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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
肆のこと『よく燃える薪』
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024「お前の役目だ」

 人を殺せば人殺し。

 たとえそれが、自ら死を選んだとしても。


 ◇


 龍善が掌を開いて見せる。


「ひ!?」


 その掌にも――大きな目が両手についていた。ぎょろぎょろと忙しない目を隠すように床に伏せて龍善は息を吸った。吐き出すのと同時に――唱える。


<浄玻璃眼(じょうはりがん)――開眼(かいがん)>


 龍善の五つの目が全て見開かれる。すると蜃気楼が発生して空間が歪んだ。徐々に壁のように篤を覆い、輪郭を伴って実体化した瞬間――


「っうわあああああああ!!」


 篤は、絶叫した。

 そこにいたのは――かつて篤が貶めた者たちだった。

 皆一様に篤を睨んでいる。寝取られた男、寝取った女、気に食わないを理由に傷つけた同級生、上級生、下級生――いずれも皆自ら死ぬ道を選んだ者ばかりだった。それが人だかりになって篤を取り囲んでいた。

 誰も彼も目に光はなく、顔は土気色――ある者は首を吊ったのか、不自然に首の皮膚が伸びて折れ曲がり、ある者は飛び降りたのか頭蓋の中身が丸見えだった。

 様々な形で死に追いやった人々――けれど、その中に水の中で邂逅した彼はいなかった。


「な、なんだ、なんだよ、なんなんだよ……!!」


 篤は腰を抜かして取り囲んでいる虚ろな軍勢を見上げる。<紅姫>が冷ややかに説明した。


「お前の後ろにずーっといた。でもお前は自分が悪いなんてこれっぽっちも思いやしねえから見えなかったんだよ」


 体中が震えている。亡霊たちはじいっと篤を見つめているばかりだ。それがなおのこと、篤には恐ろしかった。


「浄玻璃の鏡って知っているか? 地獄で生前の行いを見せる姿見だ。龍善の目はその鏡。お前のこれまでしたことの全てを見せている」

「え……、えぇ……? え?」


 理解できない異常事態。それでも――声は聞こえてくる。


 ――オマエノセイダ

 ――オマエノセイデ

 ――オマエノセイダ

 ――ユルサナイ

 ――ゼッタイ、ユルサナイ


 渦巻く怨嗟(えんさ)。怨恨の情。あらゆるものが篤に流れ込んでくる。人の声の不協和音が頭だけではなく体中で響いていた。正気を保っているためには叫ぶしかなかった。


「っうああ、あぁ、っあぁあ!」


 立とうとしても足元は滑り、恐怖で篤はみっともなく失禁していた。

 周りにいる誰もが死んだ人物で、死後篤が笑い話のネタにした者ばかりだ。自分を恨んでいるのは自明の理であり、もし呪いなどというものが存在するなら――


(……呪い?)


「……な、なあ、べ、べにひめ? <紅姫>!」

「――はあい」


 呼ばれた当人は入ってくる前と同じ調子に戻って、答えた。


「の、呪われてんのか? おれっ、呪われてんのかよ!?」

「有体に言うと――そうだね。呪われている」

「ど、どうすれば、どうすればっ、いい!?」

「どうすればって……呪いは呪った相手の気が済むまで続くものだよ」

「は、祓えないのかよ……ッ!!」

「祓うことはできる――俺に望まれてできないのは死を覆すことくらいだから」

「だっ、だったらっ、や、ッやってくれ、……!!」


 ――ネエ、サプリマァダ?


 篤の顔を覗き込んだのは茉奈だった。真っ黒な目から血を流して薬を求めている。彼女を振り払って、縋るように<紅姫>を見ると、彼女は考え込んでいた。頭がおかしくなりそうな現実から早く逃れたい篤は叫んだ。


「おい、エロガキッッ!!」

「――君、消えてしまうけれどいいの?」

「あ……ッ?」

「望みを叶えるには『魂』がいる。『魂』を失った体は――」

「うるせええ!はやくやれえええ!!」


 ほとんど自棄になって篤は喉を壊さんばかりに叫んだ。恐怖のあまり声が引っくり返っている。憐れなその姿を見て<紅姫>がすう――と凪いだ湖面のように表情を消した。


「――そう」


 彼女は――笑って応えた。

 そして胸元の言葉に手を添えて、続けた。


「<契りは交わされた>……けれど、君の『魂』はいらないや」


 彼女の言葉にぎょっとしたのはふたりの男だった。ひとりだけ微動だにせず座ったままだった。


「<紅姫>……!! さすがに『魂』なしではあなたの身が……!!」

「後で補給させてくれる? 紅凱(こうがい)、凛龍?」


 その一言で何か言わんとしていたふたりが口を噤んだ。


「……あっ……ええ、勿論です。お好きなだけ……」

「……思う存分に」

紅錯(こうさく)。少しだけ、許してね」

「……構わない」


 唯一座ったままだった男が<紅姫>の前髪を払って、隠されていた左の目に唇を近づけた。やや苦し気に何かを嚥下(えんげ)してから男は立ち上がった。乱雑な素振りで両方の手袋を脱いでポケットに突っ込んだ。


「<第参結界(だいさんけっかい)>紅錯。<紅姫>が為――彼の者の怨恨祈願(えんこんきがん)を断絶す」


 彼――紅錯は拳を握ると、思いっきり振りかぶって篤を見下ろす亡霊たちに向かって打ち付けた。亡霊たちは拳に当たると、煙のように消えていく。何度か同じ動作を繰り返していくと十分ほど経ったところで、篤を覆っていた軍勢は跡形もなく消えていた。


「――終了だ」

「はい、お疲れさま」


 紅錯は手袋をはめ直して<紅姫>の傍へ戻った。

 今度こそ――誰もいない。安堵して篤が引き攣った笑みをこぼした。


「……っは、ははは……は……」


 これで全て終わった。元通りになる。

 篤はそう思った。


「――皇龍(おうりゅう)影嗣(かげつぐ)


 彼女が呼ぶその名前は『門番』のふたりのものである。名前など知らない篤は一瞬誰を呼んだのか理解できず、視線を空中に彷徨わせた。

 篤のすぐ背後に『門番』のふたりが並ぶ。皇龍はその顔に満面の笑みを貼りつけ、影嗣は相変わらずの仏頂面だった。


「……あ?」

「良い燃料になってね」

「……え?それってどういう――」

「はいはーい、あんまり無駄に長々とあなたに()く時間もページもお金も余裕もございませんのでとっとと行きますよー」

「お、おい、なにすん……!」

「うるせえ、クソガキ。黙れ」

「おい……!?」


 皇龍と影嗣が篤の両脇を抱え上げた。いずれも長身なので、篤は宙ぶらりんの状態である。


「おい、なんだよ、なにすんだよ、おい――!!」

「……」


 叫ぶ篤を無視して、襖が無情に閉じられた。


 ◇


 篤は不意に気付く。

 廊下が突然コンクリートの地面に変わっていることに。

 そして、ここがもう屋敷の中ではないことに。


「お、おい!どこ連れてくんだよ!!」

「あーもう、煩いですねえ、末期くらい大人しくなさいよもう」

「あ? なんだ? まご……っ?」

「てめえはもう死んでんだよ」


 投げ捨てるように影嗣が言い、物言いと同じく篤を放り投げた。派手に背中を打ち付けたが、幸いにも地面がコンクリートではなかったのでさほど痛みはなかった。

 篤が周りを見ると、そこは電車の座席だった。古臭い電車というより列車といった風貌の――空っぽの筐体(はこ)だ。


「……な、なんだよ……こ、ここは?」

「端的に言うと『境目』、ですかねえ」

「……ふん」

「さかいめ? な、なあ、俺どうなるんだよ、なあ……!」

「それは――そうですねえ、そこの『死神』さんにお聞きになられては?」

「は?」


 皇龍が指さす座席の向こう側。連結部分の扉に真っ黒な影が立っていた。

 黒い帽子に黒い外套、頭からつま先まで全て黒いその男は、手に傘を持っている。彼の首元が小刻みに揺れたかと思うと中からまたもや真っ黒な体の蛇が這い出てきた。橙色の燐光が、じいっと篤を見据えた。


「……じゃ、父さん。よろしく」

「……ああ」


 影嗣に言われて、男は答えた。ふたりが踵を返したのに、慌てて篤が取りすがろうと腰を上げた。しかしいつの間にか距離を詰めた黒い男に体を押さえつけられてままならなかった。凄まじい力である――漬物石を上から何重にも置かれたような圧迫感。体を動かすおろか、息をすることすらやっとだった。


「……っは、が……ま、ま……て……!」

「ではでは、いってらっしゃーい」


 皇龍の掛け声と共に影嗣が笛を吹く。笛に合わせて列車の扉が閉まり、程なくして列車が動き出した。

 男が篤から傘をどかし、自分は黙って席に座った。

 篤は傘一本の圧力で、呼吸すら抑え込まれていたのである。眼前の男が同じ人間とは思えなかった。


「……な、なんなんだよ……」

「……」


 篤の問いかけに、男は答えない。真っ直ぐと前を向いたまま、少しも動かなかった。まるで置物のようだった。


「な、なあ……! これはどこに行くんだよ……っ! お、俺はどうなるんだ……!?」

「……」

「なあ、教えてくれよ……っ!!」

「――君はね」


 そう言ったのは男ではなく、男の首元に隠れていた蛇だった。突然のことで篤は「ひ」と悲鳴を上げるしかなかった。


「とっても強い罪を背負っているからこれから『(まき)』になって一生ずっと燃やされ続けるんだよ」

「……は? 燃やされ……って?」

「君がきちんとお話を聞いていればこんなことにはならなかったのかも……しれないのかなあ?」

「……」


 蛇が男に同意を求めるが、彼は何も言わなかった。「あのね」と蛇が話し始めた。


「そもそも――大前提から君の場合ってすごく特殊なんだよ」

「……は?」

「あそこは噂を聞かないと入れないし訪れられない場所なの。『錠前』の子たちと出会ってそこで鍵を手渡されて――扉が開く。でも君の場合は後ろの子たちが随分膨らんじゃって可哀想だったから<紅姫>自ら鍵を開けたんだよ」


 篤は蛇の説明をただ聞くしかできなかった。蛇が続ける。


「<紅姫>に望みを叶えてもらう代わりに人間は『魂』を奪われる。『魂』は実存の象徴だから、奪われると人は存在感がとーっても薄くなってしまうんだよ。でもね、誰かに強く想われていたり、愛されていたりするとその人にとっての実存の象徴に成り代わってくれるから存在できるんだよ。ああでもこの話君には関係ないや、だって君の『魂』まずいからって<紅姫>食べていないのだものねえ」


 蛇がひとりで納得する。それから独り言のように続けた。


「まあ『魂』を食べていても君は残念だけれどお父さんにもお母さんにもだーれにも想われていなかったし愛されてもいなかったから忘れられてしまうだろうから、どっちでもいいのかなあ。ああでも『大鍋』に行っちゃうしだめかなあ、影経(かげつね)

「……」


 その言葉をとらえた篤が蛇を見る。橙色と目が合った。


「……え、お前、今なんて……?」

「んん? なあに? 僕、今何か変な事言った?」

「お父さんにも……お母さんにも……?」


 篤の指摘に、「ああ、そのことかあ」と蛇が言う。


「そうだよー君のことを本当に思っていたひとなんてだあれもいないんだよ」

「あのふたりは特別俺に甘かったんだぞ!? そんなわけが――」

()()()()()()()()()()()()()()よう」


 蛇が答えた。

 ――かつて『愛の反対は憎しみではない、無関心だ』と言葉を遺した偉人がいた。

 関心を寄せる相手には様々な感情を抱く。その中に好きや嫌いが含まれているだろう。愛も憎悪もまた同じ。何かしらの想いがあればこそ、情は尽きぬもの。


 篤の両親には――なかった。そんな彼を形作るための想いも感情も。

 何をしても許してくれる両親というのは、単に篤が都合よく思い込んでいただけに過ぎなかった。


「……うそ、だ」

「嘘なんかつかないよう。君に嘘ついてどうするんだい?僕は嘘つきにはなりたくないからね」

「……で、っ――でも、女は!? 赤雷は!? 土居はっ! 他のやつだって……!!」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よう」

「……!!」


 蛇がしゅるしゅると身をくねらせて、彼の被っている帽子の頂点に頭を落ち着かせた。


「君のことを本当に想っていたひとなんていないよう。本條君だってそうだし、茉奈ちゃんも君のお薬がなければ君の傍にはいなかったし」

「……ほ、本條も……?」

「君は孤独なひとだったんだねえ、可哀想だねえ」

「……あ……あ……」

「純太君の方が、ずっとずっとみんなに想われていたのになあ――可哀想になあ……」

「……そ、そんなの……そんなの……っ!」

「……惨めなやつだ」


 男がぼそりと呟いた。

 篤は煌びやかな尾びれを纏った楽園の支配者などではない――彼こそ、炉端に落ちている石ころだった。


「……お、俺は……どこに行くんだ……?」


 ほとんど放心状態で篤が訊いた。蛇は変わらぬ調子で答える。


「<浄化槽(じょうかそう)>だよ。『魂』が最初に行きつくところ」

「じょ、<浄化槽>……?」

「君は『大鍋(おおなべ)』じゃなくて『竈』の方だよ」

「……え?」

「普通はね、<紅姫>のおなかの中でみんな綺麗になるんだよ。だから普通は『大鍋』行き。でも君の場合は<紅姫>もいらないってしたし、汚いから――『竈』の方に行くんだあ」


 列車が止まると男があっという間に篤を担いだ。


「!?」

「……着いたぞ」

「……え? ……え?」

「……見ろ、これがお前の役目だ」


 篤の目に飛び込んできたのは――(そび)え立つ城のような竈とそこに埋め込まれた大鍋、そして鮮やかな業火の海だった。

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