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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾肆のこと『混乱、そして邂逅』
99/134

099「俺をいじめた相手とそっくりだなんて」

 皮肉なものだろう、その笑顔が。

 この世で最も憎んだあいつとそっくりだなんて。


 ◇


『気が付いたようですね、白椿(しろつばき)家の当主よ』


 瑠々緋が凛龍に向かって言った。

 何をだ、と問う前に彼女は続けた。


()()()()()()()()()()()()()()()。愚かでしょう? 望んだ姿が私にそっくりだなんて』

「……」

『あれも顔がないのです。自分というものがないの……可哀想にね』


 凛龍は睨んだまま黙っていた。

 なにかを言えば、吞まれることがわかっていたから。


()()()()()()()()()()()()


 せせら笑う瑠々緋に凛龍は奥歯を噛んだ。


『それで? お前ひとりで何をしようというのです? 愚かにもあれに心を奪われて……』

「うるせえ、あれあれ言うんじゃねえよ」


 凛龍はできるだけ感情を表に出さないよう注意しながら口を開いた。

 榧のようなことはしたくなかった。


『あれは、あれですよ?』


 凛龍は理解していた。

 瑠々緋があえてこちらの平静さを失わせようとしていることを。

 これは挑発なのだ、だからこそ乗ってはいけない。


「俺はお前を膠さんに……<紅姫>に会わせる」

『あら、会わせてくれるのですか。うれしいですね』

「……父さんや母さんの『器』は奪わせねえぞ」


 凛龍の言葉に瑠々緋は笑みを保ったままだった。<紅姫>という単語に碧衣は色めきだってそわそわしだしている。鬱陶しいと思ったが、今はそんなことを気にしている場合ではない。


「……『門番』」


 凛龍が波立つ心を抑えつけながらその名を呼んだ。

 不意にあたりが暗くなり、遠い空から、赤い雲がやってきた。それはおびただしい量の赤い蝶だった。蝶たちはひとところに集まり、ひとの形になる。ふたつの人型は、見る見るうちにふたりの黒い服を纏った男になった。鉄道員に似た格好のふたりは、凛龍を見ると笑った。


「〝門があるから門番がいるのではない。門番がある場所に門が生まれる〟……ということで、ごきげんよう。『門番』を仰せつかっております皇龍(おうりゅう)でございます」

「……ふん」


 皇龍はやわらかな笑みを浮かべる垂れ目の男だった。金の瞳に銀色の髪をしている。彼を視認すると瑠々緋はくすっと笑った。


黒牡丹(くろぼたん)家……あれも随分さまざまに使うようになったのですねえ』

「あれ、とはなんのことでしょうかねえ?」


 皇龍がわざとらしく言った。瑠々緋が『わかっているでしょう、お前たちの主ですよ』と告げる。それに応じたのはもうひとりの『門番』だった。仏頂面で赤い目をした黒髪の男である。


「……紅御前は、〝あれ〟じゃねえ」

「そうですよ、影嗣(かげつぐ)の言う通り。――紅御前はあれ、でもそれ、でもございません」


 追従する形で皇龍が言うと、瑠々緋はただ嘆かわしいですね、と呟いて以降は何も言わなかった。

 碧衣が屋敷を見上げて絶句していた。


「……これ……これって……!」

「はいはーい。その通りでございます。こちらは『桜雲館(おううんかん)』……あなたがお会いしたいと心の底から熱望している紅御前のおわすお屋敷にございます」

「わあ……! 会えるんだ……叶うんだ……!」


 宝物を抱きしめるようにして両手を胸の前で組んで感動する碧衣に、「……どうでしょうかね」と皇龍は聞こえない声で言った。


「ま、どうぞ中へ。案内に従ってお進みくださいませ~あ、凛龍さん、ちょっと」


 皇龍はふたりを招き入れると後についていこうとする凛龍を止めた。凛龍が怪訝な顔をすると、皇龍は眉間をとんとんと叩いた。


「お若いのに、皺になってしまいますよ。影嗣みたいに」

「あ?」


 皇龍の言に影嗣が目くじらを立てたが、当人はさっぱり気にしていなかった。

 凛龍は緊張をほぐしてくれたのだとわかって、脱力したように笑い返した。

 後方で「皺になってねえだろ」と影嗣が文句を言うのが聞こえていた。


 ◇


 玄関に入ると待っていたのは糸目の女だった。ショッキングピンクの着物を羽織り、へその出たタートルネック。上にサスペンダー付きのズボンをあわせている。ズボンは腰からばっくりとスリットの入った独特のデザインで、縁取るようにピエロやらイヌやらネコやらのマスコットがぶらさがっていた。

 顔には眉と口元にピアスが輝き、覗く耳にも同じ色の煌めきが並んでいた。女は瑠々緋と碧衣を見て、「……やあ」と振り絞るように言った。

 対する瑠々緋は出迎えた女を見て目を丸くし、すぐ微笑んだ。それはまるで愛おしいひとを見る目だった。


『出迎えをしてくれるなんて……イルマガンテ。お久しゅうございます』

「……ヴェイユール……」


 女の呼びかけに、瑠々緋はなお一層深く笑った。


『あなたが私を忘れないでいてくれたおかげで私はここにいるのです。ありがとう』

「……」


 女は苦しげに「……そう」とだけ返した。それから着物を翻して背を向けた。


「……ついておいで」


 瑠々緋と碧衣は顔を見合わせて嬉しそうに笑った。

 ふたりは靴を脱いで上がり、女のその目に痛い色の着物の後を追った。凛龍はさらにその後ろについた。

 暗い廊下の壁には、等間隔に燭台がつけられている。そのうえで不安定な明かりが揺れていた。襖はなく、土壁があるだけだった。しばらくして先頭の女が立ち止まる。女の眼前には襖があった。

 赤い蝶が舞っている襖だった。女はその襖に向って声をかけた。


「――連れてきたよ、<紅姫>」

「はあい」


 中性的な声が答え、碧衣が瞬時に破顔した。

 女は襖に手をかけ、一気に横に引いた。

 中は和室ではなかった。そこは牢獄のような灰色のコンクリートに覆われていた。天蓋付きの寝台も高級そうなひじ掛けのついた椅子も違和感の塊でしかない。そして、毛足の長い絨毯も。

 その絨毯の上に、少女が座っていた。

 長く白い髪をベールのように背中に流し、薄布で身を纏った矮躯に不釣り合いな凹凸を持った妖艶な少女。少女の首と右足には赤い紐がぐるぐる巻きにされていた。

 部屋には彼女しかいなかった。


「やあ、はじめまして。俺が――」

『ごきげんよう、緋乃神(ひのかみ)(こう)。随分と滑稽な姿ですね』


 瑠々緋が名乗りを遮った。

 夜空を映した瞳が見開かれて、それから残念そうに細められる。


「自称は大切なんだけれどなあ……ふうん」


 赤い爪の彩る指先で彼女はとんとんと唇を叩いた。


「俺に会いたいのではないんだね。俺ではなくて、あの子に会いたいの?」

『そうですね』

「いやだって言ったら?」

『お前にわがままが許されると思うのですか』

「俺には許されるよ。だって、<紅姫>なんだもの」


 そう言って少女<紅姫>は笑った。

 瑠々緋によく似た妖しい笑みだった。


『そう』

「それよりも! ふたりとも座ってくれない? みんな背が高いから、首が疲れる」


 そう言って腰を下ろすよう促す<紅姫>に瑠々緋も碧衣も従った。碧衣はほとんど惚けていて先ほどから「わあ……」「ああ……」という感嘆の声しか漏らしていなかった。

 先導していた女は<紅姫>の隣に正座し、凛龍は扉の前で胡坐をかいた。


「うん? 凛龍、どうしたの? こっちにおいでよ」


 ほらこっち、と<紅姫>が隣をぽんぽんと叩いた。しかし凛龍は首を振った。


「……いや。……今は、ここで」

「……そう?」


<紅姫>は凛龍が断ったことにさしたる疑問も持たず、「じゃあそこでいい子にしてね」と笑った。

 笑みを浮かべるたびに凛龍は拳を握っていた。ほとんど無意識だった。


「えっと狂輔。この子が『特殊転生者(レアケース)』なんだっけ?」

「……ああ、そうだよ。『魂』の色が見える。でも代わりに彼はひとの顔がわからない」

「ふうん。色、かあ……。ねえ、俺は何色に見えるの?」


<紅姫>に問われて碧衣は我に返った。それから突然どぎまぎしだして「えっと」と言葉を詰まらせて、なんとか答える。


「えっと……うぅん……みえ、ない。――あ、でも! 見えないけれど、顔は、顔はちゃんと見えるよ!」


 興奮したように碧衣が言うと、


「へえ。まあ、俺って『魂』ないし、見えないか」


 と興味なさそうに<紅姫>は言った。

 実際さして知りたくもなかったのだろう。


「ああ、そっか。ふんふん……『魂』がない代わりに顔が見えるのかな。ふふふ、君って面白い子だね」


 楽しげに笑う<紅姫>に碧衣はさっと頬を赤くした。好きなひとの前の初心な少年のような反応だった。碧衣はもじもじとしながら、上目遣いに<紅姫>を見た。


「あ、あの……あのね、<紅姫>、俺は――」

「――ねえ、どうして君は<紅姫>を作ったの?」


 碧衣の言葉を遮って<紅姫>が訊ねた。


「……え?」

「どうして俺のことを知っていたの?」

「そ……それは」


 碧衣が瑠々緋を振り返って、指をさした。


「『女神』さまが教えてくれたんだよ」

「へえ……」


<紅姫>の視線を受けて、瑠々緋は口を開いた。


『お前のことは私が目覚めてすぐわかりましたよ』

「ふうん、そう。どうしてかな?」

『お前があまりも私によく似ていたからです』


 瑠々緋の瞳と<紅姫>の瞳が交差した。


「……俺をいじめた相手とそっくりだなんて。変なこともあるものだねえ」


<紅姫>が言うと、瑠々緋はそうですね、と笑った。

 笑みを交し合うふたりなのに、空気は淀んでいた。

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