え? マ? うん、うん。あー、確かに。ちょっと怪しいよねー」
会話を進めるうちに、神妙な顔になった近間さんが、ふと窓の方に顔を向ける。
レースのカーテン越しに見えるベランダと空。午前中は晴れてたけど、今はぱっと見雲が増えてきたかな。
「うん。うん。わかった。じゃ、すぐ戻るから、お母さんは出掛けちゃっていいよ。ううん。いいっていいってー。それじゃ、気をつけてね。うん。はーい。じゃあねー」
軽快に慣れた感じの挨拶を交わして電話を終えた近間さん。
その場ではぁーっと大きなため息を吐くと、少し残念そうな顔で俺を見た。
「ごめーん。今日はもう帰らないといけなくなっちゃった」
「家で何かあったの?」
「うん。お母さんが仕事場のトラブルで急いで出勤しないといけなくなっちゃって。羽流は遊びに出掛けちゃってるから、家のことできる人いなくってさー」
さっきまでのお母さんとの会話のテンションなんてなかったかのような、「ちぇっ」という声が聞こえそうなほどの落ち込みよう。
それだけ俺といるのが楽しかったのかな?
そう思ってもらえたのは個人的にちょっと嬉しかったけど、さっきのドキドキがまだ収まっていない俺にとっては、正直ちょっとほっとする話でもあった。
「仕方ないよ。遊ぶのはまた機会を作れるだろうし、今日は早く帰ってあげて」
「ほんと?」
「うん。昨日の埋め合わせもしないとだし」
「あ、そっか。カラオケも行かないとだしー、今度はちゃんと外でデートしよ?」
「え? あ、うん」
……突然の言葉に、思わず普通に頷いちゃったけど……デ、デート?
少しずり落ちた眼鏡を直し、いつもの眩しい笑顔を向けた近間さんは、俺に背を向けさっき使った道具類を、自分のボストンバッグに手早く仕舞い始める。
デート……デート?
そんな背中を見ながら、俺はさっきかけられたあり得ない言葉を、ふわふわした頭で繰り返してしまっていた。
◆ ◇ ◆
ささっと髪型を普段のポニーテールに戻すと、帽子やジーンズジャケットを身に着け、荷物を肩に掛けた近間さんは、そのまま慌ただしく玄関まで移動した。
「ごめんねー。バタバタでさー」
「気にしないで」
靴を履き終えた近間さんは、ボストンバッグを肩に背負い直すと、こっちに向き直る。
「今日はお邪魔しちゃってごめんね!」
「こっちこそ。色々と迷惑かけちゃってごめん」
「いいっていいってー。ま、お互い様ってことで」
「うん」
近間さんの笑顔に釣られ笑ったけれど、それはどこかまだ落ち着かない心が、流れで見せたもの。
それでも何とか会話は頭に入ってる。
「次逢えるのは学校かなー」
「そういえば明日はバイトって言ってたもんね」
「そうそう。ゴールデンウィークも残りはバイトなんだよねー。先輩の試合、生で見たかったのになー」
「まあまあ。あとで弟君とゆっくりタイムシフトでも観たらいいよ」
「うん。そうするねー」
未だ残念そうな近間さんを宥めた後、俺はふーっと息を吐くと、彼女に改めて向き直る。
「近間さん」
「ん? なーに?」
「あの……昨日、今日と色々ありがとう。明日はバイト、頑張ってね」
「……うん!」
自分なりの感謝と応援を込めてそう口にすると、近間さんがころっと表情を変え、会心の笑みを見せてくれる。
「それじゃ、後で写真よろしくね!」
「うん。気をつけて帰ってね」
「ありがと。じゃーねー!」
玄関を開け、互いに手を振りあった俺達。
そして、彼女が視界から消えると、静かにドアが閉まった。
「……ふぅ……」
玄関の鍵を締めつつ、自然と漏れた安堵のため息。
怒涛の一日だったからこそ、流石に少し気疲れしてる。
嵐の後って、こんな感じなのかもしれない。
玄関に背を向け歩き出すと、俺はまだふわふわした感覚が抜けないまま、寝室のベッドに腰を下ろした。
でも……あの近間さん、ヤバかったな……。
そのまま身を委ねるように仰向けになった瞬間。
ブルルッとポケットに入れていた自分のスマホが震えた。
手に取りロック画面を解除すると、そのまま通知のあったMINEを開く。
近間さんとのタイムラインにあったのは、さっき撮った二枚の画像と、『よろー』とデフォルメされた可愛い女の子が敬礼してるスタンプ。
それを見た瞬間、俺はまたズキュンッと胸に何かが刺さったかのような衝撃を覚えた。
あの時の一枚目は、普段通りの笑顔の近間さん。
だけど、二枚目は違う。
金髪は普段と違うお嬢様のような髪型。
似合いすぎる眼鏡。そして、お淑やかさを感じる柔らかな笑み。
それは間違いなく、どストライクな眼鏡女子。
……多分俺の好みを知ってたからこそ、近間さんが記念ってのを理由に、一緒に写真を撮ってくれたんだと思う。
思うけど……マジで、破壊力がやばい。
事実、一枚目の俺は、戸惑いながらもちゃんとポーズも取れたし表情もまだまし。
だけど、二枚目ははっきり衝撃が顔に出た驚いた顔をしてる。
それがあまりに間の抜けたように見えて、より俺の羞恥心を煽った。
……こんな顔、近間さんに見られてるのか……流石に酷すぎだって。
折角彼女がこうやって、お淑やかさある貴重な写真撮らせてくれたってのに……。
間抜けな自分と淑やかな近間さん。
「ああああああ……」
互いの別ベクトルの破壊力に、俺は耐えきれずにスマホを横に置くとベッドでゴロゴロと悶え、声を出す事で少しでも冷静になろうって努力した。
それがなんとか功を奏して、少し頭が冷静になった所で、俺は仰向けに戻ると片腕を目隠しするように顔に重ねる。
……ある意味、近間さんが眼鏡ギャルで良かったのかもしれない。
終始この写真みたいなお淑やかな雰囲気を出されていたら、多分俺はあっさり耐えられなくって距離を置いてたと思う。
理想の女子がいるってのは、それだけの破壊力があるもんだし、俺に絶対合わないって気持ちがブレーキを掛けるのは間違いない。
とはいえ、じゃあ今の近間さんといるのが恥ずかしくないといえば嘘になるし、いまだに友達として側にいていいかっていうと不安になる。
昨日今日と、近間さんとずっと一緒にいて感じた彼女といる楽しさや心地よさと、未だに少し残っているギャルっていう苦手意識。
彼女がグイグイ接してくれるからこそ俺達はグラ友でいれるけど、予想以上の積極性はやっぱりまだまだ慣れない。
それがめちゃめちゃ嫌ってわけじゃない。やっぱり、彼女といると楽しいし。
でも、やっぱり色々と申し訳無さとかもあるんだよな。俺なんかを構ってくれてることに。
だいたい、デート……デート……。
ふと思い返した言葉に、俺はまた困った顔になる。
いや、だってデートって普通、付き合ったカップルがするもんじゃないのか?
それともギャルはそういうのは関係ないんだろうか?
こういう知識って結局俺は漫画とかでしか知らないから、自分が正しいのかも怪しくはあるんだけど……一緒にいるだけでデート……じゃ、ないよな?
頭でぐるぐる回る俺にとって刺激的過ぎる言葉に、また叫びそうになるのを何とか堪える。
駄目だ駄目だ! もう一旦昼寝でもしよう! そうしよう!
とりあえず例の写真だけは、近間さんに送っちゃってっと。
一旦二人で写っている画像は見ないようにして、急いで彼女のヘアーカタログのような画像を手早くMINEにあげると、『今日はありがとう』とメッセージだけ追加し、そのままスマホと眼鏡をサイドボードに置き、俺はそのままふて寝するようにベ布団に潜り込んだ。
……脳裏にちらつく、昨日から今日にかけての近間さんの色々な表情に悶えそうになる。それでも病み上がりで疲労感はあったからか。あっさり眠りには付けたんだけど。
夕方起きた後、干し忘れた洗濯物を洗濯機の中から発見し、がっかりしたのはここだけの話だ。




