表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桜雲館の紅姫【完結】  作者: 可燃性
弐のこと『溺れる魚』
13/134

013「そんなことしないよ」

 ――〝うつし世はゆめ 夜の夢こそまこと〟

 この世の全ては嘘で。眠っている時の夢が本当。

 どうかそうであるように、少年は願った。


 ◇


『――川で男子高校生の遺体が発見されました。男子高校生は都内の――に住む早川(はやかわ)純太(じゅんた)さんで彼が所持していたスマートフォンには遺書のようなものが書かれており、警察は自殺を図ったものと――』


 ラジオから流れてくる音声が唐突に途絶えた。ラジオのスイッチを押したのは空中に浮かぶ手袋だった。広い部屋に紅蓮(こうれん)と<紅姫>が向かい合って座っている。<紅姫>は黒いリボンで髪の毛を一房だけ束ね、全身を白と黒の着物で覆っていた。いつもよりも露出が少ない恰好だった。彼女は喪に服すような沈鬱な表情していた。

 一方の紅蓮の方は人の姿はしていなかった。額から真っ赤な角が二本伸びていて、ピアスで装飾の施された耳は尖っている。着物を二枚羽織っているがいずれも腕を通しておらず、彼の腕は半分から下が全て黒い翼で覆われていた。その代わりに彼の周囲には、手首だけが大量に浮かんでいる。


 部屋にいつもの三人の男たちはいない。<紅姫>が二人きりにしてくれるよう頼んだからである。

<紅姫>が紅蓮を見る。彼の目には何の感情も浮かんでいない。気だるげに片膝を立てて、口を閉ざしたラジオを見つめた。


「紅蓮」


<紅姫>の声に含まれた感情の機微を察して、紅蓮はふっと自嘲するように笑った。


「――残念ながら()()()()()()()()


 冷淡な響きだった。言葉の通り、彼の声には悲哀も憎悪も、何も含まれていなかった。


「……」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。水に飛び込んで死ぬほどの苦しみは純太にしかわからんさ」

「……まさか、水の中にまで呼ばれるとは思わなかったけれど」


『門番』の皇龍(おうりゅう)が「竜宮城ってこんな感じなんですかねえ」と言っていて、影嗣(かげつぐ)が「もう二度とごめんだ」とぼやいていたそうだ。

 彼の『魂』をすくおうとした結果、『桜雲館(おううんかん)』は水の中に現れることになった。


「本当に苦しい時はもう声も上げられないんだ。声を上げるよりも先に苦しさから解放されることを優先する……だから、死を選ぶ」


<紅姫>が純太の遺品を拾い上げる。彼のスマートフォンだった。

 本来であれば、警察の手の中にあるはずの彼の痕跡。割れた画面に映っているのは純太と茉奈(まな)。仲睦まじそうなふたりが画面の向こうに笑いかけている。


「……」


<紅姫>はメモ帳を開いた。死の間際、彼がつづったと思われる最後の履歴があった。


「……」


 画面の文字を眺める<紅姫>は、眉をひそめた。

 紅蓮が煙草の箱に手を伸ばす。しかしそのことを察した<紅姫>に睨まれた。


「紅蓮。ここ、禁煙だよ」

「……」


 不服そうな顔をして紅蓮はもう一度ポケットにしまった。そして立ち上がり、襖を開いた。相変わらず薄暗い廊下には吊灯籠はなかった。代わりに壁に沿うように一列、蓮の形をした照明がずらりと並んでいた。廊下の木目が川のように流れ、照明が鎮魂のための流し灯籠のようだった。


「今度、風宮(かぜみや)とかいう男に会ったら俺から伝えておこう」

「なにを?」


 紅蓮は口の端を吊り上げた。意地の悪い笑みだった。


「水辺には気を付けろ。――引きずり込まれるぞ、ってな」


 おどろおどろしい声音で言う紅蓮に、<紅姫>は肩をすくめた。

 何を言っているんだ――言わずともわかるよう、彼女は顔に出した。


「純太は、そんなことしないよ」


<紅姫>の言葉に、紅蓮は目を細めて笑った。


「……そうだな」

「紅蓮」

「ん?」

夜鴉(よるからす)たちに、ありがとうって。……伝えておいて」

「ああ、勿論だ。……それじゃあな、母さん」


 紅蓮は肩越しに一瞥を送ると、襖を閉じた。静かな足音が遠ざかっていく。

 ほどなくして、静寂のおりた部屋。寂寥感と空虚が満ちる中、<紅姫>はメモの文章をなぞった。そして、心の中にぽっかり空いた穴を確かめるように、彼女はそっと胸を押さえた。


 誰もしてやれなかったこと。

 だから最後に、強く望んだのだ。

 冷たい水底で、たったひとつのあたたかさを。


 >僕は生きているのが辛いです。息が苦しくてたまりません。

 >誰も僕を信じてくれません。ここは死ぬよりも辛い場所になってしまいました。僕にはどうすることもできません。

 >親不孝を許してください。僕はきっと地獄に落ちるでしょう。それがみんなの望みだから。

 >それでも僕は許されるなら、

 >誰かにやさしくしてほしかった。誰かと話をしたかった。誰かと一緒にいたかった。

 >僕は、ただ


 >お前は何も悪くないと言ってほしかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ