サイドストーリー:初めての誕生日(1)
今年の夏は本当に暑い。
梅雨前から夏っぽさを感じさせていたけど、七月に入って連日三十度を超える日も続いてる。
そのせいか。今朝も既に真夏日に近い気温で、通学の為に駅まで来るだけでもじんわり汗が滲む。
「ほんっと。電車の中だけが救いだよねー」
「そうだね」
俺と並んで席に座っている海笑瑠さん。
ハンドタオルで額の汗を拭いながら、、車内の冷房を感じてほっとした顔をしたのに釣られ俺が笑うと、彼女が眼鏡越しにこっちを見てにんまりとした。
あれ? どうしたんだろう?
俺が首を傾げていると。
「でもー、久良君とはベタベタしちゃいまーす!」
海笑瑠さんが、さっと俺の腕に腕を絡め、肩を寄せ合ってきた。
お互い夏服。半袖のシャツからはみ出た腕が触れ、彼女のしっとりとした肌のぬくもりを直に感じてしまい、ちょっとドキッとしてしまう。
流石に付き合ってもうすぐ一年。こうやって腕を組む機会なんかも増えたから、ちょっとは慣れたけど……うん。ちょっとだけ。
正直な所、今でも毎回緊張してたりする。
「やっぱ、久良君も恥ずかしい?」
「そ、そりゃあ」
「えへへっ。そういう初々しい所、やっぱいいよねー」
耳まで真っ赤になったであろう俺を見て、海笑瑠さんが満足そうな顔をしてるけど。『久良君も』って言ったって事は……。
「でも、海笑瑠さんも、恥ずかしいんだよね?」
俺がそう尋ねかえすと、彼女が一気に顔を赤くして目を泳がせた後。
「あ、当たり前じゃん。やっぱ、グラ彼の素肌の感触とか、ちょっと緊張するし……」
と、囁くように口にする。
ギャルなルックスだし、何かと積極的に行動する海笑瑠さんだけど、こういう時は今でも変わらず、めちゃくちゃ初々しい反応を見せるんだよね。
こういうのを見ると、やっぱり今でも俺達は類友だなって、微笑ましくなる。
もう少しで付き合って一年。
俺達は出逢った頃と変わらず、こんな感じで今もお付き合いさせてもらっている。
勿論、こんな彼女との関係は全然嫌じゃない。むしろ嬉しいくらいだ。
「そういえばー、もうすぐ夏休みじゃん? 久良君の予定は?」
「特には。何かあればいつでも合わせられるよ」
「ほんと?」
「うん」
目をキラキラさせて嬉しそうな顔をする海笑瑠さん。
ほんと、相変わらず表情豊かだし見飽きないんだよね。
こんな事を人に話したら、何を惚気てるんだって言われそうだけど。
……あ。そうだ。
「そういえば、今年も誘われてるの?」
海笑瑠さんにそう尋ねると、彼女が少し困った笑みを見せる。
「うん。まあ、流石にあたしの誕生日とちょっとずれてるし、そっちはいいんだけどさー。葛城君達、甲子園に手が届きそうじゃん? だから、今年も遊びに行くかは、その結果次第だってさー」
「あー。うちの高校が甲子園出場したら、学校全体で応援に行かないといけないから……」
「そうそう。まー、そうなったらそうなったで嬉しいけどー。そうなると、あたしの誕生日や美香との予定にもろ被りしそうでさー。応援で甲子園の方行くってなったら、流石に久良君と二人っきりってわけにはいかないよねー」
「多分。みんなもいるだろうしね」
「だよねー。去年も二人っきりの時間はあったけど、ずっとってわけじゃなかったからさー。今年こそずっと一緒にいたいなーって思ってたのに。ちょっと複雑……」
あーあー、と言わんばかりに、海笑瑠さんが天を仰ぐ。
まあ、去年も色々あったもんなぁ。
ふとその頃のことを思い出して、俺は無思わず頭を掻く。
──「にししっ。あたしー、誕生日に、久良君とずっと一緒にいたいなー」
ファンタスティック・ワンダーランドで告白されたあの日。
そう言われて、いいよって約束したんだけど。
去年は予想外のお誘いがあって、ちゃんとは叶えてあげられなかったんだよな……。
勿論、あれはあれで良い思い出にはなったけど。
俺は寄りかかっている海笑瑠さんを感じながら、去年の彼女の誕生日の事を思い返していた。
◆ ◇ ◆
──一年前の八月七日。
海笑瑠さんの誕生日当日。
時間は朝十時。
白い入道雲に青い空。
太陽の陽射しがより夏らしさを感じさせるこの日。
俺は初めて、海笑瑠さんと一緒に海に来た。
「わーっ! 綺麗な海ー! めっちゃテンションあがるっしょ!」
なんて言いながら、ミニTシャツとデニム生地のホットパンツ。そして麦わら帽子を被った彼女が、声と同じくらいはっきりとわかる笑顔のまま、コテージのバルコニーの先に広がる海と砂浜を見つめている。
「美香ー! 葛城君! 誘ってくれてありがと!」
「いいのいいのー。私もやっと、海笑瑠とダブルデートの夢が叶ったし。ね? 颯君!」
「ん? ああ。まあな」
海笑瑠さんが振り返った先。バルコニーの部屋の入口に立つ二人。
清楚感のあるワンピースを着た美香さんと、同じく白基調のシャツにジーンズ姿の葛城君。こうやって見ると、やっぱりお似合いの二人が一緒の理由。
それは、美香さんからのお誘いがあったからだ。
なんでも、美香さん一家の家族旅行でこのコテージを借りたらしいんだけど、急遽お父さんに仕事が入っちゃったらしくって。
中々取れない人気のコテージだし、キャンセルするのも勿体ないって事で、美香さんが両親に掛け合い、ご厚意で友達とのお泊りに使わせてもらう話を取り付けたらしいんだ。
ちなみに、その頃には残念ながら家の野球部も県予選で敗退してて、葛城君も一緒に行けるってのも大きな決め手だったみたい。
で、急遽彼女から一緒に遊びに行かない? って海笑瑠さんがお誘いを受けたんだけど。
丁度日付が彼女の誕生日に重なっててたし、少しは迷いがあったみたいなんだよね。
そこで、俺も一緒ならって思ってくれたらしいんだけど。こっちは夏休み中ずっと暇だったし、家にいたってスティファイ三昧。
それだったら、どんな形でも海笑瑠さんと一緒にいられる方がいいし、一緒に海に行ける機会だしってことで快諾したんだ。
ちなみに、お誘いを受けた時に、流れで俺達が付き合う事になったって伝えたらしくって、美香さんはめちゃくちゃテンション上がってたらしい。
まあ、前から海笑瑠さんとのダブルデートしたいって言ってたし、その気持もわかるけど。
「ね? 早速海で泳がない?」
「そうだな。折角の時間が勿体ないし」
「いえーい! じゃあー。みんな、ささっと水着に着替えて集合しよ!」
美香さんの提案に、葛城君や海笑瑠さんも迷いなく賛同する。
実のところ、貧素な体を見せるのにはちょっと抵抗もあるし、個人的にはあまり気乗りしないんだけど。
流石にこの場の空気を悪くしたくないしと、俺はそんな気持ちを心の内に仕舞い、笑顔で「うん」と頷いた後、着替えのためにみんなと部屋に戻って行ったんだ。
◆ ◇ ◆
あれから少しして。
それぞれ水着に着替えた俺達は、みんなで砂浜までやってきたんだけど……やっぱり三人ともスタイル良すぎだし、水着が似合うよなぁ。
俺は、横目で三人の水着姿を見ながら、羨ましさを覚えていた。
畳んだビーチパラソルを肩に担いだ葛城君は、意外にもスクール水着。
紺色のハーフスパッツのぴちっとした水着なんだけど、野球部なだけあって、筋肉質で引き締まった体をしてるし、まるで競泳選手みたいにも見えて格好いいし似合ってる。
対する俺はサーフパンツ型の水着なんだけど、お腹とかは出てないものの、彼みたいな引き締まった感じはないから、正直ちょっと気恥ずかしい。
浮き輪を持った美香さんは、麦わら帽子と白のセパレートタイプの水着で、肌の露出度はちょっと少なめ。
だけど、フリルも多めで可愛らしいし、何気にスタイルもよくてモデルさんみたいだから、これまた彼女に凄く似合ってると思う。
シートなんかを入れた、ビニールのトートバッグを持った海笑瑠さんは、美香さんと真逆の露出度高めな、彼女に似合う黄色いひまわり柄のビキニ姿。
勿論今は、俺と一緒で普段通りに眼鏡も掛けている。
彼女は美香さん以上にスタイルが良いし、元々やや褐色がかった肌なのもあって、凄く健康的な感じだ。
ただ、同時に大きな胸が強調されてるのもあって、目のやり場に困ってるけど……。
「ね? ね? 遠見君。海笑瑠の水着姿、興奮しちゃう?」
俺がちらりと海笑瑠さんを見て、すぐ目を逸らしたのに気づいたのか。
クーラーボックスの肩紐を持って担ぎ直していた俺に、美香さんが楽しげにそんな言葉をかけてくる。
こ、興奮っていうか、可愛いとは思ってるけど……。
そんな想いを言葉にできず、俺は俯いて身を小さくする事しかできない。
「み、美香ー。久良君はー、あたしをそういうやらしい目で見たりしないかんね!」
そんな俺を見かねてか。海笑瑠さんがムッとした顔でそう言ってくれたんだけど、美香さんの方は未だ笑顔のまま彼女を見る。
「へー。でも、顔を真っ赤にしてるよ?」
「それは、美香が煽るからじゃん!」
「だってー。海笑瑠の思惑通りになってるじゃない。久良君の目を引きたいって──」
「ば、ばかっ! それは言わない約束じゃん!」
……え?
「それ、本当?」
「え、あ、その……」
俺が思わず顔を上げ海笑瑠さんを見ると、視線に気づいた彼女がもじもじとしながら俯き、胸の前でつんつんっと人差し指を合わせ出す。
「あ、当たり前じゃん。やっぱ、彼氏に似合ってるって、言ってほしいしー? それに、その……喜んで欲しいっていうか、気に入って欲しいっていうか……」
ちらちらっとこっちを伺う仕草といい、ちょっとしどろもどろな言葉といい。海笑瑠さんからはっきり漂う気恥ずかしさは、俺の顔をより熱くするのに十分だった。
いや……やっぱり、海笑瑠さんって可愛いし……。
そんな俺達を見比べ、より楽しげな顔を見せる美香さんと対照的に、「へー」っと、どこか驚き混じりの声を出した葛城君は、続けてこんな事を口にした。
「近間がこういう可愛い反応をするのは、中々新鮮だな」
それを聞いた瞬間、俺を真似るかのように身体を小さくした海笑瑠さん。だけど、それより俺は、彼の隣の美香さんの表情が一変したことに驚いてしまう。
「颯くーん。彼女の前で、他の女の子にそう言うんだー。ふーん……」
低い声とともに、口を尖らせ、強く不満をアピールする美香さん。
拗ねて機嫌が悪いと誰もが判断できるその状況に、まるでバッターにホームランでも打たれたかのように、葛城君がぎょっと目を丸くする。
「こ、これは近間に対する素直な感想だって! 美香だって十分可愛いだろ!」
「ほんとにー? 海笑瑠って、私なんかより胸もあって、スタイルもいいし。本当は彼女の方が可愛いし魅力的だなー、なんて思ってるんじゃないのー?」
「そ、そんな事あるわけないだろ! 俺はその、美香が一番だし」
畳み掛けるように話ながら、彼に白い目を向ける美香さんに、葛城君はタジタジになりながらも何とか言い返す。
っていうか、ちょっと空気が悪くなってきたけど、どうしよう……。
内心俺が困っていると、そこに割って入ったのは海笑瑠さんだった。
「こーらー。美香も葛城君を困らせないの。葛城君があたしに興味ないのなんて、ずっと美香の水着姿に見惚れてたのでわかってるじゃーん。からかうにも程があるっしょ」
両腕を組み、厳し目の口調でそう釘を刺す。って、からかう?
きょとんとした俺と葛城君が思わず目を合わせると、美香さんがころっと表情を変えた。
「えへへっ。バレちゃった?」
悪戯っぽい笑み。
それを見て一瞬唖然とした葛城君は、直ぐ様はっとして驚きの声を上げる。
「は? お前、本気でからかってたのか?」
「ううん。違うよ。颯君のラブを確認しただけだもん」
「マジかよ!?」
「うん。でもー、今のは流石に減点。いーい? 好きな子の前で、他の子を可愛いなんて言っちゃダメだよ? 私だって、不安になるしね」
今度は少し淋しげな顔をする美香さん。
さっきから表情をころころと変えるのを見てると、どれが本心かわかりにくいかも。
ただ、葛城君はそれを見て反省したのか。
「……悪い。気をつける」
バツの悪そうな顔でそう口にし、頭を下げた。
と、その直後。
「うん! じゃ、みんな。そろそろ場所取りしよ? 颯君にずっとビーチパラソル持たせてるのも大変だし。颯君、行こっ!」
なんて、矢継ぎ早に口にした美香さんが彼の空いた腕に自分の腕を絡ませ、葛城君を引っ張り先導し始める。
「は? ちょ、ちょっと。慌てるなって」
「慌てちゃうよー! 日焼け止め塗ってるけど、やっぱり日差しの下って暑いもん」
……美香さんって、あんなにアグレッシブなんだ。
まるで嵐が過ぎ去ったかのような状況に、ポカーンとしてると。
「もうっ。美香ってばー、振り回すだけ振り回して……」
小さなため息を漏らしながら、海笑瑠さんが俺の隣で肩を竦める。
「あれだと、葛城君が大変かもね」
「だよねー。まーでも、葛城君は美香といる時、いっつも満更じゃない顔してるしー。あれはあれで、カップルとしていいバランスなのかもねー」
「確かにね」
俺は海笑瑠さんと顔を見合わせ笑い合う。
っと、そうだ。これだけはちゃんと言っておかないと。
「海笑瑠さん」
「え? 何?」
「えっと。その……水着、凄く似合ってるよ」
少し気恥ずかしくなりながらも、本心だって伝わるように俺がそう口にすると、彼女は少し顔を赤くした後、いつもみたいにひまわりみたいな笑顔になる。
「えへへっ。ありがと。じゃ、あたし達も行こ?」
「……うん」
すっと恋人繋ぎをしてきた海笑瑠さんに連れられて、俺達は先に行った二人を追いかけたんだ。