サイドストーリー:初めての誕生日(3)
あの後、ビーチバレーをしたり、みんなでかき氷を食べたりと、ひとしきり海を楽しんだ俺達四人は、夕方前にコテージに戻り、シャワーを浴びた後それぞれに着替えを済ませた。
折角だからと、全員浴衣姿。実は夜には花火大会もあるし、夏らしさを出そうって事で、事前に買っておいたんだ。
眼鏡を掛け、髪型を後ろで髪を結った、ちょっと新鮮な浴衣姿の海笑瑠さん。
これはこれで凄く似合ってて、着替えて出てきた彼女を見て、思わず見惚れた俺を美香さん達に茶化される始末。
こういうのを隠せないのは、当時は勿論のこと。付き合ってから一年経った今でも変われてないんだよな……。
その後、美香さんと葛城君にちょっとした買い出しを頼まれた俺と海笑瑠さんは、二人でコテージから少し離れた海岸線沿いのコンビニまで足を運んだ。
買い物自体は飲み物とか、ちょっとしたお菓子とか。
それらをささっと買った後、それらをエコバッグに入れた俺達は、そのまま道沿いにコテージに戻る事にした。
やや車通りの多い車道に面した歩道を、彼女と並んで歩く。
歩道は丁度海岸側で、しかもちょっと海から高台になっている。見晴らせる海辺は、傾きだした夕日に照らされて夕焼け色に染まり始めていて、ちょっと綺麗だ。
昼間は未だ、暑さも陽射しの強さも夏。だけどこの時間は夕焼けのせいもあって、どこか秋の雰囲気を感じるんだよな。
実際、海風は穏やかに吹いていて心地よいし、意外に気温も下がってて、思ったほど暑さは感じない。
「夕日に染まる海。ちょー綺麗だよねー」
「そうだね。ここまで綺麗な光景、中々見られないかも」
「うんうん! 最初は、二人っきりじゃない誕生日なんてなー、なんて思ってたけど。こういうのを一緒に見られるなんてー、ほんとラッキー! 美香様々っしょ!」
にこにこしながら、腕を組んでいる海笑瑠さん。
付き合いだしてから、知り合いがいなくて人気が少ない時には、こんな感じだったりする。手を繋ぐのも緊張するけど、やっぱりこっちのほうが、より緊張するんだよね。
頭が近いせいか。一度シャワーを浴びてるのもあって、ふわりと漂う良い香り。
なんか、こういうのを感じると、余計ドキドキしてしまう。
勿論夕日は綺麗だし、普通に見てたら感動ものだと思う。だけど、この香りのせいで、内心それこどろじゃない。
「そういやさー。久良君の浴衣姿も、やっぱ似合うよねー」
と、彼女は急にこっちに顔を向けると、どこか満足げな笑みを見せる。
正直、未だに似合ってるかはちょっと自信がない。
だけど、それでもグラ彼が褒めてくれるのは、やっぱり嬉しかったりする。
「海笑瑠さんだって。すごく似合ってるよ」
「えへへっ。そう言ってもらえると、ちょーアガるよねー」
眼鏡の向こうで、少し照れた顔をした海笑瑠さん。
だけど、すぐにちょっと残念そうな表情をする。
「でもさー。あれから中々二人っきりになれてないよねー」
「え? そうかな? 今も二人っきりだと思うけど」
「そういう意味じゃありませんー!」
きょとんとする俺に、ムキになる海笑瑠さん。
あれ? 俺、変なこと言ったかな? なんて思っていると、彼女が足を止めると周囲をキョロキョロと見回した後、大きく肩を下ろす。
「確かに今ー、歩いてるのはあたし達だけだよ? でも、これだけ車が通ってるじゃん。これじゃ、お預けかなぁって……」
お預けって……ああ。あの話か。
海でのことを思い出し、ちょっと気恥ずかしくなりながら、俺も車道を見渡してみた。
車は普通に流れてるけど、交通量が多くて中々途切れない。
これだと確かに、人の目は避けられないと思う。
堤防や海辺側もまだ結構人は多いし、流石に完全に二人っきりとはいえないかな。
後でちゃんとしたキスをしようって言われてたけど、流石にこれだと恥ずかしい。
けど、海笑瑠さんはキスしたいのか……。
付き合いだしてから、彼女は二人っきりになると、何かとキスを強請るようになった。
──「だってー。あたし、ずっと久良君への想い、我慢してきたし……」
なんて、素直に理由を教えてくれたけど。そう言ってくれたのはやっぱり嬉しかったし、余っ程の事がなければ拒まないようにはしてきた。
確かに今日は、この後も美香さん達が一緒。
そうそう二人っきりにはなれないだろうし、海笑瑠さんもきっと、それがわかってるんだろう。
とはいえ、ここでゆっくりキスをするのは、俺もちょっと……いや。すごく恥ずかしい。
でも、海笑瑠さんが望むなら、ちょっとくらい……。
俺は覚悟を決めると、気落ちしている海笑瑠さんに顔を近づけると、頬にチュッと、短いキスをした。
瞬間、びくっとした彼女が、こっちに真っ赤な顔を向ける。
「えっと、ごめん。今はこれで、我慢してくれる?」
ちょっとしどろもどろになっているのは、俺だって恥ずかしいから。
海笑瑠さんもそうだけど、顔の火照り方からすると、俺も夕日でごまかせないくらい真っ赤になっていると思う。
ただ、そんな顔も可愛いと思ってる時点で、俺も完全に彼女にやられちゃってるな……。
「……もうっ。ここまでされたらー、嫌って言えないじゃん」
「そ、そっか──」
言葉を返そうとした瞬間、背伸びをした彼女が俺に唇を重ね、すぐ離れる。
「これで、我慢しとく。ありがと。久良君」
思わず目を瞠った俺に、彼女は恥ずかしそうに笑う。
……やっぱり、海笑瑠さんには敵わないな。
そう思っていると、すぐに彼女の表情が一変した。
「さっ。美香達が待ってるしー、早く帰ろっ!」
「わわっ。あ、慌てないで」
「やだーっ! 折角の誕生日だしー。みんなともっと楽しまないとね!」
こっちの腕を引き、無邪気に笑う彼女に微笑み返すと、俺は夕日が傾くのを見ながら、ゆっくり歩いて帰って行った。
◆ ◇ ◆
コテージに戻って、みんなで夕食を作って楽しんだ後。日も暮れて夜七時になった所で、ついに花火大会が始まった。
「うわーっ。めっちゃおっきーねー!」
「うんうん! 花火をこんなに間近で見たの、初めてかも!」
興奮気味に話す、俺の隣に立っている海笑瑠さんと、バルコニーにあるテーブルに葛城君と並んで座る美香さん。
でも、確かに花火を遠間に見ることは多かったけど、打ち上げ場所が近いから、かなり上の方を見上げながら見るっていうのは新鮮。しかも、打ち上げ音も肌に感じるくらい大きくて、今までに経験した事のない迫力がある。
「ほんと。グラ彼とこんなの見れるなんて。夢みたい」
ぽつりと呟いた海笑瑠さんに顔を向けると、こっちに瞳を向けていた彼女がはにかむ。
「うん。ワンダーランドでもそう思ったけど、今も夢見たいだね」
「だよねー。あれからたった二週間だけど。あたし今、めっちゃ幸せ」
浴衣姿の海笑瑠さんの微笑みは、今までに見てきた眼鏡女子と輝きが違う。それこそ、今打ち上がっている花火のように、すごく眩しくて綺麗だ。
でも、きっとそれは俺の心を染めた彼女への恋心と、真摯に向き合ってくれるグラ彼相手だからだと思う。
「俺も、幸せだよ」
自分なりの精一杯の気持ちを言葉にすると、また嬉しそうな顔をする海笑瑠さん。
そしてどちらからともなく、俺達はまた空を見上げた。
様々な形の花火。
時に単発で。時に連続で打ち上がる夜空の花を眺めているうちに、あっという間に時間は過ぎ。最後の連続花火が打ち上がり、花火大会は無事に幕を閉じた。
「ほんと凄かったねー。ね? 美香──あれ?」
満足げな顔でコテージに振り返った海笑瑠さんが、思わず首を傾げる。
そっちを見ると、花火をちゃんと見るために未だコテージは消灯したまま。だけど、テーブルに座っていたはずの美香さん達がいない。
……ってことは、そろそろかな。
この先の展開が分かっている俺が意味深な顔をすると、こっちの顔を見ていた彼女が、むむっと怪訝そうな顔をする。
「ねー、久良君。何か企んでる?」
「え? いや。企んではいないよ」
「うっそだー。久良君ってー、顔に出るタイプっしょ?」
「うーん。まあ、そうかな?」
俺のことをちゃんと見てくれてるよな、なんて思いながら苦笑していると。
「さーて。ここで、もうひとつ花火のお届けでーす!」
元気な美香さんの声が、コテージの方から聞こえた。
同時にパパッと部屋の電気が点くと。
「うわーっ。何それー!?」
海笑瑠さんが葛城君が両手で手にしている物を見て目を丸くした。
そこにあったのは、綺麗に象られたホールの苺ケーキに、ケーキ用の細い花火やロウソクが幾つか刺してある物。
「えへへー。もち。海笑瑠のために用意した、あたし達からのサプライズ。あ、勿論、久良君も含んでるから」
そう。美香さんが旅行に誘ってくれた日、海笑瑠さんが誕生日だって知って、ケーキを買っておいてくれたんだ。勿論お金はちゃんと三人で出している。
今思えば、あれは多分、美香さんのお母さんが作ってくれた物だったんだと思う。
「颯君、そこのテーブルに置いて。あ、遠見君は部屋の電気を消してもらっていい?」
「ああ」
「うん。わかった」
美香さんの指示に従い、葛城君がバルコニーに出てテーブルにケーキを置いている間、俺が入れ替わりで部屋に入って消灯する。
そして、俺が戻ってきた所で、美香さんはポケットから、先にノズルの付いたライターを取り出す。
「それじゃ、点火するね」
ロウソクに火を点けていくと、淡い光でみんなが照らし出される。
そのまま刺さっている花火にも順々に点火していくと、パチパチッと花火らしい火花を散らし、みんなをより明るく照らし出す。
「じゃ、颯君。遠見君。行くよー。せーのっ!」
「ハッピーバースデー、トゥーユー♪ ハッピーバースデー、トゥーユー♪」
美香さんの号令に合わせ、俺達は打ち合わせしていた通り、誕生日の歌を海笑瑠さんに歌って聞かせると、彼女は少し惚けた顔で聞き入っている。
「ハッピーバースデー、ディアー近間さーん♪ ハッピーバースデー、トゥーユー♪」
歌が終わるとほぼ同時に花火も燃え尽きて、残ったのはロウソクの炎だけ。
「はい! じゃあ海笑瑠! ロウソク消そっ!」
「……うん」
ちょっと目が潤んでる海笑瑠さんの肩を叩いた美香さんに促され、眼鏡をづらし目尻を指で拭った彼女が笑顔になると、ふーっっと勢いよくロウソクを吹き消す。
再び周囲を照らす明かりがなくなり、俺達を照らすのは星空だけ。
そんな中。
「改めて。海笑瑠、お誕生日おめでとー!」
そんな元気な美香さんの声が聞こえた。海笑瑠さんの表情は薄暗い中でも笑顔に見えてたんだけど、葛城君がコテージまで行き明かりを点けると──。
「み、見ちゃ駄目だかんね!」
と、彼女はとっさに俺達に背を向けた。
それを脇から覗き込んだ美香さんが、優しい顔になる。
「海笑瑠。嬉しかった?」
「う、嬉しいに決まってんじゃん! 何時ケーキなんて用意したわけ!?」
「えへへっ。なーいしょ! でも、喜んでくれたらなら良かった。ね? 遠見君?」
「うん。そうだね」
俺と美香さんが顔を見合わせ笑顔を交わす。
と、そんな中腕で顔を拭ったであろう海笑瑠さんが、勢いよく美香さんに抱きついた。
「美香! ほんとにありがと!」
「海笑瑠が喜んでくれたなら良かった。私も颯君の事でいっぱいお世話になったから、そのお礼ね」
「もうっ! そんなの気にしなくていいのにー。こうなったらー、今度の美香の誕生日、覚悟してよね!」
「うん。楽しみにしとくね!」
元気さを感じながら、少し震え声なのは、本当に嬉しかった証拠かな。
微笑ましくなり二人を見ていると、葛城君も無言のまま俺の脇に並ぶ。
ひとしきり話し終えた海笑瑠さんが美香さんから離れると、彼女が俺にもまだちょっと潤んだ目で微笑んでくる。
「葛城君と久良君も、ありがと」
「いや。俺は美香の提案に乗っただけで、大した事はしてないさ。な? 遠見」
「そうだね。こうやって四人でいられる機会を作ってくれたのも、ケーキの手配もほとんど美香さんだし」
「そこは誘った側だから。でもー、私は颯君と遠見君に、海笑瑠とダブルデートする夢を叶えてもらったもん。だから、二人にも感謝してるよ」
にこっと俺達に笑顔を向けてくる美香さん。
それがよほど刺さったのか。隣の葛城君が、頬を掻き目を泳がせる。
「べ、別に。俺達はただ付き合ってただけだろ? 遠見達は頑張ったんだろうけど」
「そうだよ? 颯君が私を嫌にならず、付き合い続けてくれたから今があるんだもん。ありがと!」
「ん。あ、ああ。こっちこそ」
恥ずかしげにそう口にする葛城君の反応は、俺から見ても初々しい。
きっと美香さんも、こういう所で彼に愛されてるって実感してるんだろうなぁ。
「まったくー。こんな所で惚気るとかさー。あたしの誕生日、台無しっしょ」
さっきまでと空気が一転したからか。
昼間の海でのツッコミの仕返しと言わんばかりに、海笑瑠さんが呆れて肩を竦めると、美香さん達がはっとする。
「ごめんごめん! それより、早くみんなでケーキでも食べよ? あと、勿論プレゼントも用意してるからね!」
「うっそーっ!? そんなのいいのにー」
「誕生日にプレゼントなしなんて、そんなのあり得ないでしょ? ちゃーんと遠見君も用意してるもんね!」
「う、うん。そんなに凄い物じゃないけど」
話を突然美香さんに振られ、思わず頭を掻く。
確かに自分なりに考えはしたけど、家族以外の相手に贈る初めてのプレゼントだったし、自信なんてなかったもんなぁ。
「そっか。じゃ、ちょー楽しみにしよっと!」
こっちをからかうように、浴衣姿で笑顔を見せる海笑瑠さん。
好きな人の笑顔にやられた俺は、少し顔を赤くしたけど、なんとか笑い返したっけ。
◆ ◇ ◆
「そういえばー、久良君ってまだ、去年くれた消しゴムの半分持ってるの?」
と。海笑瑠さんからの急な問いかけに我に返った俺は、横に座った制服姿の彼女に顔を向ける。
「え? うん。そりゃ、大事な想い出だし。海笑瑠さんは──」
「捨てるわけ無いっしょ! ちゃーんと大事に仕舞ってるあるよ」
「そっか。でも、今思い返すと、あんなのプレゼントされて困ったでしょ?」
「そんな事ないってー。グラ友記念に取っておいたんだーって聞いた時は、久良君って結構ロマンチストだねーって思ったけど。にししっ」
悪戯っぽい、ちょっとからかうような笑顔に、俺はさっき思い出していた自分と同じように顔を赤くした。
実は去年プレゼントしたのは、彼女が使いそうなポシェットと、使いかけの消しゴムだったんだ。
その消しゴムは、海笑瑠さんと初めて二人っきりで話すきっかけになった、メモのやり取りをした消しゴム。
あの日のやり取りがどうも忘れられなくって、初めてできた友達との記念にってことで、メモと一緒に家に残していたんだけど、その半分を海笑瑠さんにプレゼントしたんだ。
俺にとっての大切な日の始まりの物。
とはいえ、当時はあんなのプレゼントして良かったのかって悩んだけど。海笑瑠さんはすごく喜んでくれて、当時俺と日程のやり取りをしたノートのメモを切って、一緒に保管しているらしい。
「ね? ね? 今年はどんなプレゼント貰えるの?」
食いつき気味にニコニコしながら聞いてくる海笑瑠さん。
でも、どこかふざけ気味な雰囲気を出してくれてて、わざとやってるのが見え見え。
それに釣られて、プレゼントの話をするわけにはいかない。
「教えないよ。前に海笑瑠さんに、『聞かずに買ってサプライズを楽しませるのが正解だよ?』って言われたし」
勿論、忘れてなんてない。
恋人になった次の日。ファンタスティック・ワンダーランドでそう言われたことを。
「えへへっ。さすがーっ。そういう何気ない一言をちゃんと覚えてくれてるの、やっぱ嬉しいよねー」
満足そうな笑みを浮かべた海笑瑠さんが、相変わらず素敵な笑顔のまま、眼鏡をきゅっと直すと、俺の腕に絡めた腕をより強く絡めてくる。
「今年はどんな誕生日になるかなー」
「どうだろう? でも、もし葛城君達が甲子園を決めたら、日付をずらして二人っきりで誕生日祝おっか?」
「え? ほんと!?」
「うん」
「久良君さっすがー! 誕生日、めっちゃ楽しみー!」
めちゃくちゃ嬉しそうな顔をする海笑瑠さんを見て、俺も自然に微笑み返す。
うん。楽しみだな。
海笑瑠さんといられる、彼女の誕生日。
去年の誕生日も勿論想い出に残ったけど、今年はできればまた違う想い出にしてあげたいし。
俺は、彼女が脇にいる幸せを噛み締めながら、当日どんなサプライズをしようかなんて、考え始めていた。