第二話:重なる恥ずかしさ
……ん……。
まだぼんやりする頭。ぼやけて見える部屋は、淡い夕焼け色に照らされている。
これって……横になったままベッドボードに置いてある置き時計を手にすると、じっと顔の側に近づけた。
時間は既に五時か……。結構寝てたんだな。
ゆっくりと時計を戻すと、一度身体を起こす。
パジャマは既に汗でびっしょり。布団の温かさから解放されたせいで、少し肌寒さを感じたけど、少しは頭も冴えている感じがする。
えっと、体温計はっと……。
何となくベッドボードの隅に置いていた気がして、俺は眼鏡も掛けずにその行方を追う。
……っと。あったあった。
何となくぼんやり白みがかったそれを手にすると、念のため布団に潜ってから体温計のスイッチを入れ脇に挟んだ。
待つ事数分。
何を考えるでもなくぼんやりとしていると、ピピピッという電子音。
どれどれ……三十七度ちょいか。まあ微熱の範囲だけど、随分汗も掻いてるし、それで一時的に下がってるのかもしれないな。
体温計を元の位置に戻し、俺は再び上半身を起こす。
ベッドの脇に置かれたサイドボードの上には、スマホとタオル、薬にペットボトルなんかがまとめて置かれているようだ。
全然記憶にないけど、こうなってるってことはきっと、近間さんがまとめて準備してくれたって事か。ちゃんとお礼を言っておかないと……。
俺は少しベッドボード側に身体を寄せ、スマホを手に取ろうとしたんだけど。その時ふと、彼女の言葉が思い返された。
──「タオルはこの後持ってきておくから、身体拭いたり着替えするのも忘れない事」
……色々と心配してアドバイスを残してくれた近間さん。
そのまま勢いで連絡したら、彼女に怒られそうだな……。
何となく浮かんだそんな不安から、スマホは手に取らず、病人としてすべき事を優先する事にした。
パジャマを脱いで乾いたタオルで身体を拭き、新しいパジャマや下着をタンスから出して着替えて。それからちゃんとスポーツドリンクを口に含んで、水分補給もする。
頭の冷えピッタンは冷たさも随分なくなってるから変えないとだし、脱いだパジャマもそのままにはできないよな。
眼鏡を掛けてクリアな世界に戻った俺は、ベッドを出ると着替えを手に、寝室から洗面所に移って洗濯かごにそれらを放り込み……あ。
そこまでした俺は、ふとある事に気づいた。
そういや俺、朝外に洗濯物干して行ったじゃないか。
流石に湿気っちゃうし、部屋に仕舞わないと。
パジャマ姿のまま居間の引き戸を開けたんだけど。俺はそこで思わず足を止めた。
誰もいない居間のテーブルの上。
そこに綺麗に畳まれ並んでいたのは、今朝干していたはずの洗濯物だった。
下着。靴下。Tシャツやズボンに制服のYシャツ、タオルなんかまで、ある程度分類分けされて置いてある……。
念のためカーテンを開けると、やはりそこに洗濯物は一切ない。
つまり、これを畳んでくれたのは近間さん……って事は……下着、見られたのか……。
無意識に真っ赤になったであろう顔を抑え、自然と漏れるため息。
彼女には弟さんがいるって言ってたし、それほど抵抗はないのかもしれないけど。
こっちはいきなりプライベート過ぎる部分に踏み込まれて、流石に気恥ずかしさが止まらない。
とはいえ、今更恥ずかしがっても、何も変わらないか……。
俺は折角畳んでくれた洗濯物が崩れないよう慎重に運びながら、それらを収納しているタンスや棚に順番に仕舞っていく。
……これで最後っと。
寝室のタンスに物を仕舞って一段落した所で、また頭が少しぼんやりとする。
時間的には夕方だけど、まだお腹も空いてないし、もう少し寝ておくか。
再び寝室のベッドに戻った俺は、一度ベッドの端に座ると、念のためもう一度水分補給を済ませ、そのままベッドに横になり眼鏡を外した。
……そうだ。近間さんにMINEしないと。
横に寝ながらサイドボードにあるスマホを手に取ったんだけど、俺はその瞬間、ちょっとした違和感を覚えた。
ロック画面に何一つ通知がない。
今までの俺の生活なら当たり前の状態。だけど今日この状況。何となく、近間さんから何かしかメッセージがあっても良さそうな気もするんだけど……。
念のためロックを解除し、MINEアプリを起動してみたけど、昨日の通話後のおやすみのやり取りから更新はない。
……あ。そっか。
俺が寝てるのを邪魔したくなかったのかもしれないな。
理由に納得できた俺は、すぐに違和感を忘れ、ささっとメッセージを入力し始める。
えっと……。
『今日は迷惑をかけてごめん。洗濯物とか色々ありがとう。今ちょっと起きたけど、微熱だから大丈夫。もう少し安静にして寝てるから。近間さんもゆっくりしてね』
……ちょっと長いかな?
まあいっか。
俺は文面に迷いつつも、そのままの文章で送信した。
こないだの今日で色々あったとはいえ、未だにこうやってメッセージを送るのはちょっと緊張する。
すぐに既読になったりはしない。けど、前に近間さんも、すぐに見れない時もあるって言ってたしな。
大して気にもかけず、俺はそのままスマホをサイドボードに戻すと、再び布団を被る。
汗で少し湿ってるけど、今日は一旦このまま我慢しなきゃ。
そんな事を考えているうちに、すぐにまた微睡みが俺を包み、気づけば意識を失っていた。
◆ ◇ ◆
「ね? 遠見君」
……あ、近間さん。
はっと気づくと、俺は街中で隣を並んで歩く彼女に声を掛けられた。
服装は昼間と同じく、すごくギャルらしさが引き立つ服。対する俺のダサい服もまんま。
「この間のお返ししてくれるなんて、超アガっちゃうじゃん。でさ。何をしてくれるの?」
この間のお返し?
……あー。俺が風邪引いた時のお礼って事か。
確かにお礼はしたいんだけど、何がいいんだろ?
正直女の子は喜ぶような物、さっぱり思いつかないんだよな……。
「近間さんは何がいい?」
あっさり逃げの一手を打った俺に、彼女は顔を上げ顎に手を当てながら考える。
「そうだなー。何でもいいの?」
「え!? あ、いや。流石に五千兆円欲しいって言われても無理だけど……」
「あっはっはっ。何それー。まるであたしが何も考えてないみたいじゃん」
俺の返しに、近間さんは何時ものように笑ってくれたんだけど、ふとその顔がにんまりとした。
……ん? 何でそんな顔をしたんだ?
何かよからぬ事を企んでいる。直感でそう感じた俺が身構えると。
「じゃーさー。遠見君の初めて、貰っちゃおっかなー」
「……え? 初めて?」
思わず足を止めた俺に、彼女はくるりと向き直ると、少し顔を赤らめはにかむ。
「そ。きっと遠見君も、したことないっしょ」
動揺で固まっている俺に、すっと俺との距離を詰めた彼女が、一気に顔を俺に近づけてくる。
そして、眼鏡と眼鏡がぶつかりそうなくらいまで距離を詰めた彼女は、小声でこう囁く。
「……キス、しよっか?」
「……へ?」
「だーかーらー。キス、しよ?」
「……だ、ダメだよ!」
「何でー?」
「だだだ、だって俺達、ただの友達じゃない」
「ただのじゃないよ。グ・ラ・と・も♪」
「い、いや! それだって友達じゃない!」
「うん。でも、あたしにとって特別だしー」
「いやいやいやいや!」
彼女は急に何言ってるんだ!?
俺達こうやって話すようになって、大して経ってないんだぞ!?
「そ、そういうのは恋人同士になったらするものじゃない!」
「……じゃーあー、付きあっちゃう?」
未だ顔を寄せ合っている俺達。
彼女はギャルっぽい笑みから一転。自身の唇に人差し指を当て、少し艶っぽい顔でそう口にする。
「……は?」
「だーかーらー。付きあっちゃお? そうすれば、キスできるんでしょ?」
「だだだ、だから! 何でそうなるの!?」
流石にいきなりそんな話なんておかしいだろ!?
これはもしかして夢か!? 夢なのか!?
……って!?
◆ ◇ ◆
「はっ!」
ばさっと布団を跳ね上げ、飛び起きた俺。
部屋は薄暗いけど、眼鏡がなくってぼんやりしているせいもあって、ほとんど真っ暗みたいなもの。
勿論、目の前に近間さんなんていない。
この部屋には俺一人だけ。
「……はぁ……」
安堵とも、呆れとも言えない自然に漏れるため息。
……夢で良かった。
それは確かなんだけど。
なんであんな夢見てるんだよ。
そんな自責の想いもある。
近間さんは友達。それ以上でもそれ以下でもないんだぞ?
実際の彼女はあんな感じじゃないってのに……。
友達慣れどころか、女子慣れすらしてないせいかもしれないし、色々と彼女にからかわれた中にある台詞が、こんな夢を見せたのかもしれない。
勿論、熱のせいで変な夢を見たってだけかもしれないけど……とはいえ……。
俺は少しの間、頭を抱え情けない気持ちでいっぱいになった。
ただの夢だし、本意でもないとはいえ、流石に彼女に悪すぎて。
……彼女に帰っていてもらってよかったかな。
流石にこんな夢を見た直後に顔を合わせてたら、どんな顔すればいいか──あれ?
ふと我に返った理由。
それは薄暗い部屋のある箇所が気になったから。
寝室からキッチンへのドアの下から、ぼんやりと明かりが漏れているのが見える。
確か俺、夕方電気なんて点けてなかったような……。
風邪のせいで頭が回ってないだけで、電気を点けてたんだろうか?
それとも……。
明かりが点いている理由が気になった俺は、ベッドボードに置いていた眼鏡を掛けると、ベッドから降りゆっくりとキッチンに向かったんだ。




