067「どうにかしてやる」
ごくまれに『やさしさ』というものをはき違えてしまう者もいる。
『やさしさ』だけならその辺りにも平然と落ちているものだ。それこそティッシュ配りのように。
だが、その『やさしさ』を『特別』だと思ってしまう――どうしようもなく孤独な人間も、事実存在していた。
◇
『この前の美女がヤバイ男に弱み握られているっぽい』
掲示板にそう綴ると、反応が連なる。
『ヤバイ男?』
『893か?』
仙治郎は詳細を記した。背中一面に刺青があって、ピアスも大量に開いている。しかも目の色はカラーコンタクトかなにかで変えていて、髪の毛はかなり長い。あとは憎たらしいほどに下品で、イケメンであるということも。
『嫉妬乙』
『おまえの勘違いじゃねえのwそもそもおまえ、その美女と付き合ってるんか』
『付き合ってから文句家』
『キャバ嬢に夢みるDTかw』
小馬鹿にする書き込みに、勢い仙治郎はパソコン画面を閉じた。中指を挟み、数分身悶えする。再び苛立ちながら開くと、反応の中に毛色の違うものがあった。
『紅姫って知ってるか?』
「……紅姫?」
仙治郎は思ったままキーボードを叩く。
『なんでも金を払えば願いを叶えてくれる女らしい。俺の友だちもずっと片思いしていた相手と結婚したやついる』
突如と現れた書き込みに、反応が変わった。
『は? カテ違いだろカエレ』
『ここオカルト板でしたっけ~w』
『つうかなんてよむの? あかひめ? べにひめ?』
茶化す言葉の多い中、仙治郎はその書き込みを食い入るように見つめていた。
――金を払えば願いを
金さえあれば、もしかしたら夜鴉を不遇から解き放つことができるかもしれない。
きっと彼女だってそう望んでいるはずだ、夜鴉はあんなにも自分にやさしくしてくれるのだから。
大抵の人間が仙治郎と関わることをしなかった。
根暗だの陰キャだの好き勝手言う奴らとのなんて死んでも関わりたくない――大学時代の仙治郎はそう思っていた。そうすると自然とコミュニティーは狭まっていく。排他的な連中とつるんでいても、排他的であるがゆえに離れればすぐ疎遠になる。そんなことの繰り返しで、仙治郎にやさしい人間など誰もいなかった。
こと異性は顕著で、仙治郎が話したことのある女子など大学にはひとりもいなかった。挨拶をすることすらできなかった。
空気のような生活の中で自分を見つけてくれた唯一の存在が夜鴉だった。
しかし、夜鴉は囚われている。
だから、救わねばならない。
救うための手段を、今更選んでいられるものか。
仙治郎はその書き込みに対して、こう返した。
『詳細を教えてほしい』
◇
<紅姫>のところまで辿り着くため、通う必要となるバーの会員費は月十万だという。初回は無料だが、以降加護を受けるためには払い続けねばならなかった。仕送りで生きている仙治郎には大金だった。
(でも夜鴉を救うためには……!!)
決意したのだ、あの時に。涙を流して無言で訴えてくる彼女を前にして。
ならば――十万など安い対価だろう。
仙治郎は一大決心した。
仕事を探して金を貯めて<紅姫>に願いを叶えてもらおう。夜鴉をあの諸悪の根源から引き離してもらえるように――それから、幸せな家庭を築く。
完璧な計画だった。
仙治郎はパソコンの前で口を押さえる。
これから手に入る幸福を想像して、笑っていた。
それが、儚い幻想であるとも知らずに。
◇
「へぇ、仕事?」
夜鴉に働くことにしたから会えなくなるというと、彼女はそんな風に返した。
寂しくさせるのは申し訳なかったが、彼女と幸せになるためだ――きっと理解してくれると思っていた。
駄菓子屋に立ち寄ると相変わらず店頭には外国人風の男が子どもたちの相手をしていて、店番の男が煙草を吹かしていた。
男は仙治郎を一瞥すると「すぐ呼んでくる」と言って、夜鴉を連れてきた。彼女の首には歯形がついていて、乱暴をされているのは一目瞭然だった。
平気な顔をしているが内心辛かろうと、仙治郎は夜鴉の手を引いて外に連れ出し、適当な喫茶店に入った。
そこで、近々仕事を探そうと思うと切り出した。
「いーンじゃね? 別に俺様は平気だし」
(ああ、俺のために強がっている……)
心なしか夜鴉の笑みがぎこちなく思えた。
理解しようとしながらも、やはり拭えぬ寂しさを隠しているようだった。
「ご、ごめんな……す、すぐ、どうにかしてやるから……」
「ん? どうにか……って? なにが?」
「だ、だいじょうぶ、大丈夫なんだ……」
「お、おぅ……?」
不可解そうな夜鴉に仙治郎は笑った。
ここで種明かししてもよかったが、サプライズの方が彼女も喜ぶだろうと思った。掲示板の連中も冷やかしながら言っていたし、間違いはない。
なにより夜鴉なら自分のしてくれることを喜ばないなんてことはあり得ない。きっと彼女は、自分の気持ちを汲んで涙を流して――喜んでくれる。
「まァ、ガンバレ。いちおー応援はしてやるよっ」
拳を掲げて笑う夜鴉に、仙治郎も笑い返した。
「……な、なあ、夜鴉」
「うぇ? なに?」
「そ、その……えっと……首……」
「ん? ああ? コレ?」
仙治郎の指摘に、夜鴉は何を示しているか理解する。
白い首に獣が噛んだような痕跡――くっきりと残る歯の形はおおよそ人間のものだった。噛み付くなんて乱暴を働くなど人間として下の下だ、と仙治郎は心の中で男を罵った。
「蓮のやつな? 噛み癖あンだよ。やめろっつってンのに……」
首をさすりながらうんざりしたように夜鴉は言う。
蓮――名前を聞くのは初めてだった。
そう思ったのが顔に出ていたのか「ああ、そっか」と彼女は笑った。
「あのイレズミすげェやつ、紅蓮っていうンだ。字はえぇーと……ぐれん、って書くンだったかな? まァあんなナリしてっけど悪ィヤツじゃないよ。――あとついでに言うと俺の……って、おい? センジロウ?」
「……絶対、助けてやるからな……」
仙治郎には聞こえていなかった。
ただひとり、夜鴉を助ける術を模索していた。
◇
「お帰り、夜鴉」
「うぃっす、ただいま藍」
仙治郎と別れて『から紅』に戻った彼女を出迎えたのは、花の文様が頬とそしてその虹彩に浮かぶ少女藍明だった。普段は部屋にこもりきりで、誰もいなくなると一階に降りてくる。
これはヴィーことヴィレントラスが異性と関わる彼女を見たくないがための措置だった。藍明の方も特に他人と交流を深めたい気持ちがないようなので、お互いにとって最善の選択だった。
中華服をアレンジした普段着で座り込んだ藍明はじいっと夜鴉を見る。
「うん? どーかした?」
「この前、蓮に頭、撫でられていた?」
「ん? ああ、うん、撫でられていた」
紅蓮は事あるごとに夜鴉の頭を撫でたがる。子ども扱いみたいで嫌だと言っても彼は一向にやめなかった。なので最近はもう諦めて、好きにさせていた。
「あの時、ちょっと涙目だった」
二階へ続く階段は風呂場から繋がっている廊下から、降りてくる人影は見えない。階段の背面だけが見える位置関係にあった。だからあの時、藍明の姿は仙治郎には見えていない。
「ああ、あれね。撫でまわされているうちに目ン中に髪の先っちょ入っちまってさぁ……割と痛くて」
「そう。びっくりした」
「えぇ? 俺様、別に撫でられるのヤじゃねーもん。蓮にされて嫌なことなんてねェよ」
夜鴉は歯を見せて笑った。
藍明もつられて薄く微笑んだ。
――真実とは案外単純なもの。
複雑にしているのはいつだって、人の心である。




