第二話(修正版)
『シスターはなんでも食べる元気な妖(修正版)』
第一章
二話 -急襲-
村の中央にある名もない広い道、その中道をステアラさんは僕から4歩ほど先を歩いている。僕はそれを小走りで追いかけている。ステアラさんはそこまで速いペースで歩みを進めているわけではない。
それでもステアラさんとの距離の差が縮まることはなく、常に広がり続けている。もう既に5歩分も離れてしまっている。足の長さと言うのはここまで歩行速度に影響してしまうのであろうか。
僕は焦りの表情と共にさらに走るペースを上げ、追いかけた。速度差は減ったとはいえ、その差はなおも開き続けている。
その道から最初の曲がり角に差し掛かった辺りで、ステアラさんの視界の端にはるか後ろを走る僕の姿が映ったらしく、ステアラさんは一旦足を止め、体を右回りにずらし、淡々と謝罪の言葉を乗せた。
「申し訳ありません。歩行速度を落とします。」
ステアラさんは膝を曲げ腰を落とす。それと同時に首を軽く傾ける。そのしぐさから完全に子供扱いされていることがわかる。
羞恥心を感じつつもどうにかステアラさんの膝元までたどり着く。息を整え、先ほどから脳の片隅にあった疑問をぶつける。
「ありがとうございます。それで、試練に出るのは荷物をまとめてからじゃダメなんですか?」
あまりにも唐突すぎる出発に僕は疑念を抱いていた。本来試練に出るのであれば、数日かけて準備をするほどなのだ。
だが僕の手には鞄一つ握られていない。何の準備もされていない。食料も、着替えも、お金の準備すらもない。
「申し訳ございません。今は時間が惜しいので、準備を行う程度の余裕はありません。道中の必要最低限の物であれば私が持っていますので、それをご活用ください。」
いや、安心なんてできない。確かにステアラさんの腰には荷物が入っているであろう鞄がある。だがそれは旅に出るにしてはあまりにも小さすぎる。
一応一人前の修道士になるための試練なのだから、そんな量の準備でどうにかなるとは思えないし、準備をする時間すらもないというのは何事なのか。
「本当に時間がないのですか?可能であればその理由をお教え願えませんか?」
もはややけだ。
「はい。神父からは一秒でも早く、遠くに行くように言われております。ですので今は急ぐ必要があるのです。」
何を意図しての発言かはわからないが、神父の名を出されると流石にこちらも引かざる負えない。あの人が何の考えもなしにそのような指示をするとは到底思えないし、ひょっとしたら僕が想像しているよりもかなり深刻なことがあるのかもしれない。
何とかそこは自分をそう納得させ、僕たちは再び歩き出した。しばらくすると、視界に人影が映った。
今はまだ日が高く、外を歩いている人と言えば限られてくる。
「おはようございます。」
僕はその恐らく日課の巡回をしているのだろう衛兵に対し挨拶をする。
「おはようございます。ダンジ君。」
衛兵も同様に挨拶をする。
そこで何か特別な反応を見せると思ったが、衛兵はそのまま仕事に戻ってしまった。
今の僕の状況に対し何も思わないのだろうか。本来であればこの時間は教会の掃除をしているはずなのに、珍しいの一言もない。
結局道中他の村人にも会ったが、いつも通りの対応をされ、逆に違和感を覚えざる負えない状態のまま村の西口まで来てしまった。
ステアラさんはそのまままっすぐ村を出ていくので、僕は心の中で村に別れを告げ、山道へ足を運ぶことになった。
村は周囲を山に囲まれている関係で、村から延びる北、西、南の三つのどの出口を使おうとも、結局山道を通ることになる。
その中でも西口から伸びるこの道は三つの道の中で最も町への距離が長い道となっている。
長旅をするのであれば、一番町から近い南側の道を使うべきであろうが、今回行っている試練においては教会の支部を回ることが目下の目標であるため、教会支部のない北と南のルートは選ぶべきではない。つまり結局一番長いこの西側の道を使わざる負えないということだ。
「ここから結構道が険しくなりますけど、ステアラさんは山道は得意なのですか?」
ステアラさんは既に険しい今の道をなんの躊躇もなく歩いている。途中でつまずくことも全くない。
「相応の訓練を受けていますので。」
回答はその一言だけだった。あまり意外性のない回答ではあったのだが、僕はここから会話を続けなければならない。
前から思ってはいたのだが、こういうタイプの人とはどう会話をすればいいのだろうか。
神父様は他の村人とはそこそこ会話は持っていたと思うのだが、ステアラさんとはあまり会話が持つ自信がない。
無言の間に恐怖しながら僕は次の質問を投げかける。
「その訓練と言うのは実際に何をしていたのですか?」
僕はわずかな情報の中からかろうじて会話を続けることにした。会話をするということはお互いを知るということである。今後もしばらくの間このステアラさんと旅をするのだ。少しでもこの人のことを知っておくべきだろう。
「訓練と言っても、様々な種類の山を登るだけです。そこまで大したことではありません。」
意外にもそのままな回答が来てしまった。できればここで過去のエピソードなどを語ってほしかったものなのだが。
僕の実力ではこれ以上この話題から続けるのは困難だ。僕は自分の力不足にやや落胆した。
「ダンジ様も疲れている様子はないですが、同様に訓練を受けているのですか?」
ステアラさんから質問があった。
こういうタイプの人は会話はあまりしようとしないタイプかと思っていたのだが、意外にも会話は続きそうだ。少し気分が高揚した。
「元々山での仕事が結構ありましたから。動物用の罠を張ったり、道を整備したりがほとんどですけどね。」
僕は若干照れながら言う。
質問をするのは慣れているのだが、質問をされることが今までなかった為か、思ったよりも文が短くなってしまった。
「ダンジ様はその御歳で既に労働をなされているのですね。まだまだ遊びたい御歳でしょうに。」
もしかしたらステアラさんは意外にも優しい性格なのだろうか。今までこんな風に心配されるようなことがなかった。
教会の人間はできて当たり前、人の役に立つのも当たり前と言われてきた僕にこれは心に響く。
「確かに僕の歳で働くことはあまりないそうですが、教会の人間として少しでも人を支えるというのが使命ですから。」
とりあえず事前に用意されている模範解答を並べておく。
「では使命のすべてを一旦忘れてください。ダンジ様個人がしたいことは何ですか?」
なんだろう、初めてそんなことを聞かれた。
生まれてこの方教会で神父さんに言われる通りに仕事をしていて、特にそれを疑問に思ったこともなかった。
もし僕がもっと違う生まれであり、一般的な子供として成長したとしたら、そのとき僕は何を望むのかということであろう。
「ごめんなさい。今の僕ではその答えにたどり着けそうにありません。でも、僕はこの世界を今のように住みやすいものにしてくれた魔女様が行ったように、人々の役に立ちたいという思いは少なくともあります。」
素直に言う。
特にここは格別何か適当な答えを用意する必要はないはずだ。
僕の一時的な解を聞いたステアラさんは何か悩むようなしぐさをした後、言った。
「ではこの際ですし、試練の途中、世界を見て回り、ダンジ様のやりたいことを探しましょう。」
ステアラさんは相変わらず言葉には全く感情を込めることなく、僕に難題を課す。
けどそれもいいのかもしれない。今までの僕はただ神父様の言われた通りに生きて来ただけなのだ。何か目標を定めてみるのも一興だろう。
「せっかくですし、今までステアラさんが見聞きしてきたものを教えてください。」
僕がそう言うと、ステアラさんは少し困ったような表情を見せた。
「あまり多くは話せませんが、それがダンジ様のためになるのであれば。」
ステアラさんは淡々と話し始めた。
夕刻、即ち日が沈み始めた頃、ステアラさんは突然今までの談笑をやめ、表情を無にした。その瞬間のことだった。
「失礼いたします。」
ステアラさんはその一言と共に腰を落とし、左足を真横、即ち僕の足元に伸ばした。これは丁度僕の足をかけた状態だ。
それにより僕はステアラさんの足に躓き、バランスを崩してしまった。結果として僕の重心は腕一本分前に移動してしまい、困惑と共に体が倒れていく。僕はそれに対し反射的に両手を顔の前に伸ばしたことで、頭を守ることにどうにか成功した。
何が何だかわからないまま地に伏せていたところ、前方から何かが衝突したような大きな音が聞こえた。
その音に驚きつつもすぐに顔を上げ、冷静に状況を確認する。
目の前には中央付近から折れた樹木とその横で蠢く黒い影があった。
状況から見るに、その黒い影は僕の背後から飛んできて、あの木にぶつかったのであろう。つまりあの黒い奴から僕を守るためにステアラさんは僕を転ばせたということなのだろう。判断速度がかなり速い。
そしてその肝心のステアラさんといえば、既に僕の前でどこから取り出したのかわからない木刀を両手で握り、ゆったりと構えて戦闘状態に入っている。行動も早い。
対して先ほどの影は腕を上げ、腹部側面から下腕にかけて被膜された羽を広げ、自身を大きく見せ、威嚇のようなことをしている。
こちらを見つめる瞳には確かな殺気があり、まるでこちらを恨むかのように喉を鳴らしている。
本来であれば自然界の動物にここまで恨まれるということはまずない。捕食対象として見られるか、縄張りの侵略者と思う程度であろう。
ということはだ。この獣はただの獣という訳ではなく、いわゆる魔獣と呼ばれる存在であろう。
体の構造的には、一般的な動物も魔獣も大して違いはないのだが、魔獣は生きることよりも人を殺すことにほぼすべてをかけており、さらには魔陣と呼ばれる特殊な印によってこの世に生を受ける点において違う。さらに魔獣は基本的に食事を摂らずに、餓死してしまうことがよくある。
それによりたとえ魔獣を乱獲したとしても、絶滅させてしまう心配はないので、見た場合問題なく狩ることができる。とは言っても魔獣は人間に比べてかなり身体能力が高いので、まずもって常人が倒すことは容易ではないだろう。
そこでメンゾギア教の出番というわけだ。魔女の血を引く人間は魔獣と互角以上に戦える程度の身体能力を持つ。一般人の三倍近い量の食事を必要とする燃費の悪さにさえ目をつぶれば、魔獣を討伐するのにこれ以上の適任者はいない。
しかし、僕のいた村は規模が小さく、生きていく上での最低限の食事しかとることはできなかったし、魔獣は人が密集する場所に出現する習性がある。そのため今の僕では経験不足及びカロリー不足によりあの魔獣とまともに戦うことはきっとできないだろう。
だが今の僕には幸いにもステアラさんが付いている。大変心強い。
見ると、あの魔獣の左足には斬り付けられたかのような傷がある、恐らく先ほどの一瞬でステアラさんが付けた傷だろう。
教会の人間たるもの、他の人に守られるというのはあってはならないことではあるが、ステアラさんは教会の人間なのできっとノーカンとして見ていいはずだ。
「ダンジ様、10分ほど隠れてはいただけないでしょうか。」
つまりステアラさんは10分以内にあの魔獣を倒すということなのだろう。僕は大きく頷き、背後にある木の陰に身を潜めた。
それを確認したステアラさんは前方に滑り込むかのように前に踏み込み、木刀を魔獣の眼球めがけて突き出す。
当然魔獣はそれを避けようと顔を反らす。するとちょうど魔獣の足元が死角になる。
その瞬間を狙っていたかのようにステアラさんは両膝を曲げ、魔獣の懐に入り込み、負傷している左足を背面から回りなぞるように斬りつける。
「~~~~~」
魔獣は声にならない声を上げながら、苦痛に耐えつつ右足の爪でもって自身の腹部付近を刈る。
しかしその時既にステアラさんは魔獣の背後まで抜けており、その攻撃は空振りとなる。
敵が自身の背後に回っていることに気付いた魔獣は右回りでステアラさんを視界に収めようとする。
だがステアラさんは魔獣の動きに合わせて木刀を横に構え、魔獣の右眼を木刀で突き刺す。
さらに魔獣が暴れようとするのに合わせてステアラさんは、右眼に刺さったままの木刀を動かし、魔獣の脳を内部から潰す。
そこから5分間ほどだろうか、ステアラさんは木刀で魔獣の脳を完全に破壊しきるまでにかかった時間は。流石の生命力だ。
脳を破壊しきったとき、魔獣はそのまま動かなくなってしまった。
「ダンジ様、終わりました。」
ステアラさんはそっと僕の方を見ながら言った。
戦い慣れている。僕は驚愕と感心に心を囚われながらも、木の陰からステアラさんの横まで移動した。
「今回は守っていただきありがとうございます。ステアラさんは強いのですね。」
なんと声をかければいいか迷いつつも、どうにか礼だけは言うことに成功した。
ステアラさんは周囲を見渡し、少し歯を食いしばった後、服に木刀をしまった。凄いところにしまっている。
「いえ、倒すのに時間をかけ過ぎてしまいました。そのせいで今日はもう遅いですし、ここで野宿をしましょう。幸い食料も手に入りました。」
そう言ってステアラさんは鞄から金属製のナイフを取り出し魔獣の死体を解剖していく。なら最初からそのナイフで戦った方が良かったような気がしなくもない。だがステアラさんの戦いをただ見ていることしかできなかった僕にはそれを言う権利は多分ないと思う。
僕は特に何を言われたということではないが、薪になりそうな木を集めに行った。
ある程度薪があつまり、それで焚き火を作ったころには魔獣の解体が終わっており、後は焼くだけという状態になった。
しかし問題はここからだろう。焚き火にどうやって着火するかという問題だ。
「ステアラさん、どうやって火をおこしますか。」
もしかしたらステアラさんは火打石と打ち金を持っているかもしれないという希望的観測を元に質問をする。もし無かったら、生肉を食べることになるのだろうか。
「しっかりと道具は持ってきてあります。」
そうステアラさんは答えた。どうやらあの鞄には火打石と打ち金の両方がしっかりと入っているらしい。
ステアラさんは鞄に手を入れると、予想に反して何やら小さな箱状の物を取り出した。
その箱をスライドさせるように開けると、中からこれまた小さな棒を取り出した。そして棒の先端にある赤い固形物を箱の側面に当て、勢いよく擦った。
するとボッという音と共にその棒は火をまとい、そのまま焚き火に火を移すと、箱を鞄にしまった。それは火打石とは程遠い物であった。というか火打石よりもずっと使いやすそうでもあった。火打石だとうっかり怪我をすることが多かった。
「今のは何ですか?かなり簡単に火が付きましたけど。」
あまりにも現実離れした現象に思わず質問を投げかけてしまう。
「マッチと呼ばれる道具ですが、ダンジ様はご存知ではありませんでしたか。」
聞いたことはない。だがまったく心当たりがないというわけでもない。確かずいぶん前から製法が失われてしまった魔道具と呼ばれるものがある。
現在ではかなり貴重な物であるため、滅多に見ることはできない。
「ステアラさんは何故そのような貴重品を持っているのですか。」
僕の質問攻めにステアラさんは一瞬作業をする手が止まりかけたが、すぐに作業を再開した。
もしかしたら今のは聞くべきではないことだったのかもしれない。誰でも知られたくないことくらいあるだろう。
「すいません、今の質問はなかったことにしてください。」
そんな気まずい空気が流れる中、僕たちはその場で一夜を過ごした。
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焚き火の前で読書をしている美少女がいる。美少女の髪は風に乗り、少年たちの心を躍らせる。そして焚き火の炎は風に乗り、その姿を踊らせる。
そのせいで本が読みにくい。第一焚き火の明り程度ではまともに文字を読むこともできないことに加え、本が燃えないように炎から距離も取っているため余計に本が読みにくい。そもそもここの文字が読みにくい形状をしているというのもあるのだが。
かと言って明りをこの場で灯すというのも電池がもったいなくてできない。
そこで私の美貌パワーで光を与えるというのも、ここら一帯の環境を破壊しかねないのでやめておく。
何故私がこのような醜態を晒しているのかと言うと、それは賊に家を追われたからなのだ。
ある日突然不審な集団が私のいた村を襲い、持っていた物を奪われた挙句、私以外の村人をすべて虐殺したのだ。
内臓を切り出し、血を抜き、砂をかけ、それまた酷い仕打ちをしていた中、私は命からがら逃げて来たのだ。
おそらく賊は私が村で一番、いや宇宙で一番美しいために最後まで生かしたに違いない。
「という冗談はさておき(最後の行を除く)。」
実際はその不審な集団と言うのが何でも治安維持のための兵団らしい。今読んでいるこの本に書いてあった。
何なら死体の内臓を引きずり出したのも私だ。調査のためだったんだから仕方がない。
あと砂をかけたのは兵団から逃げるためにかけたのであって、別に敵意があったという訳ではない。
そして今私の鞄いっぱいに詰まっているこの本の山は私が村で盗んできた本だ。
と言っても所有者はみな死んでいたので、どちらかというと墓場泥棒のほうが近いだろうか。
その本を盗んだ理由としては、単純に文字とこの国のことを知りたかったからだ。
私はここの言語を知らない。そのため、その兵団の人たちと満足に会話することができなかった。そう、会話ができなかったのは言葉を知らなかったからであって、コミュニケーションが苦手だからというわけではない。断じてない。
盗みの光明から、私はこの国の文字が読めるようになっていた。幸いにも、この国の本に挿絵が多かったことと、言語学の書物が盗めたことで文字をかなり効率的に読めるようになった。
その語学書には舌の動かし方や息を吐く量など細かく本に書いてあるため、言葉の発音に関しても覚えることもできた。楽しい。
もしこれらの本がなかった場合には、他の家でさらに本を盗む必要が出ていたであろうが、今の私には抑えられない知的好奇心があるため、結局新しい本を欲している。
明日になったらもう一度あの村に行ってさらに本を盗むかそれとも別の場所で盗むか迷う。
「こういう時はコイントスでしょ。」
と言ってから気づいた。私はこの国の通貨を持っていない。こういうことならあの村で本だけではなくお金らしきものも盗むべきだった。
小規模な村や警備の薄いところであれば簡単に盗みが行えるだろうが、今後大きな町などに行った場合にはそうも言ってられない。
お金を使って買い物や宿の調達をしなければならない時が来るはずだ。今のうちに警備の薄い村でお金や本を盗みまくるしかないだろう。
こうなると本当に盗賊になったような気分だ。正直罰が当たるんじゃないかとも思ってしまう。
ガサッ
「ひっ。」
突如として背後からした物音に思わず声を上げてしまう。いや、別にビビりだとかそういうわけではない。タイミングが悪すぎる。炎を見ればわかるのだが、現在あまり強い風は吹いていない。
なのに背後でそこそこ大き目の物音がしたのだ。不自然さから警戒心を改めただけであって、幽霊や神罰だとかを怖がったわけではない。
きっとその辺の動物がちょっと通っただけだろう。今は夜なので、夜行性なのかな。私は恐る恐る振り向く。
「ごめんなさい。ごめんなさい。本はあれです。盗んだとかじゃなくて後で返そうと思っただけなんです。あの、今はもうこの辺は読み終わったのであれです。今返します。ごめんなさい。」
私は両手の平を合わせ、頭部前に突き出した状態で必死に言い訳をした。何せ目の前に半透明な若干人型のビーイングがいたのだ。完全に幽霊だ。
決してビビッている訳ではない。謝罪したほうが合理的だと思っただけなのだ。
「ボアアアアア。」
その半透明人間は口と思われる場所を開き、何やらうめき声のような物を上げた。
あれ、もしかして怒ってます?あ、そういえばうっかり日本語で謝罪したから伝わってなかった的なあれかな?
半透明人間は右手らしきものを前に突き出そうとし、そのまま手前にある枝にぶつかるかと思ったその直後、腕は枝を貫通してきた。
よく見たら体の一部分が結構いろんなものを貫通している。
「ぴいいぃぃ。南無愛染明王、ジーザス、神火清明神水清明神心清明、エロイムエッサイムゥゥゥゥ。」
もはや混乱してよくわからないことになっている。せめて宗教は統一するべきだったのだろうか。
私は焚き火から火のついた枝を一本手に取り、半透明人間に向かって振り回した。
「ひぃぃぃ。悪霊退散。」
しかし、枝を通り抜けるような者を相手に炎が効くはずもなく、問答無用で向かってくる。
それを見た私は戦うことを諦め、鞄を手に取り走り出した。これは逃げているのではなく、戦略的撤退いいって同じか。
きっと私には安息の時はないのだと走りながら思った。
「う~、今の何ぃ。」
例のあれから逃げ切った私は安堵から言葉をこぼしている。
体力には自信があるので、身体的には疲れていないのだが、精神的にはひどく疲労している。
名前をいうことすら恐れられるあれは一体何だったのか、今なら冷静に考えられる。
普通に考えれば幽霊という存在はないと思うのが自然である。それを基準に考えれば、私の幻覚、立体映像、夢、いろいろとある。だがそのどれも違う気がする。もし夢なのであれば、今私がここにいることの説明がつかないし、あそこまで殺気のような物を感じたのだ。立体映像であるという線も消えるだろう。
あの時は混乱してあまり覚えていないが、あれは枝などの物体や炎などの熱源に対し、その影響を受けていなかった。物質的なものではないということなのか。
だが炎に関しては少し違うのかもしれない。熱による影響とは思えないが、若干炎を避けるかのような動きが見て取れた。と言ってもそれだけで、ダメージを受けているような動きではなかった。
あれは私の視覚に影響を与えていた。でなければ見えないからな。視覚、つまり光を発していたということだ。
炎を近づけても色合いが変わらなかったのを見ると、光を反射して視界に映った訳ではなく、あれそのものが発光していたということだ。
そして光を放つということは光の影響を受けるということでもある。だから炎の光に影響されたのだろう。
しかしあの程度の光ではほとんどダメージを与えられなかった。もっと強い光があればあれを倒せるかもしれない。
冷静に考えると意外に対処方法がわかるものなのだと感心する。
とまあ例のあれの対策がわかったところでなのだ。
「ここはどこなの...(泣)」
そう、私は迷える美少女なのだ。
慌ててこの暗い中を走って来たため、方向感覚が完全に失われてしまっている。もうあの村には戻れないのかもしれない。
しかもさっきのあれからは逃げ切れたが、別個体がこの近辺にいないとも言えない。どこかに避難したいところではある。
だが不幸中の幸い、視界に強めの明りが入っている。建造物から漏れる光だ。
向こうに人がいるということを表している。
ひょっとしたら強い光の中にいれば例のあれに会わないかもしれないし、助けを求めに行くしかないだろう。
数分歩いただけで目的の場所に着くことができた。意外と近い場所にあった。
だが更なる不安に駆られる。なんとここにはこの大きな家以外の建造物が見当たらないのだ。まあ馬小屋っぽいのはあるのだが、民家はない。
暗いから見えていない可能性も当然あるだろうが、だからと言って周辺にここまで何もないということがあるのだろうか。
「ごめんください。」
考えていても仕方がないので、今度はしっかりと日本語ではなくたどたどしいながらもこの国の言語で話しつつ、ドアを叩く。
こんな時間に明りを点けている時点で少なくとも標準的な人ではないことが保証されてはいるが、今はとにかく屋根のある部屋で寝たい。多少の不審具合なら甘んじて受け入れよう。但し相手が私を受け入れてくれるとは限らないのだが。
もしも受け入れてもらえなかった場合は、フードを取り、私の美貌で何とかするしかないだろう。そう色仕掛けだ。
「は~い。」
意外にも早いタイミングで家主が来た。内部からガチャリと鍵が開く音と共に戸が開いた。
そこにいたのは、青みがかったクセッ毛と真っ白な服を身にまっとった少女であった。
その風貌はどこか懐かしい物を感じさせる。というより。
「ルート!?」
「あら、奇遇ね。」
がっつり知り合いだった。もう知り合い通り越してもはやマイファザー。
確かにこの人物は私の生みの親であるルート=ステアラ2Gであった。
「ルート、何故ここにいるのですか。」
今更ながら言うと、私はこのルートに依頼されてこの国を調査している調査員なのだ。
つまりこのお方は人に調査を依頼しておきながらしれっといる依頼主なのだ。意味がわからん。
危険性やら言語やらの調査を任せたのは貴方でしょうに。
「別に、ただの観光よ。」
いや、調査に協力しに来たとかそういうあれならまだしも観光をするとはどういうことなのか。
相変わらずこのルートのことはよくわからん。本当に先代の意思を継いでいるのか怪しんでしまう。
「とにかくですよ。今日はここに泊まらせてはくれませんか?」
一応私はかくまってもらうためにこの家に来たのだ。その目的は果たさせてもらう。
「別に構わないけど、私が寝込みを襲わないとも限らないわよ。」
「貴方はそういうことをする人ではないということくらいは知ってますよ。」
呆れたことに、いっつもこの人は冗談を混ぜながら話す。
そして嫌なことに冗談を本気で実行するような人でもある。
「それで、どうしてこんなところまで来たの?貴方結構野宿とか好きじゃない。」
「別に野宿は好きではありません。うーん。理由を言うとあれなのですが、向こうの森に幽霊っぽいのがいたんですよ。それで避難してきたんです。」
正直信じてもらえるかどうかはわからないが、かと言って幽霊っぽいのと一緒にいるのは嫌なのでここは強行突破してでもここに泊まろう。
「もしかして悪霊にあったの?それは災難だったわね。ここなら悪霊は入ってこれないから今日はここに泊まりなさい。」
なんかこの人既に幽霊のこと認知していたのだが。悪霊と言っていた。
「もうそこまで知っているということは、私ここに調査に来る必要って本当にありました?」
ルートはニヤッと笑ってそのまま家の奥まで行ってしまった。せめて肯定か否定かのどちらかは欲しかった。
結局この日は謎の空気の中、ルートのもとで一夜を過ごした。