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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
壱のこと『夢を見る少女』
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03「てめえ次第だな」

 呆然としている。

 今ここにある自分が嘘なのではないかと思うほど、夢のような時間だ。この夢は七葉(ななは)が決断するまで終わらない。


「……私は」


 心にあいた穴を埋める術はわかっている。けれどそれを求めてはいけない。

 わかっていても、止まらない。燻る熱を持て余す体が疼く。


「……せんせぇ……」


 切ない声はどこにも届かず。

 やはり部屋には、ひとりきりだった。


 ◇


「そういえば、彼らの名前を教えていなかったね。紹介するよ」


<紅姫(べにひめ)>が両手を合わせて言った。彼女は後ろを振り向くと、自分を膝に乗せる男を見た。

 男――というよりも青年だった。彼の目は満月と同じ黄金をしている。着ている服はいたってシンプルで、ワイシャツとジーンズ、それから右手にだけ茶色の革手袋をしていた。


「彼が凛龍(りんりゅう)。凛々しいの凛に難しい方の龍だね。この中では一番若い……ことになるのかな?」

「……いちおう」


 凛龍と紹介された青年が、ぼそっと呟いた。それから<紅姫>は足元を見た。爪先に口づけていた眼鏡の男である。うっとりと彼女と視線を合わせ、口元に穏やかな笑みを湛えている。


「彼が紅凱(こうがい)。紅に、凱旋門の凱ね」

「こんにちは」


 紅凱は七葉の方を向いて笑みをほんの少しだけ深めた。愛想笑いであることは、七葉でもわかった。彼の目は左が赤く、右が金色をしていた。ワイシャツにベスト、柄の入ったスラックスを着ており彼もまた凛龍と同じように右手にだけ同じ色の革手袋をしていた。


<紅姫>が右側を見る。紅凱と全く同じ顔立ちをした無表情な男だ。長椅子の肘置きに腰を掛けた状態で首だけ動かして七葉を見る。彼もまた紅凱と同じオッドアイだった。静謐な雰囲気を相まって、モノクロの衣装がまるで、喪服のようだ。他のふたりとは違って、彼は真っ黒な革の手袋を両手にしていた。


「彼は紅錯(こうさく)。紅に錯覚の錯。耳障りが変かもしれないけれど……。まあ、名付け親が悪趣味なセンスしかなかったから、そこは勘弁してね」

「……」


 七葉は彼女の他己紹介をただ聞いているだけだった。<紅姫>は再び視線を七葉へ戻してから続ける。


「覚えていなくてもいいよ。教えることに意味があるから」


<紅姫>がにっこりと微笑んだ。

 七葉は自分が名乗っていないことに気付いて口を開くと、彼女が手で制した。


「……え?」

「君の名前は教えてくれなくていい。知るかどうかは俺が決めるから」

「どういう、こと?」

「意味はそのまま。〝名は体を表す〟――大切だからね、安易に教えてはいけないよ」

「……そのひとたちは、いいのね」

「今言ったでしょう? 教えることに意味があるんだ。彼らの名はそのまま結界だから」

「……けっかい?」

「俺はこの世のモノではない。だから、いろいろと厄介なんだよ。だから厄介事をなかったことにするために彼らに守ってもらっているの」

「……わかんない……」

「わからなくてもいいよ。……君の、望みさえわかればね」


 望み。

 七葉は胸元に手を当てた。


「……私の望み、わかるんですか」


 七葉が訊ねると「うぅーん」と<紅姫>が唸った。足を引っ込めて膝を抱えた。暫く空中を眺めていたかと思うと首を傾げた。

 愛らしい少女の瞳の中の夜空が、七葉を見つめて言う。


「はっきりとはわからない、かなあ」

「……そうなの?」

「望みっていうのは終始形を変えるからね、『魂』に宿るその色がいつも同じとは限らないさ……まあ、過去とかそういう変わらないモノなら見えるけれど」

「……」

(なんでもわかるわけじゃないんだ……)


 七葉の考えを見透かしたのか、<紅姫>が抱えた膝に頬を乗せて笑った。


「俺は万能じゃないよ、全能でもない。――神さまではないから」

「え?」

「この世のモノではないからこの世のモノの理で物を見ることができないだけで、なんでもかんでも知っているわけじゃない」


 七葉は押し黙った。

 言うべき言葉が見つからなかった。こんがらがって、喉元で詰まる。言うべき望みは決まっているはずなのに、話を聞いているうちに道に迷っていた。

<紅姫>は何も言わない七葉に気遣ったのか、肘置きに座ったまま全く姿勢を変えない紅錯に目を向けた。


「紅錯」

「……?」

「金平糖、持ってきてくれる?」


<紅姫>の命じた通り、彼は部屋の壁に取り付けられた棚の上に置かれた瓶を手に取って戻ってきた。色とりどりの金平糖の詰まった瓶である。紅錯が硬い蓋を開いて渡すと、<紅姫>が中を探ってひとつ取り出す。


「甘いモノは好き?」

「……え?」

「俺は好きだよ。まあ、主食は『魂』なんだけれど」

「……主食……?」

「うん。俺の栄養になるのは『魂』とそれに似たモノだけ……これは嗜好品。煙草とかお酒とかと同じ」


「どうぞ?」と<紅姫>がすすめてくるので、七葉はそれを受け取った。何の変哲もない金平糖――恐る恐る口に運んで噛み砕く。舌の上に、単調でやさしい甘さが広がった。


「美味しい?」

「……うん」

「でもこれじゃあ、お腹いっぱいにはならない。体の構造は君たちとおんなじでね、俺もお腹が空きすぎると倒れてしまうんだ。だから時々こうして『外』の人と関わって望みを叶えて『魂』を食べている」

「……私の『魂』も食べるのね」

「望みを叶えるならね」

「……ねえ」

「うん?」

「……さむく、ないの?」


 七葉が<紅姫>を指差して言った。彼女自身――というより彼女の格好を。

 部屋は凍えるほど寒いわけではなかったが、決して素肌をさらしていてあたたかいとは言えなかった。<紅姫>は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてから、「ふふふ」と笑った。


「な、なんで笑って……!」

「ごめん……俺のこの姿を見て寒くない? なんて聞いたの、君が初めてだったからさ」

「え? だ、だってすごく……いろいろ……」

「見えている? 別に見ても構わないよ?」


<紅姫>がただでさえ危険な胸元を寛げようとするので、七葉は全力で拒否した。


「い、いい! いい!!」

「減るものじゃないから……気にしなくていいのに」

「……<紅姫>さん、さすがにそれは俺も怒りますよ」

「え、だめ?」

「駄目ですよ、<紅姫>。同性でもいけません」

「……そう、なんだ」

「……」


 ずっと黙りこくっている紅錯を除いたふたりからも止められ、<紅姫>は渋々といったていで胸元を整えた。面白いおもちゃを見つけていざ遊ぼうとしたところで、取り上げられた子どものような表情だった。


「俺って、燃費がすこぶる悪いんだよね。すぐお腹が空いてしまって…」

「そう、なの?」

「そうなの。……だから一応、普段から『魂』を――人の望みを叶えるよう言われているのだけれど、あんまり興味なくってさ。だから、代わりに彼らからもらっているんだ。そのために着衣だといろいろと面倒だからこんな格好しているの」

「……もらっている? 面倒?」

「『魂』の代わりに精液を提供してもらっているんだ。生命の根源だから代用にはなる、ただ一度にたくさんもらわないといけないからそれが大変かな」

「……ん!?」


 この子、とんでもないことを口にしなかったか。

 七葉が言われたことを脳裏で復唱する。それから、改めて確認した。


「えっと……今なんて……?」

「うん? うん……精液をもらっている? つまり、セックスしているってことだけれど」

「は……、えぇ!?」

「何? どうかした? ああ、人数? まあ、ふたりが基本的な構図だろうけれど……さっきも言った通り一度にたくさん必要になってしまうから。これでも体は丈夫だし」

「い、いちどに……?」

「そっちの方が効率いいからね」


 七葉は怒涛の説明に頭から煙を噴き出しそうだった。皇龍の言うところの『うら若き乙女』である七葉には刺激の強すぎる内容である。


「へ、え……えぇ……?」

「おや、まさか高校生にもなってご存じないなんてことないですよね?」


 紅凱が驚いた顔で訊ねた。七葉はかあっと顔が熱くなる。


「し、知ってますけど! そう、なんか……あけすけに……」

「……お前も、していることではないのか?」


 口を挟んだのは紅錯だった。ずっと無反応だった彼が突然話したので、七葉は誰が喋ったのか気付かなかった。七葉と視線が交差した。


「……え」

「……」


 紅錯はそれきり口を噤んでしまった。

 その様子に、何を思ったのか<紅姫>は金平糖をひとつだけ摘まむと、「紅錯」と呼んで、振り返った彼の口へ金平糖を運ぶ。彼は彼女の指ごと咥えこんでそれを食らった。


 ――七葉


 自分を呼ぶ声が、唇に触れて、胸に触れて、それから。

 深い所を穿つたび、飛んでいきそうになる体を彼が必死に押さえつけてくれていた。熱を交わすその時間が、七葉は一番幸福だった。

 ――込み上げるこれはなんだろうか?

『魂』のカタチが見えると<紅姫>は言っていた。今の自分の――恋する七葉の『魂』はどんなカタチをしているのだろうか。


 ――『先生』のことでいっぱいの私


 何故か自然と口を動いた。


「……『先生』は私の一番なの」


 ぽつりと七葉が言う。

 感情が、口をこじ開ける。

 扉の開く音がした。


「『先生』は私にいろんなことを教えてくれた大切な人……でもこの関係は隠さないといけない。そうしないと……『先生』が困るから」

「ふうん」

「『先生』を困らせたくないの。私は……『先生』のことが大好きだから」


 言葉にするたび、想いが熱に変わった。『大好き』という想いが、全身を熱くさせた。

 会いたくなると体中が火照ってくるのだ。――そういう風に『先生』が教え込んだから。それが幸せだった。

 空っぽになってしまった自分を救い出してくれたあの人だけが、七葉の全てだった。

 無論友人だって大切だけれど、天秤にかけることはしない。

 ――七葉の中で()()()()()()()()()()()()()だ。


「『先生』は、今どこにいるの?」


<紅姫>が問いかける。

 問いかけに、七葉の体の熱が引いていく。あの時の感覚が蘇ってきた。

 暫く会えない、と言われたあの日の感覚が。


「……わからない」

「ふうん? わからないんだ」

「……出張……だって」

「『先生』で『出張』? 作家か、なにかなの?」

「……わかんない」


 わからない。

『先生』は自分のことを滅多に話さないし、聞こうとすると嫌がるから聞けなかった。嫌われたくなくて詮索はしなくなった。


「……アンタ、それ。……騙されてんじゃねえのか?」


 何気ない一言だった。懸念を言っただけの些細な文言。しかし、七葉にとっては違った。

 ()()()()()()()()()。パンパンに膨れ上がった水風船に針が刺されて破裂した、そんな瞬間的な怒りだった。

 あっという間に感情が突沸して、気が付けば紅凱と紅錯によって七葉は床に押さえつけられていた。


「ッ!!」

「――凛龍、今のは君が悪いよ」


<紅姫>が凛龍を叱責した。


「……すんません」


 凛龍が、バツが悪そうに謝罪する。<紅姫>は彼に支えられながら椅子から降りると、四つん這いになって取り押さえられた七葉の傍へと近寄った。暴れようとする七葉だが、女ひとりでは男ふたりの力には敵わない。

 歯を見せて威嚇するように荒い息をする七葉の額に<紅姫>が触れた。すう、と波立っていた感情が凪いでいく。冷静になった七葉は<紅姫>を見上げた。


「信じたくない現実を全部夢のせいにするのは、悪いことではないよ。でもあまり長い時間見るのはおすすめしないね。――自分がどこにいるか、誰なのか……わからなくなってしまうから」


<紅姫>はどこか哀しげに言葉を紡いだ。「信じたくない……?」と七葉は返す。


「君には見えていても見ていないモノがある。望みを叶えるのは全てを見てからの方がいいよ」

「何、言っているの……?」

「言ったでしょう、心の錠を外すための鍵を見つけないと、って。君の望みはそこじゃない、もっと深いところにある。秘密の扉は、()()じゃないよ」

「……」

「見つけるお手伝いをするのも、俺の役目だから」


 七葉の顔を<紅姫>が手で包んだ。


「――七葉、覚えておいてね。若さは時に君自身を傷つける諸刃の剣であることを」

「…………え?」


 彼女の手が離れて、上から押さえつけていた紅凱と紅錯がどく。そのタイミングで後ろの襖が開いた。案内役だという姫綺が正座をして待っていた。


「姫綺。彼女はいったん帰らせる。案内してあげて」

「はい、かしこまりました。立てますか、七葉さん」

「……あ、あの」


 事は七葉を置いて進んでいく。姫綺が七葉を立ち上がらせて、玄関まで送り届けるまで――彼女の時間だけが止まっていた。


「おやまあ、お帰りですか」


 皇龍(おうりゅう)がそう声をかけるので、七葉は我に返った。皇龍たちふたりは塀の上ではなく、門前で猫と犬、それぞれと戯れていた。皇龍はしゃがみこんで、猫の腹を撫でていた。


「私……」

「<紅御前(べにごぜん)>は『魂』の記憶を見ます。お名前はたぶんそこから見たのでしょうね」

「なまえ……」


 ――君の名前は教えてくれなくていい。知るかどうかは俺が決めるから


<紅姫>はごく自然に七葉の名前を呼んだ。

 彼女が七葉の名を知ろうと思ってくれたということに、微かな安心感を覚えていた。


「お名前をお呼びになったということは<紅御前>がここに呼んでも良いと思った、ということです。いわゆるお客様認定です、良かったですねえ」

「……お客様、ですか」

「はい、お客様です。……と申しましてもここは別にお店ってわけではないので。もてなしとかはあんまり期待なさいませんよう……ああでも<紅御前>は大変おやさしい方ですからいろいろ気遣っておもてなしをされるかもしれませんねえ」


 皇龍が猫を抱き上げるのに合わせて立ち上がった。


「私の望みは…叶うんですか」


 七葉の質問に答えたのは影嗣(かげつぐ)だった。


「てめえ次第だな」


 彼はぶっきらぼうに吐き捨てた。皇龍が視線だけで咎めたが、影嗣は無視して傍らの犬の頭を撫でていた。

『門番』のふたりに見送られて、七葉は元の帰路へ戻った。腕時計を見ると時間は、十分も進んでいなかった。

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