表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/32

第五話(修正版)

『シスターはなんでも食べる元気な()

第一章

五話-銭湯-

僕は目の前にあるであろう取っ手を手探りで探し出し、それを左へ捻った。

何故目の前にある者に対してあるであろうというやや曖昧な表現を使ったのか。それは僕の目は石鹸の泡により塞がれているからだ。

油分に対し灰を混ぜることによって完成する石鹸と言うのは、遡ればまだ人々が狩猟一本で生きていた時代に生まれたと言われている。

その石鹸によって生み出された泡を上部のシャワーヘッドから降り注ぐ湯で洗い流す。

「すいませんダンジ様。こちらの石鹸が切れてしまっているので、そちらから一つ貸していただけませんか。」

左からステアラ師匠の声がした。

本来であれば、つい数時間前に僕がここの銭湯の掃除をした時に石鹸の補充をしなければならないのだが、そもそもの石鹸の流通量が減っており、補充をすることができなかった。

それに加えて、師匠の髪は肩甲骨まで届くほど長い。そのため普通の人よりも消費する石鹸の量が多いのだ。

ここは指示に従って手前にある石鹸を手に取り左に伸ばした。

すると左手から重みが消え、しばらくしてまた石鹸は減量して戻ってきた。

「師匠は過去にこういった銭湯を利用したことはあるのですか。」

ちょっとした興味本位で聞いてみる。

この辺りは火山がいくつかあるため、銭湯などの施設はそこそこ点在している。

聞いたところによると、師匠はこことは別の地域から派遣されて来たという。

なのでもしかしたら銭湯に入るのも初めてなのかもしれないと思っただけなのだ。

「はい。一度だけですが、訓練の際に利用したことがあります。」

何だろう、火山のある地域で訓練をしたということだろうか。

この話題ではさらに話を広げるのは不可能だと判断し、僕は浴槽へ向かった。

湯の温度を確かめる様にゆっくりと足を湯舟に入れ、出入り口側に顔を向けて座った。

すると師匠も体を洗い終わったらしく、僕の左隣に腰を掛けた。

「思っていたよりもお湯の温度が五度程高いですけど、師匠は大丈夫ですか。」

僕は確認のために声をかける。

まあ師匠であれば問題ないと思うが、万が一というものがあるだろう。

それに何と言っても今は営業時間外なので、僕以外に師匠の異変を察知、処置できる人が周りにいないのだ。

「...これは摂氏46度程度でしょうか。でしたら問題はありません。私であれば3時間まで耐えることが可能です。」

師匠はやや自慢げに声の端々を強調して言った。

銭湯というのはそう耐える耐えないの苦行のようなことをする場所ではないと思うのだが、師匠はこういった場所でゆっくり気を落ち着かせる行為をしないようだ。

せめて僕だけでも休もうと肩の力を抜いたところであることに気が付いた。

それは足音だ。

浴場の出入口側から近づいてくる足音が聞こえている。

「湯気がかなり多いように思えますが、湯加減は大丈夫ですか?」

浴場の出入口の戸の陰辺りから管理人の声がした。

こちらは一切の金銭を支払っていないにも関わらず、このように声をかけて来るとはかなり仕事熱心な人だ。

実際どうなのだろうか。確かこういった行為は客に対し差をつけることになるため、行わないほうが店の利益に繋がる。

こういった無償を通り越して損となっている好意に対しては、どこか裏があるような気がしてしまい、せっかく抜いたはずの肩の力が再度緊張してしまう。

だがどんなに怪しんだところで、それらは憶測の域を出ることはないため、僕はそれを思うだけに止めた。

「大丈夫です。快適な温度になってますよ。」

僕は臍下丹田から声を上げた。

その間師匠は管理人を睨むように見ていた。

どうやらこの好意に裏があると思っていたのは僕だけではないらしい。

いや、そもそも師匠は誰に対してもこんな感じだったか。

「そうですか。実際の営業時間まではまだ少し時間があるので、ゆっくりしてていいですよ。」

管理人はそう言って去っていった。

もし本当に僕たちに対し危害を加えようと思っているのだとしたら、それはメンゾギア教に敵意を向けるという事になる。

残されている記録の中で、過去一般人が教会に宣戦布告をして無事でいられた事例などは一切ない。

だがここはツイソウノ町。

メンゾギア教に対したとえ命を落とすこととなっても危害を加えようとする人たちの集団、即ちチャバンの拠点がある町だ。

油断はできない。

「師匠はいつも銭湯に入る際、そうやってナイフを持ち込むのですか。」

僕は浴槽のふちに置かれたナイフを見ながら言う。

いくら警戒するにしてもこれは少しやり過ぎなような気がしてならない。

というかそんなことをしてナイフは錆びないのだろうか。

「私は護衛なので。」

この返答はまだ予想できた。

先程管理人が様子を覗いに来た時、このナイフが見られなくてよかった。

もしも見られていたら今頃どうなっていたことやら。

うん、師匠が管理人をちょうどそのナイフで脅して黙らせるような気がする。

「別に師匠はナイフなんてなくても拳で相手を倒せるじゃないですか。」

師匠の強さはこの数日で身に染みて理解している。

恐らくだが、メンゾギア教全体で見ても師匠の強さは上から数えた方が絶対に早い。

いくらチャバンの人たちが危険な存在であることは確かなのだが、所詮は一般人の集合に過ぎない。

もしもそんな師匠でさえ窮地に陥るほどのピンチを迎えたとき、それは果たしてナイフ一本でどうにかできるようなものなのだろうか。

「そうですね。確かにこの程度の刃渡りのナイフを使うくらいなら、素手で戦った方がいいです。」

そう言って師匠はナイフを右手で取り、刃を左手の人差し指で下から上になぞった。

強い金属光沢をもったナイフは湯気に屈することなく輝きを保ち、その表面に僕の顔を映し出した。

続けて師匠は理由も話した。

「その人の強さは、実際に戦ってみなければわからないものです。ですがこういった刃物という物は、見ただけで危険な存在であると理解できます。刃物を見せることで、相手に自身の身の危険を知らせると共に、不要な争いを避けつつ要件を通すことができます。つまりこのナイフは相手を傷つけないためにあるのです。」

なるほど、そう言ったものがあるのか。

だとしても対話をせずに、一方的にこちらの要求のみを通すというのも考えようではある。

「では武器の携帯は治安の悪い地域にいるときお願いします。」

さすがに治安の良い地域にいるにも関わらず、刃物をちらつかせるのは、その地域の治安悪化につながりかねない。

一応このツイソウノ町は観光地にしては治安の良い町として知られている。

確かに師匠の言うように脅しが平和的解決策として有効なのは理解できた。

だがそれはあまりにも利己的だ。

「善処します。」

なんだろう、断られた気がする。

いや"善処"と言っているのだから、指示の実現のため最善を尽くすということを意味しているはずだ。

そして最善を尽くすという事は、実質的に肯定の意志を示したということになる。

それは断られたということとは違うのだ。

「ではそろそろ上がりますか。」

僕はこの心の靄を晴らすために、一度切り替えることにした。

師匠は軽く頷き、僕と同時に上がった。

出入り口の曇りガラスの使われてる戸を開け、浴場から脱衣所に出る。

備え付けられているタオルで体を拭き、服を着る。

僕と師匠は着替えるための服を持っていないため、着てきた服をそのまま再度着る。

衛生面的にはあまりよくないことではあるが、ないものは仕方がない。

「今度、お金が貯まったら、二人で服を新調しましょうか。」

丁度成長期で身長が伸び、今着ている服もきつくなってきたので、ついでだ。

それを聞いた師匠は首を傾げる。

顔から別に服なんて変えないでいい、今のままでも問題ないという思いがにじみ出ている。

「僕は変えたいんです。」

少し強めに主張する。

すると師匠は明らかに喜びの笑顔を見せた。

「では時間が空いた時に。」

師匠から許可を得た。

鏡の前に立ち、髪を整える。

魔女の血を引く人間は大抵髪が縦横無尽に飛び回っている。

このままでは仕事中に引っかかったりして危ないので、最低限まっすぐにする。

「使いますか。」

師匠がヘアブラシを渡してくる。

僕はそれを受け取り髪を梳かす。

そういえば師匠の髪は綺麗に整っている。

もしかしたら師匠は魔女の血を引いていないのかもしれない。

だが師匠の身体能力を見ればそれは考えずらい。

本当に謎だ。

「ありがとうございました。」

僕は無駄だとわかっていながらも礼を言い、師匠にブラシを返した。

荷物らしい荷物は持っていないので、手ぶらのまま脱衣所の出入り口、即ち"男"と書かれた暖簾をくぐり外に出る。

...何かがおかしい。

この頭の中を周回する違和感は何なのだろうか。

「何故師匠は僕と一緒にf...」

「では宿に向かいましょうか。」

そこで会話は強制的に終了した。


師匠の取った宿、即ちホテルホープレスはここツイソウノ町でも屈指の価格の高さを持つ高級な宿で、しかもそのうち最も高い部屋へと泊まることになっていた。

なんとその価格、二人で一泊四十万リラ。

高い。

もっと安い宿はたくさんある。

そこに追い打ちをかけるかのようなスイートルーム。

「師匠。僕やっぱりこういう高い宿は怖いです。」

僕は師匠の服を引っ張りながら言った。

声は完全に弱り切り、その膝は今にも気が抜けて崩れそうになっている。

その姿を見た師匠はどこか不気味な笑みを浮かべながらもしっかりと返答する。

「窓や壁はしっかりと四方に付いているので、不意に落下する心配はございません。」

師匠は柔らかな声色で言う。

違う、そうじゃない。

「高度的な意味での高いじゃないです。価格的な意味での高いです。」

僕は指摘する。

いや、わかっている。

師匠はあくまで冗談として間違えたことはわかっている。

だが指摘せずにはいられなかった。

「そうですね。申し訳ございませんでした。えー、こういった高い宿泊施設ですと、警備にお金を割いたりしているので、安い宿に泊まるよりも安全であると判断致しました。もし、ダンジ様がここの安全性に不安があるようでしたら、より安全性が高い宿に変更しますがよろしいですか。」

まあ確かに安いところだと、各部屋に鍵がついていないということもある。

それに酷いときは野盗と宿が手を組む場合も存在するため、高いほうがいいという意見もわからなくはない。

でもこれ以上高い宿となると、僕の精神力的に無理がある。

「ここにします。」

僕はおとなしく師匠に従った。

受付に前金を支払い、階段を登る。

スイートルームは四階建てのこの宿の最上階、即ち四階にある。

つまり足腰の弱い者はスイートルームを利用するなということである(違う)。

「あの、師匠。これ、扉が一つしかないように見えるんですけど。」

普通宿という物には、各階に番号の振られた部屋がいくつもある。

なのにここには扉が一つしかない。

つまりワンフロアワンルームとかいう非常にブルジョワジーなことになっている。

日頃、質素倹約の精神で生きて来た僕には刺激が強すぎる。

「ええ、この部屋が私たちの泊まる部屋ですよ。」

そう言って師匠は扉を開けた。

さすが四十万リラと言わざる負えない光景が僕の目の前に広がっていた。

不要なまでに広い居間、不要なまでに大きいベッド、不要な家具や不要な装飾、質素倹約の欠片もない。

「ええと、僕はどうすればいいのでしょうか。」

完全に困惑してしまった僕はすぐ横にいるであろう師匠に話しかけた。

しかしそこには師匠は既に居らず、虚空を掴んでいた。

「まずは部屋に入ったらどうでしょうか。」

居間にある丸テーブル脇の椅子に座る師匠はそう言う。

確かにいつまでも扉の前でまごまごするのは最適解とは言えない。

僕は恐る恐る部屋へ入った。

必要以上に柔らかい絨毯の感触が足から伝わって来る。

「それで明日のことなのですが。」

部屋に入ることすら満足にできない僕に対し、師匠は何食わぬ顔で話をしている。

師匠はこういった場所に慣れているのかもしれないが、僕は慣れていない。

早く慣れておかないと今後、師匠へ迷惑が掛かってしまう。

ここは演技だけでも慣れている感を出すべきであろう。

「ひゃい。にゃんでしょうか。」

ダメだった。

結論を先に出してしまって悪いが、ダメだった。

やっぱり、慣れるのって難しいんだなあ。

「午前中は今日のように依頼を行うとして、午後は予定がありますので、一旦教会前に集団してください。ダンジ様の方でその時間帯に何か不都合などはございますか。」

少し考えてみる。

幸いこの町の試練は特に難しい訳でもなく、時間がかかる訳でもない。

試練そのものに時間制限がないことを考慮すると、特に問題はないように思える。

「はい、ありません。それで、その何をするのですか。」

師匠がわざわざ時間を取ってまでしたいことに僕は興味を示した。

何だろう、また修行をつけてくれるのだろうか。

師匠は人差し指を口元まで持って行き、目を細めた。

「明日までの秘密です。」

その仕草に僕は思わず心拍数を上げた。


-----


「私は...そうねえ。ヴィーア=アニスィア。そう名乗っておくわね。」

これは私が住んでいた場所の地名なので、厳密には私の名前ではない。

ただ呼ばれ慣れているという理由でそう名乗った。

この名を使うのは実に五か月ぶりとそこまで期間が開いていた訳ではないのだが、どこか懐かしい気持ちになってしまう。

私の華麗なる名乗りを聞いたモルテは一度頷き、言った。

「"魔女"ではないんだね。ヴィーア=アニスィア。うん、わかった。」

何がどうわかっ...あっそうか。

今のはカマをかけたのか。

どうやらモルテは私がうっかり魔女と名乗るかどうかを覗っていたらしい。

いや、いくら私がドジな方だからと言っても、そんな初歩的なミスをするはずがないとも言えなくもなくもない気がしないでもない。

というか別に私の名前魔女じゃないし、間違えたりはしない。

「だから最初っから人違いだって言ってるじゃないですか。やだなあもお。」

私は笑って誤魔化そうとする。

このモルテとかいう男、直接的な行動はしていないにしろ、明らかに私を疑っている。

つまりそのモルテを私の仲間にさえできれば、私の立場を上手く操作できるはずだ。

と言っても私は今まで仲良くできた人間など片手で数えられる程度しかいない。

しかもそれは私が仲良くしていると思っているだけで、事実とは大きく異なる可能性があることを考慮すると、成功率はかなり低いように思える。

低いと言っても、現状やる以外の選択肢はない。

「そんな冗談よりも、私気になることがあるんです。」

まず話を流す。

そして話題を切り替える。

「モルテさんはどうしてこの仕事をしているんですか。兵士って、かなり危険なお仕事でしょう。そういうのはもっと屈強な人がやるお仕事ですよぉ。」

私は距離を詰めながら聞いた。

仲良くなるポイントその壱、まずお互いを知るところから。

何も知らない者同士であれば、その人と形を判断できる材料は外見しかない。

私はいくらか整った外見をしているが、それだけでは仲良くはなれない。

「何故そんなことを聞くんだい。そんなことを聞いたってどうしようもないだろう。それに僕がどんな仕事をしていようとも僕の勝手じゃないか。」

仲良くなるポイントその弐、露骨に距離を詰め過ぎない。

えきなり距離を詰めてしまうと、相手に何か裏があるんじゃないかと疑われてしまい、逆に距離を離されてしまう。

ここは冷静に、相手から距離を詰めて来るのを待つ。

「いやー、別にモルテさんの仕事を否定したくてそう聞いた訳ではないんですけどね。私も実は今の仕事が終わったら、兵士になろうと思ってたから、気になって聞いただけなんですよお。」

兵士兼盗賊兼土木作業員兼植物学者というとんでもない進路希望となってしまった。

一応こういう風に言っておけば、親身になって内部情報を教えてくれるかもしれない。

先程からまるで人に教えるかのように色々言っているが、全部私の持論だ。

当然当たっているという確証はないし、そもそも人には個体差という物があるのだから、一つの理論ですべてを補うという事はできるはずもない。

「あくまで容疑とは言え、君は護送されている身だからね。君がどうなるかは国王が決めることであって、残念だけど君自身に選択権はないよ。」

うわあ。典型的な絶対王政かあ。

ほぼほぼ正当な裁判は望めないじゃない。

いざ不当な判決を言い渡されようものなら、実力行使で逃げるのも一つの手だろう。

まあ元々王都に行く予定はあったんだし、ついでということで。

「えー。無罪が宣告されてから兵士になるっていうのもありじゃないんですか。」

私は残念そうに文句を垂れた。

多分だが、無罪になるという事はないだろうなぁ。

あの言い様だと、国王は意気揚々と私を証拠もなく有罪にするっぽいし。

それにこの雰囲気だと、話題を元に戻すことが難しくなっている。

結局モルテさんがどうして兵士になったかは分からず仕舞いになってしまった。

そこにモルテさんは追撃を加える。

「まあ確かに君の容疑はまだ確定したわけじゃないけどさ。自分を冤罪で捕まえたような所で働きたいなんて思う物かあ。僕なら絶対嫌だね。」

モルテさんは微妙な表情を見せる。

ここで間違っても"それってあなたの感想ですよね"などと言ってはならない。

もしも目的が仲良くなることなら尚更だ。

あれは別に友達とか要らない系の人が発する言葉だからだ。

自身を不当に扱った存在が属する集合に対し嫌悪感を抱き、その職への願望を失うという考え方をする人も確かにいるということだろう。

たとえその属性を持つ人間にどう不当な扱いを受けようとも、必ずしもその職場内部でも同じように扱われるとは限らない上に、そのような偏見はするだけ大したメリットがないという事を私は知っている。

だがそれを私が知っているのはステアラ用の学校教育を受けたからだ。

合理性やら公平性、社会性に関する教育を受けていなければ、知性実体がそのような偏見を持ってしまうという事態も、必然的と言えなくもない。

つまりこの国の学校教育の水準は極めて低い若しくは、そもそも義務教育が存在していないということになるだろう。

「うーん。じゃあ兵士以外だとしたら、私はどんな職に就くべきですかね。できれば給料が良くて、沢山の物が集まってくるような仕事がいいです。」

私は図々しく言う。

給料が高い仕事であれば、必然と多くのデータが得られると考えてのことだ。

それにこの国の職業事情についても知っておきたい。

モルテさんは少し考えるような素振りを見せてから答える。

「さっきの話からするに、君はもう既に職に就いているんだろう。それをそのまま続けなよ。せっかくある仕事なんだしさ。」

それを聞いて私はしゅんとしてしまった。

私のコミュニケーション能力不足が故にこれ以上この話題で会話し続けることができなくなってしまった。

しばらくの間荷車の中に静寂が訪れた。

こういう時に鋭く言い返せる国語力があればなあ。


かれこれ出発してから三十分程の時間が経とうとしていた。

兵士たちの走行能力を考えれば、進んだ距離は約3粁と言ったところだろうか。

決して容易い山道などではないが、普通の訓練された人間でこれだけの速さが出せる時点で、この国の一般的な身体能力が高いことが伺える。。

と思った矢先、荷車はその場で走行を中断した。

どうやら荷車を引く人を交代するらしい。

モルテさんが荷車を引き、先ほどまで荷車を引いていた兵士が荷車に乗った。

「おう、これから三十分間よろしくな。」

モルテさんよりも十かそこら年が上に見える男性が次の私の話し相手らしい。

向こうから話しかけて来るところを見るに、まだ話しやすそうだ。

「私はヴィーア=アニスィアです。あなたのお名前はなんと言うのですか。」

まずは名前を尋ねる。

これが会話を始めるきっかけとなる。

そして先程と違う点として、今回は先に私から名乗ったことが挙げられる。

つまり会話の順番的に相手方から話題の提供が行われる。

「俺はカーポ=カルコーロだ。」

すごく言いにくい名前を提示された。

こいつの名付け主は何を思ってこんな言いにくい名前にしてしまったのか。

ここでの発言には非常に注意したい。

もしも"変な名前ですね改名したらどうですか"などと発言したとしよう。

自身の名前に対し肯定的に考えている人であれば、これを笑い話にできる。

だが否定的に考えていれば、流血沙汰は避けられない。

「そう言えば嬢ちゃんは英雄とか言われてたけど、何をしたんだ。」

幸いにも今回は相手から話題提供があった。

よかった。無血開城よし。

私は心の中でガッツポーズを取る。

と思っていたのだが、うっかり現実でもガッツポーズを取ってしまった。

それでも私は気にせず返答をする。

「いやぁ、実はあの集落に三日前...だったかな。うん、そこにぃコンフィテ連合軍っていうパエッセ王国軍よりも圧倒的に強い人たちが来たんですよ。それでぇ、駐屯していた兵士たちが次々とやられていきぃ、もう民間人は大ピンチ。」

私は手を大きく振って状況を説明していく。

それをカーポさんはニコニコと聞いていた。

「そこに現れたのがこの私、ヴィーア=アニスィアという訳。次々と敵兵をちぎっては投げ、ちぎっては投げ、しまいには全ての敵兵を一瞬のうちに倒していたと。そして私はあの集落の英雄となったのです。」

私は自慢げに両手を笑腰に当て、胸を張り、巻き起こるであろう拍手喝采に備えた。

カーポさんは拍手喝采と行かないにしても、ほーっとっ感心の息を漏らした。

それに加えカーポさんは間違っても"ない胸を張るのはやめろ"などと心無いことを言ったりしなかったので、当然褒められるものと期待していた。

「はえー。嬢ちゃん意外と強いんだな。でも、あの村を見る限りだと、その敵兵士たちの死体なんてどこにも無かったけどなあ。おかしいなあ。」

カーポさんはいじらしい顔で言う。

恐らくだが、この憎い表情をした石頭ジジイは私が虚勢を張っていると考え、ボロを出させようとしているのだろう。

確かに私はまだステアラとしては二歳程度の年齢しかなく、ホモ=サピエンスからして見れば、虚構を張る子供に見えなくはないかもしれない。

そうは言っても外見的な年齢に関してはしっかりと十六程度はあると思うのだが。

「当初はぁ、敵兵の死体はちゃんとぉ、畑の肥料にしようと思っていたんですけどぉ、なんかぁ、土見てたらぁ、レンガにしたくなったんですよ。」

私の醜い自尊心が正直な回答を強制させた。

このまま勘違いされたままになることの方が、何よりもプライド的に許せなかった。

そしてその余計な誇りは当然の帰着としての問題を生み出した。

「ってことはあの時に嬢ちゃんが道に敷き詰めてたあのレンガって、もしかしてコンフィテ連合軍の兵士から作ったレンガだったってことか。」

カーポさんは前のめりになりながら聞いてた。

その声色は驚愕に染まっていた。

「ええ。遺灰を土と混ぜて焼きました。」

カーポさんの発言には特に間違っている点などはなかったため、やや押され気味になりながらも肯定した。

その大きく見開かれた目から発せられる視線は私を中心に振動している。

そんなに驚くようなことだっただろうか。

捨てるのに困った死体を再利用するというのは、ステアラの間では普通のことだったのだが、ひょっとしたらここの住民的にまずいことをしてしまったのかもしれない。

「嬢ちゃん。"倫理観"って言葉は知っているかい。」

カーポさんは如何にも厳格そうな顔つきで問い詰めて来た。

"倫理観"...か。

決して初めて聞く単語ではなかった。

その意味は確か。

「人として守るべき最低限の善行...でしたよね。それがどうしたのですか。」

私はきょとんとカーポさんの顔を見つめる。

こう振舞っておけば、きっと説明をしてくれるはずだ。

根拠はない。

「やっぱりさあ。いくら敵兵だと言っても遺族って者がいるわけだよ。そんな他人の死体を肥料だとかレンガだとかにしてたら遺族に申し訳が立たないとは思わないのか。」

なるほど。遺族か。

確かにその肉体が本人の意思から手放されたとして、次にその肉体を自由にできる権利を持つ者がいるとしたら、それはその親族となる。

いくら死体とは言え、遺族に無断で使用することは問題と言える。

「そうですね。次からは確認を取るようにします。」

さすがの私でも既にレンガになった死体を元に戻すことはできないので、次回から気をつけることにする。

ステアラにとっては死体は再利用するものとされているが、ホモ=サピエンスにとってはその限りではない。

もう少し違いを意識して行動しないと、こういう時問題になるのか。

私はそう反省をした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ