第六話(修正版)
『シスターはなんでも食べる元気な妖』
第一章
六話-限界-
朝、いつもと同じ時間に目が覚める。
そしていつものように起き上がり、いつものようにベッドから出る。
ただ、いつもと同じようにできたのはそこまでであった。
天井にはシャンデリアと呼ばれる無駄の多い照明器具が吊るされ、無駄に輝いている。
先程まで僕がいたベッドは無意味なまでに大きく、不必要に柔らかい。
「おはようございます。ダンジ様。本日もお早い起床ですね。」
無駄に細やかな装飾の施されたクローゼットの戸の陰からステアラ師匠がひょっこりと姿を現し、僕に頭を下げて挨拶をした。
その姿はかつて本に見た貴族の使用人の様であった。
実際、師匠は僕の護衛としてここにいるため、使用人に近い存在ではある気がする。
僕はそんな師匠を邪な目で見つつも、完全に立ち上がって頭を下げる。
「おはようございます。師匠の方が僕よりも早起きじゃないですか。」
そう言うと僕は振り返り、掛布団の崩れたベッドを直す。
僕の座高では、上手く遠くまでシーツを直せない。
そんな僕の無様な姿を見かねた師匠は後ろからそっと手を伸ばし、その長い腕でもってベッドを直していく。
「私はそもそもあまり寝ないのですよ。ダンジ様は荷支度を済ませていてください。」
僕は一種の疎外感のようなものを感じてしまった。
いや、人には向き不向きという物がある以上、役割分担を行うことは必然的だ。
一般人にとっては、師匠のこういった発言を嫌味として捉えるらしいが、僕たち教会の人間にとってはその限りではない。
それに師匠はそういった嫌味を言うタイプではない。
そう自分に言い聞かせて、精神の平穏を保つ。
「荷支度と言っても、もう終わってしまいましたよ。」
僕は軽く服を整えてから言った。
そもそも荷物と呼べるものは何もないのだ。
師匠はその場で待機するように指示を出した。
僕は石像としての人生を五分間にわたって送った。
「お待たせいたしました。それでは予定通り教会へ向かいましょうか。」
師匠は自身の鞄を手に持ち、腰に掛けた。
そのまま部屋の出口へまっすぐに進み、僕はそれに附随した。
宿の一階にはそこの従業員による道が形成されていた。
「行ってらっしゃいませ。」
従業員たちが一斉に頭を下げる。
それと同時に僕は激しい羞恥に苛まれた。
師匠はその中を堂々と静歩している。
その尋常ならざる精神力に僕は驚愕した。
「師匠。次に泊まるとしたら、ここよりももっと安い宿にした方がいいですよお。」
僕は宿を出て、十歩ほど進んだ地点で言った。
僕は何もしていない。
あの宿の従業員に対して何もしていない。
村では仕事をした報酬の一部として褒めてくれたりしてもらっていたことはある。
だがあの宿ではただ泊まっただけである。
確かに宿泊代金は支払っていたかもしれない。
「お金を支払っただけなのにあそこまでされるのが怖いんですぅ。」
恐らくだが、師匠はその発言を解決を求めてのものと解釈したのだろう。
完全に教育者モードへと移行している。
「いいですかダンジ様。私たちが今持っているお金は何処から来たものですか。」
師匠が突然問いかけて来る。
一瞬それに困惑してしまうが、直ちに冷静さを取り戻し答える。
「僕達が教会の依頼をこなした結果貰ったお金です。」
僕の返答に師匠は軽く頷く。
どうやらその返答で合っていたらしい。
「当然その依頼の中にはあの宿から発行された依頼もあったでしょう。たとえそれを私たち以外の者が受けていたとしても、教会側が解決したことに変わりはありません。」
想像してみる。
不特定多数の教会の人間が不特定多数の依頼をこなす姿を。
それぞれがそれぞれで得た報酬をそれぞれ別の場所で使用する。
「つまり結果的にはそのお金は元の場所に戻っていく...と。」
「はい。という事はそこで得た金銭を支払うことで既に私たちは間接的にあの宿の方たちへ労働をしたという事になります。ですから問題ありません。」
理解はできた。
理解はできても納得するにはなかなか至れない。
それは僕があまり金銭に触れてこなかったからだろうか。
僕は首を傾げながらもその理論を飲むことにし...ドン。
「ああ、ごめんなさい。」
うんうん悩みながら歩いていたせいだろうか、通行人と肩がぶつかってしまった。
その失態により師匠は眉間を緊張させた微妙な表情をしてしまっている。
否、実際はその失態に歪めたものではなかった。
「ダンジ様。一応の確認なのですが、たった今ぶつかった側のポケットに違和感等はございますでしょうか。」
師匠は何やら不機嫌そうな表情で言う。
スリなどを警戒しての発言だろうか。
現在僕は別にスられて困るような物は一切持ち歩いておらず、当然今ぶつかった右側のポケットに限らずどのポケットも元々空である。
「あれっ。」
右の腰ポケットに見慣れない小包のような物が入っていた。
なるほど。
盗られるのではなく、むしろ物を押し付けられているとは完全に予想外だった。
僕はその小包を師匠へ見せた。
「そうですか。念のために言っておきますが、先ほどの人は私たちの協力者です。今後もこのように物資の提供を行ってくるでしょう。顔をしっかりと覚えてくださいね。」
師匠は小包を受け取りながら言った。
独特な物の受け渡し方をする人もいたものだ。
それよりもだ。
「そんなことを言われても、顔なんて見てないですよ。」
町中で偶然に出会う人々の顔をどうして一人一人確認していると言えようか。
その様なことをわざわざしていたら、無駄にエネルギーを消費してしまう。
せめて事前に伝えてほしいものだ。
「申し訳ございません。少々無理を言ってしまいましたね。」
師匠は反省の意を示す。
師匠のそんな態度に少し申し開けなく感じてしまう。
いや、そもそも唐突に物をポケットに入れて来る人が悪い。
僕は早々に気持ちを切り替える。
「師匠にはああいった協力者が他にもいるのですか。」
もしいるのであれば、今のうちに把握しておきたい。
こういった物は本来事前に把握するべき案件なのだが、そもそもこの旅の始まり自体が唐突な物だった。
準備もできなければ事前説明も受けていない。
今のうちに話を聞いていても良いだろう。
「そうですね。先程の人を含めてこの国には私が知る限り五人はいます。一人目は運び屋。先程の人ですね。二人目は調整員。ボウラクノ村に駐在しているはずです。三人目以降は忘れました。」
今忘れたって言ったような気がする。
結局人数とそのうちの二名についてしかわからなかった。
とにかく協力者がたくさんいるという事は覚えておこう。
他の協力者もさっきの人の様に変なことをしてくるんじゃないだろうか。
「師匠でも忘れることがあるんですね。」
普段師匠の豊富な知識に助けられていた僕がそんなことを言うのも変な気がする。
ただ本当にそれだけのことだが、やや優越感を得てしまう。
「興味のないことはすぐに忘れてしまうのですよ。」
師匠は一切の反省の色を見せることなく言った。
忘れ去られた人たちへのささやかな同情を行う。
だが師匠のいう事もわかる。
人の脳の容量には限界がある。
その限界を超えないように記憶の取捨選択が日々行われている。
興味のないものが忘れられていくのも必然だろう。
「でも人に対して興味がないというのはあまりにも失礼じゃないですか。」
もし僕が師匠に興味がないと言われたら恐らく泣いてしまう。
そうこうしている間に僕たちは教会へたどり着いた。
教会内の西側受付にて、僕は昨日と同じように受ける依頼を吟味していた。
と言っても昨日師匠から危険な依頼を受けないように言われていたため、今回は安全な依頼の中から比較的報酬の良いものを選んでいる。
「ああ、言うのが遅れましたね。今日受ける依頼は既に選んでおきました。これです。」
そう言って師匠は受付の依頼書の束から一枚抜き取った。
それは安全な依頼一覧の外にある依頼書だった。
つまり昨日師匠が受けないよう言っていた危険な依頼という事だ。
わずか一日で免許皆伝が行われるとも考えにくい。
「その依頼を受ける理由を聞いてもいいですか。」
理由を聞いたからと言って特に咎められることなどはないだろう。
自分で考えて結論が出ないのであればさっさと質問した方がはるかに効率的だ。
さて、師匠からいったいどんな回答が来るのか少し楽しみではある。
それは万が一にでも免許皆伝がされるかもしれないからだ。
「少し試したいことがあるからですね。今回は私が補助を行いますので、ダンジ様へ危険が及ぶことはないと思っていただいて構いません。」
がくんと肩を落とす。
僕は所詮補助なしでは走れない子供であった。
現地に行けば師匠が説明してくれるだろうが一応の確認だ。
「わかりました。では依頼書を見せてください。」
僕は依頼書を受け取り師匠が選んだ依頼を見る。
町の東側にある森の巨大樹伐採...か。
確か品種はセコイアとか言ったかな。
その高さは40を超えるほどの巨大な幹は、雷にも耐える樹皮を持ち、他の動植物が生息できる領域を焼き壊していくかなり侵略的な植物だ。
ただその背丈に反して根はあまり深く張られておらず、常に倒壊の危険を孕んでいる。
故に誰かが定期的に伐採しなければならないのだ。
そしていくら危険と言っても、その巨大さからセコイアは一度に大量の木材を取得できる優秀な資源とも言えるため、絶滅させるわけにもいかない。
そのハイリスクハイリターンさから安定した収入源として修道士から人気の依頼だ。
「ありがとうございます。では行きましょうか。」
僕は依頼書を師匠に返却しながら言った。
別に依頼を実行しに行くのに躊躇する理由もないので早々に出発する。
師匠は僕の右斜め後ろをついて行く。
道中伐採用の道具を借りようと工具屋へ寄ろうとしたその時。
「今回はこちらの木刀で伐るので道具を借りる必要はありませんよ。」
師匠から耳を疑うような発言が飛び出て来る。
セコイヤは太さだけでも1を超える。
そんな細く短い木刀で伐り倒すなどまずもってできるはずがない。
どんなに腕力の強い者が振ったとしても、先に木刀側が折れてしまう。
「それ...本当に大丈夫ですか。途中で折れそうですけど。」
師匠なりに何か考えがあるのだろうが、これは確認せずにはいられない。
師匠の表情や声色を見る限りでは冗談を言っているような様子はない。
これは木刀を折らないギリギリの力加減の修行か何かを行うのだろうか。
本当にそのくらいしか思いつかない。
「はい。一見この細い木刀では耐久力に問題があるように見えます。ですが実際はこの木刀で直接あの幹を叩くのではなく...」
うん、そうだよね。
直接あの木の幹をぶっ叩こうものなら、簡単に折れてしまうものね。
ではどうするのか。
「これによって発生する衝撃波を用いて木を切り倒します。その方法でしたら、この細い木刀でも問題なく耐えられます。」
んん。
今何とおっしゃいました。
衝撃波と僕の耳には聞こえた。
物体が音速を超えて運動する際に発生するあの衝撃波だろうか。
「師匠。衝撃波って音速を超えないと発生しませんよ。」
いくら僕とは言え、音速を超える速さで木刀を振ることなどできない。
当然師匠と言えど音速を超える速さで行動することはできない...よね。
ひょっとして修道士の間では音速なぞ普通のことなのだろうか。
いやでも音は確か一秒間に空気中を距離111を移動する。
そしてそれを音速と呼ぶのだ。
速度111はいくら何でも速すぎる。
「ええ。これからそのやり方をお教えします。」
ああ、できるのか。
できなければ本来教えるなどという言葉は出てこない。
音速という人間業を超えた何かに不安を覚えつつも現場へと到着する。
近くで見ると非常に大きい。
このセコイヤの木の幹は両手を広げてもまだ余りある程の太さを持つ。
「ではダンジ様。始めましょうか。」
周辺の安全確認から戻ってきた師匠が木刀を手渡してくる。
初めて握るその木刀はその細い外見とは裏腹にかなりの重量を保持していた。
だがそれでも目の前にそびえ立つセコイヤには届かない。
これをこれから切り倒そうというのだ。
「まず、どうすればいいですかね。」
状況が状況なので、もはや何もわからない。
この木刀をどう握ればいいのか、どう振ればいいのか。
まあその辺のやり方をこれから習う訳だが。
「ダンジ様は木刀を音速以上で振る場合、必要なものは何だと思いますか。」
師匠は完全な指導モードに移行している。
僕は一先ずの回答を出すため、考える。
単に筋力や技術でどうにかならないものだろうか。
いや、それ以前に重要な問題があった。
「そもそも僕の体が耐えきれないですね。なので必要なものは僕自身の耐久力です。」
師匠はにっこりと微笑み、どうしてそうなったの顔をしている。
「大丈夫ですよ。確かに肉体の耐久力で考えれば、筋肉や骨に異常が発生するかもしれません。しかしそれ以上にダンジ様の傷の回復速度が勝つので、そこまで気にする必要はありません。それ以前にダンジ様の体にはリミッターがかかっています。」
リミッター...それについては知っている。
人の肉体は安全のために実際の実力の二割程度しか出していないらしい。
もしも全力を出そうものなら、筋肉は引き裂け、骨は砕けるだろう。
師匠はそれを治癒速度が上回ると言っている。
「リミッターってそんなに簡単に外せるものなんですか。」
というか簡単に外せるのであればリミッターとしての役割を果たしていない。
僕は何とか心の中でリミッターが外れる状態をイメージしてみる。
体を縛り付ける鎖が一本一本解けていき、解放されるイメージ。
そんなことをしてみたが、僕のリミッターは外れる様子すら見せない。
「ダンジ様は一般的な人間と体の構造が違うため、意識によるリミッター解除は望めません。なので今回はこちらを使います。」
師匠は鞄から怪しげな小包を取り出した。
それは先程すれ違った人からもらった小包であった。
その小包の中にあった物は...
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第五王子。
その地位が持つ属性は非常に中途半端なものだ。
王子と言えば王位継承争いと言われているように、王位継承権を持ち、次期国王候補として名が挙がる存在ではある。
しかし実際の王位継承争いに参加しているのは第一王子と第二王子、と時々第三王子までであり、第四王子以降は基本参加しないし、興味もあまりない。
そして継承争いに敗れた王子と何人かの王子は継承戦終了後、新国王を補佐する官僚の位に就くことが一般的である。
官僚になると一口に言っても、全ての王子が官僚になれるわけではない。
そりゃあ一度に何人もの王家の人間が官僚になろうものなら、既にいる貴族出身の官僚が職を追われてしまい、王室への不信へ繋がる。
最終的に官僚になるのはせいぜい三人までだ。
第五王子以降に官僚になる選択肢はないと言ってもいいだろう。
そもそもの末端の王子たちには王位の継承や官僚の望みがないという事が幼少の頃から自明であるため、親や側近から学者になるための教育や、貴族社会に天下りするための準備などを行わされている。
だがそれらの話はまだ官僚になる望みが決して0ではない第五王子にはあまり回って来ることはない。
つまり第五王子という立ち位置は全王子の中で最も不遇と言ってもよい。
だからなのだろう、こんな損な役が回ってきたのは。
「我が子、ロマーリアよ。お前に託す使命がある。」
そう偉そうに豪勢な椅子にふんぞり返って上から目線で命令しているのは我が父、パエッセ王国第六代国王のグランデ国王陛下である。
そう、国王陛下は事実としてこの国で最も偉いのだ。
偉そうに話すのも至って当たり前のことである。
そして国王の前で跪き、命令を受けている君はその息子、ロマーリア第五王子なのだ。
「先日、我が国の預言庁の職員が魔王の復活を預言した。お前にはその真偽を調査し、もしも真実であればそれを打ち取るのだ。」
預言庁は数十年前に省から庁へと格下げが行われた政府の組織で、以前はしっかりと神からの預言を国民へと伝える役割をしていた。
単に国王の意見を通すための出鱈目を言うようになってしまった辺りから、人事省の判断で庁へと格下げが行われた。
いわばこの国の汚点的のような組織だ。
今回の魔王復活も君の読みでは国王の求心力を高めるためのデマだろうと推察している。
理由として挙げられる主な物は、魔王の復活がどうこう言われているはずなのに、過去に魔王がいたという記録がないのだ。
つまり封印も討伐もされていない者は復活という言葉を適応できない。
「協力の要請は既に出している。まずは北東にある魔女の館へ向かい、魔女の協力を得るのだ。そしてそこから北西の旧王都に向かい聖女の力を借りるのだ。最後にここへ戻り、モフィア下級兵と合流せよ。後のことはその時に伝える。では行け。」
国王は玉座の対面にある出入り口を指さし叫んだ。
この話を聞く限りでは、国内の、それも北部だけをぐるっと周って来るだけの単純な旅を行う任務であるかのように聞こえる。
しかしその実態は"後のことはその時伝える"の一言に集約されている。
つまり父上の言い分次第で、この任務はいくらでも引き延ばせるという事だ。
「はい。」
君には断る権利がないので、大きな声で返事をし、玉座を後にした。
静寂、この私室だけが僕の唯一の安息の地。
自室の椅子にゆっくりと腰を掛け、渡された書面に目を通す。
その内容に思わずため息を漏らす。
「母上、いくら何でも今回の任務は無謀すぎませんか。」
君は最後の見送りに来た実の母へ言った。
これを決めたのは父上なので、母上に文句を言ったところで意味はない。
意味はないが文句は言いたい。
この書面を見る限りでは、最終的にこの大陸のほぼ全土を徒歩で移動することになる。
軽く試算してみても、十年はかかるという計算結果が出る。
「ですが、もし成功すれば次期国王はまず間違いなくロマーリアになりますわよ。」
すぐこれだ。
母上は昔から何かある度、次期国王次期国王言っていた。
第五王子にはその程度できたところで王位継承権は回ってこないと言っているのに。
それにそもそも君は王位に興味はさほどない。
「その成功が今回難しいのですよ。ここに書いてある協力者はどれも実体不明な人たちですし、他国の人も協力的かどうかも不明ですから。」
第一の協力者が魔女。
一年前に突如として現れた謎の人物。
君の記憶が正しければ、村一つを滅ぼした指名手配犯だったはずだ。
そんな大罪人が何故国家主導の任務の協力者なんぞに抜擢されているのか。
その上現在は、北東部の村の領主にまでなっているという。
わずか一年で犯罪者から領主に上り詰める者など聞いたことがない。
第二の協力者が聖女。
何でも北の都で神が遣わした天使と呼ばれる人物。
とてもではないが信用できない。
過去に神の使いを名乗る者にこの国を乱されたことは記憶に新しい。
よくもまあ父上はそれを容認したものだ。
聞いた話によると、彼女はまだ齢にして十六歳。
とても魔王調査という任務に適した人材であるとは思えない。
そして最後の協力者が新米兵士。
半年前に王国兵団に入団したばかりの新人だ。
何ならこいつが一番の謎だ。
今までの二人はまだ謎の人物という特別性があった。
なのにこいつだけ一般人。
成績平凡、戦績平凡、忠誠標準の普通の新人兵士。
「文句ばかり言わない。私はそろそろ仕事に戻りますわね。」
母上は従者と一緒に部屋を後にしてしまった。
恐らく君と接するのが嫌になったのだろう。
母上は昔から飽きっぽい性格なのだ。
「じゃあ、君も出発するかな。」
残念なことに今回の任務は必要最低限の予算で行われるため、君一人で出発する。
つまり最終的には四人で世界中を周ることになる訳だ。
圧倒的人手不足。
王国が保有しているほとんどの兵力は戦争に使っている為、貸出不可。
酷くないかな。
そう文句は言いつつも、君に選択肢はないので、おとなしく部屋を出る。
「...」
当然のように出迎えてくれる人が一人としていない。
君の従者や使用人は昨日のうちに全員解雇若しくは転部した。
一日分の給料ですらケチる程我が国の財政は厳しい。
そして今回の君の任務の中には、各地で金目の物を収集することも含まれている。
君は無給で働く本当に便利な労働力だな。
時折使用人がバタバタと動き回る廊下を一人で歩き、城外へと出る。
「「行ってらっしゃいませ。ロマーリア王子。」」
兵団による使い回しのパレードが君の出発を激励する。
民衆へ国が慈善事業をすることを大々的に知らしめることが目的のパレードは、先月の建国記念パレードと全く同じ内容で行われている。
パレードの為の練習時間でさえ、削減されている。
君はこの中古品パレードから逃げる様に速足で通り過ぎた。
君が王都の境を超えた時点で演奏は終了した。
「億劫だなあ。」
君の政治的な旅が始まった。
こうやって見ると、王都と地方の差を感じずにはいられない。
村の入口。
それは村の中で最も整備すべき場所であると法によって定められている。
なので入口を見るという事は村全体の品質を見定める重要な行為という事になる。
左右に建てられた柱には蔓が巻き付いており、今にも花が咲きそうな勢いだ。
その柱の頂上に打ち立てられた板は、もはや何と書いてあるか判別ができないまでに表面が擦れ、消えている。
これを見ただけでもう君は限界点を迎えてしまいそうだ。
村の中は少なくともこれより悲惨な状態になっていることが保証されている。
「休めるかな。これ。」
旅を開始して四日目、野宿の連続を超えた先にあった初めての村。
それがもはや廃墟同然の状態と来たものだ。
当然落ち着いて休める是非もない。
だがそんな杞憂は次の瞬間、絶望へと変わる。
「これは...どういうことだ。」
村の中が綺麗だったのだ。
いや、綺麗なこと自体は良いことなのだが、それは入口を最も整備しなければならないという国の法が無視されていることを意味してしまう。
国の法を無視した村では、事実上身の安全が保障されていない。
町村整備法に背いている以上、他の法律も同様に破られている可能性があるからだ。
君は恐る恐る村人たちの様子を注意深く観察する。
「特に争い遭ったような痕跡は...ないな。」
村人たちは平穏そうに暮らしているように見える。
いわゆる無法地帯の様にはなっていないところを見るに、単に手違いか何かだろうか。
こういった田舎には、新たな法が制定されても、その情報が行き渡らないことがある。
今はそうと結論づける。
「さて、」
改めて村の中に目をやる。
地面にはレンガが綺麗な十字状に敷き詰められている。
そのレンガはまっすぐで平らな道を形成し、人々はその上を歩いている。
凹凸がなく、曲がりくねってもいないため、移動は非常にスムーズに行えそうだ。
これが国中、いや世界中に広げられれば、今回の旅の移動時間を大幅に短縮できたであろうが、今言っても仕方がない。
そしてあれは民家だろうか。
建材の大部分に木材を使用しているにも関わらず、まるでコンクリートを使って造ったかのように各所が湾曲し、四元的な歪みを表している。
あの汚い入口に比べてこの発展は何なのだ。
これなら絶対に入口を整備する余裕はあるだろうに。
「もし、そこのお嬢さん。一つ聞きたいことがあるだけど、いいかな。」
この胸に乱立される疑問を解消せずにはいられない君は、偶然にも近くで畑仕事をしていた少女に対し紳士的に話しかけた。
たとえ相手が平民であろうとも、まるで貴族令嬢であるかのように扱う。
この対応に喜ばない者はいない。
「いいですけど...そのお嬢さんって呼ぶのやめてくれませんか。」
喜ばない者はいた。
たった今目の前に。
ここでは王族としての常識は通用しないということなのだろうか。
「ではなんと呼べばよろしいかな。」
こうして目線を少し下げて見ると、この服装も中々に珍妙だ。
貴族や華族の衣装を簡易化、いや機能化したような構造と呼ぼうか。
肩、肘、膝部分に布はなく、飾りは胸元及び腰部だけに限定されている。
機能性と芸術性の両立、そんな表現が似つかわしい。
「二人称を省いて話せば良いだけでしょう。あと、あまり他人をじろじろと見ないでください。失礼ですよ。」
睨まれてしまう。
貴族の間では、言葉を使わず相手の容姿を評価するとき、相手をじっと見つめることで、その者に心を奪われている状態を演出するものだ。
これもまた、貴族社会と平民社会の差異というものだろう。
君は冷静に視線を適正と思われる位置へ逸らす。
「それは申し訳ない。これはちょっとした謝礼だ。」
君はその少女の前に跪き、手の甲へ唇を這わせた。
これは五十年程前から庶民の間で流行していた挨拶だ。
恐らく今でも通用するだろう。
少女は勢いよく手を引き、汚物を見るような目を君に向けた。
ピィィィィ
「誰か来てください。不審者です。」
少女はポケットから取り出した小型の笛を勢いよく吹き、叫んだ。
事案発生。王子、不審者になる。
あっという間に大人達が集合し、君は拘束されてしまった。
君の旅はここで終わってしまうのか。
次回、最終回。『ロマーリア死す』(大嘘)