062「凶器であり狂気」
突如として出現した闖入者に、ふたりは目を丸くする。
可憐な姿に似つかわしくない凶悪な武器を片手にした少女に対しどうするべきか戸惑っているようだった。
オレンジとグリーンのツートンカラーの長髪。オーバーサイズのワンピース。オバケの形をしたポシェット。ほんのりと赤色に染まる頬と輝く瞳。
記憶の中と寸分たがわぬハロウィンがそこにいた。
「……あ、あなたは……」
ハロウィンが斗亜を見てにこっと笑い、スタンガンを起動させる。青白い火花が散った。
少女とスタンガン。繋がりにくいふたつの要素に男たちが困惑する。これから一体何をされるのか、理解が追い付いていなかった。
「あ……? んだてめえ……」
「成敗!」
訊ねる男の声を遮って、そして一切の躊躇なく、ハロウィンはたたた、と軽やかな足取りで走り出す。そして、男の首筋に向かってスタンガンを押し付けた。
バチイ、と爆ぜる音がして、あたりが一瞬発光した。彼は白目をむいて仰向けに倒れた。ハロウィンがむっとした表情のまま、最後のひとりを見つめる。彼は呆然としている中でも、徐々に何が起こったか把握し始めて青褪めていた。
「ダイジョーブだよ! あたるトコロが悪いと死んじゃうかもだけれど、でもダイジョーブ! ひとなんかいつか死んじゃうのだ! だったらここで死んだっておんなじなのだ!」
要は当たり所が悪いと死んでしまうほどの威力のスタンガン、ということだ。そして、死んだところで問題はない、とも彼女は話している。
斗亜は矢継ぎ早に起こる様々な事を飲みこむので精一杯だった。ハロウィンの垣間見える異常性に気付くことはできなかった。
「ひ、ひ……ひぃ……!!」
「――動かないで」
逃げようとする男を背の高い影がうつ伏せに押し倒す。イヴであった。勢いで鼻から血を垂れ流す男に構わず、イヴは頭髪を引っ張って顔だけ起こすと、唸るような低い声で問いかけた。
「よくお聞き、クソ野郎ども」
「……ひっ」
「アタシは人を殺すことなんてなんとも思わないわ。だからアンタたちがアタシたちの質問にちゃんと答えないなら、殺すわよ」
うつ伏せにされたまま、首だけ無理矢理に起こされている状態。涙を流しながら男は苦しそうに「……は、はいぃ……」と答えた。
斗亜はその時、イヴが『人を殺すことなんてなんとも思わない』と言ったのを聞いていた。
(……やっぱり男だから、力を持っている)
斗亜は思った。
ふたりは力を持っているからこそ、女であってもこうして生きる術を手に入れている。
対する斗亜はどうだろうか――無論傍目から見て、斗亜は弱く映るだろう。だからケダモノたちの目に留まるのだ。弱った獲物を狙うのは世の常、自然の摂理。食い物にありつくためなら、空腹のケダモノは良心の呵責もかなぐり捨てる。
だから、自分は襲われた。
力を持たぬばかりに。
斗亜の炎は油を注がれたように燃え上がった。
そんな彼女のことのすぐ横で、ハロウィンが尋問を開始する。男の視線と同じになるようしゃがみこんで彼女は訊ねた。
「答えてほしいのだ! <紅>のせいだって言われるの、ワガハイいやなのだ。ねえ、おしえて? ダレに頼まれて、こんなつまんなくてアタマの悪いコトしているノ?」
「……だ、だれに……って……」
「あ! それともオマエっていう存在がつまんなくてアタマが悪いのカ? じゃあ――」
ハロウィンはスタンガンを男の眼前で迸らせた。鼻の先で火花が散る。
「ひいっ」と声が上がり、イヴが「ん?」と男の異常に勘付いた。下半身から水溜りが広がっていた。
恐怖のあまり失禁したようだった。その様子をイヴが嘲笑う。
「あら、なあに。怖いの? でもねえ、一番怖いのは斗亜よ、アンタたちじゃないわ。いいから答えてくれるかしら。アンタたちが勝手にやったの? それとも誰かに言われたの?」
「お、お、おおおれたちは……っ、ややや、やとわれて……そ、その……」
「名前は? どんな人?」
「し、しらないっ、顔も、名前もっ!」
「顔も名前も知らない人間に従ったっていうの?」
「め、めめメールで! 昔の事、ば、バラされたくなきゃ、し、しし従えって……!!」
「メール? そのメールはどこにあるの?」
「こここ、ここに!」
イヴの声は総じて冷たかった。脅すようでもなく、さりとて蔑むような声色である。イヴは音もなく男の首を締めていく。
男は震える手でポケットからスマートフォンを取り出した。ハロウィンがそれを受け取り中身を確認する。確認し終えるとはあ、と彼女は溜息をついた。
「――少ない。ぜんぜんダメ。オマエは失格」
「た、たたたすけてくれよ!お、おれはただ……ただ……!!」
「知らないのだ。オマエは悪いヤツだ、悪いヤツはね、地獄に落ちるんだヨ。……イヴ、お願いするのだ」
「りょーかいっ!」
声を掛けられたイヴは両手で男の顎を包みこむ。それから、首の可動域を越えた角度に男の首を曲げた。べき、という樹木の幹を割ったような音が響く。首を直角九十度に折られた男は、そのまま動かなくなった。
死んだのだ、と斗亜は理解した。
壊れてしまった――とも思った。
「……あ」
(私が壊す、はずだったのに)
横から玩具を取り上げられた気持ちになって、ハロウィンを見上げる。目が合った彼女は、斗亜の目に宿るモノに気付いてかなしそうに眉尻を下げた。
「斗亜」
「……ハロ……」
「キミはこっち側に来るの?」
「……え?」
「ひとを殺すのは……カンタンだヨ」
ハロウィンの言葉に、斗亜は目を見開いた。
「ナイフでざくってやればいいのだ。銃でばぁんってやれば死んじゃうヨ。でも……ひとを殺したら、殺せることがわかっちゃう。わかっちゃうと疼くのだ」
「……うず……く……?」
「なにかあったら殺せばいいと思うのだ。イヤなこと、コワイこと……これから斗亜がそういうことに出会うたびに、殺すことを覚えてしまうんだヨ」
「……」
できるとわかれば力を持てば、振るいたくなる。強い力は劇薬だ。ひとを狂わせる最大の麻薬である。
嘘をつくことで現状が改善されることを理解して、以降都合の悪い真実に対し嘘をついて隠すように。手段を得れば選択肢の中に現れる。
ひとを殺す。それは最も狂気的だが最短で決着のつく行為である。
気に食わぬ者は殺せば良い。
そうして独裁者は自分に都合のいい世界を創ったのだから。
「斗亜はこっち側には来ちゃだめだヨ」
「……どう、して……?」
「一線越えたら戻れないってイヴが言っタ。今、斗亜は線を踏んでいる。その線の向こうに行ったら、斗亜は戻れないのだ」
「……私は……」
「人を殺す力は絶対じゃない。有能じゃない。――凶器であり狂気よ。斗亜、踏み留まって。生きるのにこんな力はいらないのよ」
イヴが言った。力を持っている、男のイヴが。
その事実が、斗亜に爆発的な嫉妬心をもたらした。
眼前にいる彼は、男なのだ。力を持って脅かされずに生きられる男という生き物である。
劣等感が斗亜に囁いた。
――弱いからこんな目に遭うのだ。
斗亜はふたりを見ないように立ち上がって、お礼も言わずに飛び出した。
「斗亜!」と叫ぶハロウィンの声が聞こえたが、振り払う。
向かう先は『赤い爪』だった。




