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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
捌のこと『分かり合えない三人のモノローグ』
50/134

050「君がこの現実を信じるのなら」

 ●望みを叶えた者の処遇について

 (ごう)を祓った魂は基本的に『大鍋』行きデス。ただしそのひとが誰の記憶からも忘却されない限りこの世には存在し続けるヨ!でも肉体的には『お前はもう死んでいる』……ので、物理的破壊は無効です!物理無効です!アラハバキじゃん!……あ、これは物理反射だわ(´・ω・`)

 ――『局長・愛のルールブック』(手書き)より引用


 ◇


 七葉の心はあの日からずっと軽かった。アルバイトをしている間も家でご飯を食べている間も――何も考えることがなかった。真っ黒な寂しさも渦巻くことなく、平穏そのものだった。

 本條の件もあれから何も聞いていない。敢えて聞かないようにしていた。聞いてしまうとやっと吹っ切れた想いが舞い戻って来てしまう気がしたから。


「野菜が安かったから明日はカレーにしようっと」


 ご機嫌に帰り道を歩きながらカレーの具材はあれとこれと練っているところで、街灯の下に立っている人物を見つけた。ぎょっとして立ち止まり、それが髪の縛っていない鈴香であることに気付いて――七葉は安心して声を掛けた。


「すず! どうしたの、こんなところで?」

「……ななっち」

「うん?」

「……ごめんね」

「え?」


 鈴香が倒れてきたと思った。だから受け止めたつもりだった。

 しかし――


「……ママを救いたいの」

「……すず……?」


 七葉の腹には深々と銀色に光るナイフが刺さっていた。

 視界が眩んで、七葉は思わず膝をつく。顔を上げると、鈴香が悲哀に満ちた目で七葉を見下ろしていた。


「……なん……で……?」

「……」


 段々と暗闇に覆われて――七葉の意識は失われた。


 ◇


(すず……馬鹿なこと考えてんじゃないよ……!!)


 文美は思わず飛び出してきてしまったが、行くあて鈴香の家か学校、或いは七葉の家ぐらいしかなかった。だが、もし彼女が本当に七葉に対して殺人を実行するというのなら、おそらく向かう先は七葉の家だろう。文美は自分の予測を信じて七葉の家へ向かった。


(なんですずがななを殺すの……? 意味わかんないんだけど……!!)


 鈴香も七葉も仲が良かったし、喧嘩をしているような様子もなかった。というより、喧嘩をしたって殺すなんて物騒な事を言うような子たちではないはずだ。

 少なくとも文美の知る鈴香は常に明るくて噂好きでイマドキ女子という風貌だったから、まさかその口から「殺す」という言葉が出てくるとは思わなかった。想像もできなかったし、予想なんてもってのほかである。

 何が彼女をあんなにも変えてしまったのか――文美には見当もつかない。


「……確か……ななの家は……あっ!?」


 文美は見つけてしまった。

 道端にエコバッグの中身をぶちまけて――倒れている七葉を。

 嫌な予感が背筋を這って脳味噌を揺らした。心臓が早鐘を打つ。

 確かめなければ、でも――確かめたくない。それは鈴香の罪を暴くことと同じである。

 しかし、放ってなどおけない。

 文美は一度立ち止まった足を無理矢理動かして駆け寄った。そして七葉を抱き起こす。


「!」


 腹には深々とナイフが突き刺さっていた。けれど――


「……血が、出てない……」


 深く刺さっていないにしても、まったく血が出ないというのはおかしい。文美が困惑していると、頭上で羽根の音がした。はっとなって音を辿って上を向くとそれ、と目が合った。


「おっとー! やっちまったかァ?」


 腰から生えた黒い翼で飛ぶ鳥女――だった。青い瞳は異国の海のようで美しい。現実から大きく外れた物体に文美はぽかんと口を開けたまま静止してしまった。


「んぁ? オマエ……ははーん」

「……え? え?」

「まーいいや。オマエも来いよ」


 そう言って鳥女は文美と七葉の両方を巨大な鳥の鉤爪で掴むとそのまま上昇した。段々と遠くなる地面に文美は青くなる。


「えっ、ちょ、なに!? あ、やだ、ちょっとぉ!?」

「るせェな。あんま喋ってっと舌ァ噛むぞ」

「やめてえ、私っ――高いとこっムリぃ!!」


 文美は高所恐怖症だった。


 ◇


 スリリングな空中遊泳が終わって投げ出され、着地したのは毛足の長い絨毯の上だった。


「いった……!」

「<紅>さーん、連れてきやっしったー」


 文美が頭を押さえながら顔を上げる。そして――再び静止する。


「やあ、君は……はじめましてだね」


 にっこりと少女が笑う。

 文美は思わずごくりと唾を飲みこんだ。


 彼女の胸の谷間には『(さく)(がい)(りゅう)』という文字が四角く囲われている赤い文様が、下腹部――女性器にごく近い部分にはハートに似た――文美はそれをサブカルチャーでは『淫紋(いんもん)』だとか()()()()呼び方をすることを知っていた――文様が描かれている。

 それがわかってしまうほどに少女は何も着ていない。上半身は素肌の上に桜吹雪の模様の着物、下半身はシースルー素材の隠している範囲の狭い下着だけだった。


(時文がやってたエロゲのキャラクター……?)


 脳裏によぎったのは年頃の弟が隠し持っていた成人向けゲームの登場人物だった。

 見つけた瞬間こっぴどく叱った覚えがある。ゲームは先輩から借りたというオチがついたけれど。


「俺の名前は<紅姫>。鈴香から噂ぐらいは聞いていないかな?」

「……え?」


 どこかで聞いたことのあるその名前――文美は鈴香が『桜雲館の紅姫』という望みを叶えてくれる都市伝説の話をしていたことを思い出した。

 七葉が思い悩んでいた時に彼女が話題に出した内容である。


「……実在すんの……?」

「君がこの現実を信じるならね」


 少女――<紅姫>はそう言って、傍らで意識のない七葉に目を向けた。夜空を写し取った瞳が七葉を一瞥した。その視線の動きで、文美は七葉がナイフで刺された事実を思い出して慌てる。


「……あっなな……!」

「だいじょうぶ」


<紅姫>が左目を覆う長い前髪を払った。現れた左目には瞳はなく――代わりに大輪の花が咲いていた。見たことのない真っ赤な花が眼窩(がんか)から直接咲いている。涙のように根が頬を伝っていて、異様ではあったが恐ろしくはなかった。

<紅姫>が花びらを一枚引き抜くと七葉のナイフの刺さった腹に添える。すると花は置いた途端に崩れ、ナイフと傷口を覆った。赤く光ったかと思うと、ナイフも傷口も――跡形もなく消えていた。


「は? え? えぇ?」

「ふふふ、君はすごく面白い反応をするね」

「あ、あぁ……そう……そうだね、うん……いや違うんだけど!」


 文美は納得しかけて振り払った。

 非現実な事が起こりすぎてVRゲームを体験している心地になっていた。文美はVR機器を装着していないし、した覚えもない。だからこれは――現実だ。


「これなに!? ななは……ななはどうなったの!?」

「七葉は俺に『魂』を食われているから死なないよ。『魂』は存在の象徴でもあるけれど――生命の根源であることには代わりない。それがないのだから、ナイフで刺されたって死ぬことはない」

「へ? 『魂』?」

「そう、『魂』」

「『魂』ってあの……『魂』?」

「そう、あの『魂』」

「……いや、わかんない」


 文美は全く理解ができなかった。

 そうしているうちに、七葉が「うぅ…ん……」と唸る。文美が七葉に縋ると、彼女の瞼が動いてやがて薄目を開けた。


「……あれ? ふーちゃん……?」

「なな!」


 七葉がゆっくりと体を起こして状況を確認するように辺りを見渡した。<紅姫>を見ると「え!?」という顔をしてから文美に気付いた。


「あれ? ふーちゃん? えっ? な、なんでここに? あれ、私?」

「とりあえずふたりともいったん、落ち着きなよ」

『……え?』


 文美と七葉の声が重なった。

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