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桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
肆のこと『よく燃える薪』
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021「おんなじなんだよ」

「……あれ?」


 少女の心は(うつつ)にはなかった。彼女にとって彼の与えるモノだけが本当だった。

 しかし、今それはない。


「……」


 ならば、ここは。

 どこなのだろう。


「どこでもないよ」


 声がする。


「あんたはもう――手に入れられないよ」


 絶望が鳴いた。


 ◇


 篤はそれからほぼ毎日『レイニー・ファニー』に訪れるようになっていた。無論目当ては壱多(いちた)である。壱多は学校での篤を知らないので、篤は熱心に自分のことを語った。上澄みの部分だけだが、壱多は疑う素振りもなく話を笑って聞いてくれている。

 大抵の女は篤とそういう展開を期待するが、壱多は全く気配を見せない。

 もしかしたら未だ処女かもしれない、などと下心を頭の隅に追いやりながら――篤は注文の時、食事の最中は水などのお代わりをお願いする時、会計の時、様々な瞬間で壱多のことを聞いた。

 壱多はなんでも教えてくれたが、連絡先だけは教えてくれなかった。


「ねえ、壱多ちゃん。そろそろ……」

「ごめんなさい、壱はそういうの持っていないんです」

「えぇ~うそでしょ。イマドキ、スマホ持ってないとか、ある?」


 はぐらかされているのはわかったが、ここで強引に聞き出して嫌われては元も子もなかったので篤は虎視眈々とその機会を狙っていた。

 明日来た時もうひと押ししてみよう、と自信に満ち溢れた希望的観測を抱いて篤はその日も店を後にした。

 店を出るとすっかり雨が上がっていた。


「最近雨ばっかだったけど……まあいっか、壱多ちゃんに会えるし」


 そう思って篤が振り返って――目を疑った。

 そこにあったはずの喫茶店がなくなっていて、全く知らない別の店に変わっていたからだ。しかもその店は数年前に閉店しており『テナント募集』の張り紙がされていた。


「……え?」


 篤は周囲を見渡した。喫茶店らしきものはひとつもない。慌ててスマートフォンを開き、『レイニー・ファニー』と打ち込む。地図アプリにヒットはなかった。


「……は? え? なに?」


 篤は検索エンジンに喫茶店名をかけた。いくつかヒットがあったので安心したが――


 ――雨の日だけ現れる喫茶店

 ――そこで働いているのは人ではない

 ――危ないものを祓ってくれる


 クリックして開いたサイトにはそんなことが書かれていた。馬鹿馬鹿しいと篤が苛々して画面を消した途端に、メッセージが飛んでくる。茉奈からだった。


『ねえ篤』

『サプリないの?』


 いつもならハートを多用してくる茉奈の簡素な文面。その文面からも茉奈の依存性が十二分に伝わってくる。


『ごめん』

『ちょっと待ってて』


 篤はそれだけ返し、スマートフォンをポケットに突っ込んだ。


 茉奈の言っている『サプリメント』とは行為に及ぶ前に必ず篤が与えていたものである。しかし入手経路だった本條は現在囚われの身なので、あれを入手するのはイチ学生である篤には難しかった。


 ――何故なら中身が所謂()()()だったからだ。

 海外で流通しているという危険な薬物で、生活に支障をきたすことはないが、依存性が高く段々とあれなしでは生きれなくなるという代物。本條はバックにいた『蒼氷会(そうひょうかい)』――()()()の道ではかなり有名な組織――の威を借りて独自入手していたという。


 本條と知り合ったのは偶然だった。少しだけ危険な(ヤバイ)雰囲気の漂うクラブで向こうから話しかけてきたのがきっかけだった。彼も無類の女好きだった。若い頃からずっと篤と同じようにロクでもないことをして回っていたらしい。思想が似通っていたので、すぐ意気投合した。

 本條は篤よりも悪事の隠匿が秀でていた。しかし使える能力だと篤は嫉妬に駆られることはなかった。

 本條も一見世話好きでやさしそうに見えるので、少しばかり甘い言葉を囁けば女はいくらでもつれた。


 しかしその実、女がよがる姿を隠し撮りしては加工して裏サイトに流す悪行をはたらいていた。

 最近になってから出会い系サイトを通じて知り合った何人もの女と同時並行で付き合っていたと自慢していた。「そんなの単なるセフレだろ」と篤が言うと本條が鼻を膨らまして「いいや違うね」と次にはとんでもなく悪し様に言ってのけた。そういうやつだった。


 だから、あんな風になるなんて――篤は思いもよらなかった。


 ニュースやネットで流されている内容だと、本條は突然警察署に飛び込んで「僕はしてはいけないことをしました!」と泣きながら自らの罪を告白したそうだ。警察署の人間が泣き喚く彼を落ち着かせてから、詳しく事情を聴くと「もう耐えられなくなりました」と言ったという。

 今までしてきた悪事に対する責任の重さで心が壊れそうになったというのだ。


 ――自分のしたことを寧ろ、自慢していたようなあいつが改心?


 篤はまるでゲームかアニメを見ているような心地だった。しかし関わりがあったと知られては捜査の手が自分に及ぶかもしれないと考え、保身に走った篤は自分と彼の間にあったあらゆる痕跡を消した。データも念入りに削除した。結果、篤は今何事もなく学生生活を送っていた。


「……っち」


 つい余計な事まで思い出して篤は炉端の石を蹴った。


(おんなじなんだよ)

(どいつもこいつもあれとおんなじだ)

(炉端に転がる石が、偉そうに主張してくるんじゃねえ)


 篤は胸中で悪態をついて、家路を急いだ。

 その後ろに迫る影に気付きもせずに。


 ◇


 シャワーの音が響く。

 篤に甘い親は遅い帰宅を咎めることはない。図書館で勉強をしていたと言えば信じるので、言い訳など考える必要もなかった。

 頭からぬるめのお湯をかぶるのは心地がいい。排水溝に流れていく水をぼんやりと眺めていると、


「!?」


 一瞬水が赤く染まったような気がした。しかし瞬きの間に何事もなくなっている。見間違えか、疲れているのかもしれないと篤はシャワーを止めるのに蛇口をひねろうと顔を上げた。


「……!?」


 鏡が映る背後のすりガラス越しに、誰かがいた。明らかに親のシルエットをしていない。映っている体格には見覚えがある――中学生の時、篤が死に追いやった男の先輩だ。顔もわからないのに影が睨んでいるように思えた。篤は早鐘を打つ心臓と竦む足を叱咤して、勢いよく振り返る。


「……え?」


 ――そこには、なにもなかった。

 先程あった影など嘘のようにいなくなっている。


「……な、なんなんだよ……?」


 驟雨(しゅうう)のように降り注ぐシャワーの音。沈黙の降りた浴室にそれだけが響く。

 篤は明日雨が降ればいいのに、と願った。

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