049「なんかあった?」
姫原文美は五人兄弟だった。
文美は長女、そして下四人は全員弟だった。両親は五人の子どもを養うために必死に働いているので家のことは全て文美の役目だった。
まだ幼い頃は「なんで私ばっかり」なんて不満も抱いたこともあったが、今はもうそれが普通になってしまったので苦ではなかった。
それに弟たちも年を重ねればしっかりしてきて姉を支えてくれるようになったので、兄弟が多いことも悪くないなと高校生になった時分は思うようになった。
そのせいかもしれない。友人であっても必要以上に世話を焼きたがってしまうのは。
自分でも直さないといけないなとは思ってはいるものの、どうにもいろんなことに気付いてしまって声を掛けずにいられない。
ずっと気落ちしている風だった七葉が最近は元気になったのはよかった。しかし何故か今度はいつも嬉々として噂話やゴシップを話す鈴香の様子がおかしい。気になった文美が鈴香に訊ねた。
「ねえすず」
「……うん?」
「なんかあった?」
「え? ……なんで?」
「だってあんた、ずーっと下向いてるじゃん」
はっとなった鈴香が慌てて取り繕って笑う。
わかりやすい誤魔化しだった。
「なんかあったんなら話してよ」
「え? あ……な、なんもないよっ?」
「うっそ。すんごい動揺してんじゃん」
「……ふ、ふーちゃんの気のせいだよ~」
「ふうん……」
明らかに嘘だったが、誤魔化すということはあまり知られたくないということだ。無理矢理聞きだすのも気が引けた文美はそれ以上何も言わなかった。終始七葉が心配そうにしていた。
◇
(さあて今日の夕飯どうすっかな~)
人数が人数なうえ、男ばかりの家族だ。安価でかつ量を多く作れるものが求められる。そして――ボリュームがないと弟たちは満足しなかった。
(昨日ヤキソバだったし……カレー?でも鍋洗うの面倒くさいだよなあ)
献立を考えながら歩いていると、交差点に差し掛かった。チカチカと青信号が点滅していたので文美は立ち止まった。入り組んだ住宅地のマンションの一室が文美の家である。
辿り着くまでいくつもの曲がり角を曲がるので、鈴香には「ふーちゃんまで行くの迷路入るみたいで難しい」とさえ言われた程だった。
最初は文美も覚えるのに苦労したが、十八年ほど通い続けていれば頭にマップが広がって勝手に現在地を示してくれるので何の問題もない。
(最近ゲームしてないなあ)
もともとサブカルチャーが好きな文美の部屋にはそういうもののグッズが大量にある。ポスターは弟たちに破かれるので買う機会は少なかったが、アクリルキーホルダーなど身に着けられるグッズは所有していた。
漫画やアニメよりもゲームが好きな文美はパーティーゲームでは家族で一番強かった。常に弟たちを負かし、優越感に浸っていた。しかしゲームに勤しんでいる時間も少なくなりつつあり、大分ご無沙汰だった。
(帰ったら久々にちょっといじるか)
そう思いながら何度も曲がり角を曲がっていく。自動車も通る道なのでカーブミラーを時折確認しながら進んでいく。真っ直ぐ行けば自宅に辿り着く道路に差し掛かり、自動車の往来や自転車が来ないか確かめるため、文美はカーブミラーを覗いた。
「……?」
その時、背後に何かが映った。振り返って見るが、暮れつつある道路には誰もいない。気のせいかと思い構わず進むと、それは確かに聞こえた。
コツッ。
女性のヒールがコンクリートを叩く音。
だが別段恐怖を感じる程ではない。住宅地であるし、文美が住んでいるのはマンションだ。住人なら道が同じで当然だろう。文美はそう思って自宅へ真っ直ぐ進んでいく。段々と黒い外壁のマンションが見えてくる。出入り口の自動ドアまで来て、足音が続いていることに気付いた文美だったがマンションのセキュリティーのこともあるし、と僅かな警戒を解いた。
文美の住むマンションは入り口で部屋番号を叩くと部屋に繋がる仕組みになっていて、部屋の住人が応答して開く仕組みになっている。だから不審者であってもすぐ中へ入ってしまえばいい。そう思っていた。
『705』と入力して応答を待つ。家には次男の礼文がいるはずだ。その時――
「ねえ、あなた」
と声を掛けられた。
思わず振り返って文美は息を呑む。
「ひ!?」
真っ赤な洋服に身を包んだがりがりに痩せた女がそこにいた。元の顔立ちは綺麗だろうに、極端に痩せているものだからまるで老婆のように見えた。
その顔に無理矢理化粧を乗せているような顔面で、口元の赤がいやにはっきり主張していて恐ろしかった。
「――あなた、本條さんって知らない?」
「ほ、本條さん……?」
「ええ、そうよ――本條さん」
「……だ、だれ?」
知らない――そんなひとは。
文美の知り合いに『本條』という名前のつくひとはいなかったし、母の旧姓だって『本條』ではない。骸骨のような顔立ちがぐにゃりと歪んだ。
「……そう。あなたじゃないのね」
「え?」
「……いいわ」
それだけ言って女は立ち去っていった。
呆然としている文美の耳に『おーい、ねーちゃん?』という礼文の声が聞こえた。
◇
「バケモンだよバケモン! まーじで怖かった」
エントランスで会った女のことを話すと、礼文が「はあ?」という顔をした。食卓には兄弟が全員揃っている。
長男の時文は高校一年生、次男の礼文は中学二年生、三男の文仁は中学一年生、四男の文也は小学六年生。早く兄弟の欲しかった両親がだいぶ頑張った結果、全員一歳違い――つまり年子だった。
そのせいか、おかげか、反抗期やらカレカノ問題やら――話題の尽きない家族だったが、文美はそんな家族が好きだった。
女の話題に食い付いたのは文仁だった。
「あれじゃね!? 口さけ女じゃね!?」
「いや口は裂けてなかったけど……」
「ただのアタマのオカシイ女だろ。姉ちゃん強えーんだから気にするなよ」
嫌に冷静な文仁がスパゲッティを啜りながら言った。文美がむっと顔を顰める。
「なによう、姉ちゃんだって女なんだからね?わかってる?」
「えぇ? 姉ちゃんってオンナだったのぉ!?」
「はあ? 文也! それどういうイミ!?」
「……るせえ」
ぼそっと文句を言うのは時文だった。彼は兄弟の中では一番背が高くそしてガタイが良かった。生まれ持ったその体格を生かして高校ではラグビー部に所属している。
「ま、なんかあったら助けてよ時文」
文美が肩に手を置いて言うと、時文は露骨に嫌悪感を示した。
「は? ……やだよ」
「えぇ~?」
和気藹々とした家族の風景。悩みがあってもすぐに吹っ飛んでしまう騒々しさ。
それを日常としている文美には――本当の意味で理解は出来ないだろう。
親に置いて行かれても好きでい続ける孤独。
ひとりきりでいるうちに蓄積される真っ黒なうら寂しさ。
文美が見えている世界と鈴香が見えている世界と七葉が見えている世界――すべて全く違う世界だ。
だからこそ――
――トゥルルル
家の電話が鳴り響く。
電話に出るのはいつだって文美の役目だった。
「お母さんたちかな」
呟きながら受話器を上げる。
「はい、もしもし」
『……』
「ん? あれ? もしもーし」
『……ふーちゃん』
「あれ? ――なあんだ、すず? ……どうしたの、そんな暗い声して」
『――』
「うん?」
『――』
「……え? ちょ、……すず?」
『――』
「……!」
――ツーツー。
「……ねーちゃん?」
礼文が文美の異変に気付いて声を掛ける。
手が震えている。今、鈴香はなんと言った?
聞き間違えであってほしかった――だから、文美は、
「ごめん! ちょっと用事!」
「えっちょ、ねーちゃん!?」
頬を切る風が冷たい。でもそれよりも嫌な予感が渦巻いて体中が熱かった。
確かめなければならなかった。鈴香がまさかそんなことを言うなんて――嘘だと。
(なんで……!?)
鈴香は底冷えのする声で、こう言った。
『……ごめん。あたし……ななっちのこと、殺しちゃうかもしれない』




