065「絶対に守ってあげなくちゃ」
連れてこられたのは駄菓子屋だった。
手製の看板に手書きの文字で『だがしや・から紅』と記されている。
こんな場所に駄菓子屋などあったか――記憶を辿るより先に少女がぐいぐいと中に引き入れた。
店頭では子どもたちに囲まれている外国人風の美丈夫がいて、少女と引っ張られている仙治郎を見て「ヨルカラス、客か?」と訊ねた。ヨルカラスと呼ばれた少女は「おう、たぶんそこそこイイの」と答え、仙治郎の邪な感情を更に煽った。
「よ、よるからす……?」
「うん? ああ、そっか」
店の中は狭い。奥の方に土間のように高くなっている座敷があって、そこからが居住区域だった。少女はどっかりと畳敷きに座ると仙治郎を見上げて言う。
「俺様の名前は夜鴉。夜に鴉って書いて夜鴉な」
「よ、よるからすさん……」
「――ちなみに鴉は、牙に鳥と書く方だ」
そう彼女の名前に対し付け加えたのは、背後から現れた男だった。赤と金の目をした黒髪の男――ワイシャツの袖を肘辺りまでまくっていて、覗く腕にはびっしりと炎の刺青がされていた。耳元にも大量のピアスがあって、こちらもまた仙治郎と決して関わり合うことのない人種、寧ろ関わりたくないタイプの男だった。
(顔もイケメンとか……っち、うぜえな……)
思いながら口にすることはない。
男は夜鴉と同様品定めをするように仙治郎を見てから、
「ほう、小鳥。お前が見つけたのか?」
と聞いた。
「おうよ――でもこいつ、めっちゃクセェから風呂入れるわ」
「気を付けろよ、引きだすにもテクニックが必要だ」
男が指先をあらゆる方向に動かした。なんとなくその指の動きの意図がわかって、仙治郎は顔を顰める。
(な、なんてやつだ、こんな可憐な夜鴉ちゃんの前でそんないやらしい……!!)
自身がとんでもなくいやらしい妄想に耽っていたことも棚に上げて仙治郎は憤る。しかし見るからに頑健で、圧倒的有利な相手を前に、思ったことを全てを吐き出す勇気はなく――さりとて敗北など認めたくない仙治郎は心の中で罵った。
「キモ」
夜鴉が男の行為をそう断じる。仙治郎は彼女も同じ気持ちなのだ、とわかって再び運命を感じた。
「とりまオマエ、風呂入れよ。めっちゃクサイ」
後半の言葉が聞こえていなかった仙治郎は動揺した。
「は? へ? ふろ!? そそそそそんなだ、大胆な……」
「あ?なにが大胆なンだよ?」
「え? えぇ? だって……」
一緒に風呂に入るなど、まだお付き合いもしていないのに。
そう言いそうになってぐっと堪える。童貞がばれたらどうしようという小さなプライドが刺激されたのだ。
「あ? ……わけわかンねェやつ」
「それじゃあ店番交代か……そろそろ新台が入ると思ったのだがな」
「るせェ、パチンカスめ。ちったァ店主らしくしやがれってンだ」
残念がる男にそう暴言を吐いて、未だ顔を真っ赤にさせて狼狽する仙治郎を座敷に引き上げた。
そのまま引きずられるように風呂場まで連れてこられ、「脱げ」と指図される。いよいよもって自身の人生が最高値に達するのだと思った仙治郎は「あ、あの……」と口を開いたが――
「その辺にあるタオル、テキトーに使えよ。服ならそン中」
「へ?」
「なに? まさかオマエひとりで入れねェとかじゃねェよな?」
「あ、ああ……ええ……あっいえ」
「……イミフメイ」
引戸が閉まり、静寂が降りる。
自分の恥ずかしい早とちりだったという事実をじわじわと認識し、仙治郎はひとり頭を抱えた。
◇
「そこそこ美味そうだと思うンだけどさ、やっぱフケツだと入れちゃダメかなあって」
あぐらをかいたまま夜鴉が、店番をしながら煙草を吸う男――紅蓮に言う。
『から紅』は『桜雲館』同様、あらゆる場所に存在できる店だった。『桜雲館』は『門番』あってそこに生まれ、『から紅』は住人が『あってほしい』と思えばそこに現れる仕組みだった。
駅から近い場所にあればいいと思えば駅にごく近いところ――究極プラットホームに現れることもある。しかしそれはあまりにも不自然極まりないので、<紅姫>から「必ず土地のある場所で」と厳しく言いつけられていた。
夜鴉が目星をつけたのは仙治郎――本人ではなく『魂』である。生きているうちに溜め込む『穢れ』が多ければ多い程、『魂』の味は濃くなる。それは決して美味という意味ではなかったが――<紅姫>の腹を満たす意味では優秀な『魂』だった。
『穢れ』は凝り固まり『業』となった時に、彼らは心の底に望みを抱く。その時が、鍵を渡す時機である。
「前も言っているが美味いかどうかではなく腹の足しになるかどうかだ、夜鴉。『業』が深かろうと美味というわけではない」
「そーなの? でもいーじゃん、腹いっぱいになるってメシがうめェってことだろ?」
「まあ、どう捉えるかはお前次第だな」
そう言って紅蓮は煙草を吸いこんだ。
紫煙を吐き出しながら風呂場の方を見る。
「しかし夜鴉。気を付けろよ」
「あ? なに? オマエさっきからそればっかじゃん」
「お前は自分のことをあまりよくわかっていないところがあるからな……俺は心配でたまらないんだ」
「あぇ?」
一昔前の彼女だったらその言葉を生意気に跳ね除けてきた。しかし移ろう時と共に変化する想いがあって――彼の懸念を「うるせェ」などといって振り払うことはできなかった。
彼が己を想うがゆえのやさしさであることは身にしみてわかっている。
夜鴉が下を向いて弱弱しく言う。
「……ダイジョーブだって、無茶しないよ。ケンカも……そこそこガマンするし」
返答に紅蓮は大きく溜息をつく。
「そうじゃない。……全く、やれやれだなお前は」
「はぁ? ナニソレ」
紅蓮は夜鴉の頭に手を伸ばし、ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回すように撫でまわした。
◇
「やーめーろーよ!」
そんな夜鴉の声に、仙治郎の体が強張る。
見れば先程の男に夜鴉が頭を撫でまわされていた。仙治郎からは夜鴉の背中と得意げな男の顔しか見えない。だが明らかに嫌がっている。
(そういえば、好きでもないやつに頭ぽんぽんされるのは地雷だって……)
勘違い男が相談してきた掲示板で見たことがある気がする。好きでもない男に名前を呼び捨てされたり、頭を撫でられたりするのは女性にとってこの上なく気色の悪い行為だと。
頭ぽんぽんよりも上位を行く撫でる、否、撫でまわすという行為に夜鴉が晒されている。これは守らねばと思ったところで、男の方が気付いて手を離した。
内心自分が言う前に自主的に中断してくれてほっとした仙治郎だったが、油断はできない。
大股に夜鴉へ近づき、それとなく背後を陣取った。
「おぅ、なンだ出てきたのか」
「あ、ああ」
「どうした? カオ、真っ赤じゃん」
「のぼせたか?」
(お前に心配されても嬉しくねーよ!)
仙治郎は、再び心の中で男に言い返した。
夜鴉を見れば、少しだけ涙目である――やはり嫌だったのだ、と仙治郎は遅れてきた自分を悔いた。
(き、きっと夜鴉ちゃんはこの男にな、なにか弱みを握られていて……ようし、絶対に守ってあげなくちゃ……!!)
仙治郎は決意した。
その時、夜鴉が薄く笑った――まるで仙治郎の決意をわかっているかのように。
(あ、ああやっぱり……!!)
運命なのだ。
仙治郎は確信した。
これが、終わりの始まりであることに彼は気付くことはない。
まさに恋は盲目だった。




