君の名前を教えてくれないか
まり子は毎日のように兄とキャッチボールをした。
まり子、確かそんなふうな名前だった気がするが、多分違うのだろう。僕が勝手に、ボールの連想から毬=まり子と安易且つ御都合主義的で誤った認識をしている可能性の方が高いと思う。だってまり子なんだから。その名前は、一度の宴の席で度々出て来たのだが、その時にはもう僕の頭の中は鳥獣戯画のような夢現の状態であったのだし、そんな何の変哲もない一晩の些細な出来事も、とうの昔から、遥か遠い忘れられていた思い出のひとつとなっていたからだ。取り敢えず、ここではまり子としておく。
まり子の兄は、八つの妹に対して下からボールを投げる。下手投げというやつだ。しかもふたりともに野球のグローヴをそれぞれ片手に嵌めてはいたが、投げ合っているボールは毛虫色のテニスボールだ。毛虫色というのはまり子オリジナルの色の呼び名で、単に黄緑色をしているに過ぎない。中学生の兄のひでおがボールを投げると、まり子は彼女にとっては大きく重たいグラブを上に下に、あるいは左右や斜めに一生懸命動かしては、ボールをキャッチしようとしている。兄のひでおはまり子の前にボールを投げているのだけれど、どこへ飛んでいくのかわからないという不安がそうさせているのか、グラブをした腕を余計に動かしてしまう癖があった。そこで兄のひでおは妹に言った。
「まり子、そんなに腕を動かさなくても、ボールは取れるはずだよ。いつも同じところに、まり子のほとんど手の届く範囲内に、ゆっくり投げているんだから」
すると妹のまり子はひでおに言う。
「だっておにいちゃん。結局取れているんだから、同じことでしょ。それにわたしはそうしたいから、そうしているのよ。ただ構えているだけだったら、なんかつまんないでしょ」
それでひでおはそんなものなのかと思い、まり子の好きにさせておいた。第一、女の子なのに、キャッチボールがしたいなんて変わっている。まあでも子供は気まぐれなものだから、最初のうちだけで、その内飽きて他の、女の子らしい遊びに落ち着くだろうとひでおは思っていた。
しかしまり子はその後も兄とのキャッチボールを止めようとはしなかった。中学生の兄のひでおも、いつまでも小学三年生の妹と公園でキャッチボールをしているわけにはいかない。兄と妹は仲が良かったが、それとこれとは話しは別である。また中学生のひでおには多感で忙しい時期でもある。兄は相変わらずグラブを縦横無尽に振り回す妹とのキャッチボールが、はじめは楽しいものから、今では義務としか感じられなくなっていることに気付いてもいた。それである日、兄は妹に、前から言わなければならなかったことを言うことにした。
「まり子、もうキャッチボールをするのは止めにしないか?」
するとまり子は兄のところまで戻ってくると、硬い表情になってひでおに言った。
「わたしとキャッチボールするのが嫌になったの?」
「そうじゃない。お互いに他にするべきことがあると思うんだ。兄ちゃんには兄ちゃんの、まり子にはまり子の」
ひでおはまり子がこれでわかってくれると思っていた。物分かりの良い方だし、まり子もそろそろ自分から離れていく時期だと思ったからだ。だがまり子は意外なことを中学生の兄に言ってきた。
「ないわよ」
「え?」
ひでおは思わず八歳の妹に問い返した。
「ないわよ。そんなの」
まり子は当然の事でも言うような調子で繰り返し言った。前よりも確信をさえ込めた印象で。
ひでおは困ってしまった。まり子は怒っているのだろうか。それで意地悪で聞き分けの無いことを言っているのだろうか。
しかし結局は、その日を最後に、ふたりの兄妹はキャッチボールをするのを止めた。あの日以来一度も。
原因はひでおの言ったことかどうかは定かでない。その日、二人の兄妹が家に入ると、ふたりは居間の方から父親に呼ばれた。いつも家族で一緒に食事をしているリビングルームの長方形のテーブルに、向かい合うかたちで父と母が背凭れの高い椅子に腰かけていた。二人の子供の親を挟んだダークブラウンの艶やかなテーブルの上に何か薄い紙が一枚置かれていた。中学生のひでおはその光景を見て一瞬で何が起こりつつあるのかを理解した。そしてその日を境に、兄妹は離ればなれになったからだ。
時は流れた。
ひでお君の話しを聞いた僕は、話しを聞きながら出鱈目な酒の飲み方をしていた。例えばこうだ。ビール→日本酒→ワイン→ロック・ウイスキー→ビール→焼酎→カクテル→テキーラ→日本酒。お陰で、へべれけに酔っぱらった感が否めなかった。ひでお君は話しの方に集中して僕ほどにはあまり飲まなかった。或いは結構飲んで酔っ払っていたから、僕が気が付いたらそんな話しを始めていたのかも知れなかった。本当のところはわからない。ただそんな話しを聞くことになるとは僕は思っていなかったので、酔いながらも、ひでお君に対して切実な思いで聞いていた。一方ひでお君の方は、何か懐かしいことを思い出して不意に話す気になったとでもいう心象で、どこか朗らかな感じで笑みを浮かべながら僕に話していたのだけれど。そこまで話しを聞いた僕はひでお君に問わずにはいられなかった。
「それから母親と妹さんには一度も会っていないの?」
そんなわけ無いだろうと自分でも思っていたことを、僕はひでお君に訊いたつもりだったのだけど、ひでお君の答えは僕の意外なものだった。
「そうなんだ。妹と最後にキャッチボールをした日以来、ふたりには会ったことがないんだ。その日の内に母がまり子を連れて家を出て行った切り、一度電話でふたりと話しただけで、再び会うことはなかったな」
僕は何か言おうとしたが、ひでお君の隣りに座って、同じようにその話しを聞いていたキュートなサクちゃんが、いきなりひでお君の手を取り、自身の豊満な胸の谷間にその手を握ったまま押し付けた。そうしたまま言うには、「ひでお君にはわたしがいる。わたしがいるから心配しないで」ということらしい。良かったじゃないか、ひでお!と僕は思った。他の三人は思うだけでは満足しなかったのか、そんなふたりに対して一目置くような驚きと称賛を送った。何はともあれ、新しい仲が誕生したのである。非常に目出度いことである。その代わり、その夜はそれを祝うということで、六人分の会計を、ふたりを除く僕ら四人で出しあうこととなった。
更に時は流れた。
僕は久しぶりに自分の出身地に帰っていた。帰る、というより、観光と呼んだ方が正しいのだろう。親戚とは疎遠になり、かつて学校のクラスが一緒だった同級生などと街で擦れ違っても、否、カウンターの席で隣り合ってさえも、お互いに気付くことはもう無いのだろうと思う。そう思うと何だか寂しい気持ちになった。僕は雪の降る街を特に目的も無く歩いた。だがもう雪は積もらないだろう。あともう少しで桜も咲く。そうすればまた新しい季節が始まる。そしてそれを繰り返すことによって時代が変わっていく。人々をどこかへ運びながら、街も世の中も移ろってゆく。何かの決まり事のように。
僕はこの街が、僕の出身地であると同時に、ある忘れていたことを思い出す出来事と遭遇することとなるなんて思いもしていないことだった。それは僕が観光客などまず訪れることのない、住宅地の中の何処にでもあるような、少し大き目のある公園で起こった。最初は何の変哲もない風景で、僕はそのまま素通りしていった。その数秒後に何かが僕を後ろから引っ張っていることに気が付く。しかし立ち止まり、後ろを振り向いても誰もいない。公園で母親と男の子が遊んでいるだけで、その周囲の風景の中には、他に誰もいない。僕は不思議に思いながらも、また歩き出した。俺どうかしたのかな。大都市の、まだ訪れたことのないエリアのような未踏の地区を当てもなく、目的もなく散策している自由な自分自身に酔いでもしてしまったのだろうか。他人からみたら全く無意味なことをしているこの俺を、理解してくれる奴などこの地上にも天にもいないだろうが、この与えられた数日間の解放感は、例え何も得られなかったとしても、後で何かの思い出になるかも知れない。そう思った。が、一体何のどういった思い出に?
僕は公園で遊んでいる親子をいつの間にか暫く見ていたことに気が付く。親子はキャッチボールをしていた。今日は昨日と違い良く晴れている。気温も暖かい方だ。だが除雪されない公園の中にはまだ白い雪が辺り一面に残っていた。離れていてよく見えないけれど、白い雪の照り返しを受けて眩しく輝く中空に放たれたボールが、どうやら明るい緑色をしたテニスボールであることはわかった。蛍光色と呼んだ方が近い色だ。僕はそれで思い出すことになった。かつての友人の中に、ひでお君という友人がいて、後で知ったのだが、僕と同じ街の出身であったこと、そしてあの夜数人で飲んでいる時に朗らかに話してくれた少年時代の家庭環境のことなどをだ。僕は何を考えているのか、或いは何も考えずにその親子がテニスボールでキャッチボールをしている公園の中へ自然と入っていき、母親の方へ行こうとした。すると母親が男の子の方へ急いで駆け寄った。それを見て自分がどう映っているのかをそこではじめて知る。その時の僕は、硬い表情をしていたと言われても素直に認めることが出来ただろう。何故ならその時の僕は、ひでお君の苗字が何か珍しく憶え難い苗字で、中々思い出せずにいる自分が腹立たしかったからだ。僕は途中で立ち止まり、記号としての名前と呼び名で試してみるしかないのだろうと観念した。
「兄さん、ひでお兄さん!」
僕はそう言った後で、後悔したことを今でも甚く憶えている。苗字を言えばよかったのだ。だがその苗字がなかなか出てこなかったのだ。だから名前で呼び、相手は少なくとも僕から見て兄さんでも何でも無いはずなのに、兄さんと呼んでしまった。頭がおかしい不審者みたいにだ。それなら苗字だの名前だのと関係無く、すみませんとか、少しお時間を頂けませんか?と切り出した方が自然ではなかったか?僕はまさか相手が逃げるとは最初から少しも想像することすら出来なかったのだった。まさかこうなるとは、僕にとっては意外な成り行き以外の何物でもなかった。だが何れにしても、その親子は僕が初めのセンテンスを形成する前の、何かを叫び始めた次の瞬間には、もう既に背を向け、僕から離れた距離まで瞬間移動でもしたかのような素早さで残雪の残る多目的広場を、渡り切っていたのだ。恐らくその時には、僕が何をどう喚こうが、その二人の親子にとっては既に何の意味もなさなかっただろう。遠ざかる彼らをみて、その真実だけを知ることが出来たのだから。
母と小学生くらいの男の子は、呆然と立ち尽くす僕を置いて、公園の向こう側の出入口から出ていった。ふたりは僕のことなどはじめから存在すらしていなかったかのように、母と子、どこか楽しげな様子でお互いに何かを言い合いながら、除雪された道路を競歩の選手のような素早さで足早に歩き、あっという間に住宅地の角に消えていった。立ち尽くす僕の前を、誰もいなくなった公園内の白い雪原に残された二組の足跡だけを残して、僕の前から永久にいなくなったことを僕は知った。
僕はその夜、街を当てもなく歩き続け、空腹感に耐えかねると、近くにあった安さが売りの、ありふれたくらいどこにでもあるフランチャイズ店に入って丼ものを食べた。その後泊っているホテルに戻る途中に、四人組のバンドが路上でラテンジャズを演奏していた。バンドの中でただひとりの女の子がお臍を出した格好でボサノヴァの軽快なリズムに合わせて柔らかく陽気に腰を振りながら踊っていた。他のメンバーは確かサックスとギターとドラムだ。或いはドラムでなかったかもしれない。女の子は踊りながら歌っていただろうか?マイクスタンドはあったのか、無かったのか。余りよく細かいところまで思い出すことは出来ないけれど、暫く他の聴衆と一緒に立ちながら彼女たちのライブを観ていた。その後ホテルに戻り、バスタブに湯を張り、部屋の窓から外を暫く見た後に、何をすることも思い付かず、部屋の灯りを消し、ベッドに入って眠った。次の日には予定通り空港へ行き、飛行機に乗って家に帰った。