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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
壱のこと『夢を見る少女』
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07「また会えそうな気がした」

 電話の向こうで大きなため息が聞こえた。

 古めかしい黒電話は、『桜雲館(おううんかん)』では現役の通信手段だ。


『――ああ、最近出てきた新参者じゃな。若えのは勢いがあっていいが、勇敢と無鉄砲を間違える』

「手綱はきちんと握っておいてね(かや)。組織が大きくなると末端の管理が疎かになりやすいから」

(わり)ぃな、うまくゆかんもんじゃ』

「ま、今回が初めてだしいいんじゃない? 今後の課題ってことで」

『へいへい、じゃあな。ぬしも体にゃあ気ぃつけろよ』

「はいはい、じゃあね」


 受話器を置き、<紅姫(べにひめ)>(こう)は後ろを振り返った。


「……さて、今日はおしまいかな」

「久しぶりにお腹いっぱいですね、膠君」


 紅凱(こうがい)が微笑み、膠に近づくとその小さな体を抱き上げた。


「わかっているならその顔、やめてくれないかなあ」

「その顔とは」

「完全にやる気満々じゃねえかお前」


 膠は紅凱の額をぱちんと弾いた。力のない膠のそれは、猫の甘噛みくらいの威力である。

 噛まれた側の紅凱は、恍惚に頬を染めた。


「夜は私の特権ですから。そういうお約束でしょう?」

「それはそうだけれどさ……今日は凛龍(りんりゅう)にちゃんと譲ってよ、彼は仕事をしたんだから」

「関係ないですねえ」

「あるだろ馬鹿」


 今度はビンタだった。ごく軽く輪ゴムを飛ばして、それが当たったような衝撃。

 紅凱の整った相貌は、面影もないほどだらしなく崩れた。恍惚というより、悦に浸って垂れ下がった眦は戻らないし、口角の吊り上がりは最早不自然である。


「……おい、紅凱。てめえ、本気で独り占めしたら奪うからな」


 凛龍の恨み言に、膠を抱いたまま紅凱が振り返った。

 彼の黄金の目は敵意に満ちていた。悪意や殺意はない、いうなれば好敵手の表情である。くだらない衝突こそするものの、基本的にこのふたりの関係は良好だ――膠から見れば、という話だが。


「奪うなんて……ひどいですねえ、私達は絶賛片思いで燻る想いを受け止めた膠君のやさしさに免じてご一緒しているんですよ? 寧ろ感謝して譲っていただきませんと」

「……あんだとてめえ」


 にわかに散り始めた火花を察して、静観していた紅錯(こうさく)が素早く腕の中の膠を攫った。


「あ、ちょっと……紅錯!?」

「……お前達はいい加減にした方がいい」

「え、達って……。俺も含まれてるんすか、ソレ」

「……そうだが?」


 心外だ、と凛龍が顔に出す。それから、同意を求めるように「……でも、紅錯さんだって紅凱の言い分はふざけているって思うでしょう」と続けた。その言葉に反応したのは当の紅錯ではなく、紅凱だった。


「ずっと思っていたのですが何故紅錯は〝さん〟付けで、私は呼び捨てなのです?」


 自身を指し示して文句をつける紅凱に、凛龍が応戦する。


「あ? 今更なんだよ、どうでもいいだろそんなこと」

「ど、ど、どうでもいい!? 年上を敬えと当主として教育されませんでしたかあっ!?」

「は?」

「――君たち、いい加減にして」


 うんざりした調子で仲裁したのは、紅錯の腕の中にいる膠だった。

 双方が同時に彼女の方を向く。


「煩いとどっちも今日()()()()にするよ、いいの?」


 膠の一言は、覿面だった。ふたりともぐっと押し黙り、睨み合いになる。仲が悪いわけではないのだ、決して。折り合いが悪いと言ったところか。


「……ごめんね、紅錯。君に負担ばかりかけてしまうけれど」


 紅錯はいずれとも争わない。もともと凛龍とは友好的であったし、紅凱は彼に自身の役目を担わせるくらい信頼しているので、彼に対しなんのかんの文句を言うことは滅多にない。

 膠も控えめな彼がふたりの緩衝材になってくれていると思っているので、なにかと頼りにはしていた。


「……いや。……寧ろ、負担になっているのはあなただろう」


 紅錯が首を振る。彼の返答に膠はふっと笑うと、続けざま頬に口づけた。


「あっ!」

「ちょっと!?」

「――紅錯は良い子だから、今日はいっぱい食べさせてあげるね」

「えぇ、ちょっと! 膠君ッそれはずるいですよ、夜は私の特権って――」

「うるせえ、てめえいい加減にしろ!」


 凛龍がそれを制し、今度は火がつきかける。

 今度は紅錯も膠も仲裁しようと思わなかった。面倒であったのと、言いたいことがあるなら存分言い合うといいだろう、と諦めたのである。


「……風呂に入ろうか、膠」

「うん」


 紅錯は言い合う二人を捨て置いて、膠を抱きかかえ、風呂場に足を向けた。

 大浴場は基本的に四人で使うが、使()()()()()()()()()()ので長風呂になる。ゆえに、大浴場というよりも巨大な風呂場のついた離れのようなところだった。

 長い廊下の道中、偽物の星明りに照らされた紅錯が眼前を見据えたまま言った。


「……そういえば」

「うん?」

「……何故、名を教えたんだ?」


 名は体を表す。膠自身が言ったように、彼女の名もまた容易に『外』の世界の人間に、教えるべきものではない。

 紅錯の言葉に咎めるような感情はなかった。単純に疑問に思ったから聞いたようだ。

 質問に、膠は首を捻る。数秒考えこんでから、「また会えそうな気がしたからさ」と返した。紅錯にそれに、「……そうか」とだけ応じる。

 数秒の間があって、膠が「……ねえ紅錯」と呼びかけた。


「……なんだ」


 紅錯が立ち止まって、腕の中の<紅姫>を見る。夜空が蠱惑的に輝いて、紅錯のオッドアイを見つめていた。


「ふたりに()()()、特別にお風呂でもしようか?」


 扇情的な台詞を口にして首を傾げて誘惑する膠の姿は、愛らしい小悪魔そのものだった。

 紅錯はその日初めて頬を緩めて、


「……俺ばかり腹一杯になってもな」


 と言った。


桜雲館(おううんかん)』の<紅姫>。

 彼女もまた世界でいちばん幸福になるために、夢を見続けるひとりの少女である。

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