第一話:寝起き
……ん……。
窓の外から聞こえる可愛い鳥の声に、俺の思考が少しずつはっきりしてくる。
今、何時だ……八時、か。
身体を捻り、ベッドボードの上の時計を確認した俺は、そのままサイドボードに置いていた眼鏡を掛けた。
クリアになった視界。
カーテンの隙間から入る朝日で、部屋も随分と明るい。
頭はすっきりしてけど、まずは熱でも計っておくか。
俺は再びベッドに身を横たえると体温計を脇に差し、じっと時間がすぎるのを待つ。
ピピピッ
っと、どれどれ……三十六度五分か。
熱はちゃんと下がってるし、だるけとかもないか。
ベッドから降りて床に立つ。
……フラフラする感じもないし、流石に大丈夫かな?
念のため飲み物だけは口にしてっと。
サイドボードにあるペットボトルで水分を補給した俺は、それを手にしたままキッチンに向けて歩き出し……寝室のドアに手を掛けた所で動きを止める。
……そういや忘れてたけど、今日は近間さんが泊まってるんだっけ。
不用意にドアを開けて、また変な所に出会したりしないよな?
嫌な予感ってわけじゃないけど、警戒する事に越した事はないか……。
俺は身構えた後、静かにゆっくりとドアを開け、ゆっくり顔を出しキッチンを覗き込む。
ぱっと見キッチンには誰もいる気配はない。
洗面所のドアは開いてるけど、普段誰もいない時は湿気るのを嫌ってそうしてる。とはいえ、何か物音がしている感じもないし、流石に誰もいないはず。
最悪トイレって事はあるかもしれないけど、まさか変な格好で入ることはないだろうし、普通に顔を合わせるだけなら問題ない。
であれば、とりあえず大丈夫そうかな。
ふぅっと安堵のため息を吐いた俺は、そのままキッチンに足を踏み入れた。
居間のドアは閉まってるけど、近間さんはまだ寝てるんだろうか?
そう思ってトイレの方に静かに歩み寄りドアも見てみると、曇りガラスの小窓から見える中の明かりは消灯してる。
トイレにもいない。
って事は、まだ寝てるのかなか?
無意識に居間のドアに向き直り、ノブに手を掛ける。
……って、あれ?
もし寝てたとしたら……。
ふと俺の脳内に浮かんだ妄想。
そのヤバさに気づいた俺は、はっとして首を振った。
さ、流石に覗くのは駄目だろ!?
気付かれるか否かに関係なく──。
頭に浮かんだのは、パジャマがはだけた状態のまま、気持ち良さそうに寝ている近間さん。
昨晩の件もあって、胸元やおへそ周りをはっきりイメージしてしまって、内心急にバクバク言い出す。
流石に眼鏡を外した彼女を見てないから、頭に浮かんだのは眼鏡をしたままの姿。
普通寝落ちでもしない限り、眼鏡をしたまま寝るなんてしないし、その非現実っぷりがリアリティをなくしてくれたけど……ああっ! やめやめ!
考えているだけで気恥ずかしくなった俺は、一旦洗面所に行くと、ささっと顔を洗い頭を冷やした。
本当は汗も掻いているしシャワーでも浴びたい所だけど、流石に風呂にいる間に近間さんが起きると色々ありそうだし、そこはもう少し我慢するか。
……とはいえ、目がすっかり覚めちゃって手持ち無沙汰。
二度寝する気もおきないし……ま、気晴らしに朝食でも作っておくか。
俺はそのまま冷蔵庫にペットボトルを仕舞うと、中を眺め食材を確認し始めた。
記憶にない食材が幾つかあるのは、きっと昨日近間さんが買ってきたやつか。
うーん……何を作るか……。
卵……茄子……ベーコン……チーズ……。
食材から自分の中で献立を整理していると、ふとあることに気づく。
そういや近間さんって、食べ物の好き嫌いとかあるのかな?
……っていうか。
俺ってそんな事すら知らないのに、近間さんと一つ屋根の下で一晩過ごしてるのか。
改めて考えてみると、何でこんな事になってるんだろ……。
何とも不可思議な現実と、一人で過ごす予定だった連休で二日も誰かといる違和感に、何とも言えない顔になる。
一人黙々とスティファイやってるよりは充実してるかもしれないけど……まあ、今更考えても仕方ないか。
さて。
まずはさらっと朝食の準備でもしておくか。
俺はパジャマの袖を捲ると、冷蔵庫から使う食材を見繕い始めた。
◆ ◇ ◆
……うん。
今日は案外上手く行ってるな。
手鍋の中で渦を巻いている熱湯。
そこに落とした卵の黄身に白身が絡みついていくのを見ながら、俺は満足げな顔になる。
今作っているのはポーチドエッグ。
半熟の卵焼きを作ってもいいんだけど、母さんがこれが好きで、よく朝出ててさ。
ちょっと変わり種なイメージもあるけど、まあ丁度良いかなって思ってる。
その脇のフライパンではじっくりベーコンを焼いている。これもカリッカリにすると美味しいんだよね。
菜箸でベーコンを裏返しつつ焼き目を確認する。……うん。こっちも良い感じだ。
自然と頷いていた俺の背後で、ガチャっとドアが開く音がする。
「あ、近間さん。おは──」
「振り向いちゃダメだかんね!」
俺は肩越しに彼女を見ようと声を掛けたんだけど、それはピシャリと彼女の鋭い声によって制された。
……え? え?
理由も分からないまま、俺は思わず背筋を伸ばしたまま固まっちゃったんだけど。
「ご、ごめんね。今、めっちゃ寝癖酷くって」
っていう、申し訳なさそうな声が耳に届く。
寝癖、か……って、あれ? 俺の髪は今どうなってるんだ?
「あのね。朝シャワーしたいから、お風呂場借りてもいーい?」
「あ、うん。下着とか忘れないでくれたら」
「遠見くーん。それ掘り返すの止めてくんない? 流石に恥ずいんですけど……」
「え? あ! ご、ごめん!」
動揺して余計な事を口走った俺は、彼女の方も見ず、コンロに向けぺこぺこしてしまう。
それが可笑しかったのか。
後ろでくすくすっという笑い声がした。
「ううん。こっちこそごめんねー。あ、大丈夫だと思うけどー。絶対に覗いちゃダメだかんね?」
「そ、そんな事しないから! 信じてゆっくりしてきてよ」
「そうしたいの山々だけどー。遠見君の料理する所見たいから、ちゃちゃっと済ませてくるね! じゃっ!」
そう言うと、小走りする音と共に、洗面所の方のドアがバタンと閉まる音がした。
……流石にもう振り返っても大丈夫だよな?
恐る恐る振り返ると、そこには誰もいない。
その現実に、俺はほっと胸を撫で下ろす。
……でも、寝癖か。
昨日も全然意識してなかったけど、近間さんに突っ込まれてないし大丈夫だよな?
キッチンに鏡はないし、料理中に寝室に行くのもなんだし。
何となく手で髪を撫でていると。
「……あ」
絶対に流れに抵抗している何かを感じて、俺は今度は落胆のため息を漏らしたんだ。




