066「夢か」
※邪な妄想が入ります
仙治郎は一世一代の告白――のような勢いで「泊めてほしい」と頼んだ。面食らったふたりだったがすぐに破顔して「いいぜ」と夜鴉は答えてくれた。
「そそそれじゃあ」
「オマエの部屋案内してやンよ、あっち」
「お、あ、うん!」
夜鴉が立ち上がって二階へと仙治郎を連れて行く。階段の上で左右に触れる形の良い尻を見るだけで、熱湯風呂に入っているかのような心地になった。
細い廊下の最奥より、ひとつ手前。襖を開くと六畳ほどの部屋が現れた。天井に付属する電灯以外に物は置かれていない。押入れから布団を取り出すと夜鴉はやや乱雑な動作でそれを広げた。
「便所は風呂場の手前な」
「あ、え、えーっと、よる、からす、ちゃん、は」
「ちゃんはやめろ」
ぎこちなく呼んでみると即座に文句が飛んできた。
呼び捨てにしろ、とはなかなかどうにも積極的な子だなと仙治郎は、緩みそうになる頬を懸命に抑え込んだ。
「よ、夜鴉……?」
「ん、それでいい」
「……っっ」
にかっと歯を見せて笑う彼女を滅茶苦茶にしたい衝動が沸き上がる。もう告白などすっ飛ばして今すぐこの布団に押し倒して合体したい、と仙治郎の中の、最近暴走しがちな性欲が叫んだ。しかし夜鴉は当然、仙治郎の葛藤など知らない。敷居を思いっきり踏んで廊下へ出ると襖を締める前に一言添える。
「みっつ隣が俺様たちの部屋、んで階段上がってすぐの部屋がヴィーたちの部屋な。で、ヴィーの部屋にはゼッタイ、間違っても入るなよ」
ぴしゃり、と襖が閉じる。
取り残されて数分、言われた言葉を噛み締める。
(部屋の場所を教えてくれた……? それってつまり……?)
鼓動が早くなる。
今夜眠れるかどうか――仙治郎は怪しかった。
だが彼は肝心なところを聞き逃している、いや浮かれていて聞いていなかったというのが正しいだろう。
単に夜鴉の部屋だけ言うなら『俺様の』で良い。しかし彼女は『俺様たち』と複数形にして言った。それが何を意味するか――仙治郎はこの夜知ることになろうとは、まだ思っていなかった。
◇
やはりどうにも寝付けぬ仙治郎は上体を起こす。
部屋に時計がないので何時くらいなのかわかりかねたが、深夜であることは間違いなかった。
どくどくと早鐘を打ち、淫らな夢まで見てしまった仙治郎の下半身は全く安眠を提供する状態ではなかった。ふう、と息を吐いて仙治郎は襖を開く。廊下の冷たい空気が、僅かに体の温度を下げてくれた。
(三つ隣……)
ごくり、と唾を飲みこむ音がやけに大きく響く。
仙治郎は音を立てぬよう慎重に廊下へ出ると、泥棒のように抜き足差し足で夜鴉の部屋だという場所へ向かった。
――ヴィーの部屋には間違っても入るなよ
忠告された部屋ではないことを何度か確認し、仙治郎は膝立ちになって襖に手を掛けた。
この中に眠る夜鴉がいる。もしかしたら自分が来ることを事前に予想して、などと再び妄想が脳内を支配した。
布団をめくればスケスケなランジェリー姿の夜鴉がいて、仙治郎の顔を見て笑うのだ。
――待っていたよ仙治郎
甘えた声の彼女を抱き、ランジェリーの上から隆起したその部分を撫でると甲高い声が響くのだ。
「……ッあ」
――可愛いよ、夜鴉
囁けば頬を染めて彼女はそっぽを向く。
愛らしい仕草にむくむくと欲望は肥大するばかりだった。
――やだ恥ずかしい、あんまり見ないで
「……ッ、て、めぇ……」
―――どうして隠すの?こんなに可愛いのに
「……ックソ……!」
その時、はっと仙治郎は気付いた。
声だけが妙に現実的だった。
目を閉じていたことに気付き、目を開いて確認する。その手の中に夜鴉はいない。
しかし、声だけが――聞こえている。
「……ッ、」
荒い呼吸の狭間に、誰かが何かを言おうとしている。
あまりに甘美な囀りに、仙治郎がごくり、と喉を鳴らすと同時に――頭で警鐘が鳴る。
鳴るのに――彼の体は襖を開こうとしていた。
(嘘だ……嘘だ……ウソだろ……?)
がたがたと震える指先が襖を僅かに引いた。
すれる音が微かにして――隙間から覗きこむ。
目に飛び込んできたのは程よく筋肉ののった男の背中だった。仏画のような色彩の刺青が彼の動きに合わせて表情を変えている。
三つの足の鳥が炎を纏って羽搏き、炎は右腕にまで流れていた。体を動かすたびに揺れる長い髪の毛は、夜鴉の頭を無遠慮に撫でていた男のものだ。
「――夜鴉」
男の艶っぽい声がその女の名前を呼んだ。その瞬間、鋭い鉤爪で心臓を鷲掴みにされた。
仙治郎は思わず尻餅をついた。
どん、と静かな廊下に音がする。
男が弾かれるように振り返った。仙治郎は全身が震えて何もできない。
しかし――
「っ、れ……んっ?」
掠れた夜鴉の声が男を呼ぶ。しかし男は、
「――いや、気のせいだ」
そう言って、再び視線を元に戻した。
甘い声が咲き乱れ、男の声が煽情的に響く。
「……ッ……ッ♡」
悪魔の囁きだった。
もうそれ以上聞いていると仙治郎は頭がおかしくなりそうだった。
逃げるように自分の部屋へ戻り、布団を被る。
(ウソだ……あんなの……)
描いた幻想が無粋な現実に跡形もなく汚されていくのが、仙治郎には我慢ならなかった。
◇
翌朝。
仙治郎の布団は唐突に引き剥がされた。急激に晒された冷気に、体を丸くさせた。
「!?」
「おい起きろー! ……って、あ」
「……よ、夜鴉……?」
「オマエの名前、聞いてなかったわ」
朝の挨拶よりも先に、夜鴉は今更すぎる事柄を思い出す。
「オマエ、なんつうの?」
「なまえ……」
妄想の中の夜鴉は甘く自分のことを『仙治郎』と呼んでくれた。思い出しながら、言葉に乗せる。
「……せ、仙治郎……」
「ふうん、センジロウか」
聞いておいてさほど興味もなさそうに返す夜鴉。
「センジロウ、朝だ。とっとと起きろ」
言って夜鴉は踵を返した。
昨晩の彼女とは全く違う――そうか、あれは。
「……夢か……」
関係性を心配するあまり、自分で描いた幻想の中で無粋な幻想を重ねてしまったらしい。
仙治郎はそう思って、ほっと胸を撫で下ろした。
◇
階段を降りていく夜鴉は自分の太腿を見た。
そこには、
「……すげェつけられたな……」
赤い痕跡が大量に残されていた。




