第二話:気になる事
寝癖は料理中にどうこうするもんじゃない。
今更恥ずかしい目に遭ってもそんな変わらないだろ。
そう割り切って料理を進めていると、しばらくしてまたドアが開く音がした。
「良かったー。まだ終わってなくって」
少し嬉しそうな声と共に、足音が聞こえたかと思うと、
「おっはよー。遠見君!」
俺の脇に立った近間さんが普段通りの元気そうな挨拶をしてきた。
「おはよう。よく眠れた?」
「うん。ばっちしだよ。遠見君、体調は?」
「あ、うん。熱もなかったし怠けとかもないから、もう大丈夫だと思う」
「そっか。良かったー」
横を見た瞬間に見えたのは、バスタオルを頭に巻いた湯上がりのようなパジャマ姿の近間さん。
眼鏡をした可愛い笑顔。
髪の毛は普段通り後頭部の上の方で、シュシュで束ねポニーテールになっているから、うなじがはっきりと見てとれる。
パジャマの胸元は昨日同様、ボタンを止めてなくって胸の谷間が見えちゃってるし、ふわっと周囲に香るのは、シャンプーらしき残り香……。
そんな魅力的かつ刺激的な光景に、笑みを返すのも忘れ、俺は咄嗟にまな板で切っている野菜に目を向ける。
……正直、朝から近間さんの破壊力がやばい。
こんな眼鏡女子を堪能できる、なんて余裕はさっぱりなくって、内心ドキドキするのをごまかすのに必死。
近間さんが恥ずかしがってない所を見ると。こういう距離も普通なんだろうけど。
ま、まあ、俺が慣れてなさすぎなだけ。
落ち着け、落ち着け……。
「何これー。めっちゃオシャレじゃーん!」
と、近間さんが食いついたのは、まな板の側に並べた二つの皿。
そこにはポーチドエッグの上にスライスチーズとベーコンを載せた物が置いてある。
「ね? ね? これ卵焼きじゃないよね?」
「うん。ポーチドエッグ」
「へー。遠見君ってこんな映えるご飯作れちゃうんだ。めっちゃ凄いじゃん!」
「そ、そんな事ないよ」
めちゃめちゃ褒めてくれるのは嬉しいけど、めちゃめちゃ距離が近いから色々と恥ずかしい。
しかも、時折良い香りがするのがまた──。
そこまで考えた瞬間、俺は動きが固まる。
……俺、昨日調子悪くって夜も朝も風呂入れてないじゃないか。汗臭かったりしないのか!?
近間さんは今の所、気にしてはいなさそうだけど……。
何も言われてないとはいえ、こういうのって気になりだすとどうしようもなくって、俺は少しだけ彼女との距離を開けようと横にズレた。
「ちなみに、あっちはスープ?」
「うん。茄子と鶏肉のコンソメスープ」
「今切ってる野菜は?」
「こっちは洋風の野菜炒めにしようかなって」
「へー。遠見君自炊するって聞いてたけど、こんなに器用なんだ」
「べ、別に。いつもはもっと雑に作るよ」
俺が開けた距離をあっさり詰め、こっちの気遣いを無に帰す近間さん。
笑顔は崩れてないし、嫌な顔なんかも見せてはいないけど……下手に聞いたらいけないのかな?
だけど、近間さんなら気を遣って、我慢して言わないでくれてるとかあったりしないか?
何とか返事しながら、必死に頭をフル回転させるけど、妙案があるわけじゃない。
話すか。話さないか。
結局その二択なら……やっぱ、聞いといたほうがいいよな。
「あの……近間さん」
「ん? どうしたの?」
俺が名前を呼ぶと、きょとんとする近間さん。
「あ、あの、さ。ちょっと言い難いんだけど……」
おずおずとそう話し始めると、はっとした彼女は思わず口に手を当て驚いて見せる。
「え? あたしまた何かやらかしちゃってる!?」
「あ、いや。どっちかというと、俺が、かも……」
「え? 遠見君が? 何を?」
「あの、えっと──」
「あ! もしかしてあたしの好き嫌い聞かずに料理作っちゃったとか? そんなの気にしなくてもいいよ! 見た限りあたしの嫌いな物入ってないしー、もう味がどんなのか楽しみで仕方ないしー」
にししっと笑う近間さんだけど……俺が語りたいのはそれじゃない。
うーん……どうしようか……。
タイミングを逸して俺が困った顔をすると、また彼女の顔がしまったっという顔になる。
「あ! もしかしてあたし、汗臭かった!?」
……あ、そっか。
シャワー浴びたとはいえ、体が熱かったら少しは汗も掻くかもしれないもんな。
って、そっちじゃなーい!
「あ、いや、全然。むしろさっきから、その……いい香り、してるし」
「えっ? あ……そ、そっか。それなら良かった、かな。えへへっ」
やっと距離の近さに気づいた近間さんが、恥じらいながら少しだけ俺から離れる。
……ほんと、近間さんって普段は眼鏡をしたギャルなのに、こういう時は乙女っぽいギャップがヤバすぎる。
まあ、これだけスタイルも顔も良かったら、人気だって出るわけだ……。
「じゃ、じゃああたしー、向こうで待ってるから。料理、楽しみにしてんね!」
くいっと眼鏡を直した彼女はそう言い残すと、いそいそとした感じで居間に去って行った。
……結局俺の汗の匂いのこと、言いそびれたな。
まあ、気にしてなさそうだし、良しとするか……。
内心ほっとした俺は、あまり待たせないよう手早く野菜炒めを作る作業に戻ったんだ。
◆ ◇ ◆
「ご馳走様ー! あー、美味しかったー」
あれから少しして。
居間の隅に畳んだ布団を退かしてスペースを作った後、俺達は朝食を食べる事にしたんだけど。近間さんはぺろりとそれらを平らげると、満足げな顔でこっちに笑いかけてくれた。
「味とか大丈夫だった?」
「もーバッチシ! この野菜炒めって、塩コショウだけ?」
「うん。案外野菜の甘みも出るから、あまり濃すぎないようにしたんだけど」
「そっかー。うちって野菜炒めって中華風に味付けしちゃうから、こういう味もあるんだーって感心しちゃった」
「物足りなくなかった?」
「ぜーんぜん! その分ポーチドエッグが結構チーズとかベーコンもあって濃厚だったじゃん? だから丁度良かったよ。スープも思ったよりあっさりめだったし。これさー、めっちゃ考えてバランス取ってたでしょ?」
「まあ、一応。でも、ほとんど普段通りの味付けだけどね」
「へー。でもほんと美味しかったー。今度またご馳走になっちゃおうっかなー」
「あ、うん。こんな料理で良ければ」
ここまでべた褒めしてくれたって事は、よっぽど気に入ってくれたってことか。
笑顔でこんな感想言ってくれてるし、作った甲斐もあったな。
……って、あれ?
今の流れって、またうちに来るって話なのか?
ま、まあ、泊まりじゃなきゃいいっていうか。一度上げたら二度も三度も一緒だろうし。
ご飯くらいなら別にいいか……。
近間さんの発言の細かな所が色々気になったけど。結局彼女の笑顔を見るにつけ、考え過ぎてもなって妥協しちゃってる辺り、やっぱり俺って甘いのかもしれないな……。




