悪魔と天使と大団円
一
さっきまで死にそうな顔をしていた男達は、顔色は血色を失ってはいたが、活力に満ちた狂暴な表情に変わり、その細い体躯から想像もつかない程の殺気を放ちながら、風の様なスピードで僕とルシアに襲い掛かった。
「遅い」
僕は手に持っていた火かき棒で右からきた男を打ち落とす。
ルシアも同じく……いや、きっちり首を刎ねていた。彼女は獲物を選ばない。刃の無い剣や短刀でも鉄を易々と切り裂く。
「ヴァンパイアですね、ヴォルクさんが言ってた方の」
首を刎ねられた男は床に黒い染みを残して消える。僕が打ち落とした方は、既に回復して玄関から入ってきた男の元に戻って立て直しを測る様だ。
「流石は北壁の盾と呼ばれただけあって護りは強いですな。従者も。まあ人間にしてはですが」
何を悠長にご高説を垂れているのか。北壁の盾とは砦に居た時の僕の二つ名だ。
僕は戦犯として有名なので、その事を知られていても驚かない。男が無駄口を叩いているうちに距離を詰める、ルシアも同じく前に出る。
奴の後方、開いている扉からまだ数体の同種と見られる者たちが向かってきているのが見える。目的は解らないが、相手は敵対している事は確かだ。
僕は先程打ち込んだ男、ルシアは無駄口男へと打ち込む。僕の攻撃が当たる瞬間に男は霧になる。聞いてはいたが、ここまで自在とは。
ルシアが斬り込んだ男は、先の二人はとは違い少しは出来る様で、余裕の笑みを浮かべてルシアの斬り込みを二度、三度と躱している。
だが、あれはルシアの戦術なのだ。現に斬り込みを躱されたルシアは微塵も体制を崩さず次に繋げている。
僕の方は霧になった男を……まあ探す必要は無い。霧になって視界から消えた。視界から消えたと言う事は、逃げたか最大の死角である後ろに廻ったかだ。
僕は振り向きもせず後ろ蹴りを放つと、肉に食い込む感触。だがその足を掴まれてしまった。振りほどこうと魔力を足に込めた瞬間、爆発音が響き渡って、足を掴んでいた男の頭が大きく跳ねた。音のしたほうを見ると、デニムが銃を構えていた。爆発音は銃声だったのだ。
更にもう一発。魔力がそれ程込められていないのか、弾速は早いとは言い難い。精々音速を若干超えるくらいか。頭を弾かれた男も反応して掌を向けるが、弾丸は易々と貫通し、頭に当たると弾頭が潰れ衝撃にまた男の頭が跳ねる。
その隙にサニーが一足で飛び込み、懐から出した、銀色の棒としか形容できない物を一閃すると、ヴァンパイアの首が飛ぶのと同時に体ごと霧散した。
「助かった」
「まだ来るぞ!」
デニムの言葉通り扉から新たに三体のヴァンパイアが飛び込んでくる。内一体は飛び込むと同時にデニムの銃弾を喰らい大きく怯んだ所を僕が首を刎ねる。サニーが一体を引き受け、デニムがもう一体と格闘戦になっていた。
「デュランダル兄弟だと!?」
ルシアが相対していた男が壁際で叫んだ。ルシアにまんまと誘導されたようだ。
それにしてもデュランダル兄弟?あの兄弟の事か?化け物に詳しい物言いだったが、どうやら化け物からも知られている存在らしい。
デニムを見ると、大振りなパンチがヴァンパイアを捕らえる。僕の蹴りは受け止められたのに、なんであんな大振りが入るんだ?
こっちによろめいてきたヴァンパイアに最短のパンチを繰り出すが、あっさり躱され体を掴まれると投げ飛ばされた。ダメージは無いが、膂力は大したもんだ。
「よう、大丈夫か?」
デニムが僕に追撃しようとしたヴァンパイアの間に入って攻撃を流す。
「いいか?パンチってのはこう打つんだ」
言いながら大振りのパンチがまたしてもクリーンヒットする。
「立てるかい?」
サニーが僕の手を取って立たせる。
「大丈夫、ダメージは無いよ。それにしてもなんであんな大振りが面白いように当たるんだ?」
「ああ、化け物ってのは人のそれよりも色々と発達しているんだよ。特に五感がね。それに奴らは人に恐怖心を植え付けるためにわざと攻撃させて、それを躱したり防いだり、時にはわざと喰らって堪えたりする。そこであの大振りさ」
「なるほど、視覚が優れている奴らの死角から攻撃するのか。相手はとりあえず受けの姿勢をとるから攻撃は当たりやすいと」
一人で納得する僕にサニーは「まあ、そんなとこだね」と軽く流す。
デニムは大きく怯んだヴァンパイアにこちらも懐から出した、やたら禍々しい魔力を放つナイフでヴァンパイアの首を刎ねた。サニーの相手していた者も当然処理されている。
残るはルシアが壁に追い詰めている一体だけ。
「やはり貴様らも来ていたのか!」
ヴァンパイアは必殺の気勢でその動きを封じているルシアを無視してデニム達を睨む。
「あんたたちって有名だったんだな」
「こんな青瓢箪に知られててもうれしくないね」
僕の言葉をデニムは軽く躱す。
「ルシアちゃん、そいつからは何も聞き出せないよ。そいつを殺せば一先ず後続のヴァンパイアはこの屋敷に入れないから、早く始末するんだ」
サニーが言う。後続が入ってこれない?
「ヴァンパイアは招かれないと、人の家に入れないんだ」
僕の思考を読むようにサニーが付け足す。なるほど、人を脅かす存在たる彼等にはそれなりに約束事があるわけか。鏡にうつらない、日光に弱いなんてのも言ってたしな。
だがルシアは動かない。僕の言葉を待っているんだ。
ここは兄弟の言葉に従うのがいいのかもしれない。ヴォルクも言ってたし。
「ルシア」
言葉を発すると同時にルシアは動いた。その火かき棒が魔力をおび、祓魔の剣となる。今までの剣閃とは明らかに違う一太刀に、ヴァンパイアは僅かに反応するのが精いっぱいだった。
その切っ先がヴァンパイアに触れる瞬間、まるで爆発が起こったかのように僕たちは弾き飛ばされた。
僕もデニム、サニー、ルシアまで。吹き飛ばされたと思ったら、不可視の力で締めあげられ空中に浮かされる。
「ぐ、これは」
「まさか」
デニムたちには心当たりがありそうだ。
「やれやれ、露払いも出来ないとは。現代のヴァンパイアも落ちたものだな」
現れたのは、白い丸々とした甲冑だろうか、背丈の割にやたらと物々しい出で立ちの......声から察するに男が現れた。
「ふむ、どうやら問題なさそうだな」
そう言うと、甲冑が掻き消え、中から中年男性が現れた。発する禍々しい魔力はヴァンパイアたちの比ではない。
「あのクソ賢人の事だ、墓所となる館に何か仕掛けがあるのでは思っていたのだがな」
「エダギエル!」
「これはどうも、デュランダル兄弟。いつも邪魔ばかりされているので、たまには私が邪魔をしに来てみたよ」
そう言ってこちらを見たエダギエルと呼ばれた男の目は鈍く赤く光っていた。
「やつはなんだ?!」
僕の声に奴が薄い笑みを浮かべる。
「奴は悪魔だ」
「悪魔?!」
悪魔を見たのは初めてではない。背中に幾つかの羽根が生え、巨人と見紛う巨体に曲がりくねった角を持つグレーターデーモン。羽根の生えたゴブリンの様なレッサーデーモン。去年村に現れたのは悪意から生まれたイビルデーモンと言われた。いずれも退けた事があるが、こんな、一見人としか見えない。
だが、その存在自体が脅威と認識する様な物は知らない。ヴォルクが言っていた意味が何となくわかった。これは相手をしてはいけない存在だ。
「クリス様!お気を確かに!」
ルシアの声でハッとする。意図もたやすく心が折れかかった。エダギエルは面白くなさそうにルシアを睨む。そして笑みを浮かべて口を開いた。
「まあ、今日は殺戮を楽しむために訪れたわけでは無い。ちょっとまあな。そこの兄弟と同じ要件と言えばわかってもらえるかな」
僕はデニムを見る。すると、彼はバツの悪そうな表情になる。
「なんだ、話していなかったのか?いかんな。人の強さはその結束力だと前にも言っただろ?もう少し人間同士信用してみてはどうだデニム?」
「うるせぇ!余計なお世話だ!」
「どういうことだ?」
悪魔に人の在り方を説教されているデニムを他所に、サニーに声をかけると、サニーも表情を曇らせて渋々と言った体で話出した。
「まず最初に謝っておきたい。別に君たちを騙すつもりはなかったんだ。ただ、僕たちはこんな非日常の世界に身を置く者なんで、下手に事情をはなして巻き込みたくなかったんだ」
その言葉は恐らく真実なのだろうが、逆にそれが今回の場合仇になった。こんな厄介な事になると解っていればば、ヴォルクを止めて置いただろうし。いや、無理か。でもそれなりに準備は出来ただろう。
「僕たちは実は賢人の末裔らしいんだ。この地にあった賢人による秘密結社聖なる管理者の設立者の話はしたよね?その設立者であり伝説の賢人、クリスタ・ボルグの墓がこの付近にあるとされているんだ」
「そりゃ過去に生きた人間なら墓くらいあるでしょう」
悠長に説明しているサニーとそれを聞いている僕を悪魔は相変わらずの薄い笑みで見ている。完全に動きを拘束して、余裕があるのだろう。
「そして、没後120年後の今年に復活すると予言していたんだ」
「死んだ人間が復活?そんなバカな」
さすがに失笑を隠せないが、サニーもデニムも、悪魔でさえ表情を変えない。本気なのかこいつら。
「もちろん言葉通りの復活なんて思ってはいない。彼は今は失われた数々の秘術を墓所に持ち込んだと言われているんだ。中には」
「中には地上の悪魔を纏めて地獄に送り返すなんて物騒な魔術もな」
割って入ったのはエダギエルだった。その顔からは笑みは消えている。しかし、地上から悪魔を一掃する魔術など、本当にあるのだろうか。
「やつは140年前に一度、その魔術を発動しようとした。まあ失敗に終わったがな。それ以外にも奴はこの世の理を崩す魔術を幾つも所持している。人は悪魔などと毛嫌いしているが、我らも創造主に作られた理の一部だ。たかが人間の、それもたった一人に無茶苦茶にされてたまるか」
なんだろう。その感覚すごく解る。うーん、もしかしなくても同じ被害者なんだろうか。
「何を笑っている!」
おっと、表情に出てたか。
「いや、聞きたい情報は出揃ったかなって思って」
「何?」
その僕の言葉と同時に、僕たち同様に空中に見えない力で束縛されていたルシアが、内からの魔力を爆発させ拘束を脱し、腰に差していたミスリルの短刀を持ってエダギエルに斬り掛かる。エダギエルはその一撃を捌いて見せるが、見た目ほど余裕が無いのか、こちらの拘束が緩んだ。
僕たちが拘束から脱したのを見たエダギエルは舌打ちをした。
「いつまで壁の花を気取っているつもりだ!手伝え!」
先ほどルシアに追い詰められていたヴァンパイアに怒鳴る。すると、ヴァンパイアは踏み出そうと前傾姿勢をとろうとしたところで頭が落ちて塵になった。ルシアの剣は届いていたのだ。
二
「油断するな。こいつは地獄の公爵だ。世が世なら魔王と呼ばれてもおかしくない奴だ」
エダキエルを囲みながらデニムが言う。地獄の公爵か。ここでゴマをすっておけば死んだ後、地獄で待遇を良くしてくれるかな?
「クリス様、不埒な事を考えていませんか?」
「大丈夫」
何が大丈夫かわからないが、そう返した。とりあえず囲んでみたが、デニムやサニーとうまく連携を取れる気がしない。デニムは右手で銃を構え、左手にはあの禍々しいナイフを持って右手の手首の下に添えている。
サニーは例の銀の棒を右手に持ち、左手には銃でエダギエルを狙っている。
ルシアは刃の無いミスリルの短剣と火かき棒。僕も素手よりましかと火かき棒を持っている。
対するエダギエルは素手だ。その意識はサニーに集中している様だ。あの棒が悪魔には脅威なのか?そう言えば、さっきはあの四角い棒でどうやってヴァンパイアの首を斬ったのだろう。賢人の末裔だけあって、特別なマジックアイテムなのかもしれない。
最初に動いたのはデニムだった。発砲音がした瞬間、エダギエルの眼前で銃弾が止まり、そのままポトリと落ちる。弾は届かなかったが、数瞬でも意識が逸れただけで充分だった。僕とルシアは同時に動く。
初撃は僕。牽制の意味を込めて魔力を込めた火かき棒を横殴りに振る。エダギエルは反応せず直撃。しかし、当たった位置から振りきれない。
そこにルシアの剣閃が走る。
これにはエダギエルは反応し左上腕で受けるが、刃の無い短剣が上腕に深々と食い込み、骨で止まる。ルシアはそのまま手前に引く様に抜こうとするが、抜けないと判断すると素早く手を離し、火かき棒を顔面に叩きこもうとしたところで、その姿がぶれる。例の不可視の力で吹っ飛ばされたのだ。壁に埋まるほどの勢いでぶつけられ、動かない。
「ルシア!」
僕の声にも反応しない。死んではいないが意識を失ったか。僕の体の熱量が上がる。
「おお!」
食い込んだまま動かない火かき棒を無理矢理魔力を込めて振り抜く。
盾の異名は伊達ではない。僕の力は誰かを護るときに真価を発揮する。二歩程後ずさったエダギエルの腕に食い込んだ短刀に手を掛け、魔力を送ると、銀色の光を発して短刀の食い込んでいた付近の肉を左手首ごと吹き飛ばした。
エダギエルは痛は感じていないのか表情は特に変わってはいない。
「驚いたな。テレズマを操るか」
そう呟いたが、テレズマ?魔力を込めたに過ぎないが。エダギエルがちぎれた手を振ると傷どころか服まで元通りになっている。
「なんだそりゃ、ズリぃな」
そう言った僕にエダギエルは薄笑いを浮かべる。が、これは策だ。
次の瞬間サニーが銀の棒で斬り掛かる。エダギエルは表情から余裕が消え、大きくその一撃を躱す。そこにデニムの銃撃が三連発。二発は先ほど同様当たる前に止まるが三発目は肩に食い込み鈍い音を立てて肩の肉ごと爆発する。
更にサニーの追撃が入ると思われた瞬間、僕たちは先ほど同様吹き飛ばされた。
今度は空中で留まる事なく、壁に叩きつけられ、意識を失った。
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「やれやれ、少し痛かったぞ。お陰で加減をし損ねたでは無いか」
エダギエルは抉れた肩を手で払うと、何の痕跡も無くダメージが消える。
デニムが撃った弾は、弾頭を清めた銀で作ったホローポイント弾と、呪文の刻印されたフルメタルジャケットだ。前者は貫通せず敵の体内で弾頭が潰れる事で大きな殺傷能力を誇る凶悪な弾で、後者は貫通する事を前提としているが、刻まれたスペルにより化け物に特化したつくりとなっている。
「ふん、天使の剣など過ぎた物を」
サニーの手から零れた、クリスが『銀の棒』と形容していたのは魔術により再現された天使が持つ剣。ただの棒に見えるが恐ろしい切れ味をほこり、悪魔や化け物はおろか、天使ですら切り裂く事の出来る剣だ。サニーの持っている物は効果は一時的なものだが、それでも悪魔にとっては脅威である。
エダギエルは天使の剣を睨むと、不可視の力が剣を二つに折り、その輝きが失われる。
「う、くっそ……」
デニムが痛む体を起こす。サニーも無言で立ち上がるが、その足はおぼつかない。
「まさかあの程度で私を追い詰めたと思ったのか?たかが人の英雄を味方に付けた程度で。貴様が言ったのだろう。私は世が世なら魔王の器だと」
そう言って手をかざすと、再びデニム達は不可視の力に拘束される。床に伏しているクリスやルシアもだ。
「その二人は関係無いだろ。お前が言った通り、力不足で脅威にもならないだろ」
「いや、脅威だね。まさか賢人でも無い者がテレズマを使うとは思わなかった。貴様らでも道具無しでは使えないのにな」
デニムもサニーも何も言い返せず押し黙る。
テレズマとは神の恩寵と言われ、天使と生きている人間が発現する事ができるとされている。人間には獣人などの亜人と呼ばれる者もふくまれるのだが、亜人で発現させた者は居ないとされている。混沌や闇の者に絶対的な力を持ち、天使に対抗するためにも有効とされている。
「さて、お前たちの事だ、墓所の目星は点いているのだろ?」
エダギエルはデニムたちに向かってそう言うと、気を失ったままのルシアの顎を上げる。透き通るような肌の首が顕わになり、そこにどこからか飛来したナイフが突きつけられる。
「おい、よせ」
「珍しいな。お前たちがお互い以外の命を気にするなんて。いつもは大勢を救うためだっていって見殺しにするくせに」
言いながらナイフを更に動かす。気を失い魔力強化の解かれた肌にその先端が当たる。
「わかったから」
「じゃあとっとと言え」
サニーの言葉に若干荒い口調で返す。彼も人が復活するなどとは信じてはいないが、嫌な予感がするのだ。悪魔が嫌な予感などおかしな話ではあるが。
「地下だよ」
そんなエダギエルの後ろから声を掛けた人物がいた。精力的で健康そうな肌の艶に高級そうなスーツの五十歳手前の背は高く無いが、ガッシリした体系の男。
「アリスト!」
エダギエル、デニム、サニーが異口同音でその人物の名を呼ぶ。
「ご紹介頂きどうも」
「テメェ!何しに来やがった!」
「これはご挨拶だな」
エダギエルはデニムとアリストの取りを冷静に見つめる。
「貴様、この件には介入しないと言っていたよな」
「これは公爵様、ご機嫌麗しゅう」
「ぬかせ!貴様も公爵だろうが。ああ、貴様はこの兄弟がお気に入りだったな」
そう言われ、アリストは興味が無さそうに中に浮く四人を見る。
「まあそんなところだ」
「で、墓所は地下なのだな」
「おそらくな。だが我らでは入れない。塩を塗られた鉄製の部屋だろう。覗き見る事も叶わなかった」
エダギエルはアリストを一瞥すると、視線をサニーに向ける。すると、サニーが見えない拘束から解かれ、地面に降りた。
「解っているだろうが、下手な真似をすれば兄の命は無いぞ」
「残念ながら歯向かう手立てがない」
そう言ってサニーは空の手を広げて見せる。剣は折られ、銃は吹き飛ばされた時に手放している。悪魔を地獄に送り返す呪文はあるが、効果は絶大なのだが、詠唱が長い。どう考えても詠唱を始めた瞬間に邪魔される。
と、なればサニーは墓所に悪魔を撃退する術がある事に期待する。クリスタの墓所が暴かれれば、おそらく天使も黙ってはいない筈なので、最悪その衝突の隙に逃げるしかない。この時のサニーの思考には、クリスもルシアも入ってはいなかった。
エントランス正面から見て左の通路に入ると、大気の温度が急に下がったように感じ、デニムは顔をしかめる。未だ三人は見えない力に拘束され、通路を行くサニー、アリスト、エダギエルの後ろを地面から僅かに浮いた状態で運ばれている。デニムにはサニーの考えは読めていた。墓所を暴き、クリスタの遺骸、もしくは秘術に接触する事で、天使が現れるのを期待しているのだろう。天使は必ずしも人の味方と言うわけでは無い。現にデニムは過去に天使に殺害されている。その時、デニムの復活のためサニーが呼び出したのが契約の悪魔であるアリストだった。本来悪魔に人の蘇生など出来ないが、契約を成す事で、およそ人が想像しうる奇蹟を起こすことが出来る。当然、代償が必要なのだが。その代償は当初サニーの魂だったが、今は支払い済みである。当然サニーの魂では無いが。
天使は悪魔を目の敵にしている。何せ天地創造の頃からの天の絶対的な敵対者なのだ。
「お利口なサニーちゃんの事だ。クリスタ・ボルグの復活で天使が攻め込んでくるからその隙に形勢の逆転を狙おうとしてると思うが、俺がそんなヘマをすると思うか?この館周囲には天使除けの結界を張っている。仮に奴らが気付いても乗り込んでくるころには秘術を頂いた後だろう」
「へー、悪魔公爵様が人の術を欲しがるのか」
「お前は黙っていろ、デニム。……まあいい。お前たち、どうしてクリスタ・ボルグの復活で天使まで騒ぎ出すと思う」
デニムは口を噤む。サニーも足を止めずに首を振る。
そして地下への扉を開き、降りていく。すると更に気温が下がり、その冷気にクリスが目を覚ました。
三
「ここは……地下か」
不可視の力で動きを封じられて、浮かされて運ばれている。サニーが先頭を歩きその後ろを悪魔と、中年の紳士が歩いている。あれ?あの紳士見た事が......と思ったら悪魔が口を開いた。
「教えてやろう。140年前にクリスタ・ボルグはこの地で悪魔を地獄に、混沌の者は混沌に、幽世の者は幽世に押し返し、その門を未来永劫閉じる為の術を行おうとした。バカげた話だが、世界の理を書き換えそれが可能だと結論付けたらしい」
「でも失敗したんだろ?」
サニーが地下室の壁を剥がしながら口を挟んだ。
「ああ。悪魔、天使の総攻撃を受けてな」
「悪魔はともかく天使までもか」
デニムは呆れたような口調で返した。僕の中で何となく察しがついた。
「都合よく悪魔だけ封じるなんてできないって事か」
「クリス、無事か?」
「大丈夫たよ。ありがとうデニム」
悪魔、エダギエルが僕の方を向く。
「知恵が回るようだな。いいだろう、話てみろ」
「いや、ごく簡単な事だ。都合良く悪魔だけ封じるなんて出来ないだろ。僕の魔術の師匠に聞いたが、悪魔も天使も人から見た在り様は大して変わらないと。悪魔の方が報酬を用意すれば働くだけマシと言っていたな」
中年紳士が僕の方をちらりと見る。あ、やっぱりあの時の。
「そうだ。あの術はこの世と異なる全ての繋がりを無くすものだ。人の目に触れなくなった物の怪、天使、我々悪魔はその存在を忘れられいずれ霞のような存在になりうるだろう。それにともない世界から魔力も失われる」
「ほんとかよ」
「ああ。私がかつていた世界では、神も悪魔も化け物も、創作物だけの出来事だった。魔術魔法などは詐欺師の常套句よ」
その発現に一同息をのむ。「かつていた世界」その言葉が意味するのは、この悪魔エダギエルは元々別の世界の者だったと言う事だ。少なくとも話しぶりから悪魔や天使の類ではない。
「あんた、異界人だってのか」
「何、単に前世の記憶を持って生まれただけの話だ」
「さっきの口ぶりからは魔術も無い世界って事か」
サニーの手が完全に止まっている。
「ああ、およそ300年前、この世界に生まれ、二歳くらいの時に思慮がハッキリしてきた頃は戸惑いで気が狂いそうだった」
二歳で前世、成人の意識は辛いかな。
「異界人は大抵英雄になるって話だが、なんで悪魔なんだ」
デニムが言う。確かにそうだ。異界からこの世界に突如現れた者は異界人と呼ばれ、数段優れた知識や能力を持っている事が多い。大抵は人の存続が掛かっている場面で現れ、解決に導く。そして英雄、偉人と祭り上げられるのだ。
「この世界の人間の低俗さにほとほとあきれ果ててな。天使も仕事をしないので変わって罪人に罰を与えていたら、ある日創造神を名乗る者から声を掛けられ悪魔として転身したのだ」
「え、じゃあ、正義の味方をしていたら神に悪魔にさせられたって事?」
サニーが頭を抑える。僕も手が動いたら同じ事をしていたかも。
「善悪の基準は前世の記憶だったからな。正義と言うにはあまりに独善的だった。人を手に掛けても捌かれない貴族、数人の欲望を満たすために虐殺を行う野盗、他者を陥れて自分だけが益を得ようとする下衆。最初に手を掛けたのは、この世界の母を浚って弄んだ上に生きたまま魔物の餌にした領主一家だった」
独白するその顔に、まるで少年の様な憤りが見える。
「この世界では裁かれない者を俺の基準で裁いていたのさ。神は言った『悪魔になって罪人を裁き続けろ』とな。俺は二つ返事で返したさ。もっとも今は地位も得てその職は部下に譲ったがな」
人に歴史ありと言うが、悪魔にもあるんだな。そう言えば僕たちが生きている事も。でも悪魔だしな。
「どうした?手が止まっているぞ」
言われてサニーは無言で壁を剥がす作業を続ける。そして露わになって来たのは赤い鉄の扉。塩で表面がコーティングされているため、錆びているのか。サニーが押したり引いたりするがビクともしない。
「ダメだ。僕一人じゃ動かない」
サニーが文字通り手を上げる。
「僕が手伝おう」
そう言うと、エダギエルは何故か凄く嫌そうな顔で僕を見ている。
「僕は元々砦で護りを固めていたからね。補修も他の兵と行っていたから力仕事には自信がある」
「いいのか?悪魔の手助けをして」
中年の男が言う。
「アリストも悪魔だろ」
あの男、アリストも悪魔なのか。こりゃあ絶体絶命だな。
「なに、サニーを手伝うのさ。それに僕も興味がる」
「興味?」エダギエルが眉をしかめる。僕、何かやっちゃいましたか?
「あれだ、賢人の墓。クリスタ・ヴォルク・チャーチルだっけ?」
「クリスタ・ボルグ・チャーチルだ」
「そう、それ」
その言葉と共に、僕を拘束していた不可視の力が消え、地に足が付く。
「解っていると思うが」
「ルシアを人質にしているんだろ?わかっている。下手な真似はしないよ」
「腐っても元王族が、使用人の人質が有効か」
「ルシアは家族だよ」
そう言いながらサニーの横に立つ。どうやら悪魔の力はこの鉄の扉には通用しない様だ。ならば、最悪この扉を盾にして立ち回ればいい。
「とりあえず一人でやってみるから、サニーは下がっていて」
サニーは何も言わず下がる。僕の考えを察しているのかも知れない。
扉に手を掛けて一足分思いっきり押し込んでみるが、動かない。引いてみるがそれでもだめだ。
「おい、口だけか?」
どうやら最悪の展開だ。僕は深く溜息をついて扉に手をかける。
そして、横に扉をずらした。
「おお」
「なんと」
「そう言う……」
エダギエル。アリスト、サニーが思わず口からもらす。
扉はこの辺りでは見ない引き戸だったのだ。サニーは開き戸だと思って押したり引いたりしていた。ノブもないしな。これでは外して盾にするのは難しい。
扉の中は全面鉄製の壁に覆われていて、空調なんて効いていないはずなのに空気は澄んでいた。小さな家ほどある空間の真ん中に白い棺が一つ。それ以外は何もない。
「秘術とか眉唾だと思っていたが、ここまで何も無いと笑えるな」
いつのまにか拘束を解かれていたデニムが棺に向かう。エダギエルは僕に近づいてくると、ルシアを横にして押し付けてきたので、そのまま抱きかかえた。
「なんとも拍子抜けだが、あいつの事だ、何を仕込んでいるか最後までわからん」
エダギエルがデニムに顎を指す。棺を開ける様に促しているのだ。
武器もないこの場ではエダギエルは絶対強者だ。従うしかない。幸いなのが、今の所、僕たちに狂気が向いていない事だ。
デニムもそれをわかっているのか、刺激しないように軽口も挟まずサニーと二人で棺を開ける。
そこには……。
「やっぱり」
「これはいったい……」
「どういうことだ、なぜ?」
僕はまあ、予想通りだった。デニムとサニーは目の前の光景が信じられないと言った感じだ。二人の反応を見てエダギエルが棺に手を掛ける。
「クリスタ・ボルグ。生前のままの姿で120年も眠っていたのか」
「これがクリスタ・ボルグ?!」
デニムがさっき見せた慎重さを明後日に忘れてきた様に食って掛かる。
「そうだ、忘れもしない。儀式を邪魔され怒ったこいつは、その場に居た天使、悪魔を100体以上殺した」
「いや、そんな話じゃなくてだな」
無視していい話では無いと思うが。
デニム達がパニックになっているのは、棺に横たわっていたのが、ヴォルクそっくりだったからだ。まあ予想はしていた。こんな落ちだろうなって。アリストと言う悪魔はすまし顔でデニム達を見ている。
「てめえ知ってたな!」
デニムがアリストに食って掛かろうとし、エダギエルは何が起こっているのか理解できておらず、再び棺に視線を戻す。
「えっと、アリストさん?」
「アリストで結構。王子様」
「ああ、ありがとうアリスト。僕の事もクリスでいいよ。ところで、ヴォルクはどこに?」
その言葉にエダギエルが僕の方を向く。さっきの僕の発言と今の言葉、繋がったのだろうか。
「ああ、ヴォルクなら地獄に連れて行った。兼ねてからの約束だったのでな」
「え!」
「なに!」
僕も驚いたが、それ以上の驚きを見せたのはデニムとエダギエルだった。
「王子よ、そのボルクとやらはもしや、ここに横たわっている死体と関係があるのか?」
「王子はやめてくれ。はっきりいってそっくりだ。あと」
注意しようとした瞬間、エダギエルの動きが止まった。頭を何者かに鷲掴みにされていた。
「ヴォルクをボルクって言うと凄い怒るんだって言おうとしたんだけどね」
エダギエルを鷲掴みにしているのはヴォルクだった。棺の死体はそのままで、出て行った時より随分服装が汚れてくたびれている。
「な、クリスタ・ボルグ!なぜ!」
「小僧、久しぶりだの。あのときも言ったよな?ワシの名前はボルグでは無くヴォルクだと!」
そう言うと手から光が発し、エダギエルの目や耳、口から光が漏れたと思うと、生き物が焼けた強烈な匂いと共にエダギエルは全身から煙を出して倒れた。
「半年ぶりに帰ってきたら、館は半壊しとるし、悪魔はいるしでどうしてこうなった」
殆どアンタのせいだと口から出掛かったがやめた。
四
「さて……」
僕はルシアを抱っこしたまま悪魔アリストとヴォルクに視線を送る。
「俺から話そうか?」
「いや、ワシから話そう。見ての通り、その死体っぽいものの正体は、二回ほど生まれ変わる前のワシだ」
何かいっぱい引っ掛かるが、とりあえず。
「死体っぽいって?」
「それはホムンクルスじゃよ。50年程で転生するのが面倒になって、長寿の体を用意してみたが、どうにも何と言うか、その」
「なんだよ、ハッキリ言ってくれ。ここで長い話を聞きたくない」
「飽きたんだ」
ヴォルクなりに言葉を選んでいたんだろうな。思わず力が抜けてルシアを落としそうになるが、ルシアが首に手を回してしがみついてきた。こいつぅ。
「飽きたって……」
サニーが唖然としている。
「変化が無いのは良くない。年寄りには年寄りの思考、若者には若者の愚かさ、子供には子供の視点と、年代によって見える事、出来る事、考える事が違うものだ。知識の探究者として、変化が無いのはその思考も変化が無くなる。なので転生する事を選んだのだ」
ここでヴォルクは自分が何度も転生している事をデニム達に告げた。
「にわかには信じられないが……つまり、あんたは何度も転生して知識をためていると?」
「そう言っている」
「兄さんおちついて。じゃあ120年前に術を邪魔された腹いせに、天使や悪魔を虐殺したってのは?」
「あれは正当防衛だ。そもそもあの術は完成させるつもりはなかったと、最初に伝えていたのに、頭の固い天使が余りにうるさくて」
「うるさくて……」
「一時的に地上から居なくなるようにしようとしたら襲い掛かってきた」
クッソでかい溜息がでた。そんな事だろうなと。
「悪魔はどさくさに術を盗もうとしたからな。しかたが無かったんじゃ」
「仕方なくで100体あまりですか」
「そんな顔で見るなクリス。さっきも言っただろう。同じ体で変化がないとな。そうなると言いたくは無いが並ぶ者などいないのだよ。傲慢にもなる。そしてあの件もあってあの体を捨てたのじゃ」
どこか物憂げなヴォルクの顔に言葉は出なかった。
「ところで、念願の地獄めぐりはどうだった?」
アリストが口を挟んできた。ふと視線を巡らせると、先ほどまで煙を上げていたエダギエルが居ない。あれでまだ生きていたのか。
「ああ、公爵様なら帰ったよ。ヴォルクの復活を真に受けて適当な召喚に割り込んできたからな。本来の一割くらいしか力を出せないからな」
「ああ、お陰で殺さない様に加減するのが難しかった」
アリストの言葉にヴォルクの返し。何を言ってるのかさっぱりだったが、後で聞いた話では、地獄の悪魔が受肉、つまり肉体を持って現界するには、この世界の人間に召喚してもらう必要があるそうだ。その召喚術の出来によってどれだけ力が発揮できるのか変わるらしい。ヴォルクの復活がもうすぐだと焦っていたエダギエルは現世の部下達に人間を騙して召喚をさせる手筈だったが、それをアリストが邪魔したらしい。稚拙な召喚に無理矢理割り込んで呼び出された彼は、充分な力を発揮できなかったそうだ。あれでかよ。
ヴォルクは、僕たちが殺されてなかったので、とりあえず現世に居られなくなる程度のダメージに止めたらしい。丸焦げだったけどね。
「地獄?ああ、楽しかったよ」
「地獄が楽しいってとんでもない爺さんだな」
そうなんだ、とんでもない奴なんだよ。デニムも解ってくれたか。
「彼は数年前に天使に殺されて地獄に墜とされたんだ。そこで50年程責め苦を味わったからね」
「50年?」
思わず変な声が出る。数年前に死んで50年?
「地獄とこっちでは時間の流れが違うんだ。実際死んでいたのは半年程だったけどね」
「って、ことはサニーが助けた……復活させたのか?」
人を復活させるなんて、それこそ御伽噺だが、彼等の話を信じるとそうなる。
「いや、契約の悪魔の手を借りたのだろう。契約に準ずればおよそ出来ない事はないからな」
「そうだ。苦労したんだぞ」
ヴォルクの声にアリストが応える。
「まあ、確かに兄貴の魂は引き上げてくれたけどね。それだけじゃ復活はできなかったんだ」
すると、少し薄暗かった部屋がほのかに明るくなる。
ぼんやり光る人型。幽霊か?いや、何か圧倒的なパワーを感じる。
「紹介しよう。天使のホリィだ。兄貴を殺して、兄貴を復活させてくれた仲間だ」
「え?殺して復活?」
『はじめましてだな、王子。そしてヴォルクは久しぶりか』
光の人型が喋った。
「久しぶりかな。なんでそんな落ち着きのない事になってる」
聞けば、天使はこの世に留まる為に、人に憑依する。だが、天使のパワーに耐えられる者は多く無く、また、耐えてもその精神が持たない。天使の上官の命でデニムの命を奪ったホリィだが、彼等の功績を知り、自分の犯した罪を自覚する事となり、人に大して尊厳を抱くようになる。
前の肉体が滅んでからはずっとこの状態らしい。文字通り光体と呼ばれる姿で現世にいるには相当負荷が掛かる。当然無理がたたって、どんどん力が衰えていると。
死んだデニムの魂が引き上げられたが、損壊した肉体に戻してもグールになるだけと、途方に暮れていたサニーに救いの手を差し伸べ、デニムの肉体を戻した。その際、天界への裏切りとして翼を失う事になる。ちなみに今頃現れたのは、エダギエルの天使除けの結界が消えたからだ。
「なんだそんな事か」
「いや、こっちはそれなりに大変なんだ。死体にも入ってくれないし」
「魂が無くて生きている体が必要なのだろ?あるじゃないか」
そう言ってヴォルクは自分の姿をしたホムンクルスを指さした。
「ワシが入っていたんだ。性能は折り紙付きだ。その気になれば繁殖行為の真似事もできるぞ」
「流石に子作りはできないか」
「やった事が無いから知らん」
『しかし、私にはそれを譲り受ける資格がない』
「気にするな。昔殺しかけたし、その詫びと思え」
殺し……ああ、さっき久しぶりって言ってたのはそれか。
『だが』
「つべこべ言うな。くれるってんなら貰っとけ」
「そうだよ。こんな機会はおそらく二度とない」
デニムとサニーの言葉を受けて、ヴォルクが光の人型を棺にいざなう。そして指を鳴らすと棺の蓋を閉めた。
「おい」
「ああ、魂にあわせて肉体が再構築される。ちょっときついのでな。見ない方がいい」
棺から変な音が聞こえるが、気にしないでおこう。デニムやサニーは心配そうに見ていた。
「そうそう、地獄だったな。半年程だったが楽しかったぞ」
「思ったより早かったな」
アリストの言葉にヴォルクは少し困った顔をした。
「地獄の王だか神を名乗る者から帰ってくれと懇願されてな」
「何をしたんです」
「クリス?なんで怒るの?」
「おっさんの姿で地の少女の声出さないでください。何をやらかしたんです!」
すると、ヴォルクが少女の姿になった。
「いやぁ、喧嘩を売られるままに買ってたらその中に公爵とか大公と言う奴がいてな」
「何!ちゃんと始末したんだろうな!お前を送ったのが俺だとバレたら地獄に帰れんぞ!」
「それは大丈夫、心配するな」
「僕は別の意味で心配ですよ」
「いやぁ、そんな事をしていたら先の地獄の王が出て来て、このままだと地獄の秩序がめちゃくちゃになるから、頼むから帰ってくれと言われてな。ワシもそれは本意では無いから帰ってきたと言うわけじゃ」
その言葉に顔面蒼白になるアリスト。
「ちょっと俺は帰る。デニム!今回の件は貸しだぞ!」
「あんだと!どの口が言う!」
そんなデニムの言葉を受けながらアリストは目の前で消えた。
タイミングを見計らったように棺の音が途絶えた。ヴォルクは少女の姿のまま手を叩くと棺の蓋が外れ、棺自体が四方に割れた。
そこに居たのは先ほどまでのホムンクルスが纏っていた死装束に身を包んだ妙齢の女性だった。いや、顔は女性っぽいが体は特有の起伏がみれないので男性か?
「ホリィ」
サニーが近づいていく。身を起こしたホリィは手を見ると、その手で体を触る。
そして近づいたサニーがその身を抱きしめた。
「よかったよ」
「ありがとう、サニー」
どこか感情の無い声で応える。デニムもすぐそばに行く。
「ほんとにな、あのまま消えてたらどうしようかと思った」
「心配してくれていたのか、デニム」
「当たり前だろ。俺たちは家族だ」
そう言ってホリィの背を叩いた。
「じゃあ俺たちは次の仕事があるから行くよ」
「会えてよかったよ。また何かあったら呼んでくれ」
そう言って三人は去って行った。振り返ると半壊した屋敷。
「ルシアさん、もう降りてくれませんか」
まだ僕の腕の中で気絶した振りをしているルシア。なぜか少女の姿のままのヴォルクはとことこと僕の傍に来た。どうやら地獄から悪魔退治までの強行軍が祟って魔力が安定しないらしい。
「なあクリスよ」
「はい、なんですか?」
「幽霊はどうなったんだ?」
その言葉にルシアが身を固くする。
「あ」
「あ、じゃないですよ!すぐあの二人を呼び戻して!」
気絶したふりを止めても僕の腕から降りずにそうわめくルシア。と言うか、その技術は賢人の祖であるヴォルクが持ってるだろうと思いつつ、めずらしく弱みを見せるルシアにニヤニヤが止まらなかった。
エピローグ
遡る事12年前。クリスの居る国と穀倉地を巡って争う隣国。その戦場となる地からそれほど離れていない、とある騎士伯の館で少女は身を震わせていた。少女の名はルシア。幼い彼女は、毎夜屋敷に響く怪音や、勝手に動く人形、要る筈の無い人影に身を震わせていた。
そんな時、彼女の屋敷に害虫駆除の業者が、顔見世に無料で害虫駆除を行うと屋敷に訪れたのだ。戦争で家に居ない父に代わって母が対応し、二日の期限で駆除を行う事になった。
業者は若い二人の男だった。テキパキと仕事をし、害虫にネズミの処理まで見た目の若さに似合わない手際でこなしていった。
そして夜、怯えるルシアの前に二人は来た。
二人は、実はお化けを怖がっているお姫様を護る騎士だと言った。
その言葉に気を良くした訳では無いが、今まで誰も取り合ってくれなかったお化けの話を、二人は真剣に耳を傾け、すぐに調査を行うと部屋を出た。
そして言葉通り戻ってくると、手には小さな靴が。
その昔、この騎士伯の屋敷で命を墜とした子供の物だと言う。二人は魔法陣が描かれたスクロール広げ、その陣の中に靴を置くとそこに血まみれの少年が現れる。
その悲壮な姿にルシアは恐怖よりも、悲しみに襲われるが、少年はルシアに口を開いた。
「僕じゃない!奴が!奴がくる!にげ」
そこで少年の霊は黒い靄に覆いかぶされた。いつの間にか部屋には黒い靄が立ち込め、それが男の姿となってルシアに手を伸ばした。
黒い人影にランランと光る赤い目。その瞬間にルシアは意識を失う。
翌日、目が覚めるとルシアはベッドで寝ていた。服はあの時の部屋着のままで、部屋の真ん中には何やら燃やした様な跡があり、あの二人は早朝に出て行ったそうだった。
それからルシアは夜に怯える事が無くなった。
「って事があったんですよ。今まで忘れていたけど」
ルシアの昔話を帰りの馬車で聞いていた。幼い頃のルシアか。さぞ可愛かったんだろうな。
じゃない、そうじゃない。見たいけど。
「もしかして、その二人って」
「ええ、正直顔は覚えていないのですが、あの兄弟だったかと」
「そうか。それで」
「どうしたんですか?」
「いや、やけになれなれしいなと思ってたんだ。いきなりルシアちゃんだもんな」
何かひっかかるところがあったんだ。
「もしかして、妬いてますか?いいんですよ、クリス様もルシアちゃんって呼んでも」
すると御者の方から。
「ルシアちゃん」
「ヴォルクさんはだめですー」
「ぬ、ダメか」
自然と笑い声が出る。
「で、どうして思い出したの?やっぱりあの子?」
「はい。なんかあの子を見た時、子供の頃見た幽霊の子を思い出しちゃって」
結局、屋敷の幽霊はヴォルクが対処した。
特別な魔法陣を描いて幽霊を呼び出した。呼び出されたのは10歳にも満たない男の霊。この屋敷に昔勤めていたメイドの子で、病で早逝したらしい。
何か望みはあるかとのヴォルクの問いに、遊びたかったと。そして、少女姿のヴォルクとルシアとで一晩遊び、明け方光の環が彼を包むと、光の粒になって天に登って行った。
ヴォルクが言うには、あの光の環はあの子のお母さんらしい。
ルシアはかなり無理をしていたようで、次の日寝込んでしまった。
「子供の頃見たあの子供の幽霊は、昨日の子みたいにちゃんと天に召されたのでしょうかね」
「あの二人の仕事なら大丈夫だろ。話を聞く限り若い時から仕事は出来ていたようだし」
「害虫駆除と幽霊退治って関連が?」
僕の言葉にヴォルクが頷く。見えないけど。
「幽霊、特に悪い気の溜まりには害虫やネズミなどが湧きやすくなる。酷い時には眷属化しとるからな。害虫駆除ができねば仕事は出来んよ」
そんなものかと考えていたら村で一番高いメージュの樹が見えてきた。
「休みはおわりかー」
「そうですね。全然休んだ気がしないですが」
「帰ったら試したい実験があるから、クリスはワシのところに来るようにな」
「またロクでもない事でしょ」
「なに、構想段階の技術など、いずれもロクでもないものだ」
そんな話をしつつ村に帰る。
で、その後の実験で地獄の門が現世に現れるんだけど、これはまた別のお話で。
一旦この王子様のお話は終わります。
またプロットがまとまったら今度はオマージュなしの王子たちメインのお話で。