サイドストーリー:バレンタインは悲喜交交
「久良君ごめーん! 今日も友達の相談、聞かないといけないんだよねー。悪いけど、先帰ってもらってていい?」
六時限目の授業が終わった直後。相変わらずいい音を立てて両手をパンッと合わせた海笑瑠さんの罰の悪そうな表情。
相変わらず友達想いだし、人気の彼女。
それがわかってるし、今日は女子にとって大事な日。仕方ないよな。
「わかった。頑張ってきてね」
「ありがと! それじゃ、またね! みんな、行こっ!」
「うん。遠見君、海笑瑠借りちゃってごめんね!」
「いいよ。気をつけてね」
美香さんと俺の会話が終わった途端。ばたばたと女子を連れ立ち教室を駆け出していった海笑瑠さん。
それを見送った俺は少しだけ肩を落とすと、一人教科書を鞄に詰め始めた。
今日は流石に一緒に帰れると思ってたんだけど。
やっぱり、何かやらかしてたのかなぁ……。
ここ数日の海笑瑠さんの態度を思い返し、ちょっと気落ちしていると。
「なあ、遠見。ちょっといいか?」
と、聞き覚えのある低い声で呼びかけられた。
「あれ? 葛城君。どうしたの?」
思わず顔をあげると、そこにはどこか渋い顔をしている葛城君が、鞄を持って立っていた。
「あ、いや。今日の帰りって暇か?」
「え? あ、うん」
「そうか。悪いんだが、ちょっと俺と、駅前のバッティングセンターに付き合ってくれないか?」
バッティングセンター?
ああ。今日は野球部も休みの日か。
でも、さっき美香さんって海笑瑠さんと一緒に行っちゃったよな?
って事は、彼も同じなのかな?
海笑瑠さんと一緒に帰れると信じて時間を空けてたけど、予定も狂っちゃったし構わないか。
「うん。わかった」
どこか冴えない葛城君に頷いた俺は、ささっと支度をすると、彼と一緒に教室を出て行った。
◆ ◇ ◆
「お前って、まだ近間と付き合ってるよな?」
カキーン!
「う、うん。そのつもり。葛城君も、篠原さんと付き合ってるよね?」
カキーン!
「ああ。そのはずだ。けど、何で俺達、チョコすら貰ってないんだ? っと!」
カキーン!
「多分きっと、他の女子のために、頑張ってるんだよ」
カキーン!
到着したバッティングセンターで、同時に隣の打席に入り、会話しながらバットを振る俺と葛城君。
彼は野球部レギュラーらしく、鋭い打撃で快音を響かせている。
でも、その原動力はきっと、俺と同じ不安だと思う。
ここ数日、海笑瑠さんが急に余所余所しくなった。
朝は一緒に通学電車に乗るけど、疲れてるのか。何時も以上に長く寝ていて、ほとんど電車で会話はできてない。
通学路を歩いている間は普段通りに会話してたけど、バレンタインを匂わせる会話はまったくなし。
今週はバイトはないって聞いていたけど、昼休みや放課後は連日女子だけで過ごしていたし、夜もMINEひとつ届かない。
何となく、その理由は今日のバレンタインデーの為だろうと思ってたし、海笑瑠さんは面倒見がいいから、他の女子の為に奔走してるんだろうなとも思ってる。
だからこそ、余計な邪魔はしちゃいけないと思って詮索もしなかったし、MINEもしなかった。
でも、まさか当日になっても、まったくその話題をされず、一緒に帰る事すらできなかったのは、正直がっかりもしたし、不安にもなっていた。
何か俺、やらかしてたのかな?
それとも、別に好きな人ができたんだろうか?
さっきまで、そんな鬱々とした気持ちを必死に抑えてたんだけど、葛城君とバッティングセンターに来るまで話をしたら、まさか彼も同じ境遇だったんだ。
カキーン!
最後の一球まできっちり打ち返した俺達は、打席のネット越しに顔を見合わせる。
「なあ。俺達、避けられてるのか?」
「そ、そんな事ないと思うよ。葛城君と篠原さんって、ずっと仲良かったじゃない」
「そんな事言ったら、お前達だってそうだろ?」
「そう、だと思うんだけど……」
本当にそうだったのかな……。
不安のせいで、俺はその場で俯いてしまう。
喧嘩なんてした記憶もないけど、実は海笑瑠さん、やっぱり俺に不満があったのかもしれないし……。
「……まあ、考えても仕方ないか。他の女子の協力をしてるかもしれないなら、今日聞くのは野暮だ。明日にでも聞いてみるか」
「そ、そうだね」
強気にそう口にした葛城君に釣られて頷いたけど、彼も強がってたのか。
「……はぁ……」
直後。
俺達は同時にため息を吐いちゃって、思わず顔を見合わせて苦笑いしたんだ。
◆ ◇ ◆
その後、互いに慰め合いながら駅で葛城君と別れた俺は、そのまま電車に揺られ、帰宅の途に就いた。
既に日暮れの時間。
流石に一人になると、夕日に切なさを感じて憂鬱になっちゃって、帰りの電車の中で、海笑瑠さんと撮った想い出を見ていた。
笑顔が可愛い、眼鏡ギャルの海笑瑠さん。
付き合いだしてから、海に行ったり、ハロウィンをしたり。クリスマスや大晦日、初詣も一緒に過ごしたっけ。
今考えても、俺にとって出来すぎな、めちゃくちゃ好みの彼女。
嫌な想い出なんて何一つなかったからこそ、ここまで不安になったのは、それこそ告白する前くらいじゃないだろうか。
友達の事で大変で、こっちに構う暇がなかっただけならいいんだけど。それなら、もうちょっとちゃんと話してもらいたかった。
でも、それもまた俺のわがままでしかない気もするし。男ならしっかりしないといけないよな……。
何とかそう思い込もうと頑張ってたんだけど。
結局、余計鬱々としちゃった俺は、駅に着いてから買い出しに行くのも忘れ、気づいたら家まで帰って来てしまっていた。
正直、お腹は全然空いてない。
今日は流石にスティファイをやる気にもならないし、ささっとお風呂でも入って不貞寝しようかな……。
鞄を寝室の隅に置き、大きく伸びをした俺は、既に日も落ち暗くなった夜空を窓越しに見た後、またため息を吐いた。
こんなんじゃ幸せが逃げちゃうぞ。
なーんて思う自分に苦笑し、ベッドに勢いよく寝転び天井をぼんやり見ていると。
ブブーッ ブブーッ
制服のポケットに入れていたスマートフォンがリズムよく震えだした。
何故かそれだけでドキッとするのは、電話がかかってくる相手なんて、海笑瑠さんくらいしかいないから。
慌ててスマートフォンを手にすると、着信画面に出ていたのは、やっぱり彼女の名前。
それを見た瞬間、喜びで少しじーんときてしまう。
……情けないな。これだけで嬉しいとか。
改めて海笑瑠さんが好きなんだなって思わされながら、俺は電話を取ったんだけど。
「はい。遠見で──」
『久良君! 今って時間ある!?』
こっちの言葉を遮り返ってきたのは、妙に慌ただしい感じの海笑瑠さんの声だった。
「え? う、うん。大丈夫だけど」
『今どこ?』
「家に帰って来た所」
『わかった! すぐ行くね!』
「えっ!?」
驚いた瞬間にはもう、通話が切れていた。
なんか妙に慌ててたみたいだけど、一体どうしたんだろう?
さっきまでの憂鬱な気持ちなんかより、海笑瑠さんの不可解な反応が気になってしまい、俺はさっきまでの事をすっかり忘れ、別の不安でもやもやする気持ちを、居間を片付けてごまかす。
そして十分ほどした頃。
家のインターホンが何時ものように鳴った。
玄関まで行き覗き窓を見ると、制服にマフラーとコートを羽織った海笑瑠さんがいた。
彼女は肩を大きく上下させながら、同時に白い息を吐いている。
外は冷え込んできてるのか。早く家に入れてあげないと。
カチャッ
「いらっしゃい。どうした──」
「ごめーん!」
「わっ!?」
玄関のドアを開けた瞬間。海笑瑠さんが突然俺の胸に飛び込んできて、俺はそのまま勢いよく廊下に押し倒され、ドアは勝手にゆっくりと閉まった。
「どどどど、どうしたの!?」
「ほんとごめん! あたし、久良君の事好きだかんね! 嫌いになってなんかないかんね!」
海笑瑠さんがちょっと涙声になりながら、必死に声を上げてるけど……え?
俺はさっきまで抱えていた不安も、突然アピールされた気持ちに恥ずかしがる気持ちもすっかり忘れ、ただただ戸惑ってしまう。
「え、えっと。急にどうしたの?」
胸に飛び込んだままの彼女にそう尋ねると、顔を上げた海笑瑠さんは、気温差で真っ白に曇った眼鏡のまま、こっちに泣きそうな顔を見せた。
「電車で美香からMINE来て知ったの! 久良君があたしのせいで、めっちゃ不安になってるって葛城くんから聞いたーって。あたしね。バレンタインだし、サプライズしたいとは思ってたよ? でも、そのせいで久良君を不安にさせてるなんて全然思ってなくって。それで、MINEに連絡入れたけど反応ないし。すっごい怒ってるんじゃないかって思って。ほんとにごめん! あたし、ちゃんと好きだから! ちゃんと久良君の事好きだから!」
泣きそうだと思ったら、もう泣いてる。
しかも、曇った眼鏡も気にせずに、俺への想いを連呼してる。
台詞の気恥ずかしさと、曇った眼鏡越しに、必死に謝ってくれているおかしさ。
そんなふたつの感情が、俺の中でじわーっと幸せな気持ちを広げてくれる。
「……やっぱり、海笑瑠さんってピュアッピュアだね」
自然にはにかんだ俺は、彼女の頭をゆっくりと撫でてあげた。
「……ゔゔ……久良君……怒ってない?」
「怒ってないよ。俺、今凄く嬉しいから」
「ほんと?」
「うん。俺も、海笑瑠さんがやっぱり好きだなって、思ってるから」
「……久良ぐーん。うえぇぇぇぇん……」
一気に涙腺が崩壊した彼女は、俺の胸に顔をうずめると、そのまま号泣し始める。
今までここまで泣いたのを見たことがなかったから、思わずきょとんとしちゃったけど。そこにしっかり愛情を感じて嬉しくなった俺は、彼女が泣き止むまで、そのまま背中をさすってあげたんだ。
◆ ◇ ◆
あれから少しして、やっと海笑瑠さんが落ち着いたから、一旦お母さんに帰りが遅くなるよう伝えてもらった。
せっかくのバレンタインだし、少しは一緒にいたかったしね。
紅茶を淹れた後、俺と横並びに座った海笑瑠さんが改めて俺にくれたのは、なんとチョコレートケーキだった。
「これ、海笑瑠さんが作ったの?」
「もち! といってもー、みんなと一緒に、作り方習って、何とかできたーって感じだけどねー」
「え? 作り方を習ったの?」
「うん! 美香のお母さんってパティシエでさー。だからー、みんなで通って色々教わったの」
「これ、海笑瑠さんが作ったの?」
「もち! といってもー、みんなと一緒に、作り方習って、何とかできたーって感じだけどねー」
「え? 作り方を習ったの?」
「うん! 美香のお母さんってパティシエでさー。だからー、みんなで通って色々教わったの」
「それで毎日用事があるって言ってたのか。朝も眠そうだったのはそのせい?」
「うん。だってー、サプライズするなら全力でって思ってさー。だからー、家でもちょー作り方復習して、さっきやっと納得できるの出来たんだよねー。でもー、それで久良君を不安にさせちゃってたらダメだよね」
てへへっと舌を出し、ちょっとバツが悪そうに苦笑する彼女を見て、やっぱり可愛いなって再認識してしまう。
「いいよ。俺も初めてバレンタインで家族以外からチョコレート貰えるかもって期待しすぎてて、勝手に不安になっただけだから」
「そんな事ないっしょ。でもー、あたしからチョコ、欲しかった?」
海笑瑠さんはちょっと顔を赤らめながら、眼鏡越しに上目遣いになる。
愛らしい彼女の反応に、俺も思わず顔を真っ赤にして、頬を掻きながら目を泳がせる。
「そ、そりゃ……初めてだし」
「そっか。あたしもー、本命のチョコをあげるの、初めてだよ」
俺の返事に嬉しそうにそう囁いた海笑瑠さん。
……あー。やっぱり俺の彼女、可愛すぎるって。
「あの、じゃあ、そろそろ食べてもいい?」
「あ、ちょっと待ってね。あたしが食べさせてあげる」
そう言うと、海笑瑠さんは顔を真っ赤にしながら、フォークでケーキを一口サイズに切り取ると……って、何で彼女がそれを咥えたの?
予想外の行動。
だけど、それを咥えたまま食べようとはしない彼女は、少しずつ真っ赤になった、恥ずかしそうな顔を近づけてくる。
え? これって!?
「ちょ!? く、口移し!?」
そういう事!? という俺の戸惑いを肯定するように、海笑瑠さんはコクっと小さく頷く。
口移し……しないと、なんだよな……。
ごくりと生唾を飲み込んだ俺は、一度だけ大きく深呼吸。
い、いや。キスも最近随分慣れてきたけど、こういうのはしたことなかったから。
……よ、よし。いくぞ。
俺は意を決すると、互いの眼鏡が当たらないようにしつつ、海笑瑠さんに顔を寄せ、彼女が咥えているケーキを口に咥える。
と、その瞬間。彼女が咥えたケーキを離すと、俺の頬にちゅっとキスをして。
「……ハッピー、バレンタイン」
そのまま耳元でそう囁くと、顔をすっと離した。
……やっぱり、ギャルって積極的。
そんな気持ちで無意識にケーキを口に入れ、もぐもぐと食べ始めながら、自分から仕掛けておきながら、目の前で顔を真っ赤にしてはにかんでいる彼女といっしょにいられる甘さと、ケーキの甘さ。その両方をしっかりと堪能したんだ。