034「さよなら」
※ぶりっ子具合は創作ならではの誇張表現だと思ってお楽しみください。
欲しいと言えば与えられてきた。だから、何も悪いことではない。
けれどこの世には残念ながら『不良品』があることもある。今の今まで運が良かったのかそういう『不良品』に出会わなかったが――今回は、運が悪かった。
「……え? 借金?」
その話を聞いて、遙江あくるは目を瞠った。眼前で申し訳なさそうに肩を落とす恋人の発言に耳を疑う。いいとこのぼんぼんだからとせっせとアプローチをはかって落としたというのに、それを全てを台無しにするような台詞を今しがた恋人である稲架啓吾は言った。
啓吾は見た目はそこそこ、何人もの男を手玉に取ってきたあくるの目線で見るなら中の上くらいだった。タイプではなかったが、押しに弱い典型的なお人好しだったので露骨なセックスアピールに陥落して、婚約者がいたというのに、いとも簡単に自分に乗り変えた。
ベッドの上での彼はお世辞にも上手いとは言えなかったが、鳥肌が立つような気持ちの悪いことは何も言わなかったので、あくるとしては優良物件だと思っていた。
その優良物件が、突然事故物件に落ちた。
「え、なんで?」
引き攣る顔を必死に抑え、自身の可愛いが崩れないよう配慮しつつ、できる限り高い声を出して――あくるが訊ねた。こういうときは冷静を欠くと本性が出る。絶対にしてはいけないことだと自覚している。
――あくるは自他ともに認める『女の敵』だった。
特に年上の女性たちには蛇蝎のごとく嫌われている。それでも構わなかった。男の上司に気にいられればあくせく働かずとも出世できたし、友だちだっていないわけではない。会社の一時的な付き合いに一喜一憂するのは馬鹿馬鹿しいと思っていた。
そんなあくるの『努力』を真に受けながら、俯いたまま啓吾は詳細を話した。
「友だちに誘われたカジノに行ったら大負けしちゃって……実はそこが違法カジノで……経営している組織からこのことを会社にバラされたくなければ負けた分返せって……」
「……嘘でしょ」
お人好しが過ぎる。
あくるは飛び出てきそうになった突っ込みを喉奥で飲みこんだ。人に騙されそうなタイプだなとは思っていたが、ここまでとは。
あくるは無言で立ちあがり、自分の部屋に戻った。
彼のほんのわずかな財力に頼って住むことができたマンションを手放すのは惜しい気もしたが、身の安全はそれ以上に大事である。
手早く服やブランド物のバッグ、アクセサリーなどをキャリーバッグに詰め込んで再び一階に降りるとそこには困惑している啓吾の姿があった。
「そーゆう人とは思わなかった。別れましょ」
「えっ!? あくるちゃん!?」
「私、もうあなたと関わりないので! さよなら」
あくるは断言して家を出て行った。
啓吾が最後まで何か叫んでいたが、聞かぬふりをした。
◇
あくるの両親は一人娘を毎日毎日『可愛い』と言って育てた。だから物心ついた時、既にあくるはこの世で一番可愛い存在だと思っていた。
無論、若さにばかり頼っていたわけではない。綺麗でいるための努力も、男に気にいられるためのスキルも、料理も化粧も完璧にした。僅かな隙も見せないよう、徹底的に『遙江あくる』というキャラクターを作り上げた。
本格的に『女の敵』になったのは自分で金を稼げるようになってからである。自らに魔法をかけるためにあらゆる努力をして、彼女は彼女自身の過去にようやっと報いることができた。
彼女は今の自分を気にいっていた。過去の自分だってきっと今の自分を喜んでくれるはずだと思っていた。
涙を見せれば大抵の男は動揺し、あくるのことを許してくれる。
今は便利な世の中だ、ネットにそのことを書きこむと言えば、泣かずとも言うことをなんでも聞いてくれる。ハラスメントに厳しくなってくれたおかげで嫌な上司からの触れ合いも法に頼って訴えることも可能になった。
あくるには生きやすい世の中だった。しかし努力を怠れば簡単に転落する世の中でもある。
常日頃から美容を気に掛け、スタイルを維持するために食生活にも気を遣った。お金は必要になったが、払ってくれる『支援者』はいくらでも作ることができた。
後ろ盾充分なあくるには、家を出て行くことで起こり得る不都合は何もなかった。
スマートフォンの画面に指を滑らせ、目についた番号にかける。何コールかした後、低い声が応答する。
『――も、もしもし?』
「あ、葉山さぁん♡すみませぇん、ちょっとカレシとケンカしてぇ……」
『ご、ごめんねあくるちゃん。い、今は駄目なんだ、ひぃっ!?』
「え?ちょ、ちょっと……!」
ぷつん、と電話が切れた。かなり焦っているようだった。
「……っち、使えねえな」
ぼそっと呟き次の電話番号に滑らせる。
「あ……」
表示されている名前の人物はあくる至上最高の優良物件である。
結局あくるにとっての男とは自分を楽させてくれる存在だった。だから名前などその時々で覚えておけばよいと思っていた。しかし、この人物だけは違った。とにかく全てが完璧だった。未だ体を重ねたことはなかったが、きっと上手いのだろうと期待していた。
「――あ、もしもぉし♡私ですぅ♡」
必ず3コール以内で電話に出てくれるところも好感度が高かった。相手は運動中だったのか若干荒い息で返答した。
『……はい』
「あれぇ? ごめんなさい、筋トレとかしてましたぁ?」
『……まあ、そのようなものを。……それで?』
「あのぉ、私ぃ、カレシとケンカしちゃってぇ……一晩泊めてほしいんですけどぉ」
『……今からですか?』
「はいぃ……ごめんなさぁい、カレシに出てけって言われてぇ……」
『……』
「だめですかぁ……?」
『……少しだけお待ちください』
保留音が流れる。十五分ほど経った頃だろうか――ようやっと解除された。
『……構いませんが、同居人がおりますけれどよろしいですか?』
「え? 同居人? ……ああ、猫ちゃんのことですかぁ?」
『いえ、人間です』
「……えぇ?」
知らぬうちに手垢がついたかと一瞬不安になった。しかし続いた言葉に口元を緩ませざるを得なかった。
『男です――俺の友人なんですけど』
これはチャンス到来だ、とあくるはガッツポーズした。




