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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
捌のこと『分かり合えない三人のモノローグ』
54/134

054「悪趣味な娯楽」

 目が覚めて、文美が自分を見て七葉を見た。


「……ん? あれ?」


 文美は目を擦り、腹を押さえる手をのけた。そこには、なにもない。

 七葉も不思議そうな顔をしている。


「……なな?」

「ふーちゃん……?」


 お互いに顔を見合わせて首を傾げる。

 何かを忘れている気がするが――どうしても思い出すことができなかった。

 けれど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と結論付けた。


「なんでここにいるんだろ?」

「わかんない……肝試しに来たんだっけ? 私たち」

「はあ? 肝試しぃ? そんなの、する趣味あった?」

「……しないねえ」


 あたりには民芸品やら宝石の欠片やらが散らばっていてただ事ではなかった。しかしそれを見てもふたりともなぜ自分がこんなところにいるのか、理解できなかった。


「……とりあえず、帰ろ、なな」

「うん、帰ろっかふーちゃん」


 七葉と文美は手を繋いだ。

 そうすると体温を感じられて不思議と安心できた。


「そういえば――ねえ、ふーちゃん」

「うん?」

「私ね、()()()()()()


 照れたような七葉の言い方に、文美が仰天する。


「……は!? うっそ、まじで?」

「そう、すっごく素敵なひとだから――ふーちゃんも、惚れちゃうかもね?」


 突然惚気てきた七葉に、文美は肩を竦めた。


「はあ? うそでしょ~? 名前は?」

「えっとねえ――名前は、()()()()!」


 弾んだ声の七葉に、文美は訝しんだ。


「ふうん……騙されてんじゃないの?」

「ちょ、ふーちゃんひどーい!」

「ごめんごめん」


 笑い合いながら部屋を後にするふたり。

 その背後に猫がいた。尾が二つ分かれた紫色の猫だ。隣には白い毛並みの犬がいる。

 しかしふたりは気付くことはなかった。


「まあ――お話がプロローグに戻ってしまったわ」

「まあ、いなくなったからな」

「水中で夢を見る彼も本当のじぶんを探している彼女も燃やされ続ける彼もお伽話も宝石を捨てた彼女も水槽の中で団欒する彼らも――全部元通りなのかしら」

「ならねえだろ……さすがに」

「そうよね、ひとひとりですものね」

「都合よく回るさ、たかだがひとり――いや、()()()消えたところでなんにもならねえよ」

「そうね、所詮は物語の登場人物……端役ですものね」

「オレたちは<紅姫>のために訪れる客を出迎えるだけだ」

「そうね、わたくしたちはただそれだけだわ」

「オレたちが幸せであるためにはそうするしかねえからな」

「そうね、その通りだわ」


 会話する二匹の背景が移り替わる。そこは塀の上だった。

 猫の頭を垂れ目の男が撫で、犬の頭を仏頂面の男が撫でた。

 遠くに顔を伏せて深刻なそうな表情の――やせ細った女が歩いてくるのが見えた。セミロングの彼女を見て「やれやれ」と垂れ目の男が首を振った。


「――これはなんとも……()()誘われたようだね」

「……懲りねえやつ」

「夢を見るのは一度でいいと思うけれど」

「……ふん」


 屋敷を見つけてはっとなる女に――『門番』の顔で、言う。


「おやまあ、こんにちはお嬢さん」


 息を呑む彼女に、彼は同じ台詞をかけた。

 少女の瞳に希望が満ちる――そしてまた夢の繰り返し。


 少女の夢は終わらない。

 振り返る道はもうないのだから。前に進む以外に術はない。


 ◇


 赤い花が街を包み、時折風に乗って散っていく境目。

 ここは『狭間の世界』――『緋紅楼(ひべにろう)』。<紅姫>が統治している安寧の地である。

 あらゆるモノは存在しているが、信じられていないことが多い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――そんな不安定なモノの集う場所が『緋紅楼(ココ)』である。

 普段は屋台などが通りに立ち並び、喧噪に包まれているこの場所も通りの『(ともしび)』が消えれば夜となり、静寂に包まれる。

 丸く切り取られた窓にもカーテンが引かれ、中から淡く光が漏れていた。


 部屋の内装は華美に装飾されていた。巨大な寝台が中心に置かれ、不思議な刺繍が縫い取られた絨毯が床一面を覆っている。備え付けの電話機で会話をするのは無論、この屋敷の主で『緋紅楼』を統括する存在<紅姫>である。しかしながら今の彼女はどちらかといえば(こう)――単なるひとりの少女に過ぎなかった。


(かや)、本條のこと。ありがとう、助かったよ」

『なんじゃ? 礼を言われるようなことはなにもしてねえよ、()()()()()()()()()()()じゃ』


 本條はもともと榧が率いる組織で悪事をはたらいていた。直接的な罰は逃れたものの、組織の汚点は即刻切り捨てるのが組織の長である榧の性格で――今回、本條が獄中で死んだのもひとえに榧、というより榧に命じられて会いに行った燈以奈(ひいな)萌黄(もえぎ)の仕業だった。


 ――榧は義なき規律違反を許さない


 榧は規律に対してそこまで真面目ではない。たとえ反することだったとしてもやむを得ない――家族や友人、恋人、家庭事情など引くに引けぬ理由があれば、その違反には目を瞑ることにしている。

 しかしながら本條の場合は違う。彼は飽く迄彼自身のために規律を破った――それは、粛清対象だった。

 膠ひいては七葉によって豚箱送りになった彼だったが、だからといって何もかもが許される訳ではなく――榧の理念のもと、本條は葬られることとなった。

 その事実を敢えて膠は話さなかった。


『ぬしもひとの悪ぃ奴じゃ。言うてやればよかろうに』

()()()()()()()()()()()()()、俺はゲームは面白い方が好きなんだよ」

『それが悪ぃと……まあ、いいか。外に出られんぬしではそういう悪趣味な娯楽もまた――必要か』


 榧が一呼吸置いた。

 どうやら煙草を吸っている様だった。


『そいで、本條が死んで……鈴香っちゅう娘っ子が今度は七葉を殺そうとして失敗、じゃったか?』

「うん」


 膠にとって鈴香も七葉も文美も全員駒に過ぎない。七葉の『魂』は既に喰らっているので残りは鈴香か文美。正直いってどちらも充分熟れていたので、膠としてはいずれを食しても構わなかった。


「本條が死んだことで鈴香にプレッシャーがかかった。そして七葉を恨む心が生まれ……でも文美がそんなことは許さない。平穏無事を祈った結果、鈴香は消えた」


 ()()()()()()()()()()()

 香織がいて鈴香がいる事実はいくら膠といえど変えることのできない事象だ。

 だからこそ膠は文美に言った。


 よく考えて決断したか、と。


 文美は考えたといったが――わかっていない。

 鈴香は母が好きだった。好きだからこそ、誰かを傷つける母を見ていられなかった。

 だから、消そうとした。


 所詮、見ている世界は違うのだ。

 鈴香の心の内など、文美にはわからなかったのである。


『そういやあ、本條がわての名ァで買い付けとったクスリ……依存性こそひでえもんじゃが、人格までは変わらねぇ代物じゃったぞ?なして鈴香の母は……』

()()()()()()、榧」

『あ? 素?』

「そう――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

『おう……じゃから娘を』

()()()()()()()()()()()()()()()()

『……おい、それって』

「そういうことだよ」


 榧は沈黙し、それから『……まあいいか』と締めくくった。

 全ては終わった話である。これ以上掘り下げたところで、何も面白いことはない。


「それじゃあ引き続き、よろしくね榧」

『おう、またな』


 そうやって電話が切れた。膠が受話器を置く。

 すぐ背後から紅凱がやってきた彼女の体を抱き上げた。風呂に入ったばかりの膠の体からはダマスクスローズが香る。乾燥を防ぐボディミルクの匂いだ。


「お話は終わりましたか、膠君」

「うん、もうだいじょうぶ」

「さようでございますか、それでは」


 紅凱が寝台へ足を向ける。そこには既に凛龍と紅錯がいて、ふたりとも上を脱いでいた。

 膠もまた裸身に上着一枚である。


 何が行われるかなど――誰が見ても一目瞭然だろう。


 シーツの上にやさしく下ろされた膠は両腕を掲げた。

 その弾みでぱさり、と上着が落ちる。


 ここから先は――花の宴。誰にも邪魔されぬ幸福の宴。


「……おいで」


 誘う声に獣たちは喉を鳴らして食らいついた。


 ここは胡蝶の夢の中。

 或いは途切れた夢の最果て。


 業が深きはひとの世の常。

 その業を食らいて花開くは<紅姫>。

『桜雲館』は扉を開く。欲望が存在し続ける限り――

第一幕〈胡蝶の夢〉閉幕

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