第十一話:初めては……
「……え!?」
またも繰り返された疑問の言葉。
だけど、それはさっきとトーンが違うし、街灯に照らされた海笑瑠さんの顔が、みるみる赤くなっていく。
「え、えっと、その。で、でも! この間、ライクだって言ってたじゃん!?」
「うん。あの時はライクだった。……ううん。あの時は、まだ本当の気持ちに気づいてなかっただけかも。恋ってどういうものか、理解できてなかったから」
結構恥ずかしい事を言っているはずなんだけど、頭は妙に落ち着いてて、すらすらと言葉を口にできる。
もしかしたら、さっきの勝手な思い込みから解放された、安心感からかもしれない。
海笑瑠さんはといえば、完全に逆告白みたいになっちゃったせいか。その場でもじもじっとして、何も言えず俯いている。
「その、それって、つまり。つまりよ? その、久良君はあたしの事、ラブだって、言ってくれてるんだよね?」
「うん」
まだ信じてもらえてないのは、俺が普段と違う反応をしてるからなのかな?
確かに、自分でもすっとこんな言葉を口にできるなんて思ってなかったし。
「じゃあ、その……久良君は、あたしが彼女でも、いいの?」
「うん。海笑瑠さんが良かったら」
「……そ、そっか」
海笑瑠さんの疑問にそうさらっと返事をしたんだけど、それを聞いた彼女は、そこでより恥ずかしそうに、人差し指同士をつんつんしながら、気恥ずかしそうにうつむくと、小声でこう問いかけてきた。
「じゃ、じゃあ、その……キスとかも、できちゃうわけ?」
「……え?」
キ、キス?
突然口にされたその二文字は、さっきまでの俺の落ち着きを一瞬で奪った。
い、いや。確かに、恋人同士ならそういう事をするかもしれない。
だ、だけど、いきなり? 今ここで!?
恥ずかしそうに、ちらちらと様子を伺うように、こっちを見る海笑瑠さん。
その姿とさっきの言葉が、みるみる俺の顔を赤くする。
え、えっと、えっと……。
「えっと、その、み、海笑瑠さんが、俺のこと好きなんだったら、いいけど……」
って、俺何口走ってるんだ!?
さっきまで、完全にそういう前提で話してたじゃないか!
俺の言葉に「えっ?」って顔をする海笑瑠さん。
そりゃ、そんな顔にもなるって!
だ、だけど、この跡どうすればいいんだ!?
頭の中がパニックになり始めた俺は、その場で何もできず固まっていると。
「そ、そうだよね。あたしも、ちゃんと言わないと、だよね……」
弱々しくそう口にすると、彼女は改めてこっちに向き直って、うつむき加減のまま、上目遣いにこっちを見る。
「あ、あのね。あ、あたしも、その……久良君の事、めっちゃ好き、だよ?」
脳が溶けるような、ささやき声。
それを聞いた瞬間。俺はもう、だめだった。
いや、だって。それはもう、キスして欲しいって言われたのと同じなんだから。
好きな人にこう言われる喜び以上に、気恥ずかしさが強すぎて、頭がくらくらしてくる。
で、でも。が、頑張らないと、だよな。
「あ、ありがとう。あ、あの、一つ、笑わないで聞いてくれる?」
「な、何?」
「えっと、その、俺、キスなんて初めてだから。失敗したら、ごめんね」
「く、久良くーん。あたしだってその、初めて、なんですけど……」
「あ。そ、そっか。そうだよね。ごめん……」
無意識にひどいことを言っちゃった俺が頭を掻くと、ちょっとだけ彼女が笑う。
「あたしが、初めてでもいいの?」
「も、勿論だよ。俺は、海笑瑠さんが初めてだと、嬉しい」
「そっか。良かった」
彼女が緊張した面持ちになると、目を閉じる。
……これ、待ってるって、事だよな。
えっと、こういう時って確か……。
ゆっくり距離を詰めると、彼女の両肩にそっと手を乗せる。
海笑瑠さんが一瞬ビクッとしたけど、そのまま動かずじっとしてくれている。
……よ、よし。いくぞ。
俺はゆっくり互いの顔を近づけて、同じように目を閉じると、そのまま──。
カチャン
乾いた音と共に先にぶつかったのは、俺達の眼鏡だった。
思わずはっとして目を開き、肩から手を離しちょっとだけ後ずさった俺。海笑瑠さんも思わず目を開け、はっと驚いた顔をする。
馬鹿。俺達は眼鏡をしてるんだぞ。
普通にいったらこうなるに決まってるじゃないか……。
そんなのにも気づかないくらいテンパっている自分に思わず肩を落とすと、海笑瑠さんがはにかみながら、こう言ってきた。
「あたしたちの初めて、眼鏡に取られちゃったね」
「そ、そうだね。ごめん」
「気にしなくっていいってー。眼鏡、外そっか?」
彼女からの提案。
それを聞いて、俺はちょっとだけ迷ったけど、すぐに首を横に振る。
「その、ちゃんとした初めては、眼鏡をした海笑瑠さんが、いいから」
「……やっぱり? あたしも、そう思ってた。じゃ、もう一回、がんばろっか?」
「う、うん」
再び海笑瑠さんが目を閉じる。
だけど、少し顎を出し、唇が前にでるようにしてくれる。
同じミスはできないからこそ、俺も恐る恐る距離を詰める。
そして、さっきと同じように肩に手を当てると、彼女と同じように少し顎を出し、眼鏡がぶつからないように意識してから、目を閉じ最後の距離を詰めた。
柔らかな感触が唇に触れ、それが俺に初めての経験をもたらした事を伝えてくる。
顔が今まで以上に真っ赤になると同時に、じわーっと何とも言えないふわふわとした感じが頭に広がって、そのままぼんやりとした気持ちになる。
キ、キス……してる……。
語彙力のないそんな言葉が浮かんだ直後、ふっとこんな事を思ってしまう。
ずっとしてたら、キモがられるんじゃって。
チュッ
感情がそのまま俺をゆっくり彼女から離れさせると、名残惜しそうな音が耳に残る。
……これ、色々ヤバいかも……。
気恥ずかしいなんてもんじゃない。
めちゃめちゃ恥ずかしい気持ちになりながら、俺は目を開け海笑瑠さんを見たんだけど、その瞬間。彼女が突然、俺の胸に飛び込んできた。
「み、海笑瑠さん!?」
「こっち見ないで!」
突然の言葉に思わず背筋をぴーんと伸ばし、顎を上げ天を見上げた俺に、恥ずかしそうな海笑瑠さんの言葉が届く。
「い、今のあたし、顔が勝手にニヤニヤしちゃってるの。だから、絶対見たらダメだかんね!」
「う、うん。わかった」
まあ、その気持ちはすごくわかる。
実際今の俺も、キスの余韻があって顔が変な事になってそうだから。
ただ、こうやって照れてくれるのが凄く可愛く感じたのも事実で。
俺は海笑瑠さんを両手できゅっと抱きしめながら、彼女が落ち着くのをじっと待ったんだ。
まあ、体に彼女の胸の感触とかを感じちゃって、こっちはこっちでドキドキしっぱなしだったけど……。
◆ ◇ ◆
「……久良君、ありがと。多分、大丈夫だから」
「あ、う、うん」
暫くして、胸元から聞こえた声に反応し、俺はゆっくりと彼女を解放すると、ふっと俺から離れた海笑瑠さんが、恥じらいながらも笑ってくる。
「はーっ。やっぱドキドキしちゃうよねー」
「そ、そりゃ、初めてだし」
「だよねー。ね。久良君」
「何?」
「流石に眼鏡を気にしちゃうとやっぱ落ち着かないしさー。ホテルに戻ったら、今度は眼鏡なしでもしてみよ? そうしたら、照れ顔もごまかせるし」
「え? あ、う、うん」
ホテルで……。
あまりに背徳的な表現のせいで、俺は目を泳がせ頬を掻きながら、困ったように返事をすると、彼女はくすくすっと笑った後、緊張から解放されたかのように大きく背伸びをした。
「んーっ! それじゃ、無事恋人になれた事だしー、時間も勿体ないから、歩きながら話そっか」
「うん。そうしようっか」
さっきまでの雰囲気から、一気に普段通りの海笑瑠さんに戻ったような気がする。
でも、恋人になったからといって、こっちの方が俺も気持ちが楽。
だからこそ、ここに来るまでと同じように、自然に笑みを返せた。
とはいえ、またすぐ恋人繋ぎで手を繋がれた時には、やっぱりちょっと緊張しちゃったけど。手汗、大丈夫かな……。
「でも、良かったー。もし久良君に振られてたら、あたしどうすればいいか、正直わかんなかったもん」
「それはこっちもだよ。そうなってたら、その先どうすればいいのかなって悩んでたし、告白しようと思うのも勇気いったし」
「わかるわかるー」
歩きながらこっちを見た海笑瑠さんの納得した顔。
やっぱり彼女もそう思ってたのか。告白ってほんと、こういうのがあるから不安も凄かったなぁ……。
「ちなみにだけど。久良君が今日その服装なのって、告白しようと思ってたから?」
「う、うん。でも、今考えると柄じゃなかったよね」
「そんな事ないってー。あたしだって、こんな格好しちゃうくらいには気合い入ってたしー。それだけあたしの事、真剣に考えてくれたんじゃん?」
「まあ、そのつもりだけど」
「だったら、胸張って欲しいなー。貴重な姿も拝めたし。ただ、普段はいつも通りでいいかんね? あたしはそんな久良君が好きだし」
「それはお互い様だよ。サプライズは嬉しかったけど、できれば普段はいつも通り、眼鏡ギャルでいてほしいな」
「うん。わかった。ありがと」
ネタばらししながらお互いの話をしてる内に、気持ちが普段のような自然さに戻っていく。
勿論、海笑瑠さんの恋人になったんだよなって気持ちはしっかりあるけどね。
でも、何となく思うんだけど。
やっぱり俺と海笑瑠さんて──。
「なんか、あたし達ってやっぱ、類友だよねー」
「あ、それは俺もそう思ってた」
「やっぱり?」
「うん。陽キャの海笑瑠さんと陰キャの俺じゃ、全然タイプも違いそうなのに」
「そんな事ないってー。グラ友なのもあるけど、そもそもあたしも久良君もピュアッピュアだしー。それに、この先はあたしだって、久良君と同じなんだよ?」
「同じ?」
「うん。これから恋人としてー、色々な初めて、経験するんだしさ」
少し恥ずかしそうに笑う海笑瑠さん。
そういえば、彼女にとってこれは初恋じゃないけど、ちゃんと彼氏と付き合う経験はなかったんだよな。
そう考えると、俺と一緒なのかも。ただ……。
「なんか、その言い方ってちょっと、緊張しない?」
俺は思わずそう尋ねてしまう。
だって、友達としての初めてと、恋人としての初めてって、色々違う気がするし。
そして、それは海笑瑠さんも同じ気持ちだったのかな。
「……やっぱあたし達、類友だよ」
そう言いながら笑ってくれた。
もう、なんていうか。
そんな彼女の表情のひとつひとつが、ワンダーランドの夜景なんかよりよっぽど輝いていて。俺は完全に、景色そっちのけで彼女に見入っていたんだ。