放逐王子とメイドのはじめての夏休み1
一
僕の名前はクリフ。色々あって王位継承権を剥奪されたが、この国の第一王子だ。現在は王都から馬車で二週間程の辺境の村に居を構えている。
今日から夏休みと言うことで、侍女のルシアと執事のボ……ヴォルクと避暑地であるカガンスレイクサイドと言う街に向かっている。
その街に王家所有だが、百年近く使われていない別荘があるのを知って、許可を得て二週間の滞在が許された。
馬車に揺られる事三日、山賊に襲われる事もなく、ドラゴンに襲われ通りがかりの超人に救われる事もなく、同行を厳選したため、野営では僕が料理を作り、夜はルシアが寝床に潜り込もうとするのを阻止する。ある意味いつも通りだった。
ルシアは僕より一つ上の十八歳。細見で起伏の少ない体型で、今は後ろに纏めているが、解けば腰に届く長髪で、一見黒い髪は日や月明かりに透かすと碧みが掛かって幻想的な美しさを見せる。顔も控えめに言って美人だ。
メイド服を身にまといその姿に相応しく、家事の一切をこなす。但し調理はだめだが。それ以外にも庭の仕事や野良仕事、僕の護衛もそつなくこなす万能メイドだ。
ヴォルクは背筋がピンと伸びた長身、赤い縁のメガネと見事な銀髪が特徴的な初老の男性だ。黒を基調にした執事服に見を包み、杖も持たないが大陸一の魔術師を自称し、その魔術で何度も転生しているらしい。あくまで本人談だが。まあ、それを裏付ける事件がたまに起こるのが頭の痛いところで、本来その実力では宮廷に召し抱えられてもおかしくはないのだが、人格に難があるのだ。
「クリフ、ついたぞ」
「ああ、ヴォルクありがとう」
ほら。基本的に敬語とか使わない。僕が彼に魔術を教えて貰っていると言うのもあるが、これは王に対してもだったし。これがトラブルの元になるのはわざわざ説明するまでも無いだろう。
後、ヴォルクはこんな見た目だが、中身は十三歳の女子だ。この手記を僕以外が読めば、頭の打ちどころでも悪かったのかと思うだろうが、吐露しなければ僕の頭がおかしくなるのでお願いします。
今の男性の姿は、転生前に最も力のあった時の姿で気に入っているんだそうだ。魔術で肉体の構成を変更しているらしが、月の物が来る時だけは女性の姿に戻ってしまう。
まあ二人に関しては他にも色々あるが、今はこんなところだ。
時刻は正午まで二時間程と言ったところか、僕に寄りかかって寝ているルシアを軽く肩で揺すって起こすと、馬車から降りる。ルシアが寄りかかっていた肩には涎がついていて、菓子の甘い匂いが鼻腔をくすぐる。そんなルシアだが、仕事なればテキパキと動く。
馬車から滞在用の荷を下ろすとヴォルグが馬車を庭の隅に寄せ、馬を放す。馬小屋には水と飼葉がすでに用意されていた。
別荘は二階建てのちょっとした……いや、災害時には二百人は逃げ込めそうな大きな屋敷だ。庭園もそれなりに。
百年近く使用されていないとの事だが、腐っても王家所有と言うことで綺麗に整備されている。屋敷の両開きの大きな扉の前には二人の男性が立っていた。管理人だろうか。
二人は僕達に気付くと、まだ結構な距離があるのに胸に手を当てて腰を折った。
気が急くからやめて欲しいな。王家の伝手を使ってはいるが、王宮を追われた身、心情的には庶民なのだが。
「ぬぅ、あの二人デキますね」
足早に二人の元に向かう僕のとなりでルシアは言う。彼女の言う「デキる」は街の腕っこきくらいではない。
ルシアは元はこの国と矛を交えていた隣国の将の一人で、僕が王家を追われる直接的な原因になった人だ。ちなみに、彼女の右顎から頬にかけてよく見るとわかる程度の薄い傷跡があるが、それを付けたのは僕だ。
王位継承権を失い、王宮から追われた身なれど、僕にはそれなりに政治的な利用価値がある。例えば僕を取り込み、継承権を失った事で王室の不信を訴え内乱を起こしたり、僕との子を作って、その子に王位継承権を訴え出たり。
逆にそう言うのが煩わしいからと僕を亡き者にしようとしたり。まあ圧倒的に後者が多いのだが。
他国に利用されないためもあって、僕は国を出ることを禁じられている。結婚などは特に禁じられてはいないが、子が出来ても不幸な未来しか予見できないので、それなら一生独り身で過ごすのがいいだろうと、女性からのアプローチは全て蹴っている。
目の前の彼らが暗殺などを狙う刺客では無いと言う保証はない。
「お初にお目にかかります。私はこちらの別荘地の管理を請け負っておりますデニムと申します」
「同じく管理を請け負っておりますサニーと申します」
「あ、クリフです。王家の資産を使わせてもらってこんな言い草も無いけど、身分的には爵位もない平民だから、そんな畏まらないで」
「お、話がわかるじゃないか」
「デニム!」
いきなりスイッチが切り替わる様に調子が変わったデニムにサニーがたしなめるように言うが。
「ああ、いいよ。畏まられると疲れるし。デニム、サニーよろしく」
「よろしく」
「デニム!よろしくお願いします」
差し出した手を交互に握る。デニムは僕より少し背が低く、青い目に黒に近い茶色い短い髪。サニーは僕より頭一つ大きい。僕は平均的な男性の身長だと思ってるから、長身と言っても間違いないだろうな。目は青く、髪は金髪。二人とも三十歳前後か、体幹がしっかりしているし、夏なのに長袖長ズボンの作務衣なのは、体格を隠すためかもしれない。二人とも僕より年上で整った顔立ちをしている。こんな格好でなければモテるだろう。
「お二人は兄弟で?」
「え」
僕の言葉にサニーが詰まる。多分彼が弟かな。
「よくわかったな。言っても信用されない事の方が多いのに」
なんとなく、息のあった二人を見て感じただけだ。
「まあね。僕の兄弟も全然似てないから」
「なるほど」
そういって快活に笑うデニム。
「もう、兄貴……まあ、こんなところで話込むのもなんだし、荷物を運ぶついでに中を案内しますよ」
「ああ、たのむよ」
人見知りしないルシアが一言も発しないのが気になるが、二人についていく。ヴォルクがついてこないがいつもの事だ。
入口をくぐるとエントランスになっていて、ここだけでも村の僕の家より広い。吹き抜けになっていて、二階への階段と正面二階にはバルコニー型の通路、奥には厨房と食堂に続く扉、左右の扉の奥には部屋が四つずつあるらしい。二階は右手がホール、左手が客間となっている。
「更に地下室もあるが、そこまで手が回っていないので入らないでほしい」
「二週間程度の滞在なら必要無いと思いますので」
屋敷内は多少粗が見えるが清掃、整頓されていた。
「ありがとう、後の荷ほどきはこちらで行うよ」
「わかりました。何かありましたら裏の小屋に待機していますので」
「あと、これを」
そう言ってデニムが銀のバターナイフを出してきた。
「朝食には遅い時間だが?」
「このあたりじゃあ魔物は滅多と見ないが化け物が出ると言われていてな」
「化け物?」
魔物とは人が魔術を使うことで混沌との門が開き、出てくるようになったと言われる異形の者の事だ。
門は主にダンジョンと呼ばれる迷宮などの深層に存在すると言われている。基本的に人に敵対し人を凌駕する能力を有するが、中には人のそれより理性的で賢い者もいて、全てが人の敵とは言えない。
また、逆に魔物が出てきて人が抗うために得た力が魔力であり魔術だと言う話もある。
しかし、化け物とわざわざ呼び替える存在は知らない。
デニムの話はこうだ。彼の言う化け物とは、人の畏れや概念からこの世に現れたもの、例えばおとぎ話の怪物、幽霊。また、土地神とあがめられる高位な存在。
「バンパイアや人食い鬼、他にも土地神として祀り上げられたものは、一見して人と区別がつかない」
「と、言われていてね」
デニムの言葉をサニーがフォローする。
「まあ、あくまで迷信だがな。ただ、怪しいってだけで斬りつける訳にはいかないだろ?」
そう言ってルシアに視線をやる。さっきから警戒の色を隠そうとしていない。
「で、その化け物ってのは何故か鉄や銀、聖水に弱い。だから怪しい奴が近づいて来たら、そっとその銀食器で触れて見るんだな」
「なるほど」
すると、ルシアがすっと進み出てデニムの手を取ると、バターナイフを押しあてた。
「効果は見られませんね」
「おいおい、俺は人間だよ?それを渡したのも俺だよね?」
デニムの言葉にルシアは応えない。
普段の彼女なら自分から食い気味に話を振って相手を丸裸にしてしまう。
会話と言うのはこちらも情報を振る必要がある。例えば名前だ。自分から名乗る事で相手に名乗らせるという基本的な話術が理解できていれば、相手の情報を引き出すためには、こちらも最低限の情報を渡す必要があると言うのをわかってもらえると思う。ルシアは僕の情報を渡すのを警戒しているのだろう。
まあ、僕の事は有名なので今更隠す事など殆ど無いのが、ある意味強みでもある。人は秘密を抱えると色々制限されるものだ。
「ああ、すまない。彼女はルシア。僕の侍女をしてくれているんだが、人見知りが酷くてね。ほら、僕ってややこしい立場だろ?」
「そうか。できれば仲良くしてくれよな」
とりあえず誤魔化すために人見知りと言う事にしておく。
差し出されたデニムの手を取らず、僕の後ろに回るルシア。
「嫌われたみたいだな」
「デニムはがっつきすぎなんだよ。まあさっきのはこの付近の迷信だしそれほど気にしないで」
そう言って二人は屋敷から出て行った。管理人と言う仕事がら、庭園に建てられた小屋にいるとの事だ。
「ルシアさん?どうしたんですか?」
「クリフ様そんな他人行儀やめてくださいって言ってますよね?」
そう言って目を合わせて来るが、そっと逸らす。照れるのだ。
「あの二人なんか色々と隠していますよね」
「そうだね。でも握手した時に感じた魔力量は並みだったし、その気になればルシアさん一人で制圧できるでしょ」
僕は魔術の才能は無いが、ヴォルクに師事する事で人並みには使えるようにはなっている。基礎では魔力の操作を徹底的に叩き込まれたお陰で、相対した者の魔力量などを察知できる。
魔力は文字通り魔術を行使するための物だが、そのエネルギーを体内で循環させる事で身体機能や肉体を強化できる。特異な例としては肉体を組み替える事が可能で、ヴォルグのおじさん化もそうだし、霧になったり水になったり、炎になったりする事もできるが、そんなのは今のところヴォルクしか見た事が無い。
「あの二人、銃を持っていました」
「銃か」
戦闘において、魔力で肉体が強化される以上、それ以上の攻撃方法が必要となる。一つは単純に強化された肉体での格闘、一つは武器に魔力を伝える、魔力付与と言う技術での直接攻撃。
遠距離攻撃としては弓が絶対的な強さを持つ。中にはブーメランなんかを得意とする者もいるが。問題は銃である。武器に魔力を伝える以上、単純な物がより強力に魔力を帯びる。弓は矢では無く打つ出す弓に魔力を多く込める。当然、直接触れる矢にも魔力は伝わり強化される事によって、音の速度を数段越え、数キロ先の的を粉砕する事も可能とする。射手によっては大砲にも勝る。
銃の場合、直接触れる引き金に一番魔力乗る。その次に撃鉄、薬莢、弾と伝わるので、弾自体に殆ど魔力が伝わらない。魔力によって音の数倍の速度で弾を撃ち出しても、瞬く間に弾は溶けてしまう。弾にあらかじめ魔力を込めると言う手法もあるが、コストを考えると弓の方が断然取り回しがいいのだ。
ちょっと頭の回る人間なら「じゃあ至近距離で使えばいい」となるが、まずそれなら剣や投擲武器を使えとなるし、発射するときに撃鉄が薬莢(正確には雷管だが)を叩く衝撃が洒落にならんのだ。発せられる衝撃波は耐えられても、音で耳がやられる。だから大抵は遊びや、魔力付与が未熟な者、年寄の護身用なんかに使われる。当たればそれなりに痛いし、不意を突く事ができればかなりの傷を負わせられる。
ルシアが警戒する程の腕でありながら、あえて銃を持つ事に、彼らが隠している何かが見えてくるかもしれないが……。
「まあ、僕達は休暇にきているんだ。わざわざトラブルに首を突っ込む必要も無いよ。それに向こうがその気なら三回くらい僕の首を獲るチャンスはあったしね」
そうさせない様にルシアが睨みを効かせていたのだが。
「……そうですね。これって言わばハネムーンですよね!」
「え、違うよ」
「ハネムーンベイビーなんかも」
「おーい、ルシアさーん、おーい」
元気になったのはいいが、妄想の世界に浸るのはやめて欲しい。
僕がルシアの肩をゆすりながら現実に呼び戻そうとしていると、ヴォルクが入ってきた。
「なんだ、まだ荷ほどきも終わっていないのか」
尊大な物言いで溜息をつくと、指を鳴らした。すると着替えなど身の回りの物が収められたトランクが奥に飛んでいく。
「助かります」
「なに。私も家人だ。仕事はするさ」
そう言いながら視線は屋敷の内部を舐める様に見ていた。この人が上流とは言え、こんな平凡な建物に興味を示すのは珍しい。
「なにか気になる事でも?」
「ああ、恐らく私は以前こちらに来た事がある。何回か前の転生の際だが……」
「だが?」
「正直、転生する度にあちこちに拠点だ結社だと作っていたのでわからんのだ」
「ヴォルクさんはその辺雑ですもんね」
いつの間にか素面に返ったルシアが突っ込む。
「魔術とは知識だ。知識とは伝えてなんぼだ。今の世の様にやたら理屈にとらわれた科学の再現でしかないものを魔術と言わないのだ」
「でも、伝わっていないって言う事は、知識を継承する者を選ぶか育てるべきでしょ」
「そのための結社だったりするのだがな。それに三人寄ればなんとやらと言う諺があってな、考える頭が増えれば知識の枝葉もそれだけ増えるのだ」
「ふーん」ルシアは子供っぽく首をかしげる。
「じゃあなんでヴォルグさんの使う様な魔術は今は誰も使ってないの?」
「う」
「僕が思うに需要がないからだろ」
「くっ」
「えー、花畑を一瞬で作ったり、なんでも浮かせたり、あと瞬間移動とかすごいと思うけどなぁ」
「そうだろ?」
ルシアの言葉にヴォルクの声が弾む。
まあそれが出来てどうなんだって話なんだよな。見渡す限りの草原を一瞬で花畑にして、綺麗で終わるのか、維持するのか。維持するとしたら、そのためには人の手が必要だろうし、それなら最初から計画的に花を栽培するだろう。
なんでも浮かせると言うが、ヴォルグの様な底なしの魔力があるから「なんでも」が可能で、僕も同じ魔術は使えるが、ルシアくらいの重さの物までが限界だ。それなら手で運んだ方がより重い物が持てるし楽だ。瞬間移動に関しては僕も手解きは受けたが、知る限りヴォルグ以外できない。
今の魔術はいわば戦いのために発展した様なものだ。
火球を出したり、土嚢を作ったり、水を作り出したりと。他にも生活に使われるものもあるが、大抵は手でやった方が早かったり機械で代用できるので廃れている。
これらの主に戦闘で使われる魔術は元素に紐づく事から元素魔術と呼ばれ、他にも以下の体系として分かれている。
傷や病気の治療、結界などを使う神聖魔術、死者の領域に迫る死霊魔術、魔力付与された武具や道具を作る錬金術などだ。
だが、薬や医学の発展で元々使える人間が少なかった治療系の魔術は更に数を減らし、人々のモラルの向上で死者の尊厳を与えるべきとの風潮で死霊魔術も衰退している。錬金術に至っては科学の向上で押されている。いずれは元素魔術も使われなくなる日が来るのかもしれない。
「まあ思い出せんと言う事は大した事はない。それより飯はまだか?」
昨日食べたでしょ、とお約束を口にしつつ、街に食事に出ることになった。
#閑話
「いゃあ、参った。ルシア・オーグだぜ」
「ああ、肝が冷えたよ。でも、あの子が僕達を覚えてないのが幸いだ」
「なんだサニー、寂しいのか?」
小屋に戻るなりデニムとサニーはつなぎになっている作務衣の上着をはだける。
汗で貼り付いた肌着が鍛え込まれた肉体のシルエットを映し出す。脇にはホルスターに突っ込まれた拳銃が淡く銀色の光を放っている。
デニムが机の上に出しっぱなしの酒瓶を呷るとその温さに顔をゆがめる。
「あと三日だぞ。なのにまだ精霊の家は見つかっていない。本当にここなのか?」
差し出された酒瓶をサニーも呷る。
「間違いないよ。他も丁寧につぶしてきたんだ」
「でも、王子たちがいちゃ捜索もできないだろ」
「ここは僕たちのどちらかが……」
そう言って向かい合う二人。拳を脇に構え、デニムが言う。
「いいか?一回勝負だぞ?」
「ああ、デニムこそ泣きの一回はないぞ」
二人は合図もなしに、同時に自身の手を動かす。そして――
二
「なるほど、化け物か。確かにいるにはいるが、クリフたちなら、それほど警戒せねばならないものでもないだろう」
「それは戦闘経験の無い者にとっては脅威と言う事か?」
出かける準備をしながら、先ほどあの兄弟から聞いた話をヴォルクにしていた。ヴォルクは当然知っていると言う顔で答えていた。
「彼らは人の恐怖から生まれたものだ。例えばバンパイアと言っても我々の知る魔物に分類されるバンパイアとは違う」
「蝙蝠みたいな小さな羽根が生えていて、赤い目に青い肌が一般的なバンパイアよね」
「化け物に分類されるものは見た目は人と変わらん。だが人の血を吸うのは魔物と同じだが、死体にして操るのではなく、生きたまま血族として自らの意思で従わせる。それに霧になったり、蝙蝠や狼に変身する。鏡に映らない、太陽に弱いなど、どちらかと言うと神霊の様な存在だ」
「なにそれ、いろいろ反則くさいんですけど?!斬れるの?」
確かにルシアの言う通りだ。
「斬れるが、まあ殆ど不死身だな。殺すには太陽に焼くのが一番だが、今の人ならそれなりに手はある。魔力付与した鉄の刃で首を刎ねればいい」
「今のって事は昔はその倒し方がわからなかったのか?首を刎ねるなんてそれ程特別では無い方法だが」
「昔と言っても三百年程前だ。その頃は魔術はどちらかと言うと人の生活を豊にするための物で、今の様に殺戮のために研磨されたものではなかったからな」
ルシアがその言葉に苦虫を噛み潰した様な顔をする。
「じゃあその頃はどうしてたんですか?」
「化け物には各々弱点がある。ある神は祭事に使われる木で削り出した杭で心臓を打つ、地に足をついているかぎり不死身の化け物には首を吊って殺す。凍った鶏肉が弱点なんてのもある。さっきも言った通り、基本的に化け物は人の畏れが生み出したものだ。その逸話を辿ればおのずと弱点は見える」
「何がどうなったら凍った鶏肉が弱点になるの……」
まったくだ。そこでふと思い出す。
「僕も聞いた事がある。東の果ての国には、こっちで言う人食い鬼では無い『鬼』が出るんだそうだが、それを祓うには近海で獲れる弱い魚を食べた骨を玄関に置いておくのだそうだ」
「弱い魚の骨?」
「弱い魚と書いてイワシと読むんだ。小骨が多いが出汁にも使えるし酒の肴にもなる」
さすがヴォルクは博識だ。もしかして言った事があるのかもしれない。
「そう、たしかそんな名前だった。骨が多くてトゲトゲしているから魔除けになるんだとか」
ふーんと空返事するルシア。どうも態度が落ち着かない。
「ところでルシアさんはどうしたの?何か落ち着かないね」
「クリフ様は感じませんか?この屋敷に入ってから、ずっと人か何かの気配がするんですよ。ちょっと探ってみましたが誰も居ないんですよね」
僕も辺りの気配を探るが、そもそも気配なんかわからない。むしろ広いホールでは自分の気配が反響して返ってくるようなイメージすらある。
「これだけ古く、誰も居なかったのだから霊の一つや二つはいるだろ」
ヴォルクさも当然の様に言う。
「霊って、幽霊?」
「うむ」
即答するヴォルクの言葉に「ひぃ」と言って僕の腕にしがみつく。
「ど、どうしたのルシアさん」
「わ、私、幽霊だけはだめなんです」
「え、いつも『我が剣閃に断てぬもの無し!』ってやりますよね?」
「幼少期にちょっと……それに幽霊は斬れないですし」
するとヴォルクの懐が淡く光る。そして、二つの小さな蹄鉄の様な物を取り出した。チェーンが付いていて首飾りの様である。
「まあ、めったな事は無いと思うが、お守りだ、つけておけ」
「これは?」
「霊は稀にではあるが人に憑りつくからな。そして化け物は大抵鉄を嫌う。なのでお守りとしてこれを付けておけ」
後で聞いたのだが、今のルシアの様に極端に恐れを抱くと憑りつかれやすいらしい。
「ヴォルクさんのお守りなら安心ですね!」
首飾りを掛け、胸元にしまうと、ルシアは元気になった。と、その直後、ホールの隅に置かれている椅子が動いた。周囲に人はいない。
「え」
「い、い、い、い、い、い今のは、ヴォヴォヴォヴォヴォヴォルクさんですよね?」
「そんな子供の悪戯みたいな事するわけない」
直後に胴が締め付けられ、中身が出そうになる。
光の速さでルシアが僕の背に回りしがみ着いたのだ。全力で。
「ちょ、ルシア、さん、なんか、出ちゃうから、ちょ」
「いやああああああああああああああ!!!」
僕の抗議は悲鳴にかき消される。やばい、ちょっとやばい。人としての尊厳的なものがやばい。
すると、次の瞬間、左の通路に続く扉が荒々しく開いて閉じた。当然誰の影も無い。
そして僕の意識はブラックアウトしかける。あまりの高速移動で脳に送られる血液がなくなる事で起こる現象。自身で行う高速移動ではまず起こらないが。
僕は庭園の芝生にうつぶせになっていた。
背中にはルシアが貼り付いたままだ。
扉のビックリギミックで驚いたルシアが僕に抱き着いたまま外に逃げ出して、エントランスの階段でバランスを崩して地面にダイブしたのだ。言っておくが、僕が下になったのはちゃんと僕がルシアをかばって体を捻っての事だ。ぶっちゃけルシアの方が頑丈だが。
「あの、大丈夫ですか?」
声に顔を上げると、サニーが立っていた。先ほどの作務衣ではなく平服である。カジュアルなズボンにジャケット、やや重そうな革靴。上流よりの中流と言った感じだろうか。元々色男ではあるが、こう見ると更に整った顔立ちが映える。
「大丈夫です。さ、ルシアさん。もう外だから」
ルシアをくっつけたまま起き上がって言うがルシアは離れない。余程怖かったのか。
怪訝な顔をしているサニーにさっきあった事を簡単に説明する。
すると、長身のサニーがやや背を屈めて僕ごとルシアを抱いた。
「怖い思いをしたんだね、ほら、もう大丈夫だよ。君の王子様も傍にいるからね」
その言葉にルシアの手が緩む。僕の脇から顔を出してサニーを見てる。
サニーはルシアの頬の涙をぬぐうと、頭をぽんと撫でた。僕の頭は撫でてくれないのか。
「あの、どこかで会った事がありますか?」
「さあ、僕は兄貴といろいろ移り住んでいるからね。もしかしたらどこかで顔くらいは合わせたかも」
ルシアの問いにサニーははにかんで応える。大人だなぁと同性ながら憧れる。
「兄貴と交代で食事に行くところだったんです。よかったらご一緒にどうですか?土地勘とか無いでしょ?」
「そうだな、ついでに町の案内も頼めるか」
いつの間にかヴォルクが立っていた。サニーの表情が一瞬曇る。
「あ、こちらはヴォルク。僕の魔術の師匠で、今は執事というか、護衛兼秘書的な感じで。ヴォルク、こちらはサニー。ご兄弟でこの別荘の管理を請け負っておられるそうですよ」
「ヴォルクだよろしく」
「あ、サニーです、よろしくお願いします」
一呼吸おいてサニーがヴォルクに問う。
「あの、どちらかでお会いした事は無かったですか?」
奇しくも、それはさきほどルシアがサニーに言ったのと同じ意味の言葉だった。