081「かわいいなあ」
ごくり、と緊張の息を呑む音さえ聞こえそうなほどの――静寂。
宗教じみた装飾の中で、女と男とも見える姿の人物が足音もなく中央のマイクに近づいた。
舞台に視線を注ぐ観客は皆一様に白いベールを頭から羽織っていて、天使の出現に感激する修道女のような姿だった。
髪の毛も白い、睫毛も、眉毛も――全てが真っ白なその人物は唯一真っ赤な口元で笑った。
「それじゃあ……最後の曲です。どうぞ、お聞きになってくださいな」
言葉を合図に鳴り出す雰囲気をぶち壊しにする激しい音楽。
しかし反して紡がれる言葉は切なく――歌声は、セイレーンの如き甘美であった。
◇
人気ヴィジュアルバンド『セイレーン』。
その名は歌声に寄って数々の船乗りを沈めたギリシア神話の怪物に由来する。
突如として現れた彼らはその名の通り甘い歌声で音楽業界に旋風を巻き起こし、破竹の勢いで人気バンドに成長した。これだけ人気のバンドだったが、メディアへの取材は一切応じなかった。彼らが姿を現すのは『ミサ』と呼ばれる自身が開催するライブのみだった。
にも関わらずCD売り上げも常に上位をキープ、性別関係なくひとびとを魅了するその音楽は今や知らぬ者はいない。
◇
「今日のライブも最高だったね!」
彼女の浮かれ方を見ては「良さが全然わからなかった」とは口が裂けても言えなかった。
常坂恭弥はパーカーのポケットに手を突っ込んで、「うん……よかった」と答えた。愛華はその返答に満足したようで「また来月もあるから、一緒にいこうね!」と笑って言った。
(来月って……)
愛華の言葉を思い出して、恭弥は自身の財布を覗いた。アルバイトをしているとはいえ、こうも毎月ライブに行っていては生活も危うくなるほどの出費である。しかし行かないという選択肢は現状では考えられなかった。愛華はライブを日常習慣に組みこんでおり、ライブなくして今の彼女の明るさはなかった。
愛華との出会いはマッチングアプリだった。友人と酒に酔った勢いで登録してその次の日にすぐ連絡が来たのが愛華だった。写真や詳細を見る限り普通の子だったので、友人たちから背中を押されるまま一度だけ会う約束をした。
待ち合わせ場所にやってきた愛華は一般的によく言われる――『病み系』と呼ばれる見た目をしていた。病的までに肌を白く演出し、纏う黒い衣装とのコントラストで一層目元の赤いアイシャドウが際立っていた。口元は常にマットな赤リップ、爪はいつでも黒く塗っていた。見た目で一瞬驚きはしたものの、話してみればごく普通の少女で、趣味嗜好が似ていて一緒にいて楽しかった。心地良い空気に絆された恭弥は「お試しでいいから」と会ったその日に告白を決行した。
割と軽いノリで付き合うことの多かった恭弥としてはいつも通りの軽率だった。フラれても仕方がない、後々話のネタにはなるかくらいにしか思っていなかった。
だが愛華は彼の軽い告白をあっさりと受け入れ、そして恭弥の倍以上の重さで返してきたのである。
それは恭弥に言わせれば『化けの皮が剥がれた』ようなものだった。
大人しい子だな程度の認識だったが、付き合い出してから印象はがらりと変わった。
――その時はじめて友人たちの「そいつ多分やべえよ」という半笑いの助言を受け入れるべきだったと痛感した。
愛華は感情の起伏が激しく、すぐ泣いたり怒ったり癇癪を起こす。子どもっぽいという以前の問題である。そもそもの精神年齢が低かった。その度に恭弥は宥め、時に傷だらけにもなった。口癖は「死にたい」で、喧嘩をすると口をついて飛び出すのは「死んでやる」だった。安易に死の文字を使うことに恭弥は抵抗があったが、もうそれについて議論するような余地もないほどに、愛華の主張は激しかった。
やましいことが一切なくても、恭弥が女の子と一緒にいるだけ、隣に並ぶだけで嫉妬し、男友達も含めた飲み会に女がいようものならナイフを取り出して警察沙汰。ふたりで愛し合った直後本当に愛されているか試すため自ら手首を切って救急車を要請――など、ひとに話すと大抵「それ大丈夫?」と聞かれる類の少女だった。
最初こそ戸惑い、自分が悪くなくても必死になって謝っていたが、段々と「わかったわかった」と流すようになった。慣れというのは恐ろしい、と思った。
無論、重さに耐えかねて別れることも考えたが、別れようとすると愛華が何をするのか予想できず、どうしようもなく関係はずるずると続いていた。
そんな愛華の感情が穏やかになったのは『セイレーン』のお陰であり、恭弥の困窮の原因だった。以前のように感情をむき出しにすることも「死にたい」と言うこともなく、恭弥の第一印象そのまま大人しい子に戻った。
「……アルバイト増やすかぁ……いや……いや、でもなあ……」
恭弥は一人暮らしのアパートの、気取って買った硝子のテーブルに突っ伏した。恭弥には貯金したい目的があった。それは学費とは全く別、言うなれば趣味だった。愛華と会うのを決めたのも、実を言うと彼が密かに抱く目的への足掛かりと言って良い。
「……かわいいなあ」
スマートフォンの画面に映ったフリル満載のドレス。緻密なレースに彩られたドレスと見紛う豪奢な衣服の値段は、普段恭弥が購入している服よりも桁数が異なる。一式揃えるとなると、それこそライブなど行っている場合ではないのだ。
「……」
理解されにくい趣味だとわかっている。だから友人にも言っていないし、親にも隠し通している。大学になって一人暮らしをするようになった暁には衣装に合わせて化粧品も揃え、ついでにウィッグも、と意気込んでいたのだが。
周囲に流されてしまう生来の気の弱さから、恭弥は現状服おろか化粧品のひとつも購入できていなかった。愛華になら打ち明けても良いだろうかと脳裏をかすめることもあったが――
「……気持ち悪い、か」
偶然テレビで女装趣味の男性の話をやっていた。どういう反応をするのか恭弥が興味深く観察していると彼女は何ともない風に、
――気持ち悪い
と言った。
何故、と言及も出来ず、それは飽く迄個人の感想だからと強く感情を押さえこんだが、やはりそう見られるものなのかと落胆した。
実際理解あるひとは探せばいくらでもいるだろう。しかしすぐ傍にいる人物にこうも露骨に拒絶されると自らの軽率で付き合ったとはいえ、傷つくものだった。
「……寝よ」
夜は思考は落ち込んでしまう。
恭弥はそう思って冷たいベッドにもぐりこんだ。




