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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
拾壱のこと『悪い虫』
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075「所詮他人じゃないか」

 羽音にとって羽衣が全てであったし、羽衣だって羽音が全てだと思っていた。しかしそれは羽音の主観による思い込みでしかなく――愛情があると思っていたのもまた、羽音だけだった。

 けれど羽音は信じられない。天地が逆さまにでもなったかのような感覚。これ以上見続けているのは恐ろしいと、彼女は大学を休んで部屋の閉じこもっていた。


 そんな中、どうにかして現実を取り返そうと足掻いた羽音は、望み薄と思いながらもインターネットで『家族 目を覚まさせる』と検索した。

 したところで有益な情報が乗っているとは限らぬ――羽音は絶望している自分から目を背けるように流れていく文字を眺めていた。


「ん……?」


 目に留まったのは『オンラインチャット』という単語。メッセージアプリ上でリアルタイムに相談をしあう場所だという。それはもともと緊急連絡用にインストールしているアプリだった。羽音がサイトをクリックすると、画面がくるりと切り替わって、アプリが開いた。無数に作成されたチャットルームの中に『♪家族の悩み相談をする女子会♪』という名前のチャットルームを見つける。羽音は一瞬躊躇ったが何か解決の糸口が掴めるかも、とそのチャットルームに入室した。


『はじめまして』

『お、お初さん?』

『こんにちはー!』


 次々と打ち込まれていく返答。チャットルームの冒頭には人型のマークが五つ並んでいる。つまり現状羽音を含め五人の人間が羽音の言葉を聞いている状況だった。

 思わずごくり、と唾を飲みこむ。この中に女を騙る男がいたらどうしようか、という疑念が頭をよぎった。


『初めてさんこんにちはー!気軽にお話してくださいね(^^)/』

『家族の悩みってなかなか友だちとかに打ち明けにくいと思うので、なんでも話してください』

『そういうチャットルームなので!』


 黙る羽音を宥めるように言葉が並んだ。数分見つめ、そして羽音は恐る恐る自身の内側に留まる感情を吐き出した。


『あの……。妹の様子がおかしくて』


 そう綴ると、即座に返答が来る。


『おかしい?』

『なにごと?』


 催促に羽音は自分の気持ちが高まるのを感じながら詳細を打ち込む。


『妹が突然一人暮らしを始めたり、サークル活動し始めたり……今までそんなことをする子じゃなかったのに。きっと悪い男にだまされているんだと思います、だから。目を覚まさせてやりたいんです』


 思いのたけをそのまま文章に綴った。

 書き込みを表すアイコンが点滅して、返事が来る。


『妹?てことはお姉ちゃんか~お姉ちゃん離れってやつ?確かに心配になるよね』

『悪い男?カレシ?』

『一人暮らしもサークル活動も別に姉離れって訳ではない気が……』

(……)


 羽音は返ってくる言葉の数々に対して『外れたかもしれない』と思っていた。

 正しい行いに対する謂れのない咎めは腹が立つもの。羽音の相談は妹を想ってこその正義である――それを否定する、それに類する言動の全てが彼女にとって敵だった。

 しかしここで敵だと判断するのは早計だろうと羽音は文章の続きを書いた。


『妹はひとりではなにもできません。昔からずっとそうでした。だから戻って来るように言いたいのですが……なにやら男にだまされて妙な喫茶店に通い詰めているようで。許せませんし、心配です。だから同じ悩みを抱えていらっしゃるどなたかに助けてもらいたいのです』


 羽音が思う羽衣の姿を文章に綴る。暫く沈黙――何の反応もない静寂が続いた。その凪いだ時間に段々と羽音は自分の行為の愚かさを実感していた。


(馬鹿馬鹿しい……所詮他人じゃないか)


 羽衣のことなど何も知らない他人。であるなら、羽音の苦悩などわかろうはずもない。心に許容を越えた出来事に正常な判断が下せなかったようだ、と考えて羽音はチャットルームを退室しようとした。

 その時、不意に入室人数が増える。


『妹さんはきっとお姉さんがいてくれるありがたみを忘れているのかもしれませんね』


 羽音はその発言に目を奪われた。未だ書き込みのアイコンが点滅している。


『反抗期、というやつではないでしょうか?ずっとお姉さんに依存して生きてきたのが劣等感で、ついそっけない態度をしてしまっているのだと思います。様子見してはどうでしょうか』


 そう続いた。

 深海に一筋の光が差すが如き導きだった。


(そうか、あの子も年ごろだから……)


 反抗期らしい反抗期もなかったから、今更になってやってきたのだと羽音はようやっと実情を理解した。

 ――無論、これは『理解したつもり』というだけであるが。


『ありがとうございます!なるほど、わかりました。僕も大人になって見守ることにします』

『それがいいですよ。そのうち姉がいない寂しさなんかを感じてひょっこり戻ってきますから』

『はい、ありがとうございました!』


 お礼を言って、羽音はチャットルームを退室した。

 彼女のいなくなったその場所で、


『なんかやばくない……?』

『ちょっと……あまりにも無責任じゃ』

『てかもういないじゃん!?』

『誰だよ、さっきの』

『いやいやあの子もさあ……普通に許せない、とか言わないでしょ』


 煽るような言動に対し、顔の見えぬ隣人たちは騒然となっていた。

 しかしもうそこに羽音に助言した者はいなかった。


 ◇


 朝の日差しが心地良いと感じるのは久しぶりだ。

 昨日得られた解答に羽音の心は軽くなっていた。伸びをしてから洗顔に向かう。鏡に映った濡れた顔の自分はどこか晴れやかであった。

 浮足立つ羽音は大学に向かう準備をする。羽衣がいつ戻って来てもいいように、今までの分を取り返さなくては――羽音の頭の中はそのことでいっぱいだった。

 留年することへの恐怖はなかったが、羽衣の傍にいられなくなるのは困る。そのためには大学に居続けなければならない。

 固い決意の元、羽音は大学へ出かけた。


 何週間もこもりきりだった娘が、突然元気になって大学に向かう。

 その姿を見て母は一抹の不安を抱いていた。

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