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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾参のこと『ブルー・エフェクト』
93/134

093「急いで回収に向かえ」

 それを聞いた時、愛華(あいか)は嘘だと思った。

 それを聞いた時、豪禅(ごうぜん)はまさかと思った。


 常坂(つねさか)恭弥(きょうや)が死んだ。

 何者かに、背中を刺されて。


 ◇


『メシア』こと終夜はそわそわしていた。

 今日のライブを無事終えて、いつもホテルでひとり身を清めて待っていた。

 碧依の願いを叶えることが出来た。だからきっと彼も喜んでくれると思った。

 ファンのひとりをかどわかして人殺しをさせた。正確には予期せぬ事態にそうなったのだけれど。

 いずれにせよ碧依が望んでいたことが完遂されたのだ。


『いつものホテルで待っています』


 そう告げたメッセージに既読だけがついている。返事はないが、碧依は時々そういうことがあるので気にしない。読んでくれているのだから来てくれる、そういう確信があった。

 部屋にやってくる足音に終夜は立ち上がった。さながら主人の帰りを待つ犬の気持ちだった。

 開く前に扉に駆け寄り、終夜はそのひとが現れるのを待った。満面の笑みで、「よくやったねご褒美をあげる」と言ってくれる相手を。


 がちゃ


 祝福の鐘の音である。ドアノブが回って、愛しいひとが顔を出した。

 青い瞳が終夜を捉え、それから笑った。


「やあ、終夜」

「あ、碧依さんっ! おれ、俺やりましたよ! さっきファンのひとりから連絡があって……」

「ああ、うん。知っているよ」

「ほ、ほんとですか!」


 碧依はたしかに笑っている。けれど纏う雰囲気はなんだか喜ばしそうではなかった。

 どんよりとした空気感に終夜が不安を覚える。


「あ、あの、碧依……さん?」

「……横取りされた」


 ぼそっと碧依の口から、冷たさを凝縮したような呟きがもれた。終夜は聞き取れなくて「え?」と問い返す。答えはなかった。


「碧依さん、だからその。……俺、ご褒美、……が」

「……そろそろ潮時かなあ、終夜」

「……へ?」


 碧依が気だるげに終夜を見た。青い瞳に生命の灯はない。光を失った色付きの硝子玉のような目だった。

 恐ろしくなって終夜は口を噤んだ。


「君はよくやってくれる子だった。ほんとうに。あらゆる子を虜にしてくれた……だからきっと、君の死は大きな死を招くだろう。……そうしたら、俺はきっとたくさんの『魂』を食らうことが叶う」

「……な、なに言ってるんですか碧依さん……」

「俺はね、ずっと会いたいと思っているひとが、いるんだよ」

「……え?」


 そんな話は初めて聞いた。

 終夜は驚きを隠すことができなかった。碧依は胡乱な瞳で空を見ながら続けた。


「そのひとは俺と同じ……『魂』を食べて生きるひとなんだって……。とても美しいって聞くけれど実際に会ったことはない。……『望み』がないとそのひとには会えないから」

「……あ、あの、碧依さん。いったい、なんの話を……」

「俺はこんな化け物で生きるのは嫌なんだ。でもひとりも嫌いだ、ひとりぼっちはさびしい、さびしい……」


 碧依が自分を抱き締めた。寒そうだったから終夜は己が身で包もうと思ったが、腕で拒絶された。鞭のようにしなった腕が終夜の胸板を叩いて後方へ押し出す。受け身が取れなかった終夜は派手に背中をベッド脇のサイドボードにぶつけた。


「さびしいからお願いしたいんだ……そのひとに『一緒に死のう』って……」


 碧依は終夜を見ていなかった。彼は天を仰いでいた。口元は笑っているように見えた。

 明らかに様子のおかしい碧依に、終夜は恐怖を覚えた。


「……碧依、さ……」

「……終夜。……()()()()()()()()()()()


 終夜が呼びかけたとの、碧依が振り返ったのはほぼ同時だった。

 虚ろな目と怯える目が合う。


「……へ?」

「<紅姫>たちの管理も飽きたし、そろそろ……いっかなあ、って?」


 えへへ、と無邪気な少年のように笑った。

 こそばゆくてあたたかく思えたその笑顔は、今はとても冷たかった。

 壊れた人形が無理矢理ひとの物真似をしているようだった。


「……碧依さん、なにが……」


 碧依が尻餅をついた終夜の前にしゃがみこんだ。そしてゆっくりと両腕を伸ばして、首に両手の指を絡めた。


「あ、碧依さ……!?」

「……終夜、次の君の役目」

「え……あぐ……っ」

「――()()()()()()?」


 碧依が目を見開いたまま首を傾げた。

 緩やかに口元が弧を描いた。恐ろしいと感じる笑顔だった。


「……あ、……いぃ……あお……い、さ……うぐぅ……」

「君が死んだらきっとたくさんのひとたちが死ぬよ。ファンがたくさんたくさん死んで、俺もたくさんたくさん満たされる。そしたらね、『女神』さまがね、褒めてくれるんだ……」


 笑みを崩さないまま、碧依の手には力が入る。声は歓喜に震えていた。それが終夜には恐ろしかった。

 気管が潰れて空気を取り込めなくなった終夜の視界が、徐々にぼやけてきた。


「あ、お……い……、っ、な……ん……で……」


 目の端に溜まった涙が膨らんで、こぼれた。

 碧依は笑ったままだった。


「……あ、……うぅ……し、にた……く……な……」


 なんでなんでなんでなんで。

 なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。

 なんで碧依さんが俺を殺すんだ。

 なんで俺は死にそうなんだ。

 これからだっていうのに、これからたくさん愛してもらえるって。

 たくサん、タくさん、おレのコトヲ見ててくれルって……


 終夜の思考は濁流のように流れて行き、そしてふつりと途切れた。

 碧依は死んだ終夜から手を離し、そして後ろを振り返った。


「――『女神』さま」


 呼びかけると淡い光の粒が空中に現れた。蛍のような光はひとところに集って、人型を成した。

 光が消え失せるとそこにいたのは黒髪を靡かせた人形のように美しい女だった。赤い蝶の飛ぶ着物に身を包んだ女は笑っている。


『これからですよ、可愛い子』


 女の問いかけに碧依はうれしそうに首肯した。


「はい、勿論です! 終夜の死をみんなに知らせてあげなくちゃ!」

『ええ。けれどお前のことがわからないようにしなければなりません。――いいですね』

「はいっ!」


 先程の虚ろな様子はどこへやら、碧依は元気にそう返した。

 女はやはり、笑ったままだった。


 ◇


 突如として『セイレーン』の公式サイトに真っ黒な画面に装飾された文字と画像が添えられた。

 画像には『メシア』が映っていた。彼は奇怪な文様が壁一面に描かれた部屋にいた。あちこちに火のついた蝋燭が並んでいた。そしてそのなかに彼は、ぶら下がっていた。

 項垂れた顔を覆い隠すようにベールがかけられていて、そのうなじあたりから天井へと長く伸びる縄があった。

 一見してわかる『メシア』の死だった。

 そしてその画像と共にあった文章は――


『〝メシア〟は天に召された。従順なる子羊たちよ、その救いは天にあり。子羊たちよ、彼のもとへ集え。下界は既に堕ちた神の手の上である』


 と書かれた。

 それがどういう意味なのか。ファンならすぐにわかる。

 だから皆、その言葉に従った。


 そう――誰もが皆、従ったのである。


「え? あれ?」


 そういう声を上げたのはキャップを被った少女だった。

 少女はタンクトップに昇龍の刺繍が施されたスカジャンを羽織っていた。下半身はショートパンツ、そしてニーソックスにスニーカーだった。高い位置で結ばれた藍色の髪が彼女の頭の動きに沿って、揺れた。


「どうかしたか、(はがね)


 呼ばれた声のほうを見る。声の主は同じ顔の少女だった。長い髪をそのまま背中に流していて、癖なのかやわらかくウェーブしている。彼女は肩の大きく露出した白いワンピースに身を包んでいた。


「なんか……すげえ、たくさん……『魂』の気配が? わかるか、(いのり)姉さん」

「え? ……ああ、ほんとうだ。なんだ、これは?」


 不可解そうに少女たちが首を傾げた。そうしているふたりの背後を黒い影が覆った。

 同時に振り返り、そしてどちらも破顔した。

 立っていたのは背の高い若い青年だった。無造作に伸ばした銀色の髪を風に靡かせている。筋骨隆々とした体をツナギに押しこんで片手には使いこまれたバールを持っていた。彼の肌には爬虫類を思わせる灰色がかった緑の鱗が浮かんでいた。

 金色の目で前方を見据えている顔は精悍だった。


霏龍(ひりゅう)!』


 声が重なった。それとほぼ同時に青年へ飛びかかった。反応の遅れた青年は、それでも持ちこたえた。


「ぐぅ……!」

「霏龍ぅー! おはよー!!」

「霏龍さま、おはようございます!」

「……お、おはよう……」


 呆気にとられたまま青年――霏龍は答えた。


「お前ぜんぜん起きないじゃんか! ったくよう、すやすや寝やがって!」

「そうですよ、霏龍さま! 我はあなたと睦言を交わしたかったのに……!」

「も、申し訳ございません……し、しかし、俺は寝ていたわけではなく気絶を……」

「言い訳すんならなー! もっかい搾り取っちまうぞ、霏龍!」

「うふふ、霏龍さまは丈夫な方ですからね……」


 あらぬところをやわやわと触りながら、自身のやわらかい部分をこれでもかと押し付けて迫ってくる少女たち――祷と鋼に顔を真っ赤にしながら霏龍は叫んだ。


「おふたりとも! 仕事を! しなければ!!」

『あ』


 祷と鋼ははっとなって互いを見合わせ、それから「楽しみは後ってことだな霏龍♪」「でございますね」と言って霏龍が離れた。とびかかられた当人である霏龍はげっそりしながら再び前方を見据えた。

 ネオン輝く街は目に痛い。あらゆる欲望を飲みこむこの場所では無念を抱いて『器』から剥がれてしまう『魂』が多い。だからそういう『魂』が変質しないよう回収するのが霏龍の役目だった。


 彼もまた、影経(かげつね)と同じ『死神』なのである。


 霏龍が煌びやかな眼下を観察しているところで、鋼が「あ」と声を上げた。

 彼の金の瞳がそちらを見た。


「む?」

「あ、そーいやさっき俺たち変な感じしたよな?」

「ああ、そうだったな」


 祷と鋼がそう言って、霏龍へ視線を向ける。

 金と黒の目がかち合う。

 口を開いたのは鋼だった。


「霏龍、さっきな、『魂』を感知したんだよ」

「ほう。どこですかな、それは。早急に向かわねば……」


 霏龍が周囲をきょろきょろ見渡しながらバールを担いだ。

 彼の問いに鋼は首を振った。


「いや、()()()()()()()()()()

「なんと?」


 霏龍が眉をひそめた。


「消えた? 『魂』は勝手に消えませんぞ」

「そんなの知ってるよ! でもほんとうだぜ? 消えたんだよ、なあ?」


 鋼はばたばたと両腕を振り、それから祷に同意を求めた。

 祷は頷いた。


「ええ、跡形もなく」


 ふたりは嘘をいうたちではない。だから彼女たちの感じ取ったものはすべて本当だろう。

 霏龍は顎に手を添えた。


「……そんなことか。……いや、でも影経殿の報告に確か……」


 影経が回収に向かった『魂』がなくなった事例は知っていた。結局原因究明とまではいかなかったものの、留意するよう通達はきている。


「……もしや、あの時と同じ現象が?」

「わかんねえよ、そんなの。消えちまったから」

「それに肝心の旦那様はお休みになられていましたしね」

「ですから俺は寝ていたわけではなくて……」


 と同じ言い訳を口にしようとしたところで、祷と鋼のこめかみあたりに針で刺したような鋭い痛みが走った。今までに感じたことのない『魂』の感知だった。


「ん? あ? い、っつう……」

「うわっ! ……なんだ?」


 痛がるふたりを見て霏龍が慌てて駆け寄った。


「おふたりとも!?」


 祷と鋼は目を見合わせる。それから、信じられないという顔で霏龍を見た。


「霏龍……」

「なんだ……これは……?」

「ど、どうなされたのだ?」

「すげえ数の『魂』が……でも、すぐなくなっちまっている……?」

「気味の悪い! なんだこれは!」


 鋼が不可解そうに顔を顰め、祷は全身で拒絶した。見たことのないふたりの様子に霏龍が動揺しているところに、影経から通信が入った。

 通信は耳についたピアスを介して行われている。かけてきた影経もまた、ひどく焦っていた。


『霏龍! おい、てめえ今どこだ!』

「は、はい! 俺は今――」

『っち、くそ、言っている場合じゃねえ! 自殺だ! 霏龍!!』

「へ? え? 自殺?」

『それも大量に――だ! しかも〝器〟から離れた〝魂〟が次々なくなっちまっている!! ()()()()()()()()()()()()!!』


 半ば叫ぶようにして報告された内容に霏龍が絶句した。

 大量自殺――そして『魂』が消えている。

 そして、回収が間に合わない。今までずっとふたりだけで間に合ってきたことが。

 前代未聞だった。


『霏龍!! 呆けている場合じゃねえぞ! 〝局長〟サマが(ひとや)のいねえこの状況で調律が乱れたらやべえってお怒りなんだよ!! だからとっとと打開策でも練りゃあいいものを……!! っち、ここで言っていたって仕方がねえ……ッ、 急いで回収に向かえ! 座標は送る!!』


 そうして一方的に通信が切れた。

 霏龍は再び思考を手放しそうになったが、堪えた。

 自分の役目はずっと変わらない。

 それに今は緊急事態だ。


「おふたりとも……!」

「うい! ダーリン、りょうかいだぜ!」

「了解いたしました、旦那様」


 鋼と祷はうれしそうに笑った。対する霏龍は険しい顔でバールを握り締めた。

 そして虚空にバールの曲がったほうを突き立てた。てこの原理で下に向かって押すとばりばりと音を立てて空間が剥がれた。剥がれた空間の向こうは、真っ黒だった。

 その真っ黒な穴のなかへ祷と鋼が躊躇なく飛び込む。

 霏龍もその背を追った。三人を飲みこんだ虚空の穴は音もなく閉じた。

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