第一話:悪化
「ふぅ……ご馳走様」
リゾットを食べきったからか。身体が随分と温かくなったな。
からかわれすぎて不貞腐れはしたけど、こうやって美味しいお昼ご飯を作ってくれたのは確かだし、ありがたい話。
だからこそ、俺は食べ終えた後、しっかりと頭を下げた。
「お粗末様ー。また食べたくなったら言っていいよー。作りに来てあげるから」
なんて言いながら、悪戯っぽく笑う近間さん。
また俺をからかおうとしてるんだなってわかってたけど、そこは何とか自然な笑みを返してごまかした。顔は多分真っ赤だけど。
手元のお茶をごくりと一口。
……って、ああ。これ、最後の一口だったのか。
「あれ? どうしたの?」
「うん。ちょっとお茶を取って来るね」
立ち上がった俺に首を傾げた近間さんにそう答えると、そのままテーブルの脇を抜けてキッチンに向かおうとしたんだけど……あれ?
ふわっとした感覚と共に、俺はそのまま前のめりに倒れそうになる。
「遠見君!?」
悲鳴のような声にはっとした瞬間、迫る床に慌てて両手を突き、何とか倒れるのは防げた。けど、何か妙に息が荒くなってきてる。
「大丈夫!? ちょっとごめんね!」
慌てて俺の前に来た彼女が、必死な形相で俺の顔をぐいっと正面に向かせると、ピタッと額をこっちの額に重ねてきた。
……互いの眼鏡がぶつかりそうなくらい、近い距離に見える近間さんの顔。
思わずドキっとして目を丸くしたけど、恥ずかしさを覚えるより前に、彼女の声が届く。
「やばっ! 熱上がってるじゃん! 急いで寝室に行こっ!」
「え? あ……だけど、片付け──」
「そんなの遠見君は気にしないの! 立てる?」
脇に回り込んだ彼女が、俺に肩を貸してくる。
近間さんに支えられながら何とか立ち上がった俺は、彼女に連れられ、ゆっくり歩を進めながら寝室へと向かった。
まだ昼だから明るい部屋。
寝て起きた状態の無造作な布団とか、あまり見られたくない物も多い。
とはいえ、風邪って気づいたせいか。少し息苦しいせいで、そんなのもうどうでもよくなり始めていた。
「遠見君。横になれる?」
「う、うん」
ベッド脇に座らせてもらい、彼女が離れたのを確認した後、ベッドに身体を横たえてごろりとベッドの上に転がると、もぞもぞと動きながら、仰向けに寝る姿勢になった。
「薬ってどこかにある?」
「あ、えっと、居間の戸棚に」
「おっけー! すぐ戻るから、遠見君はちゃんと布団被って温かくしてるんだよ?」
「わ、わかった」
俺の返事に真剣に頷いた彼女は、そのまますたすたと寝室から出て行く。
布団もまだ冷たいし、部屋の空気もやや寒い。とりあえず、エアコンくらい付けたよう……。
ベッドボードに置いていたリモコンを手にし、ピッと暖房を入れる。
あとは、部屋が温かくなるのを……ぶるるっ。
思わず寒気に身を震わせた俺は、布団の中で両腕で身体を抱きしめ、身体を横に丸め縮こまる。
そ、そんなに悪化してたのか……。
身体も温まってたから、全然わからなかったな……。
でも、この後どうしよう……。
少しぼんやりしてきた頭で考えるのは、近間さんの事。
何となくここまで色々世話を焼いてもらったけど、もう一緒に遊ぶどころじゃないし、今日は帰ってもらった方がいいか。
それこそ、風邪をうつしちゃったら悪いもんな……。
そんな事を考えていると、寝室のドアが開き、近間さんが戻ってきた。
「お待たせ。ちょっと起きれる?」
「うん」
言われるがまま、切れのない動きで上半身を起こす。
っていうか、かなり身体にだる気がやばいな。
「じゃ、まずこれ。さっきご飯食べたばっかりだし、すぐ飲んでも大丈夫っしょ」
手渡されたのは、錠剤を三つ。それを口に入れると、すっと近間さんが冷蔵庫にあったスポーツドリンクのペットボトルの蓋を取り、を手渡してくれた。
ぐびぐびっとそれで薬を飲み干す。冷たい感触が少し身体の火照りを抑えてくれる気がして、ちょっと心地よい。
「ありがとう」
「おけおけ。じゃ、次は冷えピッタン貼ろっか。額出してくれる?」
口を離したペットボトルを返すと、少しだけにこっと笑った彼女は、テキパキと次の指示を出してくる。
えっと、こんな感じでいいかな?
両手で髪の毛を上げ額を出すと、冷えピッタンの粘着面のシートを剥がした近間さんが、俺の方をじっと見つめてくる。
けど、動かない……って、あれ?
「えっと、あの、どうかした?」
おずおずと声を掛けてみると、はっとした彼女が首をぶんぶんっと振り、
「な、何でもない! じゃ、貼っちゃうね!」
そう言うや否や、心の準備をする暇もなく、いきなりビタッと冷えピッタンを当てられ──って!?
「冷たっ!」
一気に襲った強烈な冷感に、俺が思いっきり顔をしかめると、思わず口に手を当てた近間さんが目を丸くする。
「ご、ごめん! 大丈夫!?」
「あ、うん。大丈夫。ちょっと、心構えができてなくって」
「だ、だよねー。と、とりあえずベッドに横になろ?」
「う、うん」
促されるままベッドに横になった俺に、近間さんがゆっくり布団を掛けてくれる。
ちょっとドタバタしたのはあったけど、既に表情は申し訳なさしかない。
「近間さん」
「何? 辛い?」
「ううん。あの、さ。そんな顔、しなくていいよ」
「え?」
「近間さんは、笑ってる方が、いいし」
「……遠見くーん。あたしに無神経になれって言いたいのー?」
「ううん。俺が、そっちを見たいだけ」
俺なりに冗談を言ったつもりなんだけど、彼女はそれを聞くと、少し唖然とした後、「まったく……」なんて言いつつ、肩を竦め笑ってくれる。
……うん。やっぱりそうじゃなきゃ。
冷えピッタンのおかげで頭が少しすっきりしてるけど、やっぱり少し息苦しいな。
早めに言うこと言っておかないと。
「あの、今日はこれで、本当にお開きにしよう」
「え? 何で? 看病できる人いないっしょ?」
「でも、近間さんに、風邪、うつしたくない」
不安を隠そうとしない彼女に、俺はそんな言葉で釘を刺す。
「近間さんが風邪、引いたらさ。それこそ、家族にまで風邪をうつしちゃうかも、しれないし。ここまで、お膳立てしてもらったら、大丈夫。あまりに酷くなったら、救急車、呼ぶからさ」
少し呼吸が荒くって、喋り方がぎこちない。
けど、俺はなんとかそう言葉にした。
「……本当に?」
「うん」
「夜のご飯とかは?」
「適当に、頼むから」
「薬とか飲みに行ける?」
「大丈夫」
後ろ髪を引かれる思いなのかな。
まるでお母さんみたいに色々聞いてくる近間さんに、自然と顔が綻ぶ。
「今日は、ごめん。それと、ありがとう」
俺がそう言うと、少しの間じっとこっちを見ていた彼女が、ふぅっとため息を吐くと「わかった」って言って立ち上がり、床に置いていたスポーツドリンクをベッドボードに乗せた。
「いい? まずはちゃんと寝る事。汗掻いたらそれ飲んでね。タオルはこの後持ってきておくから、身体拭いたり着替えするのも忘れない事。あと、本気で困ったら絶対MINEしてよね」
「うん」
「それじゃ、ちゃんと寝てるんだよ?」
「うん。ありがと」
「んじゃ、またね」
俺の酷い笑顔に近間さんも笑い返すと、そのまま背を向け、再び寝室を出て行った。
……これで、いいよな。
俺は眼鏡を外してベッドボードに置くと、熱い息をふうっと吐き出す。
ほんと、考えなしの行動で、悪い事しちゃったな……。
俺を心配し笑わない近間さんを思い返し、少し胸が痛む。
でも、今はどうしようもない。どこかでまた埋め合わせしないと。
そんな事を考えていると、またぼんやりとしてきて。気づいたら俺はそのまま眠りに落ちていったんだ。




