サイドストーリー:桜の花が咲く頃に
制服よし! 化粧よし! 髪型よし! 眼鏡よし!
鏡に映るあたしを見ながら、一旦にこっと笑って表情もチェック……うん。ばっちし決まってるっしょ!
両手で軽くピシャッと頬を叩き気合いを入れたあたしは、洗面台の側に置いた大きめな鞄を手に、そのまま台所を通って玄関に急ぐ。
「お母さん。そろそろ行くね!」
「はいはい。久良君によろしくね」
「うん! じゃ、行ってきまーす!」
お母さんとの会話も早々に切り上げて、あたしは靴をささっと履くと、そのまま玄関を出てアパートの階段を降り始めた。
外に出ると、空はすっきり快晴の朝。
しかも、今年は桜の開花が遅れたから、四月上旬だっていうのにまだ桜の見頃が続いてるんだよねー。もうこれ、さいっこうの朝っしょ!
「うーん! よし!」
軽くその場で腕や背中を伸ばした後、あたしは気合を入れて駐輪場に向かうと、自転車で駅前で走っていった。
◆ ◇ ◆
あれから大体五分くらい。
駅側の駐輪場に自転車を停めると、カゴから鞄を取ったあたしは小走りで駅前に向かう。
実は、今日は始業式だから授業もなくって午前中で学校は終わり。
だから、お弁当もいらなくって、普段より早く家を出てた。
目標は久良君より早く駅前に着くこと。
普段はあたしが家の事してから出てくるから、彼を待たせてばっかり。
だから今日くらい、あたしが先に待つんだって意気込んだんだよねー。
だけど、そんなあたしの野望はあっさり潰えた。
駅側の桜の木の下で、スマートフォンを見ながら立っている久良君が見えたから。
もう。ほんと久良君って待ち合わせに遅刻しないんだよねー。
そりゃ良いことだけど、いっつも待たせてばかりでちょっと申し訳なくなるじゃん。
でも……。
あたしは少し遠い距離で足を止めると、自然にスマホを手にして、カメラモードにした。
……やっぱ、こういうのもめっちゃ似合うんだよねー。
制服姿のしゃきっとした久良君。
その周りを舞い散る桜の花びら。
ふと舞い散る桜が気になったのか。桜の木を見上げて、微笑んでる彼の姿はほんと絵になる。
カシャッ
春でも早々見られない最高のグラ彼の姿を写真に収めると、あたしはスマホを仕舞い、ゆっくりと久良君に向け歩いていく。
どこまで気づかれないかなー? なんて少しワクワクしながら歩いてたんだけど、途中でふとこっちに顔を向けた彼があたしに気づいて、眼鏡の下でにこっと微笑んでくれた。
……やっぱ、朝からこの笑顔を見られるなんて最高っしょ。
自然につられたあたしは、彼に笑顔を向けた。
「おっはよー」
「おはよう。海笑瑠さん」
「でもさー。久良君、流石に早過ぎじゃん。折角たまにはあたしが先に来て待ってよっかなーって思ったのに」
「あ、うん。何か早くに目が覚めちゃって」
あたしがそう聞いてみると、彼は少し恥ずかしそうに頭を掻く。
ん? もしかして、この反応って……。
「ははーん。久良君、そんなにあたしに早く逢いたかったんだ?」
きゅっと眼鏡を指で直しながら、にんまりとしつつそう鎌をかけると、久良君が真っ赤になり俯く。
「あ、えっと。その、ごめん……」
謝ってきたけど、否定しない。
そんな、相変わらずピュアッピュアな反応に、あたしも顔が火照ったのがわかる。
って、あたしから仕掛けといて、恥ずかしがっちゃダメじゃん!
「あ、謝んなくっていいってー。あたしもー、早く久良君に逢いたかったしー」
「そ、そっか。良かった」
「えへへっ。じゃ、じゃあ行こっ!」
さっと久良君の脇に回ったあたしは、照れ隠し代わりに彼の腕に絡みついた。
「み、海笑瑠さん!?」
「いいじゃーん。もうあたし達、付き合って九ヶ月も経ってるしー。美香達なんて最近いっつも腕組んでるしさー。新学期なんだしー、あたし達もちゃんとカップルなんだぞーって見せつけよ? ね?」
正直、あたしも気恥ずかしさで普段みたいな笑い方になってなかったと思う。
だけど、そんなあたしの表情を見た久良君は、真っ赤になりながら苦笑して。
「ま、まあ。海笑瑠さんが、いいなら」
って言いながら、眼鏡を直し恥ずかしそうに受け入れてくれた。
……くぅー!
やっぱグラ彼、ほんと優しいし神ってるよねー!
もうこれだけで、あたしの新学期はさいっこうに幸せ!
「じゃ、改めて、しゅっぱーつ!」
あたしが元気な声を出して腕を引くと、ちゃんと彼も一緒に歩きだしてくれる。
今考えたら、去年の入学式の日にこんな幸せな日に鳴るなんて思ってなかったよねー。
電車に乗った後、何時ものように久良君の肩にもたれ掛かったあたしは、ふっと出会ったあの日の事を思い返した。
◆ ◇ ◆
朝。教室前で深呼吸した後、あたしは意を決して教室に入った。
流石に新学期だし、同じ学校に来た中学の同級生もいない。
つまり、あたしは一人でクラスに馴染まなきゃいけなかったんだけど。そういうのに慣れているはずでも、あの日は結構緊張したっけなー。
既に教室では幾つかのグループができてて、楽しそうに話してる生徒達がいる。
ぱっと黒板を見ると、新入生おめでとうの文字と一緒に、教室の座席図が書かれてた。
座席図にあるのは基本名字。あたしのはっと……あったあった。
自然に席まで行って隣のを見ると、突っ伏して寝ている男子の姿。
顔は見えなかったけど、あれが初めて久良君を見た時だったっけ。
周囲にも入学式だからこそ、クラスに馴染めず孤立してる子もちょこちょこいたし、あの時はまだ「あー。そういう感じなんだなー」くらいに思ってただけ。
でも、折角の高校生活を楽しまなきゃじゃん?
だからあたしは、カバンをささっと机の脇に掛けると、「やっほー! おっはよー!」なんて言いながら、少し前の席の女子のグループに声を掛けて、自己紹介しながら話し出した。
ちなみに、この時出会ったのが美香。
今も一番の仲良しだけど、あの時「この子は親しくなれそう」って思った勘は、間違ってなかったよねー。
で。そこでささっと友達作って話し込んでたら、チャイムがなって担任の男子教師が入って来た。
「ほら。みんな、席に座れー」
ちょっとガタイのいい堀江先生の、顔つきからちょっと威圧感ある圧に、あたし達は慌てて席に戻ったんだけど、あたしが席に着いた瞬間、体を起こした久良君。
席お隣だし挨拶だけでもって思って、隣を見た瞬間、あたしは心臓が止まるかと思った。
ちょっと影のありそうな、真面目な雰囲気がぷんぷんする眼鏡男子。
あたしの性癖どストライクな男子。
多分、人生で出逢った瞬間顔が赤くなったのは初めてだった。
勿論、内心大興奮でさ。
何!? 今あたし、夢の中にいるの!?
な、なんで席の隣に理想の男子がいるわけ!?
何!? 何なの!?
なんて、正直めっちゃ混乱したっしょ。
顔を真っ赤にして、俯いたまま。でも、無意識にチラチラと彼を横目で見て、はっと我に返って視線を戻す。
もうこんなループを繰り返してて、先生の話を全然聞いてなかったのを覚えてる。
で、はっとしたら廊下に並んで入学式のため体育館に移動。
ここでも神様はあたしに味方して、椅子に座った隣は名前順のお陰で久良君でさー。
いやもう。式そっちのけでちらちら横目で追ってたよね。
だって、あたしの理想形男子だよ? 最高の眼鏡男子だよ? そりゃ見たいに決まってんじゃん!
そして、あたしは同時に決意したの。
絶対彼と友達になるんだーって。
だけどさー。まあ世の中うまくいかなかったよねー。
入学式が終わった後のホームルームまでは、久良君は突っ伏して寝てるし、あたしも美香達に話しかけられて声を掛ける暇なんてなかったしさー。
ちなみに、ホームルームでの彼の自己紹介は一応覚えてる。
「遠見です。その、よろしくお願いします」
ほんとこの一言のみ。
どこか余所余所しいっていうか、仲良くなろうって雰囲気もあんまり感じなくってさー。
あたしなんて、絶対久良君にも知ってほしいって思って、めっちゃ趣味とか色々話したんだけど、その自己紹介は周囲に受けが良かったみたいで、帰り前にめっちゃみんなに話しかけられた。
まあ、そのせいで久良君に話しかける暇もなくなったし、彼は誰かと話すこともなくすーって帰っていっちゃってさー。
結局、初日は話すこともできずに終わっちゃったんだよねー。
勿論、みんなと話せたのも楽しかったけどさー。
あの日はめっちゃ心残りで、あれであたしのやる気に火が着いた。
明日はぜーったい、久良君と仲良くなるぞって!
……まあ、それでもタイミングも逸してたし、あたしだって緊張してた。
だから、消しゴム借りるので意識させようとするのが精一杯だったんだけどねー。
でもさー。
今やこうやって恋人として一緒にいれてるわけじゃん?
最高に幸せだよねー。
えへへっ。あたし、久良君が大好き。
優しいしー。気を遣ってくれるしー。甘えたら応えてくれるしー。
ほーんと。大好き。
◆ ◇ ◆
「……ほえ……」
って、あれ?
何となくふわふわーっとした気持ちで目を開けると、周囲の人達の目がこっちに集まってた。
慌ててみんなが目を逸らして、微笑ましいなーって感じの顔をしてるけど……って、あれ? 目の前に立ってるのって美香じゃん。
何か、にやにやしてるけど……。
「あれ? もうそんな所まで来たのかー。ふわーっ。おはよ。美香」
「おはよう。朝からご馳走様」
「へ? ご馳走様?」
何言ってるんだろ? 電車でご飯なんか食べないけど。
っていうか、何であたし、こんなに注目されてたんだろ?
ぽやーっとしたまま久良君に顔を向けると……彼も顔を真っ赤にしながら、苦笑してる。
「ねえ、久良君。何でそんなに顔赤いの?」
「え? あ、その……」
しどろもどろになった久良君だけど、ちゃんと応えてはくれない。
ただ、より顔を真っ赤にしてるけど……。
あたしが首を傾げると、くすくすっと笑った。
「ほんと、朝からこれだけラブラブアピールされたら、遠見君だって恥ずかしくなるじゃん」
「ラブラブアピール?」
「そ。寝言でずーっと、『好き』とか、『大好き』とか言ってたよ?」
「……う、嘘っ!?」
美香の言葉に、さっきまでの眠気なんてぱーって吹き飛んだ。
い、いや、だってよ?
電車の中で、あたし、寝言でそんなアピッてたわけ!?
周囲の反応も最も。そして、もうどうにもならない羞恥心で何も言えなくなったあたしは、まるで久良君に倣うかのように、真っ赤になって俯いちゃった。
◆ ◇ ◆
「あー、朝から良いもの見たー」
「も、もう! 美香! 絶対、ぜーったいみんなに言っちゃダメだかんね!」
電車を降りたあたし達は、三人で並びながら所々桜が咲いている通学路を歩いて行く。
話題はもちさっきの話。美香からさっきの醜態をみんなに話されたら嫌じゃん?
だから、必死にあたしはそうお願いしてた。
「まー、みんなに言うのは我慢するけど、颯君は話すからね」
「うそっ!?」
「もち。こんな話、しないわけないじゃん」
「ダメダメダメダメ! それでみんなに広まったら──」
「だーいじょうぶ! その代わり、他の子には絶対漏らさないから」
からかい半分の笑顔を見せてる美香。
ゔぅ……。こ、ここはもう彼女を信じるしかないけどさー。
「わかった。でも、ぜーったいみんなには内緒だかんね! ばれたら絶交だから!」
「わかってるってー。そういえば、私達今年も同じクラスになれるかな?」
流石にずっとこの話題をしてると、みんなに変に聞かれちゃう。
そうわかってたのか。美香が気を遣って、さらっと会話の流れを変えてくれた。
今日から二年生のあたし達。クラスは希望進路に合わせて選ばれるんだけど、あたし達と葛城君はみんな、文系志望にしてるんだよね。
「あー。なれると良いけど、確か文系も四クラスあるよねー」
「そうなんだよねー。遠見君は、やっぱり海笑瑠と同じクラスがいーい?」
「え? あ、まあ。できれば。勿論、葛城君や篠原さんとも同じだったら嬉しいかな」
さっきの余韻を引きずってる久良君は、苦笑しながらそう答えた。
謙遜してるけど、あたしも久良君の事わかってるから、その言葉の裏で、本当にあたしと同じクラスになりたいんだーって気持ちがわかって嬉しくなる。
「確かにみんな一緒だったら最高っしょ」
「だよね。そうしたらダブルデートの予定も裁てやすいし」
「そうそう! あ、ちなみに今日ってー、葛城君は部活だっけ?」
「ううん。確かないって。そうそう! それでね。帰りにみんなでお花見しない?」
「それそれ! あたしもそれ思ってんだよねー。久良君は?」
「こっちは別に予定もないし、大丈夫だけど」
「よーっし! じゃー決まり! 美香。あとで葛城君誘っといてくれる?」
「おっけー!」
やっぱ美香も最高!
そして、久良君もやっぱいいよねー!
またみんなと同じクラスだったらいいなー。
神様が味方してくれたらいいけど。
さっきまでの恥ずかしさなんて忘れて、舞い散る桜を見ながら、あたし達は学校に向かう。
──そして。
学校に着いて、あたし達に無事サクラサク朗報がもたらされて、今年もまた隣の席が久良君だった時点で、あたしの高校二年生も楽しくなるのが確定したんだよね!
これからもめっちゃ楽しくなりそう!