102「らりらりらるら」
●管理局の基本的な運用について
①回収課により回収された魂は〝第一層〟『竈』の『大鍋』へ。
※この時、深刻な穢れに見舞われている場合は『薪』とすること。ほかの魂の悪影響になるため、混在しないよう気を付ける。また『薪』にするほどではない場合、しばらく緋紅楼に留置し経過観察すること。
②『大鍋』にて生前の記憶をすべて煮詰めたのち、残った『種』は〝第二層〟へ移送する。
※『大鍋』の火力が強すぎると〝第二層〟以降に影響が出るため、適宜見直すこと。
③〝第二層〟『生命の花園』にて転生の準備。『発芽』し『開花』したものから順次『出荷』の準備を行う。この時、異常が見られる場合は速やかに局長へ報告すること。
――『管理局運営マニュアル・改訂版』より引用
◇
雛蜜の背後には背の高い男が控えていた。
銀色の髪を三つ編みにして、紫苑色のリボンでひとつに束ねている。身に着けているのは薄い紫色の緻密な刺繍のなされたジャケット。そして、同じ色の折り目正しいスラックスだった。両手には真っ白な手袋がはめられていた。人の好さそうに垂れた目は金の光を宿していた。
神経質そうに部屋を見まわし、男はひとつ溜息を洩らした。
「おやまあ、なんでございましょうねえこれは……懐かしい顔と、知らぬ顔が。まあ、どうでもよいことです」
未だ動揺が隠しきれぬ狂輔が震える声のまま訊ねる。
「な、なんで『生命の花園』にいるはずの君たちが……」
狂輔の様子を一瞥した男は、目を細めて「何を言っているのか」と言いたげな顔で答えた。
「なぜと言われましても。呼ばれたので参じたまででございますよ?」
「……呼ばれた?」
「『御子』殿に」
男がちらと凛龍を見た。
「凛龍様、ご指示通りこちらで完璧に保管しておりました夫婦の『器』をお持ちいたしました。どこにも欠損はございません。――ええ、一片たりとも美しいまま、保存しておりましたゆえに」
どこか誇らしげに言う男に凛龍は、
「どうもありがとうございます、さすが斎龍さんですね」
と早口に称賛した。男はふんと鼻を鳴らした後、「当然でしょう」と言った。
男斎龍は手品のような仕草で杖を取り出した。そしてその杖で空中を叩いた。
ぽん、というシャンパンを開けるような気の抜けた音がして、その場にガラスの棺がふたつ現れた。
棺の中には花が敷き詰められたその上に男と女が眠っている。彼らは死んだように腹の上で手を組んでいた。
彼らはかつて<紅姫>が救った夫婦である。意識は水の底に存在しており、戻ってくる気配はない。おそらくこれからもないだろう。彼らは許されることが望みであったから。彼らが許されるのは水の底、夢の中でしかない。現実にはもう、許しを乞う相手はいないのだから。
「こちらをどうしようというのでしょうか?」
斎龍が訊ねると、凛龍はぐったりとした<紅姫>を見つめたまま言った。
「瑠々緋にこのふたつを定着させてください」
「はい?」
斎龍は眉間に皺を寄せた。狂輔が横から口をはさむ。
「何をするつもりかな、凛龍君! さすがに君が『御子』でも許されることじゃないよ! それはまだ生きている『器』だぞ!」
「うるせえ、そうでもしねえと起きてねえだろうが!!」
狂輔が上げた抗議の声をかき消すように、彼女のことを見ないまま凛龍が怒鳴った。
血を吐くような叫びだった。
「……!!」
「母さんも父さんも……起きねえだろ……」
肩で息をしながら凛龍が言った。
静かになった空間で、再び話し出したのは雛蜜だった。
「――凛龍クンはさびしいのね」
無垢な眼は真っ直ぐに凛龍を見ている。そこに余計な感情はなかった。
「……雛蜜さん」
「わかるわ。膠クンがどうしてふたつに分かれちゃったのか、ヒナにはわからないけれど。でも凛龍クンがさびしくってしかたがないのをずっとガマンしていたのは、わかるわ。だってヒナもそうだったもの。さびしいのをさびしくないってウソをつくのは、苦しいの。とってもとっても苦しいことよ」
雛蜜の声は静かだった。だからこそ、凛龍のささくれだった心にやさしく触れた。
彼女は見た目こそ幼いけれど、中身は母性であふれている。あたたかい陽だまりのような女性だ。
だからこそ、『生命の花園』――再び生まれようとするモノたちの世話ができるのである。
「ねえ、るーちゃんに体をくっつけるのはどうして?」
雛蜜が首を傾げた。凛龍は深呼吸をしてから、その問いに答えた。
「瑠々緋の実存が『人間』として安定すれば、母さんたちが抑え込んでいる『神の力』がなくなるからです」
凛龍の言葉を聞いて焦ったのは瑠々緋だった。
『な……私を人間として生かそうというのですか? 冗談ではございません、私は――』
「お前が人間になりゃあ、碧衣をひとりで死なせなくて済むだろ」
凛龍がぶっきらぼうに言い放った。
何もこれは凛龍が思いついた案ではない、姫綺だ。彼女が道中で説明してくれた。
――瑠々緋は神としての復活を遂げたいと思っている。だから神として存在に不可欠な信仰を集め続けていらっしゃいました。
――このまま神の『器』すら還してしまうと何が起こるかわかりません
――もしかしたら、またあの惨劇を繰り返すことになるやも……
――ですから、使うのです
――使えるものは、全部
神の力を打ち消すために人間の『器』を定着させる。
簡単に言ってしまえば、瑠々緋を人間としてこの世に顕現し直させる、ということだった。
そうすることで瑠々緋は神としての存在を失うので、同時に力も消失するという算段である。
「そして母さんたちも、あんたの力を抑え込まずに済んで目覚めて一石二鳥。碧衣の、膠さんと一緒に死ぬってのは叶えられねえが、少なくともあんたとは死ねるだろ。あんたは人間として生まれ直すんだから」
『お前……ッ』
「悪いが、これは決定事項で、あんまり時間がねえ。膠さんが逃げちまう前に母さんに起きてもらわなくちゃいけねえ」
『……そうまでして、この愚か者を助けたいのですか』
瑠々緋の問いに、凛龍が笑った。
口の端を片方吊り上げたニヒルな笑みだった。
「ったりめえだろう。俺がどんだけ待ってたと思ってんだよ」
いい子ちゃんは卒業済みなんでね。
そう言って凛龍は、斎龍と雛蜜へ視線を戻した。
「――つうわけで、頼みます。『器』ふたつなら事足りるでしょう」
「それはあなたの裁量ではないのですが……まあ、問題ございません。定着には少々時間をいただきますよ」
「構いやしません」
「畏まりました。――雛蜜」
「はあい!」
雛蜜が元気よく挨拶した。瑠々緋のほうへ小走りに駆け寄ると、
「るーちゃん、こっちよ! お体くっつけるからこっちに来てほしいの。あ、それね?」
雛蜜はいっそ清々しいまでの無遠慮さで、碧衣の着ている服のあちこちをまさぐった。そしてひとつのポケットから赤い石のかけらを取り出すと、それを握り締めて棺の方へと走り出した。
雛蜜が石を手にした途端、瑠々緋の姿が霧散した。強制的に石の中に戻されたのである。瑠々緋は雛蜜が運ぶさなか、『やめなさい、何をするのです!』と抵抗の声だけを上げた。
「だーめ! わがままはめっよ」
雛蜜は子どもにそうするように諫めて、石を斎龍に手渡す。斎龍は受け取るとすぐにもうひとつ、ガラスの棺を顕現させた。中には何もなかった。
斎龍は空っぽの棺の中に放り込んだ。棺の扉が閉まると、ただのひとかけらの石が美しい女の形に変わった。瑠々緋は棺の内側から必死の抵抗を見せるが、無駄だった。ガラスはびくともしない。
『……っあ、あかない!?』
「昔のあなたならいざ知らず、今のあなたと今の私たちとでは天と地ほどの差がございます。無駄な抵抗は致しませんように。――美しくありませんので」
『……っ!!』
瑠々緋は屈辱を露わにして、斎龍を睨んだが彼はもう見ていなかった。
三つのガラスの棺の前で、雛蜜がその手にぬいぐるみを掲げる。派手に装飾されたうさぎのぬいぐるみだった。掲げられたぬいぐるみが背中に生えた半透明の薄い翅で飛び上がる。
「ルニヴェットちゃん! お仕事のお時間なのよ!」
『ハァーイ! がんばりマス!』
陽気な声が響き、ルニヴェットと呼ばれたぬいぐるみは光に包まれた。
光に包まれたままぬいぐるみの形が変わり、雛蜜の手に戻る頃には見た目の派手さを投影した杖になっていた。さながら魔法少女のステッキである。
「らりらりらるら~らりらるら~♪ みっつをひとつに♪ らるらりら~♪」
唱えながら雛蜜が踊り出した。場違いもいいところのテンションだった。
突然始まったお遊戯会さながらの舞踏に目が点になる凛龍たち。けれど裏腹に斎龍は頬を染めてうっとりとその姿を眺めていた。
「ああ……美しいですよ雛蜜……」
並々ならぬ熱量を持った視線だった。誰も何も言わなかったが。
とにもかくにもあれがしばらく続く――と思われたので、凛龍は一旦視線を外した。
「……凛龍君、小生は一体全体何が起ころうとしているのかさっぱりわからないんだけれど」
狂輔が問い詰めるように訊いた。
凛龍は彼女の質問に、「っは」と鼻で笑った。
「……俺だって何がなんだかわからねえよ……」
腕の中の<紅姫>は空っぽのまま、動かなかった。
なのにぬくもりだけが奇妙に残っていた。




