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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
玖のこと『浄化の炎は灯ったか?』
55/134

055「仲が良いのは構わないが」

―第二幕<顔のない隣人>開幕―

※この章は性暴力の表現が含まれます、ご留意ください。

 女は赤いベールで顔を覆っていた。年齢は三十代半ばほどに見えたが、いかんせん顔の上半分が覆われているので確かな判断ができなかった。

 下唇を噛む。緊張しているのを見透かしたのか、女がやわらかく微笑んだ。


「――緊張をなさらなくてもよいのですよ」


 やさしい声に、にわかに視界が滲む。膝の上に作った拳に更に力を入れて、なんとか口をこじあけた。


「わ……わたし……」

「――ここに、手を置いて」

「……え」


 そう言われてすぐあたたかな体温が掌に重なった。誘導されたのは赤い石の塊だ――結晶をそのまま寄せ集めにしたような歪な宝石。ごつごつとしたその上に、女の手と自分の手が重なったまま置かれる。すると、女が何かと悟ったように笑った。先程のやわらかさはなく、怪し気に弧を描く赤い唇はとても恐ろしい。――しかし、それでも、頼らざるを得なかった。


「……ひどいことをされたのですね」

「……!」


 フラッシュバックする映像。

 男たちの笑い声、体中に走る痛み、尊厳を滅茶苦茶に荒らされる感覚――

 再び下唇を噛む。今度は鉄の味が広がった。


「……ええ、ええ。わかります、あなたは――復讐を望んでいる」

「……は……い……」

「勿論――手を貸しますよ」

「……あ」


 女の笑みが、再びやわらかくなる。安心感を覚えた。

 緊張していたのが嘘のようにほどけて――眼前にいる赤だけがこの世で最も信頼できる存在なのでは、とさえ思い始めていた。

 段々と心が浸食されている――この赤に。


「この、<紅姫>が」


<紅姫>――巷に蔓延る都市伝説。

 その本当の姿を知る者は、鍵を手渡され扉の前に立つ者だけ――


 ◇


 広い部屋の中央には巨大な寝台が置かれていた。それ以外にあるのはクッションとぬいぐるみ、コップやお菓子――あとは脱ぎ散らかされた衣服だけ。

 三大欲求の終着点のような部屋は言うまでもなく、<紅姫>の寝室である。いくら散らかしても彼女を叱責する声など無論なく、ただ艶やかな彼女を堪能する舞台装置のひとつでもあった。

 その舞台には晴れやかな朝の日差しがカーテン越しに降り注いでいた。


『……わ、私は……』

『構いません、言わずとも私にはわかるから』


 そう言って画面の中で女が言う。

 真っ赤なベールで素顔を覆った女が出演者の手を赤い石の塊へ誘導した。暫くして、女が出演者の悩みを言い当てる。スタジオ内がざわつき、ナレーションがそれらしい口調で起こった非現実に脚色を付け加えていた。


 ふう、と少女は息を吐く。


 眩い裸身に真っ白な髪の毛を纏わせたまま彼女は後ろにもたれた。少女の背後には青年がいる。銀色の髪をした彼はもたれてきた彼女の体をやさしく抱きとめた。


「……つまんねえ、っすか」


 青年凛龍(りんりゅう)の問いに少女(こう)は「うぅーん」と唸った。視線の先にはテレビがある。

 今はもう化石同然のブラウン管テレビ、しかもチャンネルを回す形式。こうまでくると白黒の方が自然なのだが、画面は色鮮やかで――液晶だけ最新型のテレビのようなちぐはぐさがあった。


 とあるテレビ番組――弥里(みさと)が言っていた赤い女が気になった膠は、『局長』の狂輔(きょうすけ)に「テレビが欲しい」と要求し、届いた結果が眼前の分厚い筐体(きょうたい)だった。

 狂輔の手腕により見た目こそ古いが稼働には全く問題がなかった。しかしリモコンが付属していないため、チャンネルを変えるにはいちいちテレビのつまみを回しに行かねばならない。それだけが手間だった。


「俺は女よりも石の方が気になってね」

「……石?」

「そ。赤い石」


 女の触れている石は鉱山で原石を割って、そのままを持ってきたような無骨な見た目だった。テレビ出演するならもう少し整った見目のものを持って来ればいいものを、彼女の使用している石は水晶とも言い難く――たとえるなら小規模な鉱山のようだった。


「……まさか」

「うん。――まあ、当事者がどっちも寝コケているからどうにも判断つかないけれど」


 膠が膝と左手を見た。

 膝の上には安らかな寝息を立てる紅錯(こうさく)がいて、左側には指先を口に含んだまま眠る紅凱(こうがい)がいた。ふたりともかなり寝起きが悪い――朝にすこぶる弱いのである。


「でもあれ……こいつの意識を取り戻させるために集めて、役目を終えたはずじゃ?」

「うん、もう石自体に力は宿っていないよ。狂輔も言っていたから間違いはないと思う。でも空っぽの外身をどうやったかは俺知らないんだよね。一部はほら……指輪に加工されているけれど」


 膠が左手を掲げた。

 三つの輪が交差した形の指輪――中央に三つ、横並びで色違いの宝石が埋め込まれている。中央に金色、左右に赤。確かな契約の証だった。


「全部指輪にしたんじゃないんでしたっけ」

「あんなバカデカイの全部指輪にはできないよ。残りは狂輔が回収して、それからは知らないの」

「……へえ」


 凛龍が自分の左手を見た。暫くしてから渡された指輪――中央には金色の宝石が輝くそれ。自分が一生することはないと、してはならないと思い続けてきたものだった。

 なので、当時祖父から手渡された時かなり動揺した。


 ――え? え?

 ――折角なンだからちゃんと渡しておけ

 ――俺が……?

 ――もう、お前ェさんは立派にあいつの夫だよ


 見る度にその時の感情がせり上がってきて、常に嬉しさと気恥ずかしさで頬が緩む。――その時、丁度膠の指を食んでいた紅凱が目を覚ました。指輪を見て笑う彼を心底軽蔑した表情で笑った。


「っは……いつまでも新婚気分ですかぁ?」

「……あ?」


 寝起き一発目に憎まれ口を叩かれて、凛龍も応戦する。目を覚ましてくれたおかげで解放された左手を素早く膠が引いた。

「あ」という紅凱の声が聞こえたが、膠は無視した。


「新婚気分の何が悪いんだよ」


 凛龍が刺々しく問うと再び紅凱が鼻で笑った。


「そうやって浮かれたままでいらっしゃれるとちょーっと心配だなあ、と」

「あぁ? てめえだってしょっちゅう浮かれてんだろうが」

「はいぃ? あなたよりは浮かれておりませんよ、なんたって私と膠君はあなたよりずぅっと前に契りを交わした仲ですからねえ」

「うるせえ、俺だって一目見た時からずっと好きだったんだよ」

「年月が違います」

「黙れ」


 口論しているが、膠は仲裁に入らなかった。

 朝の恒例行事のようなものだ――何かとつけて紅凱は凛龍に絡んでくる。凛龍も売られた喧嘩を必ず買うので基本的に言い争いが絶えなかった。しかし、そこに憎悪や悪意の絡むものではないことを膠は知っていた。

 ふたりとも不器用なだけ――だからこそ理解のために必要な衝突だった。


「つうか膠さんの手ぇしゃぶりながら寝てんじゃねえよ、べたべたじゃねえか」


 膠の左手を触りながら凛龍が言う。確かに彼女の左手は唾液で湿っていた。膠は暫くじっとそれを見つめていたが、そのまま布団で拭った。


「膠君……」


捨てられた子犬のようにしょんぼりする紅凱に、膠は首を捻った。


「なあに?」


目をぱちくりさせて無邪気に訊ねる膠に、先程の落胆は何処へやら色めきだった紅凱が前のめりになった。それを素早く凛龍が肩を押さえて押し返す。むっとなった紅凱が凛龍の金の目を見据えた。


「……無粋ですよ」

「なにが」

「膠君が私に対して目で愛を訴えてくださったのを横恋慕するのは無粋ですよ、という意味です。理解力のない方ですねえ」

「あぁ?」

「……ん」


 もぞ、と膠の膝の上で何かが動く。紅錯だった。

 上体を起こした紅錯はふたりが恒例行事に耽っているのを一旦眺めてから頭を掻いた。テレビはまだ赤い女の特番を流していた。


「……『日照神(ひのてるかみの)御石(みいし)』か」


 画面の中の石を見つけて紅錯がぼそっと呟く。


「ん。……やっぱりそう?」

「……おはよう」


 膠の問いには答えず、紅錯は彼女の頬に口づけを送る。それから寝台から降りて散乱した衣服を回収し始めた。朝の支度は紅錯の役目だ――起きるのは遅くても、起きてからの行動は素早い。


 てきぱきと片付け終え、部屋の隅に置かれた簡素な箪笥の前に立つ。引き出しを開けて自分の服と凛龍の服と紅凱の服を取り出し、放った。

 猶も言い争いをしているふたりの頭に衣服が被さった。


「あなたは本当に……んんっ?」

「おわっ……紅錯さん?」


 ふたりが同時に紅錯を見る。彼の顔に表情はない。


「……仲が良いのは構わないが、準備はしてくれ。……膠、おいで」

「うん」


 膠が腕を伸ばすのにあわせて、紅錯が両脇に手を入れて抱き上げる。腕の中におさめると、漆塗りの立派な箪笥へ目を向けた。


「……今日は何を着ようか」

「別になんでもいいけれど……ところで紅錯」

「……うん?」

「やっぱりあれ――『日照神御石』なの?」

「……ああ」


 未だ歓声の上がるスタジオ。凛龍と紅凱は着替えてながらも一応見てはいるようだった。紅錯は言葉を続けることなく、箪笥を漁っている。選んでいる様子の彼に、膠は些か不満そうだった。


 どうせすぐ脱ぐことになるし、着込むのだって慣れていないので丁寧に選ばれても戸惑ってしまうだけだった。そもそも狂輔の贈ってくる服のほとんどは水着やら下着やらそういうのばかりだった。


 ――要は見た目はどれも同じ。

 膠はそう思っているのだが、紅錯にもこだわりがあるらしく、日々頭を悩ませている。服が変わると膠の自室も様変わりするので、それも計算に入れているのかもしれない。無口な彼はほとんど説明しないまま行動するので真意は明らかにされていない。

 いずれにせよ――自身のことなど毛ほどの気にしていない膠は箪笥を探る紅錯の肩をばんばん、と叩いた。


「紅錯っ! なんでもいいってば。それでいいよ、その赤いやつ」

「……ん? これか?」


 着物を引っ張り出して広げるとそこに描かれていたのは――


「……なにこれ?」

「……春画だな」


 蛸の触手に絡め取られる女の浮世絵だった。

 狂輔の悪趣味だった。

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