084「どんな趣味嗜好を持っていようと」
片手にかかる荷物の重さを自覚しながら、恭弥は豪禅の後ろをついていた。
この洋服を着こなすためには化粧が必要だということになって、施してくれる場所まで連れて行ってくれるのだという。何故ここまでしてくれるのか恭弥にはわからない。不安が募りはするものの、こんなチャンスは滅多にないと思う心が背中を押すので、どうにも止まることができなかった。
豪禅が足を止める。そこは小さなバーだった。
いろいろ考えていたせいで詳しい道順は覚えていなかったが、こんな場所にバーなどあっただろうかと恭弥は思う。周囲とミスマッチな気がしたが、そのことに疑念を抱くより先に豪禅が扉を押していた。
ドアベルが鳴って、中にいた人物が振り返る。半纏のような上着を羽織った男とフェミニンなスーツに身を包んだ女だった。現れた豪禅と恭弥を見ると、男は目を瞠り、女は嬉しそうに笑った。
「父さん……?」
「あれえ? 大旦那やぁ、お久しぶり~」
男がカウンターから出てきた。彼は豪禅を「父さん」と呼んだ。確かになんとなく、豪禅と顔立ちが似ていた。吊目ぎみの目は赤い。短髪から覗く耳にはあらゆる角度から銀色が輝いていた。
恭弥が片手に持っていた洋服の袋を両手に持ち替えて、控えめに頭を下げる。
「……えっと」
恭弥が何か言う前に、豪禅が口を開いた。
「――姫眞に化粧をお願いしたくてな」
「お化粧?」
スーツに身を包んだ女が椅子から降りてまじまじと恭弥を見た。彼女が姫眞だろう。
金髪を団子状にしてひとつにまとめ、瞳は左右で色が違っていた。とても美しい女である。普段なら虚勢を張って口説くところだったが、今はそんな余裕もなかった。姫眞は恭弥の手に持っているものを見つけて「なるほど」と口に出して納得する。それから男を見ると「旦那、カウンター借りてもええ?」と訊ねた。
「カウンター?」
「うん、お化粧するのに」
「……別に構わんが」
「わあい」
そう言って、姫眞は恭弥の手を引いた。
びっくりしてどきまぎする恭弥をカウンターの椅子に座らせ、「待っててね」と自分は店の奥に消えていく。数分経って複数のポーチを両手に抱えて彼女は戻ってきた。
「お顔よう見せてね~あらあ~きれーなお顔」
「あ、……あの」
「うん?」
「……お、俺、その……」
「ぬ?」
なにかを言いたそうにする恭弥に気付いて、姫眞が手を止めた。
沈黙が降りて気まずい雰囲気になる。けれど言わなくてはいけないことだった。
膝の上に置いた拳がじんわりと汗を掻き始めた。
意を決して恭弥は――
「お、俺……か、金ない……っす」
と、それだけを吐き出す。
ここまでしてもらって後々かかった費用を請求されてもライブで万年金欠の恭弥には支払えない。洋服代はまだしも化粧品代や作業料などを加味したら到底支払える額ではないだろう。恭弥の言葉に一瞬店内が静寂に包まれそれから、
「……ふふっ」
笑い声がこぼれた。
誰に笑われたのかと周囲を見ると犯人は豪禅だった。レースの手袋に包まれた手で口元を押さえている。
「ふふふ……ああ、すまない。大丈夫だよ、金は要らない。無論後から請求するような真似もしない。
あそこは俺が大好きなブランドでな、しかしなかなか同じ話題で話が出来る者が少ないんだ。だから嬉しくてついお節介を焼いてしまった」
迷惑だっただろうか、と豪禅が言う。
即ち純粋な好意。寧ろ疑った恭弥の方がなんとなく申し訳ない気持ちになってしまった。
「は~い、そゆことなので。まずはかるーく油分落としましょうね~」
ぐりんと顔の角度を姫眞に直される。化粧水をつけたコットンで顔全体を撫でつけられた。それからてきぱき手際よく恭弥に化粧を施していく。下地からベース、アイブロウ、アイシャドウ――自分にどんどん魔法がかかっていくような心地だった。
「んーリップはマットの方がええかなあ~」
「どうだろうか? グロスで艶っぽくさせてもかわいいと思うぞ」
「でもお顔立ちちょっと幼いんで、つやつやさせるよりピンク系マットで」
自分の顔を見ながら姫眞と豪禅が話をしている。
なんだか照れ臭い。そう思って視線だけ横に向けると、豪禅を父さんと呼んだ男が何か作業をしていた。
「……あ、あの」
「うい? どったの」
「……父さん、って」
少しだけ気になっていた。
自分の父親がこういう装いをしていることを、どう思っているのだろうと。
恭弥は付き合っていた彼女に拒絶されている。だから同じよう――ではなくとも、その部分に対して若干の抵抗はあるのだろうかと。
ほんの下世話な興味だった。自分でも酷い偏見だと思う。しかし己が隠し続けた事実を身近な存在に知られるというのはどういう気分なのか知りたかった。
「……ああ、そうか。紹介していなかったな」
豪禅が男を見る。彼は作業を中断して向き直った。
「俺の息子の豪縋だ。息子には俺と同じ趣味はないが、理解も許容もしてくれている」
嬉しそうに豪禅が言った。紹介された豪縋は軽く頭を下げた。
改めて並んで見比べると、なるほど確かに。親子だった。
「どんな趣味嗜好を持っていようとそれで個人の良し悪しが決まる訳じゃないからな」
豪縋はそう言って、再び自分の作業に戻った。彼はなんとなくで言ったのだろうが、その言葉は恭弥の心の深い所に触れた。
「ありゃ……てかさ」
姫眞が口紅を塗ろうとする手を止めて空中を仰ぐ。
何事かと恭弥が目で追うが、彼女が視線を送ったのは豪禅だった。彼は姫眞の背後で軽食をつまんでいた。
「ん?」
「……この子の、お名前は?」
「……あ」
そういえば今の今まで名乗っていなかった――と恭弥は思い出した。
◇
「ほう、……なかなかじゃないか」
「……旦那ぁ、そこはね、普通『可愛い』でええんよ」
「……悪かったな」
「うん、とても愛らしいぞ恭弥」
出来上がった恭弥の姿を見て各々感想を述べる。
姿見で自分を確認して、恭弥は思わず「わあ……」と声を漏らした。
今まで憧れていた服。それに見合うように施された化粧。
何もかもが自分ではないようで、でも今ある自分を彩るのは確かにそれらで。
込み上げてくる多幸感に、恭弥の視界が滲んだ。
「……っ、……う」
「あいや?」
「……恭弥?」
「……っ、す、みませ……こ、言葉に……なら、……っなくて……」
恭弥がようやっとそれだけ吐き出すと、豪禅がにこりと笑った。それから近づいて、やさしく恭弥の肩に触れた。
「とても綺麗だ」
「……ありが……と……う、ござい、ます……」
折角してもらった化粧が落ちてしまう――そんなことを考えながら恭弥は目元を拭った。
暫く三人と談笑してから「折角ならそれで家まで帰ったらどうだ?」と豪禅に提案された。さすがにそこまでの覚悟がなかった恭弥は「えっ」という顔をしたが、豪禅は「俺もついていくよ」と言う。
「見た目だけやったらお人形さんみたいにかいらしいから、ひとりで帰るの危ないって」
「……あ、……そう、っすか?」
「あとふたり並んでると双子みたいで超絶かわいい~♡ さっきも写真撮ったけど、もっかい撮っていい?」
鼻息荒く姫眞がスマートフォンを用意する。
先程から既に何十枚も撮られている気がして恥ずかしかったが嫌な気分はしなかった。後で送るからと連絡先も交換した。
送られて来た写真に頬を綻ばせながら、改めて恭弥は礼を口にする。
「本当にいろいろありがとうございました。彼女、には全然理解してもらえなくて」
「恋人がいるのか?」
豪禅が首を傾げて訊ねる。
「はい。もともとちょっと気分屋、というか……その、メンヘラっていうのか」
「メンヘラちゃんは大変やろぉ~でもメンヘラちゃんやったら寧ろ理解ありそう、な?」
「……なんか、可愛いのは自分ひとりでいい、みたいな感じ、で」
愛華は何事においても自分が優先されないと不機嫌になった。可愛いという感情も自分が一番に連想されないと腹が立つらしい。だからふとした瞬間に恭弥が芸能人に向かって呟く『可愛い』にも敏感だった。
「う~ん、まあいろんな子ぉおるからなあ……なんとも言えんけど。でも、可愛い恰好するのは独り占めできんっしょ」
「……そう、ですね」
自分も可愛いを纏って生きたい。できればそれを愛華にもわかってもらいたい。
(なんだかんだでぞっこんなんだな……俺って)
散々文句を言いながらも結局は好きなのだと自覚した。確かに多少難があれど基本的には良い子だ。ひとを傷つけることは決してしない。
そう思うと愛華に対する屈折した気持ちも溶けていくような気がした。好きな格好をして好きな格好を認めてくれるひとと出会うということはこういうことなのだ、と恭弥は感じていた。
「……それじゃあそろそろ、行こうか」
豪禅の言葉に姫眞が時計を見る。
針は既に十時近くを示していた。
「あ、せやね。もう遅なってるし」
豪禅が立ち上がり、続いて立ち上がろうとする恭弥は慣れない厚底でぐらつく。倒れる、と思ったが豪禅がしっかりと体を支えてくれたので無様に顔からこけることはなかった。
「……おっと。……気を付けろよ?」
「……、す、すみません……」
なんとか立ち直しながら恭弥は豪禅の力強さを感じていた。
(やっぱり男なんだ……)
何を今更と自分に言いながらも、見た目があまりにも美人なので時々性別を忘れてしまう。
声を聞かないままで、女だと紹介されたらきっと恭弥は信じるだろう。
「それじゃあ豪縋。また来る。今度は榧を連れてくるよ」
「ああ」
「またね~!」
ふたりに見送られながら恭弥はバーを後にした。
家の近くまで来て振り返る。
「……あの、」
「今度もまた新作出るらしい。夏服なんだが……、夏はパステルカラーの可愛い洋服がたくさん出るんだ」
「え……」
「だから付き合ってくれないだろうか?」
「あ」
恭弥は笑って、
「もちろん!」
と答えた。
深くお辞儀をしてから恭弥はアパートの階段をのぼった。
幸福な気持ちで体中あたたかかった。




