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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
漆のこと『水槽の団欒』
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046「とっておきの秘密」

 ――<第壱結界>凛龍。<紅姫>が為、彼の者の意識を切断す――


 ◇


 黒い男が水面を見つめている。彼の赤い目が捉えているのは、凪いだ水面の上にある二輪の赤い花だ。水に融けている悪いモノを鎮めるための聖遺物――純太の『魂』を食らおうとしていたモノたちがこれ以上活発化しないように抑える役割にある。

 〝人の死〟は悪いモノにとっては特別な餌だ、近づくモノを取って食らう恐れもある。


「……」


 男は踵を返した。


「……()()()()()()()か」


 ぽつりと男は呟いた。

 水面の赤い花は三輪に増えていた。

 まるで寄り添う親子のように――。


 ◇


「――家族は水底で幸せに暮らしました、めでたしめでたしってやつ?」


 そう言うのは糸目の女だった。腕に<紅姫>を抱いた彼女の視線の先には硝子の棺に納められた夫婦がいた。

 ふたりは生きている――生きているが、意識はない。望み通り息子に会うため、彼らの意識は真っ暗な水底へ向かって沈んでいった。


「気付いていた?」

「ん? なにがあ?」

「あのふたりってずっと〝親の責任〟として純太のことを想っていた――ってことに」


 糸目の女は<紅姫>の言葉に「ふうん」と相槌を打った。

 へその出たタートルネックにサスペンダーのズボンをあわせ、その上に派手な柄の着物を羽織っている。ズボンも腰の部分が大きく開いた独特なデザインをしていて、縁を覆うように小さなマスコットがひしめき合っていた。


「親の責任、ねえ」

「気付いていなかったようだけれどね。純太のことを純太という個人では見ていなかった」


 女はふう、と息を吐いてから言う。


「まあ親になればそうもなるさ。家族を他人という枠組みの中にあるひとつの分類(カテゴリ)だとわからなければ、切り離して考えるのは難しいよ」


 女が棺に近づいた。

 眠る二人の顔は穏やかだった。

<紅姫>が口を開いた。


「凛龍の力で意識を切り離して水底へ落としたんだ。そこに純太はいないけれど、彼らの思い描く息子の純太はいるはずだよ」

「妄想力逞しいよねえ、人間って本当に面白い生き物」


 女が言うのに、「本当にね」と今度は<紅姫>が相槌を打った。

 ふたりの望みは息子に会うこと、そして会って話すことだった。単純だがもう叶わない望みである。話すことなど生きていればいくらでもできていたであろうに――後悔したところで失われた『魂』の行く先は決まっている。


「夫婦は『種』になるかな」


<紅姫>が問うと、女は肩を竦め、ピアスが光る口元をへの字に歪めた。


「さあね。そればっかりは小生には決められないよ――何事もなければ『種』になるだろうし駄目だったら『薪』にする」

「『大鍋』に行っても『薪』になるの?」

「そういうのは例外中の例外だけれどね、何事もマニュアル通りにはいかないさ」


 棺を離れると、女は踵を返した。

 抱きかかえられた<紅姫>の白く長い髪がふわりと靡く。それを女が目で追いながら呟く。


「君も随分髪の毛伸びたなあ、切らないの?」


 言葉に「うん?」と首を傾げて<紅姫>は言う。


「切っているよ、毛先だけ」


 女が「えぇ?」と顔を歪めた。納得いかないといった表情である。


「それじゃあなんにも変わらないじゃないか。昔みたいに短くしないのかい?」

「そっちの方がいい? なら切るけど?」

「小生の好みじゃあ三人が煩いからなあ……」

「ふうん、気を遣っているんだ」

「一応ね」


 以前とは似て非なる女の横顔を、<紅姫>は感慨深く観察していた。視線に気付いた女が「なんだい」と首を捻る。糸目の合間から訝し気な眼光が覗いた。


「ううん。君の方こそ変わったね」

「小生が? ――別に何も変わらないよ。役目を終えたからいろいろと鳴りを潜めているだけ」

「役目って、嫌われる役目?」

「まあそれもそうだし――紅凱とかのこともいろいろと」

「そう。俺は別に君のこと苦手というだけで嫌いではなかったよ?」

「そういうところが人たらしなのさ、君は。小生が君を好きになったらどうしてくれるんだい」

「あれ?君ずっと俺のこと抱きたいだのなんだの言ってなかったっけ」

「あれは飽く迄『滅欠(めっかけ)狂輔(きょうすけ)』としての役目を全うしている時の小生だからだよ。今は(かや)とだって寝たくない」

「ふうん……殴られるのは好きなのに?」

「そりゃ性癖だからね」


 歩く廊下は果てしなく。『桜雲館』と違って、無機質な鉄の壁である。歩く廊下も鈍色をしていて、どこかSFを起草させる内部だった。

 ここは『管理局』――その名の通り、『魂』の管理をする雲の上の場所である。言うなれば『神のいる場所』だったが、ここに勤める者は自身を『神』などとは呼称しない。寧ろ呼ばれるのを嫌がる連中ばかりだった。


「紅凱と紅錯はよろしくやっているかい。ああ、あと凛龍も」

「よろしくやっているよ。凛龍と紅凱はちょっと仲が悪いね、でも君の頭が痛くなるほどじゃない」

「小生は頭を悩ませることなんてさらさらないよ」

「そうなの?」

「そうだよ」


 かつ、かつ、という靴音が途中で止まる。壁に設置されたパネルに女が手をかざすとモニターが緑色に変わって扉が開いた。中にはごちゃごちゃとコードを生やした機械が置かれていて中央に寝心地の良さそうなベッドが用意されていた。

 柔らかなシーツの上に<紅姫>を置くと、女は部屋の奥にある電子盤(キーボード)を叩いて空中に透明なモニターを表示させる。表示されたそれを今度は指で動かすと、表が出現する。電子の淡い燐光が女の横顔を照らし出した。

 ごろりと体を仰向けからうつ伏せに変えた<紅姫>が寝ころんだまま頬杖をついて訊ねた。


「どう? 狂輔」

「安定はしている。でもやっぱり全体的な数値が低いから……ちゃんと『魂』食べてね(こう)

「やっぱり駄目かあ……」

「駄目に決まっているだろう、精液は飽く迄代用なんだから。君の花を咲かせるには『魂』だよ」

「むぅ」

「ほっぺた膨らませたって駄目」


 女――狂輔の言葉に、<紅姫>膠の頬がしぼんだ。


「いくら興味ないからって食べなさすぎは体に毒だよ膠。『緋紅楼(ひべにろう)』を守るにも『花』の維持は重要なのだから。――わかっている?」

「わかってるよ」

「わかってないだろ」

「……バレるかあ」

「小生は元神さまだからね」


 モニターを一瞬にして消すと狂輔が膠のもとへ近づく。そして前髪を払った。

 そこにあるのは――瞳ではなく、『赤い花』だ。水面に浮かべたあの『花』と同じもの。眼窩に根を張る『花』に狂輔が指で触れた。ひっくり返して根付いたその部分をまじまじと見る。『花』の根は膠の頬に涙のように張り巡らされていた。


「……んっ」

「しっかり根付いているから暴走する予兆はなさそう」

「……ちゃんと管理してるってば」

「君は自分のことを知っている風で知らないから、壊れる時は壊れちゃうよ」

「……む」

「拗ねるのやめておくれ」


 狂輔が言って、前髪を元に戻した。


「俺も驚いたよ、起きたら目に花咲いているのだもの」


 膠が『花』を触りながら言った。


「それは君の未練さ――いろんな未練と思いとが重なり合って花になった。まあ君『大輪』だったし丁度いいんじゃない?」


 狂輔が再び膠を抱え上げる。

 そして今度は出入り口と逆の壁に触れた。すると壁が溶けるようになくなって、膠の部屋が現れた。

 三人の男が一斉に膠へ視線を向ける。


「わぁ、すごい。訓練された犬みたいで気持ちが悪いね」


 狂輔が悪し様に言うのに、紅凱が眉を吊り上げた。


「相変わらず口の悪さですねえ、糸目女」

「そりゃあどーも。君に褒められても嬉しくないって何回言えばわかるのかなあ? 子宮に響かない罵倒は吐き気がするだけだからやめておくれよ」

「いいからとっとと膠君を離しなさい、妙な菌でもうつったら大変です」

「そんなもの持ってないよ、小生は神さまなんだからさあ」


 狂輔の腕の中から、紅凱は膠を奪い取った。


「やあ凛龍。絶賛片思いだった相手が複数人プレイが大好きな淫乱ってことで気落ちしてない? 大丈夫?」


 投げられた悪意に凛龍が眉をひそめた。唸るように、


「……アンタ、殺されてえのか」


 と言うと「わ、こっわーい」とわざとらしく肩を竦めてみせた。


「俺のことはどう言おうが構いませんが……膠さんのことを好き勝手言うとマジで殺しますよ」

「なんだいなんだい、王子様気分なの? 面白いねえ君。銀龍(ぎんりゅう)に似ているようで似なかったね」

「うるせえ、親父と俺は違う」

「そうだねえ、全然違うねえ」


 けらけらと笑う狂輔を猶も睨み続ける凛龍。傍らの紅錯は全くの無反応だった。


「君も置物みたいになってないでさ、ちょっとは自己主張したら? そうじゃないと欲求不満で大変なことになっちゃうんじゃない? ああ、それとも――紛い物(レプリカ)だからって本物に遠慮してる?」

「……」


 紅錯は何も言わなかった。一瞥くれただけで、明らかな挑発の物言いにも静かである。


「ふふふ、君たちって面白いねえ。ま、お花が甘くておいしいからってあんまり仕事サボらせないでね。こっちだって大変なんだから」

「もういい加減黙りなさい、あなたの言葉を聞いていると耳が腐りそうです」

「産みの親に対してなんて言い様するんだい」

「ひとり――というだけでしょう、創造主は他にいるはずですが」

「そのひとりなんだから親だろう?」

「だとしても私はお前のことなど親とは思いたくありません」

「あっそ、お好きにどーぞ」


 男たちとの応酬を見ながら、膠がふっと笑った。

 今そこにいるのは自他ともに認める嫌われ者の滅欠狂輔だ。先程までの『局長』としての狂輔ではない。


「ん?」


 膠と目の合った狂輔が首を傾げる。


「……()()()()()、狂輔」


 膠の言葉に、狂輔は笑った。


()()()()()()()()()()()()()()()()ってこともあるのさ」


 彼女は背を向けると、風景に呑まれて消えてしまった。

 最後のふたりの会話を不審がった紅凱が膠を見たが、彼女は悪戯っぽく笑って人差し指で唇を塞いだ。


「あの糸目女と――内緒のお話ということですか」

「――女の子の秘密を暴くのは無粋だよ、紅凱」

「秘密、でございますか」

「……そう、秘密。水底の暗い場所にある、とっておきの秘密さ」


 膠が笑った。

 その時だけほんのわずかに――紅錯が微笑んだ。


 ◇


 少年は水底に夢を抱いて眠り、夫婦は水底に真を求めて沈んでいった。

 家族はひとつになった。水の中で、融け合うように。

 けれど、言葉にすることができていれば、彼らは水の中ではなく地上でその身を寄せ合いあたたかくなれたのかもしれない。

 しかし全ては水の泡。魚の吐いたあぶくを求めて――夢は永遠に続く。


 ――〝うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと〟

 彼らの真実は、夢の水槽の中に閉じ込められて眠っている。

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